第11話 検証開始①

 翌朝から、ミレニアはさっそく有言実行をした。

 まずは他の奴隷たちに気を遣わせないように、ロロのたっての希望であることを周知し、ロロがミレニアに急に跪いて首を垂れるようなことをしているのは特殊な事情であり、他の奴隷たちに同じような振る舞いを強要するようなものでは決してないことを伝えた。

 中には戸惑いを隠せない者もいたようだが、ロロの異常なまでの献身はこの数日の行軍でも誰の目にも明らかだったため、最終的には深く内情を探ることもなく生暖かい目で見守ることになった。


「えぇと……次は、食糧庫ね。途中で、今朝干した薬草の具合も見ていきましょう。行くわよ、ジルバ」


「へいへい」


 三日月刀を腰に差した男に声をかけると、シニカルな笑みを口の端に浮かべて、緩い返事が返ってくる。

 つい昨日まで鬱陶しいくらいにずっと傍に控えていた男とは対極の軽薄極まりない態度だが、それでも根底にはミレニアへの信愛を感じるから不思議だ。

 ミレニアも、見せかけの口調や態度だけで従者を判断しない。しっかりと仕事をこなし、日々を楽しく生きてくれるなら、それだけでよいのだ。無理に堅苦しい振舞いを強制したりはしない。


 不遜な態度のへらへらした男を伴って、さっそうと拠点内を歩む。時折すれ違う者たちが簡易の礼を取るのを手で制止ながら、忙しそうにしていれば声をかけ、ねぎらいつつ目的地へと向かった。


「しっかし……お嬢ちゃん。いいのかい?」


「?……何のこと?」


「すっ呆けるねぇ……」


 くくく、と喉の奥で笑う、少しかすれた皮肉気な声。


「あいつだよ、66番。――あぁ、ロロって呼ばないと嬢ちゃんは怒るんだっけか?まぁいい。……とにかく朝から、どんよりした空気を背負って鬱陶しいのなんの」


「まぁ。そんな様子だったの?全く顔を見ていないから、知らなかったわ」


「薄情だねぇ……あっちはあんなに死にそうな顔してるのに」


 くっくっ、と可笑しそうに笑うジルバは、愉快そうだ。剣闘奴隷時代からの腐れ縁で、互いに宿敵だったと認め合う仲の相手が、年端もいかぬ少女に振り回されているのが面白くてたまらないらしい。


「今朝すれ違ったとき、自分の代わりに俺が護衛として就くと知ったんだろうな。『姫の身に何かあったらぶっ殺すぞ……!』って本気の殺気を飛ばしてきやがった。あの、命のやり取りをする剣闘場でさえ、常につまんなそうな光しか宿さなかった真っ赤な瞳が、こんなくだらん日常であんなに苛立つのは、声出して笑いたいくらいに愉快だったな」


 人の悪い笑みを浮かべるジルバに、ミレニアは呆れたように軽く嘆息して、一切歩みを緩めることなく口を開く。


「そもそも、ロロが言い出したことだわ。苛立たれる筋合いはないのだけれど」


「まさか。嬢ちゃんに苛立ってるわけじゃねぇさ。あいつが、嬢ちゃんに負の感情を抱くなんてあるわけがない」


 ひょい、と肩をすくめて、飄々と言ってのける。


「自分が傍にいられないこと、よりによって軽薄の極みみたいな俺がその代わりを任ぜられたことが気に食わないんだろ。……つっても、自分から言い出した、ってどういうことだ?嬢ちゃんから離れるなんて、誰に命令されても絶対聞き入れなさそうだと思ってたんだが」


 にやり、と頬を歪めて嗤いながら、ジルバは細身の長身を屈めるようにしてミレニアを上から覗き込む。


(――これが、普通よね……)


 ぱちくり、と急に目の前に現れたジルバの顔を思わず眺めて考えてしまう。

 普段、ロロが護衛についているときは、こちらが語りかけても一言返事を返すだけで会話が終わってしまうことも多い。無駄口を叩くことはほとんどなく、気配を消してそっといつもの定位置――左斜め後ろ――に控えたまま、ミレニアの視界に入らぬようにして影のように寄り添っているのが常だ。

 こんな風に、無駄口を叩きながら、可笑しそうにミレニアを上から覗き込むなど、ロロには天地がひっくり返っても出来はしない。


(そもそも、視界に入ることすら――って、どういうことなのよ。ロロは、私を何だと思っているわけ?)


 もう、ミレニアは、彼の紅玉の瞳に不意に幻のように宿る灼熱を見逃したりしない。

 どう見ても、ミレニアを「愛しい」と全霊で訴える激しいまでの熱をその身に湛えながら、スンッ……と表情筋には一切仕事をさせないまま、「自分はミレニアに相応しくない」「勘違いだ」などと言ってのけるのだ。


「私がロロを好きなのは、勘違いなんですって」


「はぁ……?」


 煮え切らない態度の従者の顔を思い出して、ムカムカがこみ上げてきて、ジルバに告げる言葉にもどこか棘が混ざる。

 しかし、さすが大人のジルバだ。気にした風もなく、軽く首をかしげる。


「多感な時期に、私の周りにいた歳が近い男はロロだけだったという状況に加えて、命の危機を一緒に乗り越えたりしたドキドキを、恋のドキドキと勘違いしているだけらしいわ」


「へぇ?くくくっ……なるほど?」


「笑えるでしょ」


「いやぁ、本人にとっては真剣な訴えだろ」


 笑い声を堪えることすらせずに大口を開けて笑うジルバに、呆れたように吐息を吐く。

 やはり、ロロ以外の者には、ちゃんとミレニアの気持ちがわかっているようだ。

 どうしてあの男だけがあんなことを言っているのか。


「その上、早く勘違いから覚めてくれ――みたいなことを言うから。ちょっと、売り言葉に買い言葉で、「検証しましょう」と言ってやったの。……本当に勘違いなら、一週間もロロから離れていたら、この感情はなくなるはずじゃない?」


「なるほどねぇ……それで、自分から言い出した手前、「それは嫌だ」とは言えずに困ってるわけか」


 今朝のどんよりとした空気を纏っていたロロの背中を思い出し、ハハハッと堪えられないように再びジルバが笑い声をあげる。


「まぁでも、いい機会だとは思うわ。第一、勘違いだというのなら、よっぽどロロの方が――」


 ふと、ミレニアが不自然に言葉を切る。

 少女の視線を追うようにしてジルバは視界の隅に、その理由を見つけ、苦笑した。


(そうか。そろそろ、訓練が終わった連中が食堂に向かう時間だな。井戸で水でも飲んだか浴びたかしてから来たところ、ってとこか?)


 当初予定されていた戦闘員たちの予定と、拠点内の地図を思い浮かべて、ジルバは苦笑する。

 いつもの黒衣のマントではなく、訓練用の動きやすいシンプルなシャツを身に着けたロロは、ミレニアたちが足を向けていた先で、まだ随分距離があるにもかかわらず、じっと土に膝を付けて首を垂れて控えている。


「――行きましょう」


 すっと少女の冷ややかな声が静かに響く。――ミレニアが、女帝の仮面をかぶった証拠。


「くく……仰せのままに」


 片頬を歪めて笑ってから、ジルバは従順にミレニアに寄り添い、歩き出した。


「それで?嬢ちゃんとしては何も思うところはないのかい?」


「……お前、まだその話を続けるの?」


 ミレニアたちがまっすぐ歩けば、ロロの傍を通り過ぎる。迂回するのは簡単だが、皇女が奴隷を避けるために行路を変えるなど、あり得ない。ミレニアは、ロロを徹底的に無視するつもりで足を進めていた。

 それはジルバにもわかるだろうに、ロロの耳に入りそうな距離で、ロロの話をしようとする悪趣味な性格に呆れた顔をすると、ジルバはニヤッと白い歯を見せて笑う。


「いいじゃねぇか。ここには誰もいない」


「ぇ……?」


 思わず、じっと身じろぎ一つせず跪いてシルバーグレーの旋毛だけを向けている青年を視線だけで見てしまう。

 皮肉な笑みを湛えたまま、ジルバは当たり前のように口を開いた。


「だって、そうだろう?――”道具”は、人間にカウントしない」


「――!」


 ミレニアが小さく息を飲むのと、ピクッ……とロロが小さく身じろぎするのは同時だった。


「駄目だぜ、嬢ちゃん。やるならちゃんと、徹底的に。変な温情を掛けてちゃ、”検証”だってうまくいかねぇだろ?」


「そ……それは……」


 思わず長い睫毛を伏せ、それまで自信満々だった歩みが頼りなくなったミレニアの腰に、ジルバの長い腕が支えるように巻き付いた。


「!?ジルバ!?」


 驚きのあまり、ひっくり返った声が出る。

 一瞬、ビクッとロロの肩が跳ね、ジャリッとブーツの裏で土が小さく音を立てた。


「ホラ、行こうぜ、嬢ちゃん。食糧庫だろ?」


「え……えぇ……」


 彼が扱う風のように、颯爽と軽やかにエスコートする腕に促され、控えるロロへと近づく。


「どうする?女王様のお通りだ。汚い奴隷なんざ、蹴ってどかすことも出来るぜ?」


「――止めて。そんなことを望んではいないわ」


 ニヤニヤしながら顔を近づけて言われて、ミレニアはきっぱりと嫌悪を示して拒否をする。悪乗りをする従者を嗜めるように。


「相変わらず、お優しいこって。アンタは、そうする権利がある。誰も文句なんか言わない。俺も、周りも、あいつ自身も」


「無意味な暴力は好きじゃないの。――第一、皇女の前で暴力沙汰や流血沙汰を起こすなんて、そちらの方がこれ以上ない不敬よ。わきまえなさい」


「なるほど。これはこれは、失礼いたしました、淑女レディ


 くっくっと笑いながら嘯くジルバに呆れる。

 そんな会話をしているうちに、いつの間にかロロの目の前まで来た。

 跪いて頭を垂れている目の前を、ジルバに支えられるようにしながら歩いていく。

 目の前を通り過ぎるとき――ビクリ、とロロの肩が大きく跳ねたような気がした。


「――…?」


 頭を垂れているあの状況では、ミレニアとジルバの脚しか見えないはずだ。

 護衛兵が、一体何に驚きを示したのかわからず、ミレニアは思わず通り過ぎ様にその旋毛を振り返りそうになり――


「よそ見すんなよ、嬢ちゃん」


「え?」


「ったく……こんな別嬪さんを袖にするなんざ、アイツの趣味はホントわっかんねぇな。ほら、こっち向けって」


 いつも通りのシニカルな声が響き、すっと流れるような手つきで優しく頬を包むように、やんわりと視界をジルバの方へと移動させられ――


 ジャッ――!


 鞘と鋼が擦れる耳障りな音が響き、ロロが目にも止まらぬ速さで抜剣した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る