第10話 勘違い?⑤

「でも、わかったわ。ふふっ……今日は、懐かしいお前の小言に免じて、大人しく眠ってあげる」


「ありがとうございます」


 愛らしい笑顔で古株の従者に告げてから、ミレニアは部屋を出る。

 廊下には、見覚えのある奴隷紋を刻んだ男が直立不動で控えていた。――相変わらず、気配を微塵も感じさせない男である。


「そろそろ寝るわ。ついてきて、ロロ。――おやすみなさい、グスタフ」


「はい。おやすみなさいませ」


 すっと身体を折って見送る白髪頭に軽く手を振って、ミレニアは慣れない廊下を堂々と歩き出す。

 黒衣のマントが、寄り添うようにいつもの定位置に収まり、影のように気配を消したままついてきた。


「私を部屋まで見送ったら、今日は下がっていいわよ」


「……」


「ふふ。相変わらずの心配性ね。……でも、ここには、身内しかいないじゃない。見張り台には、魔物や獣の侵入がないかどうかを見ている者がいる。ここは一種の砦よ。外敵はそうやすやすと入れない」


 空気だけで異論を示した護衛兵に苦笑して、諭すように言い聞かせるも、どうやらロロは納得しなかったらしい。


「ですが、万が一にも――」


「万が一、億が一にも、何があるというのよ、もう」


 クスクス、と笑いながらミレニアは軽やかな足取りで部屋へと向かう。相変わらず、どうにもこの護衛兵は過保護が過ぎる。


「お前、ここに来るまでの間も、毎晩のように宿屋での護衛を買って出ていたでしょう。ゆっくりと休めていないのではなくて?」


「……構いません。多少寝なくても、死にはしない」


「もうっ……しっかりと休みなさいと言っているのに」


「俺は――俺の命は、姫をお守りするためにある。どうしても寝ろというなら、貴女の部屋の前で寝ます」


「お前、ワーカホリックもいい加減になさいよ……」


 全く人のことは言えないが、思わず呆れて振り返る。

 いつも通り、あまり感情を映さない表情筋を固定して、ロロはすぃっと視線を左下へと落とした。

 ミレニアに割り当てられた部屋は、この軍事施設の司令官が使っていた部屋だ。兵士たち用の四人一部屋でベッドが押し込まれた兵舎と異なり、ゆったりとした一人部屋であり、ロロが下がれば、人の目が無くなるのは事実。


「……もはや、貴女をお守りするのは、俺にとって仕事ではありません。気配は消すので、どうか、お気になさらず」


「そういう問題じゃないでしょう……」


 相変わらずの重い献身を受けて、大きく嘆息する。気が付けば、部屋の前へとたどり着いていた。


「お前には、明日も朝から仕事を頼みたいのよ。お前とガント大尉にしかできない仕事よ。体力も使うから、きちんと休んでほしいの」


「与えられた仕事を疎かにはしないとお約束します。……立って寝ることも、座って寝ることも、苦ではありません。瞳を閉じてじっとしているだけで、体力は回復します」


「どうしてそう頑ななの……」


 頭痛を覚えそうなこめかみに手を当てて呻く。

 今回の行軍に際し、様々な奴隷と出逢ったが、ここまで過保護で頑なな奴隷はロロだけだ。

 今までの五年間を思い出せば、彼の通常運転ともいえるが、どこまでも自分を軽んじるその行為を、ミレニアは改善したいと思っていた。

 何故なら――このままでは、いつまで経っても、主と従者の関係を崩せないではないか。


「では、ロロ。――私と一緒に寝る?」


「――は――?」


 ぽかん……

 大好きな紅い瞳が、驚きに見開かれてパチパチ、と瞬きを速くする。

 普段、あまり動揺しない青年を動揺させられていることに気分を良くして、ふふん、と胸を張ってミレニアは口を開いた。


「ここの司令官は身体が大きかったのか、贅沢者だったのかわからないけれど、ベッドがとっても広いのよ。私と一緒にお前が寝ても十分に――」


「何をおっしゃって――意味が分かりません」


 皆まで言わせず、ぎゅっと眉間に皺が寄って、言葉が遮られる。


(やっぱり――ロロに限って間違いを犯すなんて、あり得ないわよ、グスタフ)


 これ以上なく怪訝な顔で、「何を言っているんだこの人は」という顔をしたロロを見て、心の中で苦笑する。その顔には、男女の情の欠片も感じられない。


「いいじゃない。おやすみのキスをしてくれてもいいわ」


「御冗談を……」


 このやりとりが、ミレニアの言う「口説く」の延長だと気づき、ロロは口の中で呻いて視線を外す。


「あら、駄目かしら?一晩、私の傍にいたいのでしょう?」


「そういう意図で傍にいたいと言ったわけではありません」


「あら。では、どういう意図なのかしら」


「あくまで、護衛として――」


「護衛が目的ならば、今言った通り、身の危険が迫るようなことはありえないわ。外敵が侵入することは難しいでしょうし――万が一、私に夜這いを掛けようなんていう不届き者がいたとしても、男の奴隷たちの部屋は二棟も向こうの兵舎で、四人部屋よ。同室の誰かが止めるでしょうし、仮にうまく抜け出せたとしても、ここに来る途中で見張り台にいる者に見つかるわ」


「……それは……」


「だから、ここに滞在している間、護衛の必要はない。そんな暇があるならさっさと寝なさい。お前だろうが誰だろうが、護衛としての誰かを夜間にここに控えさせるつもりはないわ」


 そして、ふっと少し挑発的な笑みを浮かべる。


「護衛以外の意図でなら、お前が一晩傍にいることを許すわよ?」


「お戯れを……」


 ぎゅっとロロの眉間にこれ以上なく深いしわが刻まれる。

 わかっている。ミレニアは、本気で共寝をすることを望んでいるわけではない。ロロを下げさせるための、体のいい理屈を作っているだけだ。

 だが、これからもことあるごとに、似たような「口説き」が繰り返されるのだろう。

 容易に想像できるそれに――心臓が持たない予感がして、ロロは呻くように口を開いた。


「……姫は」


「?」


「勘違いしておられるだけです」


「へ?」


 きょとん、と翡翠の瞳が大きく瞬く。

 すっと視線を伏せて、ロロはガントにも告げた言葉を繰り返す。


「貴女と出逢って五年――色々なことがありました。貴女の記憶に残っていなくても、その前に何回も繰り返した何十年分の時間があり、そのうちのいくつかは、魂に刻まれている。……その間、貴女は何度も命を落とす危機に陥って、そのたびに俺が助け――時には助けられず――そんな非日常を何度も、繰り返しました」


「え、えぇ……」


「そうした極限状態で、たまたま傍にいたのが、俺だっただけです。……まして、貴女の傍には、俺以外に歳の近い男もおらず、多感な時期に、他に選択肢がなかった。それだけです」


 ぱちぱち、と何度も翡翠の瞳が瞬き、ロロを見上げる。

 どうやらこの男は、冗談を言っている様子ではない。


「つまり――私がお前に好意を抱いているのは、いわゆる吊り橋効果的な感情を錯覚しているだけだと、そう言いたいのかしら」


「……はい」


 こくん、と頷かれて、ミレニアは一瞬、怒りがこみ上げそうになる。


(この、感情が――錯覚ですって――!?)


 何をどうしたらそんな結論になるのか。


 ――何よりも、大切なのだ。

 唯一無二の、相手なのだ。


 女帝になりたいと努力してきた十年の日々をすべて捨てても欲しいと、強烈に願った、相手だったのだ。


 大好きで大好きで――皇女という身分があるうちは、天地がひっくり返っても、想いが成就することは愚か、気持ちを口にすることすら許されないとわかっていても、それでも「欲しい」と願った相手なのだ。


 愛してくれなくてもいいから、ただ、生涯ずっと一番傍にいてほしいと願った相手なのだ。


 その、全霊を込めた愛情を、勘違いなどと言われ、己の恋心を軽んじられたように思われて怒りがこみ上げ――


「――わかったわ」


「……姫……?」


 怒鳴りつけそうになった頭を無理やりクールダウンさせて、ミレニアは静かに告げる。

 何やら低い声のそれに、不穏なものを感じて、ロロは怪訝な顔で問い返した。


「お前が、勘違いだというのなら、確かにそうなのかもしれない。……それを否定するだけの客観的事実は何もないもの」


 ふぅ、と大きく息を吐いて、冷静になるように努める。


「では、こうしましょう。――検証するわ」


「……検証……?」


「えぇ。お前の理論では、私はただ、多感な時期に傍にいたお前を、恋に恋するようにして好いているだけだと言うのでしょう?」


「…………」


 棘のある物言いに、素直に頷くのは憚られるが、すぃっと逸らされる視線が肯定の意を表している。

 それに再びイラッとした何かが心に沸き立つが、ぐっと息を飲みこんで抑え込み、ミレニアは努めて冷静に続けた。


「それでは、検証しましょう。吊り橋効果に持続性はないと言われているわ。お前が言う通り、本当に私の感情が、極限状態を共にしたことによる緊張やドキドキを恋愛感情と錯覚しているだけならば、しばらく距離を置いて、お前から離れてみれば、あっさりとこの気持ちはなくなってしまうのかもしれない」


 今度は、ロロが驚きに目を瞬く番だった。


「思えば確かに、お前と出逢ってからこの五年、殆ど毎日、ずっと一緒にいたわ。顔も合わせず声も聞かない日なんて、一日もなかったのではないかしら」


「は、い……」


「だから、検証してみるのよ。期間は――そうね。次の軍事拠点に到着するまで。元々、隊を二つに分けようと思っていたの。お前を後ろの軍の指揮官に指名するわ。私は前方。これで、一週間は顔を合わせないで済むでしょう」


「――!」


「この拠点内では、どうしてもすれ違ったりすることもあるでしょうけれど、極力お前とは顔を合わせないようにするし、声も掛けない。この拠点内では護衛の必要はないし――お前が不安でどうしても、というなら、ジルバ辺りにでも頼むことにするわ。お前はよほどの用事がない限り、私に近づくことを禁止する」


「な――!」


 ロロが色を無くして何かを言い募ろうとするのを、すっと手で制す。


「お前が言い出したのよ。――お前は、私に、この”勘違い”を正してほしい。そうではないの?」


「っ……そ、れは……そう、ですが……」


 イラッ……!

 あっさりと認める青年に、再び苛立ちの炎が立ち上りかける。


「そう。では、一週間。私も気を付けるけれど、お前も意識しなさい。何か用事があっても、基本的には誰かを通して話しかけて」


「っ……」


「文句はないでしょう?視界に入ることも、手を触れることも厭うと言っていたお前よ。本来、私の傍にいることすら、奇跡のようだと言ってたのはお前自身じゃない」


「そ、れは……その通り、ですが……」


「一週間、お前のその主張に付き合ってあげる。お前に対してだけ、お前が望むように振る舞うわ。私は第六皇女。お前は奴隷。私の視界に入ることも、手を触れられる距離に来ることも、声をかけることすら許さない。不意に遭遇したとしても、私の前では必ず跪き、頭を垂れて控えるのよ。己の身の程を知りない」


「っ――!」


 ぐっとロロが息を詰めて言葉を飲み込む。

 一瞬、その表情が痛ましそうに見えて、ズキン……と心が痛んだが、ふるっと頭を振ってミレニアは無理やり感情を押し殺し、自室の扉へと手を掛けた。


「わかったなら、自室に戻りなさい。奴隷に、部屋の前に居座られるのは気分が悪いわ」


「っ……かしこまり、ました……」


 口の端から絞り出すような声は、弱々しく、震えていた。

 一度だけ、チラリと振り返ると、ロロは言われた通り跪いて頭を伏せており、いつもの紅い瞳は見えない。


「――おやすみなさい」


 最後に、これだけは。

 小さく口の中で呟いて、ミレニアは心を鬼にしたまま、じっと頭を下げて控える従者を拒絶するように、パタン、と音を立てて扉を閉ざしたのだった。

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