第37話 女王の攻略②

 キラリ、と挑発的な光を宿した漆黒の双眸を見て、ミレニアはぐっと小さく手を握る。


(やっぱり――!少し賭けの要素が大きかったけれど、賭けるに値する勝負だったわ……!)


『参考文献も限られ、教えてくれる師がいたわけでもないのに、この短期間で習得したの?』


『えぇ。どっかの誰かが協力を惜しむから、仕方なく、ね』


 皮肉を返すと、妖艶な美女は「ふふ」と吐息で笑ってから、囁くように言葉を紡ぐ。


『どうして、私が北の言語を話せると思ったのかしら』


『”夜の女王”に敬意を表したのよ。――あの帝都で、最も優秀な情報屋として生きていたお前ならきっと、北方地域にも精通していると思っただけだわ』


 そして、ゆるりと首を巡らし、夜の女王を取り巻いている美しい花々へと目を向ける。

 基本的には帝都民らしい褐色の肌を持つ美女が多いが、中にはミレニアのように白い肌を持つ女もちらほらと見受けられた。


『お前が侍らす花の中には、異国の血が混じっている女がいるでしょう。エラムイド以北の土地には、滅多に褐色の肌は生まれないと聞いたわ。これから訪れるブリア領ですら、帝都民に比べると色素が薄い者が多いと聞くもの。つまり――お前が異国の情報を集める伝手は、きっとふんだんにあったはずと睨んだのよ』


 おそらく、夜の街で働いていた異国の血が混ざった女たちは、あくまでその身に流れる血が他国のものである、というだけで、生まれも育ちも帝国であることに変わりはないだろう。

 エラムイドはもちろん、それよりも北となると、魔物の脅威もある中で、国交はかなり限られていた。移民が紛れ込むことなどめったにない上に、あったとしても帝都までたどり着くことはあり得ない。――皇族が住まい、貴族社会がこれ以上なく根付いた帝都程、差別意識が強い土地はない。わざわざ過酷な場所を選ぶことなどないだろう。

 故に、彼女たちが夜の街で働くようになった背景は限られる。

 最も多いのは、先祖のどこかにそうした血が混じっていて、先祖返りでそうした外見になってしまった、ということだろう。そうなれば、高確率で奴隷小屋か娼館に売られるのが筋だからだ。

 それ以外だとしても、親について商売のために異国からやってきたときに、奴隷商人に目を付けられ拐かされた、などのあまり愉快な過去ではないはずだ。


(だからきっと、ラウラが北の情報を仕入れて、言語を習得したとするなら、従業員である女たちから教わったわけではないはず……むしろ、彼女たちを御するために、必要に駆られて、己の伝手を使って独学で学んだはずよ)


 幼い時分に多分に心に傷を負っているであろう彼女らの心を開き、一流の夜の蝶として通用するように教育するには、ラウラ自身も彼女らのルーツを理解する必要がある。

 それは、彼女らの心のケアという一面はもちろん――そうした希少な外見をした女を好む男たちの志向性を理解し、女たちの商品価値を高めるという狙いの方が大きかったかもしれないが。


『お前は、私に「北方地域の言語に関する文献」を要求されて、莫大な対価を請求したけれど、「手に入れられない」とは決して言わなかった。――こう見えて、お前のビジネスに対する矜持にだけは、敬意を払っているのよ。お前は、もしも私が「何とかして言い値の対価を払う」と告げたときに「やっぱり手に入れられなかった」と答えることだけは絶対にない。お前が、初っ端から私の要求を退けなかった時点で、伝手はあるのだとわかっていたわ』


『ふふ……それで?』


『そしてお前は、自分の仕事に責任を持つ女よ。必ず、私に手渡す文献が、対価に見合う価値がある物かどうか、クオリティチェックは怠らない。――ということは、お前自身が、北方地域の言語を当たり前に読めるということだわ。お前の個人的な性癖は理解できないと思っているけれど、仕事人としての姿勢だけは信頼に値する。だから、その信頼に、賭けたのよ』


「ふふ……お見事なこと」


 つらつらと最後まで異国の言語を操った少女に敬意を示し、ラウラは祖国の言葉で賞賛を示した。

 一筋縄ではいかない交渉相手に慣れない言葉を操った緊張が一瞬緩んで、ほ、と小さく息を吐く。

 どうやら、初手――ラウラの気を引く、というミッションに関しては、問題なくクリアできたようだ。


(まずはラウラに、こちらの話を聞く体勢になってもらわないと、そもそも交渉の土台にすら乗せてもらえない……すぐに、ロロを引き合いに出しては煙に巻いて、のらりくらりと躱されてしまうわ)


 ミレニアに向けられるねっとりとした艶やかな視線に、どこか鋭さが混じっている。ラウラが”ビジネスモード”になっている証拠だろう。

 幾度も修羅場を潜り抜け、帝都の夜の街を支配する女王として長年君臨し続けた女を相手に交渉を通すのは容易ではない。ロロを引き合いに出されて戯れている時とは異なるピリピリとした空気がミレニアを包んだ。

 落ち着いて呼吸を整え、ひりつく交渉に向けて頭をクリアにして、ミレニアはまっすぐに夜の女王を見つめた。


「改めて、ラウラ。お前に、仕事を依頼したいわ」


「いいわよ。楽しませてもらえそうだから、真面目に話を聞いてあげる」


 ふっ、と黒瞳が怪しく弧を描く。いつものように背後に控えるロロを怪しく誘うそぶりは一切見せず、ミレニアをじっとりと愉快そうに眺める姿は、大蛇が獲物を睨んで舌をチロチロと出しているようだった。

 空気に飲まれぬように、ごくり、とひとつ唾を飲んでから、ミレニアは口を開く。


「もう私自身の言語習得は完了したから、新しい文献は要らない。その代わり――お前に、この一団の言語習得の総監督を任せたいの」

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