第38話 女王の攻略③

 ぱちり、と漆黒の双眸が驚いたように見開かれる。どうやら、予想外の申し出だったようだ。

 そのまま、軽く手を顎に当てて長い睫毛を伏せ、何事かを考え込む。

 ミレニアの発言の意図を推し量ろうとしているらしい。


「そう警戒しなくても、裏なんてないわ。私は、自分の野望のために使えるものは何でも使って、効率よく最短距離でゴールを目指したいだけ。――私が全員に教えていくよりも、誰かに任せられるなら任せた方が助かるのだから」


 ミレニアの言葉に、それでもラウラは深く沈んだ思慮の底から這いあがってこない。


(全く――さすが、一筋縄ではいかないわね。相手の手が読めないうちは一言も発さないあたりも、交渉ごとに慣れ過ぎているわ)


 当然、最初からこの程度の交渉であっさりと承諾してくれるとは思っていなかったが、ここまで警戒されるとも思っていなかった。

 内心舌を巻きながら、ラウラの脳内で様々な計算がはじき出されていることを想定し、ミレニアは苦笑して言葉を続ける。


「そうね。裏――という訳ではないけれど、勿論、私なりに思惑はあるわ」


 チラリ、と初めて黒瞳が上げられ、ミレニアを見る。

 蛇のようなゾクリとする視線が纏わりついた。


「ゲームをしましょう、ラウラ」


「ゲーム……?」


「そう。……お前が日常会話として不自由がないレベルの言語を一人に習得させるのにつき、金貨五枚。ビジネスや政といった公の場でも通用するレベルの言語を習得させられれば、もう五枚追加で報酬を支払うわ」


 ピクリ

 褐色美女の眉が軽く反応する。


「お前が直接指導しなくても金貨は支払うわ。お前が指導した人間が日常会話を習得し、別の人間を指導して同じく日常会話を習得させたら、お前に金貨を十枚払ってあげる」


「へぇ……?」


「総監督、というのはそういうことよ。どうやって効率よく一人でも多くの人間に言語を根付かせられるか、その戦略を考えるところからお前に任せるわ。もちろん、建国した後もこの制度は続ける。建国した後に移民が入ってきたとして、彼らに言語を習得させたとしても、報酬を支払うと約束しましょう。つまり――建国に際し、教育機関を整えるために使おうと思っていた費用の一部を、お前に使ってやると言っているのよ」


 ラウラは、何も言わずにじっとりとミレニアをなめるように見回す。

 ――まだ、蛇は動かない。

 手ごわい交渉相手に、内心汗をかきながら、ミレニアは不敵に笑って見せる。


「ただし――私も、ゲームには参戦するから、そのつもりでね」


「なんですって……?」


 初めて、蛇が動く。怪訝な顔で、ミレニアの翡翠の瞳をじろり、と眺めた。

 ふっ、と意識して鼻で嗤い、ミレニアは女王を挑発する。


「国家予算として計上される国民の教育費用は有限だわ。その莫大な予算を、私とお前で取り合いましょう、と言っているのよ」


「どういう――」


「私は私で、私が描いた政策に則って民に教育を施して行くわ。公的な教育機関を設立して学問を修めさせる。――急がないと、お前の取り分がどんどん減っていく。……ふふ。夜の女王様との対決を楽しみにしているわよ」


「――……」


 甘さをそぎ落とした鋭さの混じる視線がミレニアを見据える。


(ラウラは馬鹿じゃない――きっと、この提案の裏にある、金貨以上のもっと大きな”利”にも気が付いているはず――!)


 真正面から女王の視線を受け止め、ミレニアは斬然と胸を張る。

 ――これは、高度な交渉事であり、賭け事だ。

 女王の気迫に飲まれて、気持ちで負けるわけにはいかない。


「なるほど……オヒメサマが言いたいことは、わかったわ。貴女が示唆する、金貨以上の”利”についても、ね」


 案の定、ラウラは慎重に口を開く。ミレニアは、一つの関門をクリアできたことを悟り、ほっと息を吐いた。

 腕利きの情報屋として生きるラウラの命綱は、ただ一つ――人脈だ。

 生きた情報を、誰よりも正しく、誰よりも早く仕入れ、情報に価値を付けて売る。

 誰も手に入れられないような希少価値が高いものであればそれだけ価値は跳ね上がる。それを得るためには、幅広い人脈を持ち、どれだけ世界に情報網を広げられるかが手腕の見せ所だろう。


(教育という名目であれば、彼女が直接接点を取りにくい女子供にも大手を振って近づける。人を介してもいいという条件を付けてあげたのだから、信頼できる手駒を使って好きなところに伝手を作ることが出来るでしょう)


 帝都にいたころは、アンダーグラウンドな情報を取り扱うことの方が圧倒的に多かった。それを持っているのは娼館にやってくる男たちがほどんどであり、彼女がビジネスをするにはそれらを中心に扱うだけで良かった。

 だが、見知らぬ土地では、どんな情報が必要とされるか、未知数だ。

 あくまで、ラウラは情報屋という己の顔をビジネスの一環としてしか見ていない。

 需要がなければ、供給は生まれない。――的確な需要を掴むためにも、ゼロからの土地で怪しまれることなく、老若男女に広く人々に接点を取りに行けるというのは、彼女の今後のビジネスの展望を描く上で、十分すぎる利になると踏んだのだ。


(どちらにせよ、新しい国でも夜の街の元締めとして生きるつもりなら、女たちに言語を覚えさせることからは逃れられないわ。どうせやらねばならないことに対して、小遣いがもらえるなら、引き受けておくのが上々と考えるはず……十中八九、効率よく教育を広めるには、娼婦たちを使って男たちから篭絡していくでしょうし)


 哀しいかな、人間は本能に逆らうことが難しい生き物だ。

 北の言語をビジネスレベルまで習得出来たら、最高級の娼婦――例えばラウラ自身――がお相手をしてくれる、などというシステムにしてしまえば、伝説の性奴隷にお相手を願いたいと、死に物狂いで学ぶ男は後を絶たないだろう。娼婦たちにも事前に言語を習得させておいて、閨の中で戯れに遣わせれば、意中の魅惑的な美女の気を引こうと必死に覚える男も多いはずだ。

 いつの時代も、性的なコンテンツが文化や技術を爆発的な速度で発展させることがあるのは、長い歴史が既に証明してくれている。


(元性奴隷だった者たちは、夜の花として働くことに抵抗がある者も多い。そうした元奴隷たちや、花の盛りを過ぎてしまった女たちに、教育機関で教師をさせれば、さらに効率よく人脈を広げながら小遣いを得られる。それくらいのことは、きっとラウラならば既に思いついているはず)


 先ほどからじっと何かを考えるようにして時折瞬きを繰り返す漆黒の双眸から、その気配を悟ってミレニアは自分の交渉が上手くいっていると確信する。

 ゲーム性を持たせることで、ラウラを焚きつけることも出来た。あとは、ミレニアが国家予算として計上する教育費の上限を超えられないように、自分の伝手も使って必死にラウラに負けぬように教育制度を整えて行けばいい。


「どうかしら。とっても面白いゲームでしょう?」


「そうね……久しぶりに、乗ってあげてもいいと思えるゲームだわ」


 つぃっと朱い唇が弧を描いたのを見て、ついに夜の女王を攻略出来たと思い、内心で歓声を上げる。


「じゃあ――」


「だけど、残念。――私、基本的に、成功報酬で後払いの依頼は受け付けていないのよ、オヒメサマ」


 ――女王は、最後の最後まで、女王だった。

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