第49話 蛇のような男④

(領主のお遣いで、何か政治的な交渉や用事があってやってきた――と、言うには苦しいわよね……?)


 ひくり、とミレニアは頬を引きつらせる。

 肌を下品に露出し、うっとりと紅潮した頬を隠しもせず、べたべたと身体を密着させてくる女たちに親し気に手を回している距離感の近さは、どう考えても彼が店を客として訪れ、女たちとめくるめく快楽を楽しんだ後としか思えない。


「バチェット殿。……ドミトリー家の家令たる貴殿こそ、どうしてこのような場所に……?」


 ぎゅっと眉根を寄せて、不可解なものを見る目で男を見つめ、ミレニアは口を開く。

 凡そ、由緒正しい公爵家の家令とは思えぬ振る舞いと言わざるを得ないだろう。

 非難めいたミレニアの態度に、興を削がれたのか、ルーキスは嘆息して女たちの腰に回していた手を離し、何事かを囁く。

 女たちは、こくり、と従順に頷いた後、彼の薄い褐色の頬にキスをしてから店の中に戻っていく。ここでお別れ、ということだろう。


「やれやれ……今日は、久しぶりの娘がいたので、別れ際に連れ出して外で愉しもうと思っていたのに……予期せぬ妃殿下の登場のせいで目論見が外れました。全く……」


「へ……?そ、と……?」


「深く考えず、無視してください。貴女は永遠に知らなくていい世界のことです」


 ぽかん、とした顔をして疑問符を上げたミレニアにすかさず後ろから制止の声がする。

 カチャ、と片眼鏡を軽く押し上げて直してから、邪魔をされた不機嫌をにじませたままにルーキスがこちらを向いた。


「それで?……こんな界隈に、男女二人組で、何の御用ですか?まさか、二人で店に入り、娼婦と三人で愉しむ特殊性癖でも?」


「?」


「今すぐ口を閉じろ。さもなくば俺が二度と物理的に口を利けなくしてやる」


 不機嫌の煽りを受けてか、ルーキスの口から卑猥な言葉が続々と出て来るのを、ロロはずいっとミレニアを背に庇うようにしながら遮る。

 すぅっと鋭く眇められた紅い瞳に、相手を翻弄出来たことである程度気がすいたのか、ルーキスは一つ嘆息してから口を開いた。


「御心配頂かずとも、私の娼館通いについて、領内で知らぬ者はおりません。最初こそ、ドミトリーの名を穢すとうるさい者もおりましたが、今はそのようなことを口にする者はいない。革命で淘汰されたのか、どれほど言っても無駄だと悟ったのかは知りませんが」


「そ、そんなに有名になるくらい、派手な娼館通いをしているの……?」


「いけませんか?――どうにも昔から、商売女にしか興奮しない性癖のようで」


 あけすけな性癖暴露に、ひくっ……とミレニアの頬が引き攣る。ロロが、もう一段階視線を鋭くし、ルーキスへの圧を強めたのが背中を見るだけで分かった。


「おぉ、怖い。……さぁ、それで?お世辞にもこんな世界の肥溜めの延長のような一画に、雲上人たる元皇族が足を踏み入れる理由は、何でしょうか」


「……貴殿にもらった書類に書かれていた性奴隷たちに、話を聞こうと思ったのです」


「ほう?……ははぁ。なるほど。では、奴隷小屋にいる者たちには既に話を聞いてきたところなのですね」


 ミレニアたちがやってきた方角から察したルーキスは、張り付いた笑みのまま片眼鏡を押し上げる。


(この男……本当に、嫌味な性格で下品で最低な男だけれど――でも、頭の回転だけは、随分と速いのよね……)


 チラリとミレニアらを見ただけで彼女らの行動を察したルーキスの頭の回転の速さから、ふと、ミレニアは思い出す。

 エーリクの屋敷で、彼が奴隷の”対価”を要求しようとしたとき――


(あれは、エーリク殿の言葉を遮るようにして発せられた……エーリク殿が、真摯に頭を下げて頼む私を前に動揺して、ブリア領にとって”余計な事”を言わないようにするため……?)


 主をないがしろにするようなそぶりは見せず、スッと会話に入ってきて、交渉の主導権を握った光景を思い出す。


(そうよ……革命で、奴隷解放が成された後に、剣闘奴隷たちの居場所を作るのだって、法の網目と市井の民の感情の機微を上手に縫ってギリギリを考えて――この男、きっと、相当に頭が回るはず)


 ロロの背中に庇われたまま、口元に手を遣り、じっとミレニアは考え込む。


「――欲しい……」


「?」


 ぽつり……と少女の唇からこぼれた言葉に、ロロが怪訝そうに横顔で振り返る。

 ミレニアは、高速で頭を回転させる。

 今日、奴隷小屋で聞いた話。エーリクとルーキスとのやり取り。月明りの元で、彼自身が発する言葉。


「まぁ、いいでしょう。好きに店を訪ねたらいい。ここは私の庭です。必要なら口利きの一筆を書いてもいい」


 ルーキスとしては、一人でも多くの奴隷を連れてブリアを出てほしいはずだ。

 そのためにはミレニアが一人一人と話をして、彼女が奴隷に同情し、奴隷も彼女に心酔する機会を設ける手助けをするのもやぶさかではないのだろう。

 

「あぁ、一筆は書いても良いですが、私の同行を求められるとは思わないでくださいね。今日は最初から、用が済めばさっさと帰るつもりでした。――満月の夜は、嫌いなのです。昔から」


 張り付けたような形だけの笑みで、蛇が笑う。

 ミレニアはロロの広い背中から足を踏み出し、男の方へと歩み出た。

 月光の中で、対照的な夜空の色をした漆黒の髪が踊る。


「いいえ、口利きは必要ないわ、ルーキス・バチェット。それより貴方と話したいことがあるのよ」


「……?」


 ぴくり、と張り付いて形を変えることのなかった笑みの中で、眉が小さく跳ねる。


「聞きたかったの。もし、あの書類に書かれていないけれど、他に連れて行きたい者がいた場合――スカウトするのは構わないかしら?」


「ほう……?それは勿論、本人の同意がある前提ではありますが、構いません。が――対価は変わらず払っていただきますよ?」


 ニィ、と口角が吊り上がるのを見て、ミレニアは不敵に笑う。


「そうですか。それでは、ルーキス・バチェット」


 スッと大きく足を踏み出す。

 翡翠の瞳が、キラリと光を放った。


「――私が欲しいのは、貴方です。息苦しい王国を出て、自由の国で、貴殿の力を存分に発揮するつもりはありませんか?」


「!」


 悠然とした微笑みの元、差し出された手を凝視し、蛇が細い瞳を大きく見開く。

 真っ白に輝く月明りの下で、ひりつく交渉の火蓋が切って落とされたのだった――


 ◆◆◆


 ルーキス・バチェットは細い糸のような目を目一杯見開く。

 昼間、黒っぽく見えたその瞳は、どうやら少し灰掛かった色のようだ。

 ――生粋の帝国貴族ではあり得ない色素。


「はっ……これはこれは……一体何を言い出すかと思えば――皇女殿下は、どうやら血迷ったと思われる」


 驚きに固まったのは一瞬で、すぐにいつもの笑みを張り付けて調子を取り戻すのは、さすがだ。

 そんなところも、彼の優秀さを感じさせて、ミレニアはニヤリと笑みを深めた。


「何も血迷ってなどいません。貴殿の優秀さを買ってのこと。ちょうど、新しい国を作るのに私の右腕――旧帝国で言う所の、宰相のような役割を担ってくれる者が欲しいと思っていたところなのですよ。昔から私に仕えてくれている執事を育てるのが早いかとも思っていたのですが、彼もそこそこの年齢ですし――財政の管理やこまごまとした執務を任せるには十分すぎるほどなのですが、いかんせん優しく穏やかで万人に好かれるような絵にかいたような紳士なので、自国の利を追及して非情な戦略を描いたり、高度な腹の探り合いが行われる交渉事でうまく渡り合ったり、というのは難しいだろうと思っておりまして」


「……私ならそれが出来る、と?とても褒められている気はしませんが」


「ふふ、政務の腕が達者なものが人格者だなんて、誰が決めたのかしら?」


 ルーキスの嫌味を否定せず受け入れるあたり、ミレニアもまた『高度な腹の探り合い』で渡り合える胆力を持った女傑なのだろう。

 月下に照らされた人気のない通りで、ルーキスはいつもの張り付けた笑みのまま、すぅっと微かに目を細める。


「今日出逢ったばかりで、私の一体何を見てそのようなことをおっしゃるのかわかりませんが――」


「あら。十分理解しているつもりだわ。……西の日照りをやり過ごすために貴方が活躍しただろうということは伝えた通り。その手腕だけでも見事だと言えるけれど――旧帝国の三大公爵家のうちの一つ、さらに軍部との繋がりが強いという難しい立ち位置でありながら一年前の革命の混乱をうまくやり過ごし、領民に被害を出すことなく、奴隷も市井の民も、エーリク殿すらうまく操り、絶妙な均衡を保ってクルサール殿からもゴーティスお兄様からも過干渉を避けている」


「それは私の成果ではありません。全て、領主たるエーリク殿の――」


「今日の公爵邸での様子を見て、そんな言を信じるとでも?」


 エーリク自身がルーキスを持ち上げ、ここぞと言うときの交渉はエーリクを差し置いてルーキス主体で進められていたのだ。彼の言葉に説得力はない。

 ルーキスは二つほど瞬きをしてから、攻め方を変える。


「貴女は、尻の毛までむしり取ろうとした男を、右腕にしようとするのですか?とても信じられない神経ですね」


「まぁ。……不当に吹っ掛けた自覚はあったのですね?」


 下品な言葉で悪感情を煽ろうとしてきたのだろうが、ミレニアは相手の挑発に乗らない。貴婦人の笑みで受け流すだけだ。

 ――交渉の席での面の皮の厚さなら、負けはしない。


「勿論、最初はなんて金に意地汚い男だ――と怒りも沸きましたが、今日、奴隷小屋に行き、話を聞いてみて考えを改めました。恐らく貴殿は――これから先に起こりうる、新帝国と王国のごたつきや、残留意思を示した奴隷たちの地位向上といった問題を見越して、手元に資金を残し、備えておきたかったのでしょう?」


「――――……」


 男は口を噤んで押し黙る。

 いつぞや、交渉ごとに長けた、これもまた蛇のような夜の女王も、こうして不用意に口を開かなかったことを思い出し、ミレニアはクスリ、と吐息で笑った。


「今日は、剣闘奴隷たちに沢山話を聞けました。皆、貴殿に感謝していましたよ。随分前から――革命が起こるずっと前から、奴隷の地位向上に尽力されていたそうですね?……そのような方が、奴隷商人がしていたように、彼らを物のように売買して無為に利を得るような取引を、良しとするとは思えない。きっと、私に持ち掛けられた取引には裏がある、とすぐに気づきました」


 そう考えれば、ルーキスの意図はすぐに分かった。

 ミレニアに金を要求したのは、少しでも多くの奴隷をミレニアたち一行に引き渡すためだ。

 『自由の国』を掲げ、身分格差をなくすと大々的に銘打って王都を出発したミレニアの立場として、金銭を要求されたから希望者を篩に掛けた、という印象を持たせられないというジレンマを、ルーキスは最初から見抜いていた。

 少し調べれば、ミレニアが昔から奴隷に対して偏見がない皇女だったことはすぐにわかる。伝説の剣闘奴隷と言われていたロロを専属護衛として侍らせたことは国中に衝撃を与えたニュースとして駆け巡っただろうし、それ故エーリクとの縁談が立ち消えたのだから、当然ルーキスも知るところだっただろう。その後、長兄に歯向かい、冷遇された紅玉宮で、従者として与えられた奴隷たちにも心を砕いていたことも、彼女の悲運を嘆く声と共に噂は届いていたはずだ。

 既にクルサールの号令の下、奴隷という身分から解放されたはずの彼らを、未だに奴隷小屋に閉じ込め、ミレニアが来たことをこれ幸いと金で引き渡す、まるで奴隷商人のような振る舞いをすれば――ミレニアが怒り狂い、最終的には「こんな扱いをする執政者がいる場所に、自由の国建設に同意してくれた奴隷たちをとどめ置くのは許せない」と少女が男気を発揮すると睨んだのだろう。


「万が一、私がどうしても金が払えないから全ては連れて行けない、と嘆いたとしても、きっと貴方は最後には希望者を全員私たちに同行させるつもりだったはず。そうですね……せめて今後の領内で最も居場所のない剣闘奴隷たちだけでも連れて行け、等と譲歩のようなことを言われれば、私もつい、剣闘奴隷たちの分だけ金額を支払ってしまったかもしれません。金を受け取った後、たっぷり恩を着せる形で、他の希望者を無償で送り出してやると言われれば、今後私たちが建国した後、その負い目を利用して有利に何かの交渉を進められるかもしれない。――何手も先を読んだ、見事な差配ですね」


「ヴァルあたりでしょうか?余計なことを貴女に吹き込んだのは」


 蛇の笑みに、苛立ちに似た何かが混じる。

 交渉に長ける人間は、己の胸の内を言い当てられることを嫌う。

 ミレニアはルーキスの反応から、己の仮説が間違っていなかったことを察し、ぐっと気づかれぬように拳を握った。


(でも、ここから先が、肝心なところ。カードを切る場所を間違えないように……)


 ごくり、と喉を鳴らしながら、内心の緊張を悟られぬよう細心の注意を払い、ゆっくりと勿体つけるように口角を上げる。

 不敵に微笑みが、可憐な少女の面に浮かんだ。


「だから、私は貴殿にも共に来てほしいと思ったのです。これから起こりうることを冷静に見極め、それに対する対処法を何重にも仕掛けられるその頭脳と、この私を相手に、対等に交渉の席に着ける優秀さに敬意を表して」


「お断りします」


 ぴしゃり、と。

 見事なまでに言い切るようにして拒否を示す。

 それは、ある種正しい。変に隙を見せれば、そこから攻め込まれるものだ。

 交渉の席に着いた相手が優秀であればあるほど、切り返す刀は、鋭ければ鋭いほどいい。


「私は、代々ドミトリー家に伝える由緒正しいバチェット家の一員。大恩ある公爵家の家令という立場を放棄するなど――」


「あら。本当に、そうかしら」


 まるで歌うような美声が、静かな夜に響く。

 つぃっと桜色の唇が口角を上げた。


 ――まずは、最初の切り札カードを、場に一枚。


「意外ですわね。貴殿は――祖国に帰りたくは、ないのでしょうか?」


「――――――……」


 しん……

 冴え冴えとした、氷のような沈黙が、夜の通りに静かに横たわった。

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