第36話 女王の攻略①

 生暖かく穏やかな春の日差しが雪解けを促し、少しぬかるんでいた道のりがやっと乾いて、野営の場所選びが楽になってきたころ。

 次の目的地の少し手前で遅めの昼食と最後の休憩を取る一団の中を、ミレニアは自ら歩いて従者たちの様子をうかがう。

 疲労が色濃い者はいないか。体調不良や、深刻な病の危険がある者はいないか。メンタル不調を訴える者はいないか。

 そして――この行軍について行けないと弱音をこぼす者はいないか。


(次は、旧帝国領の中で、帝都の次に栄えていた大都市を有する『ブリア』領――帝国三大公爵の内の一つ、ドミトリー公爵家が治めていた領地の一つで、旧帝国領の中では、帝都を除けば最も暮らしやすい場所でしょう。もしも脱落者がいるなら、ここで別れて、新しい生活を支援してやらねば……)


 心の中で考えながら、ミレニアは野営の中を蝶のように軽やかに移動して人々に声をかけて行く。

 最後に立ち寄った軍事施設でも、一人一人丁寧に個人面談を行い、それぞれの意向を確認していた。中には、志半ばで道を分かちたいと言う者もいた。あるいは、基本的にはついて行きたいと思っているが、悩んでいると心中を打ち明けた者もいた。

 帝都を出て、何度か魔物との交戦があった。時には、異教徒だ、奴隷の集団だ、ということで立ち寄った村や買い付けをした商隊の人間たちから心無い言葉や振る舞いを受けることもあった。本格的ではないが、何度か雪中行軍を体験すれば、この苦労を数倍の威力を振るう猛吹雪の中で何日も継続せねばならないと想像し、恐怖に震え、心折れてしまう者もいた。

 ミレニアは彼らを無理に引き留める気はない。北の大地を切り開き、未だかつて誰も見たことのない『自由の国』を建国するのは、綺麗事ばかりではいられない。辛く、過酷で、報われないことも多い。危険と隣り合わせとなることもあるだろう。

 ”神”を信じる新王国の思想に己を納得させ、クルサールの治める宗教国家の一員として生きるもよし。

 つい先日、アルク地方の先で、『新生イラグエナム帝国』の建国を宣言したゴーティスらの一団に助けを求めるもよし。

 奴隷であった彼らを縛る枷も、鎖も、もうないのだ。

 自由に、己の心が叫ぶままに、人としての尊厳を持って生きていけたらいい。

 そのための最後の後押しに、ミレニアは協力を惜しむことはなかった。


(少しブリアには長く滞在しなければならないかもしれないわね。ドミトリー公爵は、ギークお兄様の派閥ではなかったし、早々にエルム教を受け入れ、大都市であるにもかかわらず革命の混乱からすぐに立ち直ったと聞いているわ。優秀な当代がいるのでしょう。どうにかして、脱落者たちの受け入れと支援を取り付けねば――)


 旧帝国領の北西に位置するブリア領は、鉄鋼の産地で有名だ。

 軍国主義国家だったイラグエナム帝国の治世下で急激に発展し、帝都の次に大きな都市として発展した。

 鍛冶屋をはじめとする職人たちが多く、人々の働き口には困らない都市。

 帝都と同じく”奴隷小屋”と呼ばれる一画を有して、一定の労働奴隷と見世物奴隷を抱え続けて栄えてきた実績もある。


(軍事面における要所であることは疑いようがないブリア領。当然、帝国軍元帥だったゴーティスお兄様の息がかかっていたはずだけれど、革命が起きても、ドミトリー公爵家がゴーティスお兄様の勢力に与せず王国に留まり続けた背景には、何かしら当代の意図があるはず。その辺りを探り、有利に交渉を進めねば……)


 革命が起きてから、もうすぐ一年が経とうとしている。

 既に奴隷商人は都市から追いやられ、ゴーティスあたりに助けを求め、落ち延びているだろう。奴隷たちは市民に交じって生活しているか、奴隷商人に無理やり連れられ、新生イラグエナム帝国の一員となることを強要されたかのどちらかだ。場合によっては、ブリアを出てミレニアたちに同行したいと言い出す者もいるかもしれない。


(ブリアは、優秀な職人が多くて、帝都と同じくらい豊かな国。位置的にも、帝都よりも北方地域との商業的な取引が盛んだと聞いているわ。何か、北方地域とのコネクションを持っている者が見つかれば万々歳だけれど――)


「……姫。失礼します」


「え?っ、ひゃ――」


 頭の中でぐるぐると考え事をしながら足を進めていたミレニアに、後方から静かな声がかかり、軽く腕を取られて引っ張られる。

 驚いて足と思考を止めれば、少し大きな石が足元に鎮座しているところだった。


「ぁ、ご、ごめんなさい。ぼーっとしていたわ。ありがとう、ロロ」


「……いえ」


 どうやら、気づかずに直進して転びそうだったところを未然に防いで助けてくれたらしい。

 つい一瞬前まで気配すら感じなかった黒衣の護衛兵は、主の礼にいつも通りの無表情で軽く頭を下げた後、再びいつもの定位置へ戻って視界から外れる。

 ふぅ、と息を吐いて頭をクリアにし、周囲を見渡す。従者たちがめいめいに休憩を取ったり移動で強張った身体を動かしたりしているのを眺めていると、少し先に、声をかけていない者たちを見つけた。


「最後は、あの女たちのところね。行くわよ、ロロ」


「はい」


 静かで端的な返事が返ってくるのを聞きながら、足を進める。

 向かう先にいるのは、むさくるしい男たちとは一線を画す、どこかキラキラしたオーラを放つ集団。

 ――かつて、性奴隷として従事していた過去を持つ者たち。

 当然その一団のリーダー格は、かつて帝都で『夜の女王』の異名を取った美女、ラウラだ。


(ブリアを超えれば、本格的に北方地域が近づいてくる。物流も情報も圧倒的なブリアで、ラウラにうまく立ち回ってもらえるように、私も上手に立ち回らなければ――)


 きゅっと頬を引き締めて、少し緊張した面持ちでキラキラした美女軍団へと近づく。

 見目形が麗しく、スタイル抜群の女たちばかりのその集団に、ロロを伴って入って行くのは少し勇気がいるが、己を奮い立たせた。

 案の定、近づいた途端にキラキラしたオーラはねっとりとしたオーラへと変わり、わかりやすくロロに向けて女たちの色香を含んだ視線が飛んでくるのが分かる。どうやら、ラウラ以外の女たちから見ても、ロロは一度は抱かれたい理想の男らしい。

 下品な視線で己の大切な宝物を不躾に汚されるような感覚に、むっ、と不機嫌になるのを悟られないようにしながら、ミレニアはまっすぐに女の園中心――夜の女王の元へと大股で足を進める。


「あら?……ふふ。花の蜜に誘われたのかしら?」


 まるで娼館の一番奥の座敷にいる上物の娼婦を思わせる優雅さで、ラウラはゆっくりと顔を上げてつぃっと朱唇を吊り上げる。ねっとりとした視線がミレニア――の左後ろにいるロロに注がれた。


「ここに咲き誇るどの花も、美しく雄々しい蜂に蜜を吸われる瞬間を今か今かと期待しているけれど――ふふ。どの蜜をどれだけ味見してもいいけれど、最後はその逞しい雄針で、私を貫いて戯れてね?」


「ぶっ殺されたくなければ口を閉じろ」


 口を開けば下品な言葉を羅列する夜の女王に、低く押し殺した声が飛ぶ。

 しかしラウラは気にした風もなく、ゆったりと艶やかな笑みを浮かべるだけだった。


(落ち着いて、ミレニア。私の予想が正しければ、ラウラ相手の交渉の初手は、この切り札を使うのが、正解のはず)


 すぅ、はぁ、と深呼吸して心を落ち着かせて、自分に言い聞かせる。

 男女の駆け引きは苦手だが、彼女をビジネスの相手と見立てて利を引き出す交渉ならば、負けられない。

 頭の中でこの後の流れをシミュレートした後、ミレニアは意を決して口を開いた。


『――こんにちは、夜の女王。今日のご機嫌はいかがかしら』


「――――」


 心の中の緊張を悟られぬよう、不敵な笑みを浮かべて少女の唇から発せられたのは、帝国の公用語ではない。

 あまり口を大きく開けることなく、一音一音を短く発生する――北の大地で使われる、異国の言葉。

 恐らく、周囲の人間には意味不明な発声にしか聞こえなかっただろうそれを聞いたラウラは、漆黒の瞳を少し大きく見開いた後――ふっ、と吐息で笑みを漏らす。


『こんにちは、旧帝国最後のオヒメサマ。気分は上々。お子様だと思っていたお嬢ちゃんに楽しませてもらえそうで、とってもワクワクしているわ』


 たゆん、と豊満な胸を揺らして、ニヤリ、とルージュが引かれた唇が嬉しそうに吊り上がる。

 女王の唇から発せられたのは、どこまでも滑らかで流暢な、よどみない北方地域の公用語だった――

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