第12話 検証開始②

「っ――!?」


 視界の隅を白刃が滑るようにしてジルバへと一直線へ向かうのを、悲鳴を上げることも出来ず固まって眺める。


 ガィンッ――


「ひゅぅっ……バカみてぇな速さだな、相変わらず」


 まっすぐに躊躇うことなく己の眉間を狙ってきた白刃を、咄嗟に後ろに距離を取りながら鞘に収まったままの三日月刀で受け止め、ジルバは軽口を叩く。軽薄な口調とは裏腹に、額には一筋の汗が浮いていた。


「奴隷ごときが、汚い手でべたべたと姫に触れるな……!殺すぞ――!」


 地の底から轟くような低い声が押し殺したように響く。ひりつく程に肌を焼く怒気がその場に充満していた。

 もしも今、周囲に熱源があれば、間違いなくロロの怒気に当てられて炎を弾けさせていただろう。


「ハッ……冗談が通じねぇのも相変わらずか」


 ギチギチと刃を鳴らしながら、一切剣を引くつもりがない様子のロロに、ジルバは吐き捨てるようにして笑う。

 それから、伺うようにしてチラリ、とミレニアへと視線をやる。

 背後から顔の真横を貫くようにして現れた白刃に驚いて固まっていたミレニアは、その視線にハッと我に返ると、毅然とした表情を取り戻し――視線を揺らすことなく、ジルバへと声をかけた。


「ジルバ。……早く、刃を降ろさせなさい」


「っ――!」


 チキッ……と剣が微かに揺れて音を立てる。


「了解。――ぶっ飛ばしてもいいのか?」


 ぎらり、とジルバの瞳に好戦的な光が宿り、舌なめずりするように唇を濡らす。

 ジルバが紅玉宮に来てロロと再会して以来、二人がこうして剣を合わせることは一度もなかったはずだ。

 好敵手を前に、どこか愉悦の色をにじませて口の端を引き上げたジルバに、ミレニアは淡々とした声で告げる。


「馬鹿を言わないで。さっきも言ったでしょう。――皇女の前で暴力沙汰を起こすなんて、無粋にも程があるわ。もっとスマートに解決なさい」


「ハハッ……だってよ?どうする?」


「っ……」


 シニカルな笑みがミレニアの後方へと向けられると、小さく息を詰めた音がして、スッと音もなく刃が後ろへと引かれ、視界から消え去る。

 キン、と納剣の小さな音がして、地面がジャリッ……と小さく鳴った。

 振り返らずともわかる。――再びロロが跪いたのだろう。


「行くわよ、ジルバ」


「はいはい、仰せのままに」


 肩にかかった黒髪を後ろへと追いやりながら、ミレニアはまっすぐに前を見たまま歩みを進める。ククッ……と喉の奥で笑いを噛み堪えた後、飄々とした男は少女の後に続いた。


「冷たいねぇ。徹底的に無視かい?」


「最初から、そういう条件で始めたのよ。そもそも、こういう扱いこそが自分にはふさわしい、と言ったのはロロの方だわ」


 すたすたと足早に歩くミレニアは、ニヤニヤと語りかけるジルバに取り合わない。


「明日の朝には、第一陣が出立するわ。ロロに任せる第二陣は昼過ぎの出立。物理的に会わなくなるから、無視も何もないわ。冷たいなんて思うのも、今日一日くらいなものよ」


「そうかねぇ……?」


 ジルバのニヤニヤした笑みは変わらない。


「そういや俺は、どっちの隊に組み込まれるんだ?」


「ん……そうね。最終確定は今夜、ガント大尉の報告を待ってからだけど――前方の部隊に配属するつもりよ」


「ほぉ?それはまたどうして?」


「街道に魔物が待ち構えていて襲撃に遭うとしたら、前方部隊の方が先でしょう。前方に優秀な兵を配置するのは基本よ」


「ほう……?」


「帝都侵攻並の大群でも押し寄せない限り、大抵の魔物の襲撃はロロ一人でも対処できる。だけど、魔物の巣がこの辺りに出来たという報告はない。極論、第二陣はロロ以外の戦闘員を配備しなくても何とかなるでしょう」


「ほほぉ?そりゃ大きく出たな」


「極論の話よ。さすがに実行はしないわ。そうね……第二陣には、青布を少し多めに配置して、白布は殆ど第二陣に入れようかしら。精鋭が少数で部隊全体の戦闘力を底上げする構成よ。第一陣は、数の多い赤布と黄布クラスを中心に、従軍経験のある者を命令系統に組み込んで――」


 考えながらぶつぶつと口の中で呟くミレニアに、ふっとジルバは吐息で笑う。


「じゃあ、やっぱり俺は後ろがよさそうだ」


「え?」


 きょとん、とミレニアは隣の長身痩躯を見上げる。

 頬に皮肉気な笑みを刻んで、ジルバはミレニアを揶揄うようにその額をとんっと指で差した。


「嬢ちゃんは、確かに優秀な将だが――駄目だな。兵士は戦闘力だけじゃ図れない。違うか?」


「な――」


 まさか、元奴隷のジルバに諭されるとは思わず、ミレニアは咄嗟に反論した。


「勿論、編成の時は兵士同士の相性や体調、戦い方の癖なんかも考慮に入れるわ!そのために、ガント大尉の今夜の報告があるのよ。お前に言われるまでもなく、そんなことは――」


「いーや、わかってないね。アンタは全くわかってない」


 くくく、と喉の奥で声を上げた後、片目を眇めてジルバは苦笑した。


「どーせ、魔物が出たりしたら、アイツはまともに仕事なんかできやしない」


「ぇ――……」


 ぽかん……とミレニアは間抜けな顔でジルバを見上げる。


「クルサールの側近だった坊やもそっちに組み込まれるんだろう?アンタたちは、嬢ちゃんの強力な光魔法に加えて、対魔物戦にも慣れた坊やが、光と闇と両方の魔法を使えるわけだ」


「え、えぇ……」


「後ろに配備される白布の中には、光魔法使いだった奴もいるだろうが、何せ、ついこの間までは無属性だと思い込んで生きてきた連中だ。ここに来るまでに努力して魔法に慣れようとしてるはずだが、実戦でどこまで使えるかはわからない。大抵の奴らは剣闘場と奴隷小屋から出たことがないから、魔物と戦うこと自体初めてだろう。俺も、魔物とはやり合ったことがない」


 ごくり、とミレニアは唾を飲み込んでから、控えめに反論する。


「だ……だから、対魔物戦に慣れていて、一人でも大群の魔物を相手取れるロロが指揮を執りながら前線に出れば――」


「やれやれ。馬鹿だねぇ」


「なっ――なんですって!?」


 人生でおよそ言われたことのない罵り言葉を受けて、カチン、とミレニアは怒りの声を上げる。


「ロロは、ゴーティスお兄様の元で、何度も魔物討伐に出兵しているわ!獅子奮迅の働きで、誰よりも戦果を挙げていたのよ!あの、皇族としてのプライドの塊みたいなお兄様が、奴隷の身であるロロにたくさんの破格の条件を付けてでも引き抜こうとしていたくらい、ロロはとっても優秀だったんだから!」


 なんだかロロの実力を軽んじられたようで、黙っていられない。

 子供じみていると思いながらも、思わず反論せずにはいられなかった。


「そりゃ、その時はそうだったかもしれねぇが――ま、賭けてもいい。魔物が現れたら、まともに指揮官なんて務められんさ、アイツは」


 くっくっくっとジルバは笑う。


「俺は、無駄に長いこと剣闘場にいたからな。それなりに奴隷たちの間でも顔が利く。前座の曲芸に駆り出されることも多かったから、白布と絡むことも多かったしな。青布レベルの剣闘奴隷はどいつもこいつも殺傷力に優れた火の使い手と、そいつといい勝負をする水魔法ばっかりだ。火を煽っちまう上に直接的に戦闘には向かないどころか見世物としても地味極まりない風使いは、ほとんどいない。……俺が一人入ってりゃ、戦況を見ながら風で奴隷たちに指示を飛ばせる。最悪の最悪は、全力で風で隊を追い立てて倍速で尻尾撒いて逃げさせることだってできるわけだ」


「そ……それは、そう……だけれど……」


「悪いことは言わねぇから、俺は後ろに配置しとけって。大丈夫、嬢ちゃんの身を任せるには、ガントとかいうアイツは十分すぎるくらいだ。ネロの坊やも、粗削りだが剣の筋は悪くない。最悪、坊やの魔物の眷属を召喚してずらりと並べてやりゃぁ、どんな大群が来ても大丈夫だろ。――俺がいなくても、アンタの身は守れる」


「わ、私の身の安全を考えてのことでは――」


「いーんだよ。……ロロほどじゃないが、俺だって、アンタの身の安全が保障されなきゃ、傍を離れられない。状況を鑑みて、十分だと判断した。それよりも、もしも第二陣が壊滅――とまではいかなくても、死傷者が出た、なんて事態になったら、アンタは悲しむだろう?」


「そ、それは勿論――」


「奴隷のために悲しんでくれるなんざ、それだけで俺たちにとっちゃあり得ないくらいのご褒美だが、アンタが悲しむ様は見たくない。可愛い嬢ちゃんの傍を離れるのは忍びないが、俺は後方であのバカの尻拭いをしてやるよ」


「む……」


 何やらジルバは、確信めいたものがあるらしい。


(……まぁ……魔物の出現情報は、出たとしても数匹で、統制の取れた動きではないとあったから、赤布や青布レベルの奴隷なら一対一でも負けないでしょう。よほどのことがない限り、どちらの隊も被害を被るとは思えないし、強大な魔力で光魔法が使える私がいる前方の方が安全だというのは、一理あるけれど……)


 ミレニアは考え込んだ後、ふぅ、と嘆息して首を振った。


「わかったわ。じゃあ、お前は後ろの隊に入りなさい。強力な魔物の出現情報があるわけでもないから、どちらの隊であろうと、さほど警戒する必要もなさそうだし、ね」


「おぉ。……くくっ……きっと、数日後には、俺の言ってたことがわかるはずだ。金貨一枚くらい賭けてもいい」


「まぁ……お前は本当に適当に生きているわね。そうやすやすと賭博に興じるものではないわよ。いつか身を亡ぼすわ」


「勝ち馬には積極的に乗ってくタイプなんだよ、俺は」


 飄々と嘯く皮肉家な従者に苦笑して、ミレニアは軽く肩をすくめたのだった。

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