第42話 鋼鉄の街②

 ブリア領にしばし滞在させてもらうことについての礼と、滞在中にトラブルが発生しないために交わしておくべき事前の取り決めをするために、ミレニアはロロを護衛に伴い、ブリア領主の居城――ドミトリー公爵邸へとやって来た。

 旧帝国時代から続く豊かさを思わせる豪邸だったが、金銀宝石をあしらうような下品さは一切ない。優秀な軍人を輩出することが多いと聞くだけあって、屋敷の中は少し無骨で、質実剛健といった雰囲気が漂っていた。


(ギークお兄様の派閥とはそりが合わなかった、というのも納得ね……)


 通された応接室のソファに腰掛けて、軽く部屋の中を見回しながらミレニアは胸中で呟く。

 アンティークの上等な家具を使用し、毛足の長いふかふかな絨毯が敷かれたその部屋は、この家主が金銭に困っていないことを示しているが、浪費家でもないことを印象付けている。

 この内装を見るだけで、誰が見てもわかりやすい絢爛豪華な装飾を好み、賄賂をはじめとする献金の額や貢物で態度を変えていた長兄ギークとは相容れぬだろうことは容易に想像できた。


(ゴーティスお兄様や、ザナドお兄様との相性は良さそう……ますます、王国に服従を示したのは奇跡に思えるわね)


 おかげで、今回ミレニアたちが立ち寄ることが出来たのだから感謝すべきだが、実際に屋敷に通されれば不可解な感覚は強まる。

 じっと考え事をしていると、コンコンと扉を叩く上品な音が響いた。


「失礼いたします、ミレニア姫。当主の準備が整いました。お手数ではございますが、場所を変えたく存じます。御足労を願えますでしょうか」


 迎えに来たのは、長身痩躯の若い男だった。スッと完璧な礼を取り、まるで皇城の中で話されるような流暢な帝国標準語で丁寧に言葉を紡ぐ。

 この地方に多い少し薄い褐色の肌は、ミレニアにとっては見慣れないが、チラリと見えた片眼鏡の奥の糸のように細い双眸は、黒っぽく見えた。ひとくくりにされた癖のない黒髪の長髪も、上等な衣服を身に纏っていることからしても、貴族の家の者だろうと伺えた。


(執事バトラー……いえ。家令スチュワード、かしら)


 腐ってもミレニアは旧帝国の皇女であり、先代当主と親交が深かったギュンターが溺愛した娘だ。さらに、今は時の王クルサールが神の名において直々に慈悲をかけると宣言した女でもある。

 つまり、当主が本質的に旧帝国派であろうと新王国派であろうと、この家にとってミレニアが最上位に位置する賓客であることに変わりはない。

 その少女を迎えに来る貴族出身の臣下とあれば、領主が最も信頼を置く人間だろう。


「かしこまりました。行きましょう、ロロ」


「はい」


 軽やかに立ち上がり、護衛兵を伴って、糸目の家令の元へと向かう。

 にこり、と開いているのかどうかわからない細い目で笑んだ後、家令はミレニアを完璧な所作でエスコートする。


「完璧な所作ですね。優秀な従者を持って、当主殿がうらやましいわ。……お名前は、何というのかしら」


 帝国の貴族社会において、皇族の血を引く者は絶対的な権力を持つ。名前を名乗ることすら、ミレニアの許可がなければ決して許されない。

 ミレニアは随分と昔のことのように思えるそんな貴族社会のしきたりを思い出して、線が細い目の前の男にやんわりと水を向けた。


「私めごときに、皇女殿下の前で名乗る機会を頂き、光栄でございます。――私の名は、ルーキス・バチェット。代々、ドミトリー公爵家にお仕えする家系の人間です。当主のエーリク様の身の回りのお世話や、時にお仕事の補佐も致します」


「そう。よろしくお願いします、バチェット殿」


 どうやら、家令であるという予想は当たったようだ。

 ミレニアが笑いかけると、ニコリ、と男は片眼鏡の奥の細い目をさらに細めて笑みをたたえる。


(ロロとはまた違った形の、過剰なまでの謙り方ね。帝都の中心部にいた帝国貴族以上に帝国貴族っぽい振る舞いだけど――何かしら。慇懃無礼、とでも言った方がしっくりくる気がするわ)


 腹の探り合いは、慣れたものだ。表には決して出さぬようにしながら、ミレニアは冷静に目の前の男を分析する。

 先ほどから、ニコニコと笑顔を振りまいているものの、その笑顔はどこか胡散臭い。まるで仮面を張り付けているかのようで、お世辞にも心からの笑顔とは思えなかった。

 その口から発せられる歯が浮くような美辞麗句も、同様に心からの言葉とは思えない。

 ――そんなところが、帝国貴族らしい、と言えばその通りなのだが。


「現当主はエーリク殿なのですね。五年以上前のことですが、幼いころにお会いしたことがあります」


「左様でございますか」


「はい。……過日の混乱や、醜い貴族社会の勢力争いに巻き込まれていなければ良いと願っておりましたので、安心いたしましたわ。昔お会いしたエーリク殿は、とても人がよさそうなお人柄でしたから」


 含みを持たせたミレニアの発言に、張り付けたような笑みの形は保ったままで、チラリ、と細い目が薄く開いてミレニアの方を見る。

 にこり、とミレニアも完璧な笑顔を持ってそれを受け止めた。


「おっしゃる通りですね。我が主は、とても人が良く、穏やかで、ドミトリー公爵家の嫡男としては物足りぬ――などという陰口を叩かれることもあった御方でした」


「まぁ」


「そうした貴族は皆、革命で討ち取られるか、這う這うの体で西の隣国へと逃げ出していきましたがね」


 フッと口の端に、仮面の笑顔とは違う、嘲笑が混じった笑みの色が浮かぶ。


(なるほど。革命を機に、当主の治世に邪魔な政敵をうまく排除した、ということね。食えない男……)


 頭の中で考えながら、ミレニアは目の前の男を観察する。

 感情の読めない張り付いた笑顔。慇懃無礼な、貴族らしい振る舞い。エーリクを「我が主」と表現し、彼の政敵を見下したような発言。


(「時に仕事の補佐を」と言っていたけれど――”時に”の頻度次第では、警戒すべきはこの男かもしれないわね)


 ブリア領が、一切の軍事抵抗をすることなく、全面的にエルム教勢力を受け入れた背景は、争いごとを嫌う人の好いエーリクの民を想う心があってのことだと淡い期待を描いていたが――もしも、この食えない男の指示だったとすれば、他の思惑があってのことではないか、という疑念がわく。

 癖一つない黒い長髪を一つに結わえて、ひょろりとした体躯でしなやかな礼を取り、冷淡にも取れる笑みを口の端に浮かべる男を見れば、思い浮かぶイメージがあった。


「蛇――……」


「?」


「いえ、なんでもありませんわ」


 思わず口に出してしまった失言を、貴婦人の微笑みで追及を避ける。


(ロロの感情の読めない無表情や、呆れるくらいの謙りとは、天と地ほどの差があるわね。ロロのそれには、内に秘める彼の灼熱が感じられるもの。この男は――中身に、一切の温度が感じられない。冷たくひやりとした鱗を持つ蛇と呼ぶに相応しいわね)


 しかし、思わず口にしてしまったのは良くなかったかもしれない。さすがに誤魔化されてはくれないのか、バチェットは笑みの形を湛えたまま、ミレニアをじっと眺めている。


「ところで、バチェット殿。……私、初対面の方との雑談には、魔法談義をはさむことがあるのですけれど」


「ほう?……それはよく貴婦人が話す、属性を当てるクイズのような、あの……?」


「えぇ。ふふ、人間を地水火風無の五つ――あぁ、今の世はクルサール殿のおかげで、選択肢が六つに増えましたが――に分けるだなんて、占いと呼ぶにも馬鹿馬鹿しいほどの話題ですが……ラポールとしては、存外有効なのでは、と思うこともございまして」


 ミレニアは笑顔にわずかな針を仕込んで口を吊り上げる。

 一時期、嫌々社交の練習をさせられていたころ――貴婦人たちのお茶会にて、彼女たちが語る理解が出来なかった話題の中でも、特に理解できなかったのがこの話題だ。

 やれ、誰それは情熱的だから火属性に違いないだの、誰それは爽やかな美男子だから風属性っぽいだの――それを聞くたびに、げんなりとした顔で半眼になりそうになるのを必死に堪えていた。

 魔法属性に性格や見た目などの特徴はない。属性の発症はただの遺伝によるものでしかなく、貴婦人たちの発言は全て、何の科学的根拠もないものばかりで、呆れ果てていたのだが――ここへきて、生まれて初めて、この話題の有効活用が出来そうだ。


「ほう……それは面白い。私の属性を当ててくださるのでしょうか?」


 案の定、丁寧な言葉とは裏腹に、やや侮ったような、嘲るような視線が混じる。

 バチェットが、ミレニアが想像した通りの食えない性格をした男だとすれば、科学的根拠に乏しい性格判断に興じる女など、間違いなく侮蔑の対象だろう。

 その視線こそが、ミレニアの人を見る目の正しさを肯定してくれている。

 少女は、己の考えに確信を持ちながら、値踏みするように青年を頭からつま先まで、じぃっと観察した。


「そうですね……ずばり、”水”属性。――いかがでしょうか」


「……ほう……?」


 キラリ、と蛇の目がキラリと輝く。


「正解です。――素晴らしいですね。確率は六分の一、とはいえ――なにか、根拠が?」


「ふふ。そう大した根拠ではないですけれど」


 相手の興味を惹けたことに気を良くしながら、ミレニアゆったりと微笑む。


「まず、ブリア領は圧倒的に土属性と火属性の人間が多い。鉄鋼の採掘と製鉄が命綱のここにおいて、土と火の活用は死活問題ですもの。確か、ドミトリー公爵家にも、土魔法の人間が多く、エーリク殿も、土属性だったはず。我が皇族に、水属性が多かったように」


「はい。……ですから私も、土属性――そうでなくとも、火属性だと言われると思っておりました」


 ミレニアはふるふる、と緩く頭を振って、言葉を続ける。


「気になったのは、数年前に起こった西の日照り騒動――旧帝国の北西に位置するブリア領は、広大な領地を有しています。そして、鉄鋼を収入のほとんどに費やしているブリアには、豊かな穀倉地域があるわけではない。――日照りの被害を少なからず受けると予想されます」


「……ほう……」


 まさか、そんな話題が出て来るとは思わなかったのだろう。バチェットは、顎に手を当てて興味深そうな顔でミレニアの言葉を聞く。


「ですが、ブリアは、あの深刻な日照りによる被害をさほど受けなかったと記憶しています。勿論、豊かな食物を用意することは出来なかったはずですが――領内の、数少ない農地を最大限に活用し、領外への輸出を一切取りやめ、自領内への供給へと振り切った、とか。……土魔法と相性が良いのは、水魔法。肥沃な大地を作れたところで、水がなければ無用の長物。日照りが続いたとき、真っ先に必要とされるのは、水魔法遣いです。ですが、ブリアには土と火の魔法使いは多くても、水属性の人間は少ないはず。己と異なる属性の使用方法を書物の知識で得ることは可能ですが、限られた土地の活用を最大限に高めると言う繊細な調整が必要になったあの状況で、見事差配しきったと言うことは、適切な水魔法の知識がある人間――己も水魔法遣いとして有能で造詣が深い者が、司令塔となって、各地へ指示を飛ばしたのは確実でしょう」


「それが、私だと?」


「はい。……今日、この、高度に政治的に絶妙な立ち位置にいる”私”を迎えてくださったということは、貴殿はおそらくこの家の家令の役割を担っているはず。――財政管理は、貴殿の役割なのでは?輸出入の管理をするのはお手のものでしょう」


「ふ……ふふ……そうですね。いい読みです。貴婦人たちの非論理的なおしゃべりとは一線を画す知識をご披露頂けました」


「お気に召したようなら、何よりです。――まぁ、代々ドミトリー家を支えてきた家の者だとおっしゃっていたのですから、土魔法と相性の良い水である可能性はある程度高いだろう、と予想したのも事実ですが」


(そして、何となく、ロロとは相性が悪そうだと思ったこと――あとは、この男、もしも戦で指揮官になったら、水攻めを仕掛けて敵が苦しむ様をニヤニヤ嗤って見ていそう――と思ったことが理由だけど、それは流石に口には出来ないものね)


 温かな血の代わりに、冷水が通っているのではないかと思える蛇のような男に、ふ、と口元を緩めて笑ってみせると、バチェットもまた、ニヤリと笑う。

 狡猾ささえ感じるその笑顔こそが、彼の本来の笑みなのだろう。

 食えない男の仮面を剥がせたことに気を良くして、ミレニアは前方へと視線を遣る。


「こちらが、応接会場かしら?」


「はい。御足労頂きありがとうございます、ミレニア姫。この日のために、精一杯整えました庭園です。どうぞ、お楽しみくださいませ」


 すっと完璧な所作で礼をして、中庭に造られた見事な庭園へとエスコートされる。

 春が近づき、色とりどりの花々が咲き乱れ、客人の目を楽しませる庭園の中心には、見事な造形の大きな噴水が設けられており、控えめで麗しいせせらぎの音が耳を楽しませる。

 そして、噴水の脇――日差しを遮る巨木の陰に、ティーセットが整えられており、その脇に中肉中背の青年が笑顔を湛えて立っていた。

 ミレニアを認めた瞬間、裏表など全く感じさせることなく自然に緩む、黒い双眸。少し薄い褐色の肌。帝国貴族らしい、烏の濡れ羽色をした短髪。


「ようこそいらっしゃいました、ミレニア殿下。心より歓迎いたします」


「ありがとうございます。――お久しぶりですね、エーリク殿」


 ふわり、とミレニアもまた、柔らかな笑みを浮かべる。先ほどまでのバチェットとのやり取りとは異なる、親愛を示す微笑み。

 木陰の風に髪を遊ばせている人の良さそうな青年は、確かにその昔、父に連れられてやってきたこの屋敷で出逢ったときの面影をしっかりと残して微笑んでいた。

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