第51話 蛇のような男⑥
翌日――ミレニアは、ぷりぷりしながら公爵邸へと向かっていた。
理由は簡単。――被虐趣味の塊ともいえる愛しい男が、他の男との結婚を心から進めてくるせいだ。
「いい?ロロ。私は、美しく着飾った姿はお前にこそ見てほしいと思うし、お前にこそ褒めてほしいと思うのよ」
「……そういうのは、エーリク殿に言ってください」
「もう!」
今朝、レティが少し困った顔で部屋に持ってきたのは、ミレニアが気に入っている新調したばかりの美しいドレスだった。
曰く――ロロに、一番ミレニアが美しく見えるドレスを着せてくれと頼まれた、と。
(それを聞いて、ロロとのデートかもしれない、なんて疑わないあたり、レティは本当にロロのことをよくわかっているわよね)
むぅ、と口を尖らせる。
移動ばかりの生活ではあまり着る機会がないドレスを着られるのは貴重だが、それはやはり、ロロとの外出を楽しむときに着たいのだ。
どうして、結婚を画策されている他の男に逢いに行くときに着て行かねばならないのか。
(まぁ……着るけれど。ロロと出かけるという事実は変わらないのだし)
ミレニアは、チラリといつもの定位置を振り返る。
「ねぇ、ロロ」
「はい」
「……今日の私、美しいかしら?」
「はい。国を傾けると言われるのも頷ける美しさです」
「……はぁ……お前、本当に、こういう時はすらすら褒めるわよね……」
完全に、他の男とくっつける方向に力を注ごうとしている従者に頭痛を覚えてこめかみを抑える。
ただ、言葉で褒められるだけでは嬉しくない。
大好きな紅玉の瞳に、隠し切れない灼熱が灯った切ない視線で見つめられながら褒められるのが嬉しいのだ。――たとえそれが、どんなに拙い言葉であったとしても。
決して、こんな風に、いつもと同じ冷静な無表情のまま、立て板に水でスラスラと美辞麗句を並べ立ててほしいわけではない。
「エーリク殿は、これ以上ない男と思います。いつぞやの公爵家の三男坊のような器の小さい狼藉を働くような無礼者ではありません。クルサールのように、いつ姫を裏切るかわからない男でもありません。優しく、穏やかで、誠実で、貴女への敬愛と慎み深さを持っており、きっと姫を尊重して幸せにしてくださる」
「ちょっと」
「公爵家、それも嫡男。仮に旧帝国の時代であっても、姫が嫁ぐに相応しい家です。前皇帝も望んでいた結婚と言います。厳しい自然を相手に、異文化を持つ先住民と折衝を重ねる難しい建国に邁進しなくてもいい。どうしても志を完遂したいとおっしゃるなら、この土地を『自由の国』としても良いのです。そうすれば、貴女は素晴らしい伴侶と、『欲しい』と思わず呟くほどの優秀な右腕になりえる男を手に入れて、やりたいことも――」
「それ以上言うと、本気で怒るわよ」
額に青筋を浮かべて言うと、本気の怒りを察したのか、ロロは渋々口を閉ざした。
どうして自分が伴侶にしたいと思っている男の口から、全力で他の男を伴侶にするメリットのプレゼンを聞かねばならないのか。
「いい?今日、お前は余計なことを言わずに黙っていて」
「ですが――」
「いいから!……私に、考えがあるのよ」
なおも何かを言いたそうなロロに厳命する。
普段ならば、頼まれても口を挟んで来たりはしない寡黙な男の癖に、どうしてこういう時だけ口を開こうとするのか。
時々、本当に自分が愛されているのかどうか自信が無くなってしまう。
ミレニアは大きくため息をついて、自分の恋路の憂鬱さを嘆くのだった。
◆◆◆
公爵邸に到着し、通された先は、質実剛健な屋敷の中で一番煌びやかだと思われる部屋だった。
豪勢なシャンデリアが頭上に輝き、ふかふかの毛足の長い絨毯が全ての足音を飲み込んで、最高級の座り心地を約束する椅子がミレニアの華やかなドレスに包まれた身体を受け止めてくれる。
(こんなにも気合の入ったところに通されて――本気で、見合いさせるつもりなのかしら)
呆れて、チラリと眼をやると、相変わらず感情を読ませない張り付けたような糸目で笑んでいる男がいる。
男の前には、何か事前に吹き込まれたのか、カチコチと緊張に強張っている可哀想なドミトリー家当主エーリクがいた。
「み、ミレニア殿下っ……本日は、お日柄も良く――」
「エーリク殿。そう畏まらないでくださいな」
困ったように言って、出されたカップを手に取る。香り高い茶葉は、相変わらずルーキスが貴婦人に好まれそうなものを選んだのだろうか。
こくり、と喉を潤してからカップをソーサーに戻すと、見計らっていたようにエーリクが言葉を発する。
「そ、そのっ……私は、殿下が成し遂げたいと思っていることを、応援する気持ちでおりますっ」
紅茶を飲んでいる途中で話かけないあたり、紳士としての教育はしっかり行き届いているらしい。
そんなことを思いながら、ミレニアはエーリクの言葉の意図を測りかねて疑問符を上げた。
視線を上げれば、目の前の純朴な青年は、紅潮した頬で懸命に訴えてきた。
「我がブリア領は、北方地域との商売と切っても切り離せない関係です。特にギュンター様が侵略戦争をやめられてからのここ十五年ほどは、武具の取引量が圧倒的に少なくなってしまって……そんな中、北との商売は、我々の生命線でした。元奴隷身分だった者たちを筆頭に、北方地域にルーツを持つ者も領内におります」
「えぇ。聞き及んでいますわ」
「ですから、殿下が北に新たな国を建国され、かの地が発展していくとすれば、我がブリア領にも利が大きい。心より、応援申し上げておりますっ」
「それは、ありがたい限りですね」
にこり、と優雅な微笑みを湛えると、ぽっと青年の頬がもう一段紅潮する。女性に慣れていないというのは本当なのだろう。
「その……殿下は、救世主たるクルサール王が、認め、心を交わした方だとも聞き及んでおります。他でもないエルム様が、『旧帝国の良心』と呼び、革命の最中にあっても唯一助命を許された方だとも――それによって、どれだけの国民の心が救われたことか」
「……勿体ない言葉ですわ」
エーリクの発言に思うところがないわけではないが、それを口にするのは憚られる。再びカップに口を付けることで、間を誤魔化した。
「そ、そのような高貴なる御方を前に、大変恐縮ではあるのですが、その、あの……」
顔を真っ赤にしながら、まごまごと何やら手をテーブルの下でいじくった後、パッと意を決したように顔を上げる。
夕日のように真っ赤な頬が、印象的だった。
「ま、まずは殿下の良き支援者として、これからも継続的な交流を――」
「将来の伴侶候補として、互いの利となる交流を深めて行かないか――と、主は申しております」
有無を言わさぬ笑顔で、主人の言葉を遮って、蛇のような男が発言する。
かぁっとエーリクの頬がさらに紅潮した。
「る、ルーキスっ……!だから私は、殿下を前にそのような恐れ多いことは微塵も――!」
「エーリク殿。これは、今までの縁談とは訳が違うのですよ。何が何でもモノにせねば。まごついて機を逃すわけにはいきません。はっきりと、結婚前提にお付き合いしてくれという旨を伝えねば」
やれやれ、と首を横に振りながらきっぱりと言い切る。
「第一、前回よりも美しく着飾ってお越しになった貴婦人を前に、気の利いた挨拶も出来ないのですか。これだから女慣れしていないお坊ちゃまは――」
「そ、そそそそのようなっ……!そのような不埒なことっ……第一、こ、皇女殿下に、私ごときがっ……幼いころとは違うんだぞっ!美しくご成長遊ばされた殿下が、私なぞと釣り合うはずもなく――」
(……なんだか、ロロみたいなことを言っているわね)
自分には相応しくない、と慌てた様子で徹底的に遠慮する様がどこかの誰かを彷彿とさせて、ふ、と思わず口の端に笑みが浮かぶ。
どうやら、ミレニアと結婚させたいという思惑を持っているのはルーキス――と、ロロ――だけで、エーリク自身は、ルーキスに無理やり煽り立てられているものの、ミレニアへの恐れ多さから、どうにも本気になりかねているらしい。
それなら、いくらでも打ち手がある。
ミレニアは頭の中で少し考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「……ルーキス・バチェット」
「はい、殿下」
昨夜の会話など何もなかったかのように、しゃあしゃあといつも通りの笑顔で受け答える男は、やはり面の皮の厚さが尋常ではないらしい。
少し呆れたように嘆息してから、ミレニアは気になっていたことを確認する。
「私とエーリク殿を結婚させたい貴方の意向はよくわかったけれど――私の建国そのものを止める気はない、という理解で良いのかしら?」
「えぇ。色々考えまして、現段階ではそれがベストだと判断しました。この狭い領内で、政治的にもまだまだ安定期は程遠いと思われる今、いつまでも奴隷たちの面倒を見続ける限界があります。彼らに十分な居住地を与えることすらままならない。であれば、殿下に領外に連れ出して頂き、新しい土地でゼロから新生活を築かせる方が、我々にとっても利が大きいと判断しました。……故郷へ帰りたいと切望している奴隷たちも多いことですしね」
カチャリ、と片眼鏡を押し上げながら付け足す最後の言葉は、少し他の響きと異なっていた。
ミレニアは、じっと大きな翡翠で蛇のような男を見つめる。
「将来的な結婚を約束していただけるなら、先に申し上げた奴隷たちの対価を要求するというのは撤回しましょう。貴女が目指すのが『自由の国』だと言うなら、夫婦で別の場所を同時統治というのも悪くはないはず。密にやり取りを重ね、互いに行き来して、男児が生まれたらドミトリー家の嫡子として育てることを了承していただければ、こちらとしては何も憂いはありません」
「なっ……ルーキス!そのような!」
真っ赤になって従者の言葉を遮る青年は、どうやらミレニア並みにおぼこいようだ。
ミレニアは考えるそぶりを見せながら、チラリとエーリクを見やる。
「でも、エーリク殿は、その方針に全面的に納得しているようではなさそうだけれど」
「納得させます。問題はありません」
ニコリ、と良い笑顔で言い切られ、ミレニアは呆れる。
己が決めた唯一無二の主のためならどんな障害も厭わず尽力し、与えられた命を必ず完遂しようとするのは、奴隷たちに共通の意識なのだろうか。
小さく嘆息してから、ミレニアは目を泳がせている領主の方へと向き直った。
「エーリク殿」
「はっ、はいっ……!」
「……ありがとうございます。良き支援者となっていただけるとのこと、とても嬉しく思いますわ。私も、ぜひ貴殿とは、今後も継続的に交流をしていけたらと思います」
ぱぁっとエーリクの顔が晴れやかになる。
こくこく、と何度も頷き頭を下げる青年に、「でも」と言葉を重ねた。
「残念ながら、結婚を前提に――という申し出は、受けられません」
「姫」
黙っていろ、と命令したはずの従者が後ろから口をはさむ。
「私には、もう、将来の結婚相手が決まっているのです」
「姫。……どうか、お考え直しを」
往生際悪く言葉を重ねる男はきっぱりと無視する。
目の前のエーリクは驚いたようにぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「とはいえ、幼い時を最後に途絶えてしまったかと思っていた縁が、こうして再会し紡がれる不思議なめぐり合わせに感謝しているのは本当です。故に、貴殿とは、今後も――私がここブリアを出立し、北に新たな国を建国した後も、末永く友好的な関係を築いていきたいと思っております」
「は、はい勿論――」
「ほう。それでは、連れて行く奴隷たちの対価を進んで支払いたいと」
すんなり頷きかけた主を制し、ルーキスが割って入る。さすがに甘くはない。とんだ守銭奴だ。
しかも、張り付いた笑顔の中で、目だけが笑っていない。これはきっと、結婚の話も諦めていないということだろう。
うんざりしながらも、ミレニアは認める。
「いいでしょう。このブリアで今日まで仕事に従事していた労働力を連れて行く、というのは事実。勿論、エーリク殿との友好関係は続けるつもりですから、何かあったら人手の派遣なども請け負い合うことも厭いませんが――一時的に、領地運営のための金銭が欲しいというなら、了承しましょう」
「ほう……?ではもしや、言い値を全額で支払う、と?」
「はい。私が目指すのは、身分に捕らわれぬ『自由の国』。軽い覚悟ではついて来れぬとしっかり面談で話をするつもりですが――それでも、と望む者を、私が拒むことはありません。全てを受け入れ、旅立つと約束しましょう。仮に、昨日もらった書類に記載されていた全員が随行の意志を表明したとしても、必ず」
蛇の灰掛かった瞳が、意外そうに見開かれる。
全員分ともなれば、とても簡単に用意できる金額ではない。仮にここでそんな金額を払ってしまえば、軍資金は底をついてしまうだろう。
「全額、耳を揃えてきちんとお支払するとお約束しますから――エーリク殿。折り入って一つ、頼みごとがあるのです」
「な、なんでしょうか。何なりと仰ってください」
そもそも、エーリクは奴隷を金で引き渡すことに抵抗があるのかもしれない。真摯な瞳で、お安い御用だと言わんばかりにミレニアへと向き直った。
にこり、とミレニアが可憐な笑顔を青年へと向けると、ドキリ、と純朴な青年は美少女の微笑みに心臓を跳ねさせる。
ミレニアは、歌うように、何ということもなく――軽い調子で、言葉を声に乗せた。
「そこにいる貴殿の右腕――ルーキス・バチェットを、”おまけ”に私にいただけませんか?」
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