第53話 北の大地へ①
「私が殿下に付き従うとはいえ、約束した奴隷たちの対価はびた一文も負けませんよ。それはそれ、これはこれです」
「守銭奴……」
「どうとでも言ってください。その容赦のなさこそ、貴女が欲しかった能力なのでしょう?」
むぅ、と呻くミレニアに、昨夜のやり取りの言葉を引き合いに出すルーキスは、どこまでも面の皮が厚かった。
少しくらい負けてくれないか、と思っていたミレニアは、仕方なくため息をついて肩をすくめる。
「そうね。きちんと支払うわ。……私の見立てでは、恐らくそれほど待たせることなく、すぐに支払えると思うのだけれど」
「?……手持ちの軍資金から支払うわけではないのですか?」
ミレニアたちの軍資金がどれくらいかを尋ねたことがあるわけではないが、ルーキスが要求した金額はとても個人のポケットマネーで支払えるものではない。
てっきり、軍資金を切り崩して支払うのだとばかり思っていたが、支払いに時間がかかるということは、一括ですぐに支払う訳ではないらしい。
「えぇ。少し、ブリアで稼がせてもらおうと思うの。――エーリク殿。領外から人を呼び込みたいのです。少しの間、領内を騒がしくしてしまってもよろしいでしょうか」
「は、はい……それはもちろん、構いませんが――」
戸惑った様に答えるエーリクに頷くと、ルーキスは片眼鏡を上げて皮肉気に笑う。
「皇城の奥で蝶よ花よと育てられた深窓の令嬢が、一体どのような金策を?まさか、その可愛らしい顔で、領の内外問わず男たちに春でも売るつもりですか?」
「お前の変態性癖を基準に考えないで」
ルーキスが一行に加わることになった以上、彼はミレニアの従者の一人となる。呼称を”お前”に変えて、ミレニアは不愉快そうにピシャリと蛇の視線をはねつけた。
そして、くるりと左後ろを振り返る。
いつも通りの紅い瞳をした寡黙な男が、じっとそこに控えていた。
「……?……何か」
ミレニアの視線に、もの言いたげな雰囲気を察し、ロロが疑問符を返す。
にっと少女は少し面白そうに口角を上げて笑った。
「ルロシーク。――お前を見込んで、全額を稼いでもらうつもりだから。その身体で、精一杯たくさんの金を集めて頂戴」
「……は……?」
ぱちぱち
紅い瞳が、素早く何度も風を送った。
◆◆◆
それから、鉄鋼の街と呼ばれた無骨な印象の強いその土地は、瞬く間に国中の関心を集めるお祭り騒ぎに浮かれる場所へと変わった。
「ふふ……順調なようね。当日は、相当な観客動員数が見込めそうだわ」
ミレニアは、手元に届いたたくさんの手紙を開封しながら、頬がニヤつくのを抑えられない。
彼女が手にしているのは、先日彼女が直筆で国に残っている貴族たちへと送った招待状の返事。
そのほとんどが”参加”の旨を記して返送されてきていた。
「はぁ……凄いですね。元奴隷の身としては、あんな野蛮で命がけの血なまぐさい見世物に、どうして――と思うのですが」
「あら。言ったじゃない。ここで行われているのは、かつてお前たちがいた帝都で行われていた、命の危険と隣り合わせの悪趣味な見世物とは一線を画した催しだと。いわば、スポーツや観劇に似たものよね」
午後のお茶を楽しんでいたミレニアは、目の前のレティに向かってニコリと笑いかける。
そう――ミレニアは、ブリアから連れて行く奴隷たちの対価を、他でもない”剣闘”によって賄おうと考えたのだ。
微かに残っている元皇女としての顔を使って、全国の貴族たちに触れを出し、少しの予算を投資して、ブリアの奴隷たちが手弁当で行っていた宣伝活動を大々的に行った。
触れの文句は、簡単――
”帝都で伝説の黒布を纏った剣闘奴隷の引退試合を開催する”
相手は、基本的にはブリアの剣奴だが、帝都からついてきてくれていたジルバたちを筆頭としたかつてのライバルたちもカードを組んだ。
かつて、帝都の剣闘に一度でも足を運んだことがある貴族はもちろん、そうでなくとも、歴代最強と呼ばれる奴隷の引退試合ともなれば、嫌でも注目を集めることとなったのだ。
「ルールに則った安全な見世物なのであれば、女子供に声も掛けられるスポーツのような物でしょう。さらに、人気の剣闘士がいる、とか言っていたから、観劇で演者の肖像や因んだグッズを用意するように、消費先を作ってやれば、必ず飛ぶ様に売れると睨んでいたわ」
なんとも幸運なことに――伝説の黒布は、万人が思わず息を飲む美しい容貌をしている。
肖像やグッズは、ミレニアの想像以上にあっという間に完売してしまい、製造者が不眠不休で量産をしていると言う。
当然、ブリアの奴隷たちのものも作成は進めており、地元住民たちからの根強い人気で、それらも無視できぬ売り上げを上げていると言うが、ロロの肖像を前に目をハートマークにした女性たちの熱狂的な消費行動には勝てない。
日常とは切り離された見世物とされていた剣闘奴隷の容貌を描いた絵など、当然今までは世の中に存在していなかったため、物珍しさもあり、当日どうしても観覧に訪れることが出来ない者たちを中心に、地方でもハチャメチャな売り上げを記録しているらしい。
勿論、それらの売り上げから、ミレニアが殆どのマージンを受け取る契約を結んでいる。
当日の観覧料と合わせて、ブリアで生まれていた新しい剣闘事業を、ミレニアはロロという飛び道具を使って、瞬く間に金の生る木として生まれ変わらせたのだった。
「様々なシチュエーションで、たくさんのカードを組んだわ。ロロには、連戦をさせてしまうから苦労を掛けるけれど――ロロが負けることなど、あり得ないのだし、多少のハンデがあるくらいでちょうどよいでしょう。人気なのは、やはりロロが疲れてくる後半の観戦ね。遅い時間だから、大人が多くなることもあるし、元の剣闘の形を好むものが熱狂する内容だと思ったから、かなり高い金額に設定したのだけれど、それでもあっという間に完売してしまったし――今では、その一席をめぐって、高額転売すら起きているのだとか」
「す、すごい世界ですね……」
ミレニアは、当たり前だがロロに枷を嵌めたりしない。
魔封石がないロロは、いざとなれば剣闘場を一瞬で業火に沈めることが出来るのだ。たとえ何人を相手にどんな条件を設定したとしても、その一発逆転の切り札があるロロが負けることなどありはしないだろう。
「もしかして、最近ロロさんの姿が見えないのは、そういうことですか?」
「えぇ。精一杯金を稼いで来い、と言って、護衛兵の装いを禁止し、剣闘士の格好をして外で過ごせ、と命じているわ。今日は、舞台となる剣闘場を見に行く、と言っていたかしら。――ふふっ、きっと今頃、道行く途中で街中の人に熱い視線を注がれているわね」
剣闘は、元々命のやり取りを楽しむ野蛮な見世物だ。防御力の高い鎧などを身に着けることは許されず、肌の露出が多い服を着せられることが常だった。
男もため息をついて見惚れる完璧な肉体美をこれ見よがしに晒しながら、性奴隷と言っても疑われない涼やかな美貌で街を練り歩けば、それはそれは衆目を集めることだろう。そして彼らはそのまま店へと直行し、ロロの肖像やグッズを買い漁るのだ。
そして、言うまでもなくそれはミレニアたちの懐を潤すことになる。
(下手をしたら、奴隷たちの対価などあっさり超越して、かなり元手が増えてしまうかもしれないわね……対価を稼ぐくらいはロロなら朝飯前、と思っていたけれど――想像以上だわ)
ニヤつきそうになる頬をぐっと力を込めて抑えて、カップに口を付けてごまかす。
なんだろう。
――とんでもない、優越感。
今、世界中が熱狂している美しいあの男は、他でもない自分の物なのだと、自慢して歩きたい気持ちになってくる。
「……随分と楽しそうですね、ミレニア様」
「えっ!?そ、そそそそうかしら!?」
図星を指されて裏返った声が出る。
レティは苦笑して、己もカップに細い指をかけた。
「ロロさんは、嫌がらなかったのですか?奴隷時代をなぞるようなことをするわけでしょう?」
「それは勿論、きちんと確認したわ。だけど、こちらが拍子抜けするくらいあっさりと受け入れてくれたの。かつての剣闘とは全く似て非なる催しだと認識しているし、こうでもしない限り自分は金策に寄与出来ないだろうから、それが私の助けになるならば――って。ふふっ……剣闘の場に立て、と言ったときよりも、今日から当日まで護衛兵の装束を身に着けるな、と言ったときが一番嫌そうな顔をしていたわね」
護衛兵の黒装束は、ロロにとって魂の拠り所と言っても過言ではない。
その装束を身に着けている間は、名実ともにミレニアの一番傍で彼女を守るためだけに自分が存在しているのだと実感できる。
それを脱げ、と言われるのは、護衛の任からしばらく離れろ、と命令されたと言うことだ。
頭ではわかっていても、彼の心情としては受け入れがたい物なのだろう。
(ふふふっ……本当に、どこまで私のことが大好きなの、あの男は)
どうしても頬がニヤつく。そんな時の彼の不服そうな眉間の皺まで愛しく思えてしまうから、不思議だ。
隙あらばエーリクとの婚姻を進めようとするくせに、そういうふとした瞬間に、彼の根底にあるミレニアへの特大の愛情に気付かされる。
思わず盛大にレティに惚気たくなってしまっても、文句は言えないだろう。
「そうそう、そう言えばこの間ロロがね――」
うずうずと我慢できずに、上気する頬でいつものようにレティに惚気話を聞かせようとしたところで――
コンコン
部屋の扉が控えめにノックされる。
返事をすると、入ってきたのはネロだった。レティの元で、ミレニアのフットマンのような仕事をこまごまと請け負っている彼は、手に何かを持っている。
「姫サンに頼まれてたお遣い、終わったぞ」
「まぁっ!」
ガタン、とミレニアは音を立てて勢いよく椅子から立ち上がる。
淑女がはしたない、などと言っている場合ではない。口から飛び出した声は、殆ど歓声に近かった。
コツコツ、とネロは足音を響かせてミレニアへと近寄り、”お遣い”と称してミレニアのポケットマネーを渡して買ってくるよう命じられた品物を、興奮している様子の少女へと手渡した。
「はい、これ。街で流通している、ロロの肖像全部。すんげぇバリエーションあるんだな。店を駆け巡って集めるだけで一苦労だったよ」
「きゃぁっっ!!!すごい!すごいわ!」
受け取ったミレニアは、目をハートにして完全に黄色い声でテンションの高い歓声を上げる。
「さすが、私のロロね!!絵になっても本当に完璧な男だわ!」
「ミレニア様……」
我を忘れて完全に一ファンのように肖像に熱狂する主に、レティは思わず呆れた声を出すが、どうも熱に浮かされるミレニアには届いていないようだ。
「あぁ、なんて格好いいの……!仮に肖像画を描かせて、なんて言っても、どうせいつもの無表情で「意味が分かりません」とか言ってばっさり切って捨てられるだけと思っていたから、ロロの肖像画を手元においておけるだなんて、本当に夢のようだわ――!」
肖像の中で剣闘士の格好をしたロロは、その筋肉美を惜しげもなくさらしている。
様々な角度から、それぞれの巧みな絵師たちによって描かれた豊富な肖像を前に、ミレニアは鼻血を出していないのがおかしいくらいの勢いで興奮し、天を仰いでぎゅぅっと胸に肖像を大切に抱きかかえる。
「あぁ――私、北の大地に着いて自宅を持ったら、必ずこれを全て寝室の壁一面に貼り出して毎日眺めるわ!」
「それは……ロロさんの眉間の皺が海より深くなりそうですね……」
仮にも、ロロを伴侶にしたいと言っているということは、その寝室はロロと共に使うこともあるのだろう。己の肖像がべたべたと壁一面に張られているその寝室で、当の本人は一体どういう顔をすればよいと言うのか。
「まぁ……姫サンがプロデュースしたら、そりゃ、売れるよなぁ……世界一惚れ抜いてるファンでもあるわけだし」
ぼそり、とネロが呟く。
肖像にしても、グッズにしても。
およそ、今までの剣闘とはかけ離れた金儲けの仕組みを考え出したミレニアだが、何ということはない。――きっと、自分が欲しいと思った物をそのまま商品化しただけなのだ。
ロロに惚れた者はきっと大枚をはたいてでもそれを買うと、消費者心理を誰よりもよく理解していたからこそ、それは全国で近年まれにみる大ヒットを記録したのだろう。
もしも、過去の帝都で行われていた剣闘が、今のブリアで行われているような形式だったとしたら、ミレニアは私財を擲って
年頃の娘らしく、美男子の肖像にきゃあきゃあと黄色い声を上げて真っ赤になりながら喜んでいる主を前に、呆れたような従者二人の視線が突き刺さったのだった。
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