第45話 鋼鉄の街⑤

「あ~~~~~っ!もう!何なのよ、あの男!!」


 用意された宿は確かに最高級らしく、一人部屋だというのに広々とした客室で、ふかふかのソファとアンティークの上質な家具が揃っていた。

 ゆったりと身体を受け止め沈み込むソファに身体を預けながら、備え付けられていたクッションをぎゅぅっと原型が無くなるほどに力を込めて抱きかかえてストレスを発散させながら、ミレニアは恨み言をまき散らす。目の前には、着々と整えられていくティーセットたち。

 部屋に返ってきて早々にレティを呼びつけ、茶と菓子を用意しろ、と告げた言葉と表情ですべてを察したのだろう。優秀な侍女は、何も言われずともいつも以上に甘い菓子と、特濃のミルクティーを用意した。ストレスがたまった時、ミレニアはいつも、特別に甘いものを摂取したがる。

 侍女たちによって準備されていく、いつもより少し豪華なティーセットを前に、先ほどからミレニアはイライラとクッションを抱きかかえている。ボスボスと力任せに叩いたりしないあたりは、さすが淑女教育を受けてきた皇女らしいが、ギリギリと歯を噛みしめる様子を見るに、尋常ではない苛立ちを感じているらしい。


「準備が整いました。ごゆっくりお楽しみくださいませ」


「ありがとう。少し考え事をしたいから皆下がって頂戴」


「かしこまりました」


 今のミレニアには、レティと和やかにティータイムを楽しむ余裕はない。一行を率いる主として、次の打ち手を一刻も早く考えねばらないのだから。

 

「ロロは残っていいわ」


 少女はふかふかのクッションを相手に怒りを発散しながら、振り返ることもなくいつもの定位置にいるであろう気配も感じない従者に声をかける。

 少しだけ空気が動く気配がして、控えめな声で拝命する声が聞こえた。恐らく静かに礼を取ったのだろう。

 イライラが収まらない時、ミレニアが甘えるのも、八つ当たりするのも、わがままを言うのも、それが許されているのは世界で唯一、この無口な男にだけだ。

 ぶぅぶぅと口の中で悪態をつきながら、ミレニアはほこほこと湯気を立てているティーカップへと手を伸ばす。


「まずは何を譲れないポイントとして定めるか、よね。建国の時期を考えるなら、こんなところで足止めを食っているわけにはいかないわ。でも、ここで所持金を大幅に失っても、結局現地での活動に支障が出るから、後れを取る。かといって、奴隷を篩に掛ければ至る所から悪感情が――あぁっ、もう!」


 口を付ければ、ミルクも砂糖もたっぷりの甘い液体が体内に染みわたっていく感覚があったが、イライラの虫はどうやらその程度では収まってくれないらしい。考えを口に出して行けば無理やりにでも思考モードに気持ちが切り替わるかと思いきや、あの蛇のような忌々しい男の顔が脳裏に浮かんできて、ピキピキとこめかみが引き攣るのが分かった。

 ぐいっと紅茶の中身を煽ると、ミレニアは後ろを振り返る。


「ロロ!」


「はい」


 夜空色の髪が踊り、振り返ればいつも通りの冷静な無表情がそこに立っていた。


「お前、いつぞや、私に八つ当たりをしても良いと言っていたわよね!?」


「はい」


「私、今すぐこの怒りを治めて冷静にならねばならないの!お前に八つ当たりをしてもいいかしら!?」


「はぁ……」


 律儀に確認を入れてくるあたりがミレニアらしい。

 もともと、奴隷に人権などない。いつどこでどのように扱われようが、それに否を唱えることは出来ないのだが、ミレニアは決してそんなことを強要しない。

 そんなところに主らしさを感じながらも、その律義さに呆れて小さく嘆息してから、黒衣の従者はスッとミレニアの足元へと膝をついて控えた。


「どうぞ。……お好きなだけ、殴るなり蹴るなりしてください」


「お、お前……どれだけ下僕根性溢れる男なのよ……」


 瞳を閉じて成されるがままの状態を晒す護衛兵にドン引きする。

 被虐趣味にもほどがないか。


「?……八つ当たりをしたい、と」


「殴る蹴るの暴行を加えたいわけではないわ!」


「はぁ……棒か鞭でも持って来させますか?」


「暴行から離れなさい!」


 当たり前のように自分が加虐の対象となることを受け入れている男にツッコミを入れる。


「私が、お前の綺麗な顔を傷つけるなんて、そんなことするわけないでしょう!」


「腹でも――」


「だから!傷や痛みを加えることで気分など晴れはしないから、そこから離れなさい!」


 どうせ、ミレニアの非力な力で殴られたところで、痛くも痒くもないことはわかっている。ロロとしては、その程度で彼女の腹の虫がおさまるのなら、いくらでも身体を差し出すのだが、どうやら少女の剣幕を見るに、それでは納得してくれないようだ。


「……では、何を……?」


 サンドバッグになるくらいしか、彼女のストレスを発散する方法が思いつかないロロは、眉根を寄せて本気で尋ねる。

 ゴホンッとわざとらしく咳払いをした後、ミレニアは要望を口にした。


「あ……甘やかしなさい」


「は……?」


 ぎゅっ……とロロの形の良い眉がさらに眉間に皺を作る。

 ほんのりと上気した頬で、ミレニアはさらに命令する。


「甘やかして。私の理不尽にも腹を立てず、我儘も穏やかに受け入れ、徹底的に、ぐずぐずに甘やかしてと言っているの」


「甘……?」


 眉根を寄せたまま、ロロは俯いて困惑した声を出す。

 どうやら、全くイメージがわかないようだ。押し黙ったまま難しい顔で考え込んでいる。

 ミレニアの理不尽に腹を立てないことなど、常識だ。――わざわざ言われるまでもなく、そんなことに腹を立てたことはない。そもそも、ミレニアは奴隷階級に強いられるような理不尽を働くことなどないのだから。

 我儘を受け入れる、というのも、抵抗を示したことはほとんどない。名前で呼べだの、夫になれだのといった、従者として相応しくない振る舞いを強要される我儘でないなら、なるべく彼女の我儘は聞き入れようと思っている。そもそも、彼女がわがままを言うことなど殆どないのだから。


「……具体的に、指示をしていただければ」


「もうっ……お前は本当に女心がわからない男ね」


 真面目に返してきたロロに呆れて、ミレニアはむぅ、と口を尖らせた後、チラリとテーブルに目をやる。


「カップが空いたわ。お代わりを頂戴」


「?……給仕の真似事をしろ、と?」


「えぇ。グスタフが淹れているのを何度も見ているでしょう。私のためにお茶を淹れて頂戴」


「はぁ……」


 今日の主はなんだか変だが、それで腹の虫がおさまると言うなら、聞いてやるべきだろう。

 ロロは立ち上がり、いつもベテランバトラーがしている仕草を思い出しながら、ポットの中からカップへと茶を注ぐ。


「……どうぞ」


「ふふ。とっても新鮮。ありがとう、ロロ」


「……こんなことで、よろしければ」


 にこにこと何やら上機嫌な様子のミレニアに告げると、キラリ、と翡翠の瞳が悪戯に光った。


「では、次は――菓子を食べさせて頂戴」


「……は……?」


 わくわくした顔で言われて、もう一度眉を顰める。

 さすがに、グスタフもレティもマクヴィー夫人も、給仕の際にミレニアに菓子を食べさせるようなことをしていた記憶はない。

 どうしてそんなことを望まれるのかわからず、怪訝な顔を返すも、ミレニアは大きな翡翠の瞳でロロをじっと見上げ、期待に満ちた表情をしている。


(これが、甘やかす、ということなのか……?)


「……どれですか?」


「そうね。飛び切り甘いのが食べたい気分だわ。その、果物の乗った焼き菓子を食べさせて頂戴」


「これですか。……これは、手で掴んでよいものなのでしょうか」


「えぇ。直接お前の手で、食べさせて?」


「はぁ……それでは……」


 嬉しそうに頬を上気させている少女は、先ほどまでの怒りを忘れているようにも思える。

 上流階級の人間の考えることはよくわからないな、と思いながらロロは膝をついて言われた菓子を手に取り、ミレニアの口へと差し出した。

 少女は少し恥ずかしそうに頬を桜色に染めた後、髪を耳に掛けて顔にかからないようにしながら、そっと瞳を閉じておずおずと可憐な唇を開く。


(……口も、舌も、随分小さいんだな)


 いつも、左斜め後ろの定位置から眺めることが圧倒的に多いため、少女の口元を正面からこんなにまじまじと見ることはほとんどない。

 貴重な光景をもう少し見ていたい気持ちが湧き上がるが、邪な気持ちをあっさりと飲み込んで少女の口元へと菓子を運んだ。

 もぐ、と小さな口が菓子を齧る。


「ん……ふふ……甘くて美味しい」


「左様ですか」


「えぇ。もう一口、頂戴」


「はい」


 蕩けるような笑顔でうっとりと告げる少女に、もう一度菓子を口に運ぶ。

 最後の一欠片を口の中へと放り込むときに、無骨な指がミレニアの可憐な唇に触れ、ドキリと心臓が跳ねた。

 何度もやり直した記憶の中、暴れ狂う灼熱を抑え切れずに少女のこの唇に触れたことは、全部で四回。

 ロロにとってそこは、存在そのものが清らかなミレニアの中でも、特別に清らかさの象徴の場所だった。

 いつだって、少女は聞き惚れる美声でロロを喜ばせる。

 一生ずっと傍にいて、とねだる声。”ルロシーク”と歌うように紡がれる音。

 ――ロロを”人”にしてくれたのは、間違いなくこの唇から発せられる女神の言葉に他ならないのだから。


「美味しかったわ。ありがとう、ルロシーク」


「いえ……」


 咀嚼し終わり、瞳を開いてうっとりとした顔で礼を言われ、すっと視線を落とす。

 我知らず邪な感情が暴れ出しそうになるのを、喉を嚥下して飲み下した。


「ふふふっ……もう、何に怒っていたのかすら忘れてしまったわ」


 にこにこと、上機嫌を隠しもしないで鼻歌すら歌い出しそうなミレニアに礼をして、スッといつもの定位置へと逃げる。

 愛しい。

 ――愛しい。

 疼くように胸に広がる灼熱を持て余し、少女の視界の外で、ロロは熱に浮かされた頭を必死に冷やしていた。

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