第39話 女王の攻略④
「なんですって――!?」
最後の最後、将の首を取ったと思った瞬間にするりと身を躱されたような感覚に、ミレニアは流石に色を失って声を上げた。
クスクス、とラウラは愉快そうに笑い声をあげる。
「だって、踏み倒されてしまったら、とんでもない損失でしょう?私が扱う商材は、いつだって貴重で価値があるもの。信頼関係の上で成り立つビジネスだけれど、残念ながらそれを理解して下さらないお客様も多くてね?完全なる後払いを提示してくるビジネスには乗らない、と昔から決めているのよ」
「っ……!」
確かに、ラウラの主張は理解できる。アンダーグラウンドな世界を渡り歩いてきたであろう彼女は、当然何度も痛い目を見てきたことだろう。修羅場をくぐったことも数知れないはずだ。
彼女自身が報酬に対して裏切らない、というポリシーを掲げている以上、前払いをさせても顧客は満足するはずだ。そこで彼女を信頼できないのであれば没交渉を告げるだけ。
信頼関係を築けない巨額なビジネスは、どれほどうまい話であっても飛びつかない、というのが彼女の信条なのだろう。
「念書でも書いてあげればいいのかしら」
「まさか。そんな紙切れ、そこの後ろの色男の視線一つで不意にしてしまえるわ。意味のないことはしない主義よ」
ロロを視線で指し示され、ぐっと呻いて言葉を飲み込む。
ロロは決してそんなことはしない――と言おうとして、昔、ザナド相手にロロが契約を燃やして交渉を不意にしてしまった実績があったことが頭をよぎったのだ。
(落ち着いて……落ち着くのよ、ミレニア。ラウラは、この申し出に興味を示している。焦って下手に出ることはないわ。あくまで優位なのはこちら。人脈が欲しくてたまらないのは向こうで、きっとそれはこちらが依頼しなくても勝手に進めていくはずなのだから――)
深呼吸をして頭を冷やしながら、ミレニアはもう一度交渉を開始する。
「そう。……だけど、私も国家予算の一部となるほどの額を前金で――ポケットマネーで出すことは出来ないわ。まして、お前がどれだけの人間に習得させてくれるかわからないのに、先に報酬を払うなんて、無理だと思わない?」
「オヒメサマは私を信じて下さらないのかしら?」
キロリ、と蛇の視線が一瞬不穏な光を発する。
彼女の逆鱗に抵触しそうな話題だ。――慎重に言葉を選ぶべきだろう。
ミレニアは、綱渡りをするかのような緊張で、じっとりと掌にかいた汗を握り締めながら口を開く。
「お前が仕事を遂行しないことを疑っているわけではないの。お前はきっとベストを尽くしてくれるでしょう。――だけど、今回の私の依頼は、民となる者たちへの言語習得の協力よ。一人一人、能力にもモチベーションにも差がある。結果はそれらに大きく左右されてしまう以上、お前の働きぶりだけでどうにかなるものではないわ」
「一度引き受けたからには、達成するまでやり切るわ。たとえどれだけ時間がかかっても、ね。それが私のポリシーよ」
「その矜持には敬意を支払うけれど、これから先、移民がどれだけ入ってくるかわからない。もしかしたら、前金で支払った額では賄えない数になるかもしれないわよ?そうしたら、お前はタダ働きをしてくれるのかしら?私としては、それはとても助かるけれど」
「――――……」
少し、ラウラの言葉が止まる。軽く視線を周囲に巡らし、何かを考えているようだ。
「そして、私自身、無い袖は振れない。仮に、この依頼の開始時期を建国後――正式に国家予算として金を計上できるようになったあとに設定したとして、それではあまりに遅すぎるわ。私は、建国の前に、この一団に属する者たちの一定以上に言語を習得してほしいのだから」
じっとラウラが押し黙る。せわしなく視線が動き、脳が高速回転していることがわかった。
ラウラが自分の周囲にいる女たちに言語を習得させ、男の本能を利用して言語を広めていくとして――建国までに日常会話に不自由がない程度まで習得出来る者は、どうしても限られることだろう。ビジネスレベルともなればもっとだ。
それくらいなら、都度の成功報酬としてであれば、ミレニアがこの一行の軍資金やポケットマネーを日々うまくやりくりすることで捻出できるレベルだ。
予想以上にラウラが頑張り、想定よりも早く教育が浸透してミレニアの懐を痛めたとしても、言語が堪能な者たちが増えれば、建国時期は一層早まるだろう。建国さえできれば、国家予算としてある程度まとまった金のやりくりが叶うようになる。どちらにせよ、ミレニアに最終的な大きな損失はない。
「今回の依頼は、情報を渡して完了、というわけではないもの。お前が持っている情報――厳密には”知識”だけれど――を、他者に伝えるだけではなく、”習得”させるまで責任を持つ、という依頼だわ。過去の契約でお前が不履行をしたことがないという実績は通用しない。――今回は、前例のない取引よ。お前が失敗する可能性も十分ある。前金での支払いが絶対だと言うのなら、今回の交渉は没交渉だわ」
言い切ったミレニアを前に、ラウラの目がすぅっと細められる。
「――建国までに習得させる想定の金額」
「え……?」
「貴女が建国までに想定していた、私を使って言語を習得させる人間は何人?――その金額を、前金で一括でもらえれば、そこから先は成功報酬、として請け負ってあげる。破格の待遇よ」
いつもの色香の含まれた余裕のある空気は霧散して、ピリピリとした棘のある言葉が突き刺さる。
ごくり、とミレニアは唾をのんだ。
(これは――乗るべき?それとも、突っぱねるべき?)
ここ一番の、大勝負。将来を鑑みて、決して見誤ってはいけない局面。
引き受けるかどうかを迷うギリギリを交渉してくるあたり、ラウラはやはり交渉事に長けていると認めざるを得ない。
ミレニアはぐっと唇を噛んで思考を巡らせる。
その様子を見て、ふっ……とラウラが笑みを漏らした。
「私の予想を伝えてよいかしら?そうね……私の可愛い夜の蝶たちに教育を施して、彼女たちの上顧客たちから篭絡していくとして……彼らの能力も鑑みて……建国の時期次第だけれど、恐らくオヒメサマは、来年の冬を迎える前には何とか現地の民と接点を持ちたいと思っているはず。そうすると――」
「ま、待って!」
どんどんと言葉を紡ぐラウラを、焦って制止する。
このままでは、相手の言い値を払わされる流れになってしまう。それだけは避けなければならない。
ミレニアは誰にも伝えていなかった腹の中の建国までのイメージまで見透かされたことに内心慌てて、思わず顔に出してしまった。
それを見て、にぃ――とラウラの唇が吊り上がる。
彼女の中の、悪い虫が騒ぎ出した合図だった。
「ふふ。そうね。――貴女の後ろの色男と、一週間、好きなだけ楽しませてくれる権利をくれたら、ちょうどいいレートでしょう。ロロとの熱い夜と引き換えであれば、建国まで無償で請け負ってあげるわ」
ビキッ
ミレニアの額に、太い青筋が浮かんだ。
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