第47話 蛇のような男②

「だから、そのままの意味だよ。俺たちゃ、自分たちで剣闘のカードを組んで、自分たちで宣伝して、その見物料とおひねりを懐に入れる。……俺たち剣闘奴隷は、ヒトサマよりも生きるだけで金がかかるからな。最低賃金で危険な所で働かされてるだけじゃとてもまともになんか生きていけない」


 ヴァル、と名付けられた男は、少し目立つ犬歯をむき出して、吐き捨てるように言ってのけた。

 ぱちぱち、と目を瞬いたミレニアに、ロロが静かに解説をはさむ。


「……俺たちは、そもそも普通の店に入って買い物をする難易度が高いのです。俺たちだけの”特別価格”が設定されることも少なくない。そういうことでしょう」


「ハハッ……さすが、元お仲間だ。帝都みたいな大都会出身でも、よくわかってらっしゃる」


 鼻で嗤うヴァルに、どうやらそれが正しいらしいと悟り、ミレニアは痛ましげに睫毛を伏せた。

 剣闘奴隷が入店した途端、値札を隠して”特別価格”を伝えるのか、値札そのものを書き換えてしまうのかは知らないが、法律で見つけにくいところで、しっかりと差別感情だけは残っているらしい。


「ここの領主様には、訳のわからんカミサマとやらを信じてやがること以外は、特に不満はない。ルーキスの野郎も、嫌味ったらしい物言いばっかりでムカつくことは事実だが、俺たち剣闘奴隷がまともに生きて行けるように、剣闘場を残して副収入を得ることを許してくれた。枷を外して、名前をくれた。……俺たちには、それだけで十分だ。あとは、自力で生きていく」


「ルーキス……ルーキス・バチェット?」


「あぁ。いかにも腹黒そうな顔したアイツだ」


 クククッと犬歯をむき出して笑うそぶりを見るに、どうやら彼は奴隷階級からは嫌われていないらしい。


(意外ね……生粋の帝国貴族らしい厭味ったらしい振る舞いだったから、てっきり奴隷なんて汚らわしい、と言って差別感情を前面に出すのかと思っていたわ)


 だからこそ、ミレニアたちに体よく領外に連れ出してもらいつつ、ついでに金銭も得て一石二鳥にしようとしているのだとばかり思っていた。


「剣闘についてもう少し詳しく教えて頂戴。奴隷商人がいなくなった分、彼らの代わりに自分たちでカードを組んで主催する、と言うのはわかったけれど……顧客は?剣闘を趣味にしているような貴族たちは、大半が粛清されてしまったか亡命したのではなくて?」


「そりゃ、赤布以上の大物カードに来て金貨を何十枚と湯水のように禁止された賭博に溶かしていくような生粋の上顧客は軒並みいなくなっちまったさ。だが、白布や黄布たちの剣闘を嗜む程度に観戦してた下級貴族や成金野郎なんかは、まだ残ってる」


「まさか……その者たち相手に?でも、領内となると、それもそんなに多くはないでしょう」


 ミレニアの当然の問いに、ヴァルはハハと笑って答えた。


「なぁに。――市井の奴らにも開放すりゃ、顧客はブリア領内に住む人口全部だ。十分すぎるね」


「!」


 ミレニアは驚きに目を見張る。ロロも又、驚いたように息を飲んでいた。


「おかしいかい?俺も最初は、嘘だろって思ったさ。あんな悪趣味な見世物、市井の奴らが興味を示すわけがない、ってね。だが、ルーキスの野郎が言ったんだ。――価格設定を市民の奴らでも手が出る値にしてやれば、きっと興味を持つ奴は出て来る。元々、特権階級しか観戦できない特殊な娯楽とされてた剣闘だ。一般人は、あの剣闘場の中でどんなことが行われていたか、大きな声じゃ言えないだけで、ずっとずっと気になってた。それが、一般開放されるとなれば、『この価格なら、記念に一度くらい……』と言って見に来る奴は一定量居る。そいつらの心を掴んで、常連に出来るかどうかは俺ら次第だ――ってな」


「な――……」


「カミサマの支配する世界じゃ、相手が異教徒でもない限り、血なまぐさい戦闘ってのは禁止されてるらしい。喧嘩の一つも満足に出来ねぇその世界に、鬱憤がたまってるやつらも多い。……だが、昔の剣闘場でやってたみたいに、生き残るために相手を殺したりしたら駄目だ。やったら最期、いきなり非難轟々だからな。だから、俺たちは本当の”見世物”をする。――ルールを決めた”見世物”をやるんだよ」


「ルール……?」


 ロロはぴくりと眉を跳ね上げる。

 かつて奴隷商人が支配する剣闘場では、ルールなどあってないようなものだった。敢えて言うなら、商人が客を呼ぶために、「今回の催しはこんな趣旨で行う」という宣伝文句だけが唯一のルールだった。

 例えば、黒布に枷を嵌めたまま出場させる、だの、一人対五人で相手をさせる、だの。武器や防具の使用の有無すら、主催者である奴隷商人の一存で、その時々でころころと変わった。

 一度戦闘開始の喇叭が鳴れば、そこから先は無法地帯。剣闘場の中に放り込まれた命が、ただただ生き残りをかけて、相手を殺すか、戦闘不能になるまで痛めつけるかするまで、その試合は終わらない。

 そんなロロの疑問に答えるように、ヴァルは説明する。


「色々と細かいルールはあるが――一番の決まりごとは『戦いぶりが素晴らしく、観客を満足させた剣闘奴隷は助命される』だ」


「助命……?」


「あぁ。例えば、俺とアンタが戦うとする。まずはがルールの説明だ。初見の客も多いからな。やっていいことと悪いこと、勝敗の決め方もしっかり説明する」


「審判……」


 ロロが呻くように口にする。汚泥を啜るような血なまぐさい命のやり取りが常だったあの肥溜めのような世界に最も馴染まない言葉だった。

 ヴァルは肩をすくめて続ける。


「試合が始まり、例えばアンタがこれ以上戦えない、と思った場合、アンタは俺に対して”助命”が許される。それを受けた俺は観客に尋ねる。コイツは助命するに値するか否か!?ってな。――ま、ご想像の通り、基本的には予定調和だ。最初のルール説明でも、剣闘を楽しめたなら助命、と説明がある。命のやり取りを見て、非日常のスリルを味わった民衆はたいてい試合終了の時にはボルテージマックスだ。”助命”が受け入れられて、試合は終了。観覧料に追加してチップをもらって、お帰り頂くってわけさ」


「……とんだ茶番だな」


 吐き捨てるように言うロロに、ヴァルは片頬を歪めて苦笑した。


「そう言うなよ。俺らも、生きるために必死なんだ。……だが、これはいいぜ。何せ、昔と違って敗北=死じゃない。自分たちの努力次第で、チップの料も跳ね上がる。一丁前に”人気の剣闘士”なんていうのも生まれて、日々しのぎを削ってんのさ。――あぁ、そんな顔するな。”奴隷”って言葉は禁止されただろ。だから、俺らは”剣闘士”って呼ばれてる」


 どうにも受け入れがたい価値観なのだろう。ロロは終始苦虫を嚙み潰したような顔でヴァルの言葉を聞いている。


「そっちのお嬢ちゃんはさっき、副収入、なんて言い方をしてたが、今や剣闘の方が圧倒的に収入は多い。……ま、観覧料のうちの一部をルーキスの野郎に献上しなけりゃならねぇのだけは面倒だが、俺たちも戸籍をもらって税制に組み込まれた以上、そこで商売する税金だと思えばなんてこたない。チップに関してはまるっと懐に入れて良いって言われてるからな。文句はねぇよ」


 ミレニアは、ヴァルの言葉をじっと聞きながら何かを考えている。

 しばらくして顔を上げると、率直に尋ねた。


「聞いてよいかしら。――お前、それでもなお、私たち一行に付き従いたいと思った理由は何?」


 それは、当然の疑問だった。

 話を聞く限り、ヴァルたちは、多少の生き辛さは感じているようだが、自分たちの持つかつてのスキルを活かしながら、己の努力次第で収入が変動するやりがいのある職を手にしている。収入は安定しているとは言い難いが、それでも元が逞しい奴隷たちだ。己が生きていくために必死でなりふり構わず努力する気骨はあるだろう。

 生粋の帝国貴族らしい嫌味な男が奴隷の管理をしているようだが、彼はどうやら奴隷たちには嫌われていないらしい。彼らは、自分たちの市井の中での扱いに不満はあるようだが、抜け道を用意してくれた男のことは憎からず思っているのだ。

 それでもなお、ミレニアについて行きたいと思う理由は何なのか。


「単純さ。……虫唾が走るんだよ。カミサマの教えってやつと――それをこれっぽっちも信じてもねぇ癖に、義理だけで縛られて雁字搦めにされてるやつを見るのが、な」


「それってもしかして――」


 ミレニアが口を開こうとすると、ニヤリ、と印象的な犬歯が覗く。

 どうやら、予想は当たったらしい。ヴァルは呆れたような顔で言葉を紡ぐ。


「馬鹿馬鹿しいだろ。大恩ある先代に託されて手塩にかけて必死に育てたお坊ちゃまが、いつの間にやら訳の分からん宗教に嵌って、理解不能な方向に突っ走っていきやがるんだぜ?アイツが今までどんだけの尻拭いをさせられたか、知ってんのか?」


 やはり、彼が指していたのはルーキス・バチェットその人のことらしい。

 ごくり、とミレニアは唾をのんだ。


「だがアイツは逃げられねぇ。代々続くバチェット家の一員として、公爵家を裏切ることは出来ねぇ。そのくせ――俺たち奴隷を、見捨てることも出来ねぇ」


「!」


「旧帝国時代から、アイツは奴隷の地位向上を先代公爵に訴えてた。だから、ブリアは政権交代で奴隷制が廃止と言われても、労働奴隷と性奴隷に関してはさほど困らなかった。唯一扱いに困った剣闘奴隷も、抜け道を作ってくれた。――だがそれも、長くは続かねぇことはわかってる。事実、帝都から送られてきた”司祭”とか言う奴は、剣闘を野蛮で正義のない行いだとして反対だと抜かしてやがる。そのうち、カミサマの教えを布教する奴らの声を、市民も無視するわけにはいかなくなるだろう。遠くない未来、俺たちがやってる”茶番”の剣闘すら、懲罰の対象になっていくはずだ」


「……そう、でしょうね……」


 異教徒には武力弾圧すら厭わないという過激なエルム教だが、エルムの教えを信じると表明した人間には酷く優しい宗教だ。仲間に対しては”手”を差し伸べることをよしとするその宗教において、命のやり取りに発展しそうな野蛮な剣闘が取り締り対象となっていくのは自然なことだった。

 また、今はまだ、クルサールが提唱した『憐憫の心』によって、奴隷制度は『非人道的な制度』として流布されているが、そもそもがエルム教信者ではない奴隷たちだ。クルサールの死後――あるいは、生前でも、彼の威光が届かぬ王都から遠いこのブリア領では、そのうち奴隷そのものが異教徒として弾圧の対象となってもおかしくない。


「だが、きっとそうなったときも、ルーキスは俺たちに何かしらの抜け道を与えようと画策する。それこそオウサマやカミサマの意向に歯向かってでも、な。……あいつはとにかく頭が回る賢い奴だが、さすがにずっと国が決める法の網目をかいくぐり続けるのは無理があるだろう。……俺はあいつの負担になんかなりたくねぇ。名前を与え、枷を外し、己の力で生きる方法をまで与えてくれたアイツのお荷物だけにはなりたくねぇんだ」


「――……」


 ミレニアはじっと黙ってヴァルの話を聞いていた。

 フッ……と吐息の音がする。にぃっと犬歯が覗いて可笑しそうに笑った。


「どうだい。……俺は”面接”を通過出来たか?」


「そうね。沙汰は後日追って連絡するわ」


 ミレニアは応とも否とも答えず踵を返す。音もなく黒い影がすぐに寄り添い、少女をどこからでも守れる位置を取った。


「嬢ちゃん、次は誰のところに行くんだい?」


「次は……えぇと、ジュド、ね」


「そうかい。……俺みたいな理由は剣闘奴隷の中じゃ特殊だ。ジュドはきっと――ただ、祖国に帰りたいだけだ」


「えっ……!?」


 パッと思わず背を向けた牢を振り返る。夜空のような髪が舞い散り、翡翠の瞳が驚いたように見開かれた。

 苦笑に近い笑みを漏らして、ヴァルは続ける。


「ブリアは昔から、北方地域との商業が盛んだ。アイツらの主要産業も鉱山の採掘だろう?採掘器具に関してはブリアはお墨付きだからな。宝石と交換で、買い付けにやってくる奴らは多い」


「まぁ――!」


 盲点だった。まさか、こんなところに北方地域との接点があるとは。


「北方地域は肌や瞳の色がこっちとは丸っきり違う珍しい外見をしてる上、厳しい自然の中で生きる知恵なのか、幼いころから魔法を習得している奴らが圧倒的に多い。結果的に、奴隷商人たちが、商売にやって来た大人が連れてる子供を男女問わず拐すことが多いんだ。――ジュドは、まだ十三くらいだろうが、チビ助のころにここに入れられて、魔法能力を買われて早くから剣闘場に立たされてた奴だ」


「……」


 ミレニアは、ここへ来る前に面談をした者たちを思い出す。

 彼らの中には、見た目で明らかに北方地域の出自だとわかる者はいなかったが――ヴァルの言うことが正しいなら、性奴隷はニッチな需要を一手に引き受ける人気娼婦になっているだろうし、優秀な魔法が使える労働奴隷は、職場で重用されて帰路が遅くなることも多いだろう。

 哀しい符号が合致するのを静かに睫毛を下げて、憂いを追い払う。


「他にも、北方地域出身の奴は見た目ですぐわかる。そいつらは、俺みたいな理由じゃねぇからさ。俺の理由はお眼鏡にかなわなくても、ジュドや他の連中だけは、せめて連れてってやってくんねぇかな」


「……ありがとう。だけど、公正に判断するわ。――貴方のことも、公正に」


「ハッ……そりゃどーも」


 吐息で笑う音がする。

 ミレニアは、頭の中で様々な情報を整理しながら、厳しい横顔で次へと向かった。

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