第44話 鋼鉄の街④
「対価――とは、とういうことでしょうか?バチェット殿」
ミレニアは耳を疑い、慎重に言葉を返す。
この男を警戒すべきという第六感は正しかったようだ。
「何、簡単なことですよ。本来、奴隷とは、売買契約を結んで所有権を移行します。奴隷商人が逃げ出したことにより、今、奴隷たちの所有権は一時的に我が領地で預かっておりますが――もしそれを引き受けたい、というのであれば、しかるべき対価を支払っていただかなくては」
「な――」
いけしゃあしゃあと、張り付いた笑顔のまま言ってのける蛇のような男に、ミレニアは絶句する。
「意味が分かりません……!クルサール殿は、奴隷身分を解放すると宣言されました。彼らは既に旧帝国で虐げられていた『口を利く道具』ではなく、一人の人間として扱われるべきです。人間を、お金で買うだの売るだの――貴領内ではそんな前時代的なことをまだ行っていると言うのですか……!?」
ぐっと拳を握り締めて、強く糾弾する。
交渉という点では勿論のこと、奴隷たちを道具のように扱うこと自体、今のミレニアにとっては受け入れがたい思想だ。
交渉ごとにおいてはいつも冷静な瞳が、珍しく怒りの炎を灯す。
「勿論、当時の奴隷商人が提示していたような、レートがあってない無法の金額を提示するつもりはありません。ですが、彼らは昔から、私たちの貴重な労働力であることも事実なのです。我らの発展を支えてくれたその労働力を軒並み連れて行くと言われては、我々としても非常に困ることは事実」
「それは――」
「ですから、彼らの労働力を失う分――新たな労働力を外部から取り入れるまでのしばしの損失を埋めるための、しかるべき対価を支払っていただきたいと、そう申しているだけなのですよ」
にぃ、と蛇が笑う。
片眼鏡の奥の線のような瞳が細められた。
予期せぬ交渉の流れに、ミレニアの顔色ががらりと変わる。
白い肌を少し青ざめさせた少女に、愉悦の混じった笑みをにじませた後、男は懐からすっと優雅な手つきで書類を取り出した。
「ミレニア姫がいらっしゃるとお聞きした時点で、お手を煩わせぬようにと、事前に領内の者に声をかけておきました。貴女方について行きたいと申した者たちの一覧表でございます。――それぞれが担っている仕事と、彼らが抜けたときの想定損失額から算出した貴殿らに頂きたい金額を明記してあります。どうぞご確認くださいませ」
ずいっと差し出されたそれを、一瞬受け取るのを躊躇う。
一瞬、沈黙が流れ――
「ふふ。ありがとうございます」
「確認するだけです」
ミレニアが受け取ったのを見てにぃっと嫌らしい笑みを浮かべた男を前に、苦い顔で告げる。
エーリクは、気まずそうな顔で押し黙っている。どうやら、この件に関しては家令の言いなりのようだ。
苦い顔のまま書類に目を通し、ぐっと息を飲む。
案の定、その書類の中には決して安くはない金額が連なっていた。
「勿論、無理にとは申しません。今彼らが従事している仕事内容や、彼らが身に着けている技術についても記載があるでしょう。もしも、個別に詳細を知りたいというなら、仕様書――おっと。この言い方はお好きではないですか?それでは、経歴書、と呼びましょうか。――それをお出しする準備もございます」
途中、顔を顰めたミレニアに、芝居がかった様子で言い直す様が、憎らしい。
エーリクは、旧帝国の皇族に対する心からの敬意を持っているようだったが、どうやらこのルーキス・バチェットという男は、そうした権威への敬意は一切、全く、一欠けらも持ち得ていないようだった。
「かつて、ミレニア姫の紅玉宮に奴隷を迎え入れたときは、一人一人と面談を行い、従事するに相応しい者かどうかを見極めていった、とか。同じことをしていただいても構いませんよ。『自由の国』とはいえ、建国に際し綺麗事は言っていられぬでしょう」
「っ……」
男の皮肉気な言葉に、ぐっと下唇をかみしめる。
自由の国――そう謳うなら、その国に憧れ、共に同じ目標に向かって走りたいと申し出る者たちを選り好むなど出来ない。
だが、ミレニアとしても、無い袖は振れない。もしもバチェットのいう通り、労働力の対価として金を払う必要があると言うなら、際限なく同行者を募ることは出来ないだろう。
(だけど、同行者を篩にかけた、などと知られたら――同行を認められなかった者たちの悪感情が募ることはもちろん、既存の同行者たちの中にも猜疑心が生まれてしまう……)
君主は、時に綺麗事を掲げなければならない。理想を語り、カリスマをもって共感を醸成しなければならない。
これから先の旅路が、今よりも厳しくなっていくことを思えば、それはより必要になるだろう。
(もしも彼の土俵に乗って話を進めるなら、私はここに書いてある金額を払わなければならない……金を工面するためにここに滞在を続ければ、それだけ費用が発生する。その費用は、領内に落ちて経済を回す……どこへ転んでも旨い汁を吸う、本当に嫌らしい施策だわ……)
蛇のようだと思った直観は、どうやら正しかったらしい。
――狡猾で、執念深く、守銭奴。
それが、ミレニアがルーキス・バチェットという男に抱いた印象だった。
少女は唇を噛んでぐっと拳を握り締め、いったん書類を受け取る。
このような展開になると、事前に読みきれなかったミレニアの落ち度だ。
相手の言い分を突っぱねるにしろ受け入れるにしろ、準備が足りない。
「持ち帰って検討します。……全面的に了承したわけではありませんから、お間違えの無いよう」
「かしこまりました。ミレニア様には、今夜は最高級の宿屋をご用意しております。ぜひ、ごゆっくりとお考えになってくださいませ」
「……部屋が空いたら、もっと安宿を用意して頂戴。贅沢がしたいわけではないのだから」
苦い顔で告げる。部下たちから順番に安宿を埋めて行ったらミレニアの部屋はブリアの中でも最高ランクの宿しか用意できなかった、と言われてしまったのだ。
だが、この守銭奴の蛇を思えば、ミレニアに金を落とさせるための体のいい言い訳なのではと疑いたくもなる。
「エーリク殿」
「は、はい、殿下」
すっと立ち上がったミレニアは、バチェットとのやり取りを蒼い顔でただ黙って聞いていた当主を最後に振り替える。
「――貴殿も、随分と変わってしまわれましたね。寂しい限りです」
「ぁ――……」
ミレニアの冷たい顔と言葉に、純朴な青年の瞳が揺れる。
「……失礼いたします」
余計なことを言ったかもしれない。
そう思いながらも、ミレニアは言葉を撤回する気持ちにもなれないまま、黒衣の護衛兵を伴い、静かに花々が咲き誇る庭園を後にしたのだった。
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