第49話 隣人とダメ人間



「それ、ダンボールにまとめていてくれ」

「はいよー」


 父さんの指示に従って、荷物をダンボールに詰めていく。引っ越しが近くなり、その準備も本格的になる。

 

 クリスマスから数日が経過していた。


「父さん、夜ご飯どうする?」

「好きにしたらいい。俺はいらん」


 ……『俺はいらないから、好きなものを食べてきなさい』という意味だと思う。

 あの日から、特別何かが変わった訳では無い。長い年月を経て作られた溝は、ちょっとやそっとじゃ埋められない。どう接すればいいか、距離を図る日々だ。


「それじゃあ、適当になにか食べてくるわ」


 今日の作業はこれで終わり。料理を作る気力がないので、夜は外でなにか買うか。


「それじゃあ、いってきます」


 適当にそう言って、ドアノブを捻る。


「……行ってらっしゃい」


 あの日から特別なにかが変わった訳では無い。でも、少しずつ俺たちは溝を埋めていく。



 


「ぎゃふんっ!?」


 扉を開けると、何かにぶつかった衝撃が手に伝わってくる。それと同時に珍妙な悲鳴も付随する。


「え、なに」


 ゆっくりと開け直して、外を覗いてみる。するとそこには、涙目で額を擦る咲希の姿があった。


「いったぁ……」

「……どうした」

「え、いや。普通にご飯食べさせてもらおうかなって」

「なんでだよ」


 なんでそんな気軽に食べに来ようとしてきてんだよ。あとお前、もう料理出来るだろ。

 半目で睨むと、咲希はあわあわと慌て出す。


「いやほら、今日突然アリシアがかれりんのところに泊まるって言い出してさー。アリシアいないならご飯適当でもいっかなって」

「それで、俺のところに来たと?」

「そうそう」


 なんでだよ。作れよ、適当に。

 喉奥まで出てきかけたツッコミをなんとか飲み込む。


「悪いけど、ご飯は無いからな」

「ええー!? なんでさ!」

「作ってないんだよ。俺、これから晩ご飯を買いに行こうとしてたところだから」


 そう言って手を振ると、何故か逆に目を輝かせ始めやがった。


「あっじゃあ、あたしもついて行くよ!」

「いやいい」

「なんで!? 何も企んでないよ!」

「何企んでたんだよ」


 咲希はすいーっと視線を泳がせる。

 ……こいつは。


「まさか、奢らせようとか考えてたのか?」

「あ、あっはは。そんなわけないじゃん! えーと……ほら、あれだよあれ! カズくんと一緒に居たかった的な?」


 ドキリと心臓が大きく跳ねた。

 ……ちくしょう。適当に取り繕ってるだけだってのはわかってるはずなのに。


「……はあ。好きにしろよ」

「じゃ、好きにさせてもらいまーす」

「……ちなみに何も奢らんぞ」

「えーケチー!」


 そもそも一言も奢るなんて言ってないからな。


 ☆ ☆ ☆


 疎らな街灯を頼りに通り道を二人並んで歩く。


「でさー、あたしもついて行こうとしたんだけど、『お姉ちゃんは来ないで』って……これ、嫌われてないよね!?」

「大丈夫だろ」


 あのシスコンが姉のことを嫌いになるなんて想像もつかない。


「そういえばさ、今日何してたの? 朝からガサゴソ音がしてたけど」

「うるさかったか。ごめん」

「だいじょぶだいじょぶ。たまになにか聞こえるなー程度だったから」

「ちょっと引っ越しの準備を、な」


 朝から夜まで続けたおかげで、大体は終わった。このペースなら正月はゆっくり出来るだろう。

 そう考えていると、不意に気づく。並んで歩いていた咲希の姿が横にはなかった。


「……咲希?」


 振り返ってみると、咲希はじっと地面を見つめて立ち尽くしていた。俺の声が耳に入ると、彼女ははっと我に返り顔を上げた。


「いやー、ごめんごめん。ちょっとぼーっとしちゃっててさー」


 たははと笑いながら、駆け寄ってくる。そんな彼女の態度に疑問を抱きながらも、そうかと返して再び歩き始める。


「いやーそっかそっか。引っ越しの準備をしていたのか」


 わざとらしい明るい口調に、大袈裟に頷く咲希の様子を見て、もしやと思い至る。


「咲希、ちょっと――」

「いやもうそんな時期だよな。あ、そうだ。あたし準備手伝おうか? ほら、カズくんには色々とお世話になったしさ。その恩返しってことで」


 咲希は一人で捲し立てながら、うんうんと何度も頷いている。


「どうよ、カズくん。特に何か出来る気はしないけど!」


 明滅する街灯が咲希の顔を照らした。

 グッと親指を自分に突き立てる彼女の顔は、不自然なまでに満面の笑みだった。


「ごめん」


 俺はそう言って頭を下げる。

 すると頭上から困惑した声が降ってきた。


「えーと……なにが?」

「俺……実は引っ越しについて行くの無しにしたんだ。それを伝え忘れていて……」


 伝え忘れというか、言う機会がなかったというか。

 どちらにせよ、ちゃんと連絡を入れていなかった俺が悪いのだが。


「……つまり?」

「引っ越すのは父さ……父親だけで、俺はここに残ります」


 そう伝え終わると、咲希は黙り込んだ。視線を下の方へ移動させると、握り拳がプルプルと震えていた。


「……怒ってる?」

「……怒ってない」

「……」

「怒ってないからな!」


 咲希の迫力に押されて、俺はこくこくと何度も頷いてみせる。

 そして彼女は「まったく……」と呟きながら数歩前に歩いたかと思うと、なにか思いついたのか、あっと声を漏らすとこちらに振り向いてきた。


「あ、でも少し怒ってる。だから晩ご飯奢って」

「ええ……いやいいけどさ」


 ☆ ☆ ☆


「あぐっ」


 買ってきた肉まんを手渡すと、早速咲希はそれにかぶりついた。


「熱っ!?」

「落ち着いて食えよ」


 真夜中の公園。

 街中の喧騒も遠く、そこは静謐な空間が出来上がっていた。


「肉まんでよかったのか?」

「あう。ほへははへははっはひ」

「ごめん。食べ終わってから話して」

「うん。これが食べたかったし」

「そうか」


 そう言って再び食べるのを再開する咲希。


「熱ぁ!?」

「だから落ち着いて」

「ふぁふぁってる!」

「だから食べ終わってから喋ろうね」


 本当に、変わらないな。

 一生懸命になって肉まんを頬張る彼女の横顔が、どうしようもなく愛おしい。

 彼女の顔を見るだけで、心臓の鼓動が早くなり、それがどこか心地良い。


 俺は藤谷 咲希が好きだ。


 自分を変えようとひたむきに努力を続けた、その姿に惹かれた。

 パーフェクト姉であろうとする、その気高さに尊敬の念を抱いた。

 困難にぶつかり、挫けそうになるその姿を、支えたいと思った。

 そして、彼女の無邪気な笑顔に恋をした。


 俺は、どこまでも純粋に前に前に進もうとする藤谷 咲希のことが――


「――好きだ」

「……ふぇ?」


 突然の言葉に驚いたように彼女の目が開かれる。

 一瞬の沈黙。その静かな時間で俺はどうしようもない不安を覚えた。今ならまだ引き返せるんじゃないのか、という考えが頭を過った。


 言ってしまえば、確実にこれまでの関係を変えることになる。そして、俺の気持ちを拒絶されるかもしれない。

 それがどうしようもなく怖い。


 でも、


「俺は、貴女のことが好きです」


 俺も変わるのだと決めたから。

 言わないと何も伝わらないと教えてもらったから。


「俺と付き合ってください」


 特別な言い回しなんかじゃ全然なくて。

 ありふれた一言しか、思い浮かばなかった。


「は!? ちょっ待って。ちょっと待って」


 固まっていた咲希が動き出す。


「…………なんであたしなの? 自分で言うのもなんだけど、あたしって結構ダメ人間だよ?」

「知ってるよ」

「知ってるの!? ってか、否定してくれないの!?」

「何を今更」


 涙目になりながら抗議してくる咲希。

 ダメかダメじゃないかと聞かれたら、速攻でダメな方だと答えるぐらいにはダメ人間よりだろ。


「元々、ダメ人間だから、俺とお前は出会ったんだろ。最初からパーフェクト姉だったらこうして話すこともなかった」

 

 俺は特別な人間なんかじゃない。

 咲希のようにひたむきに頑張れる意志もない。

 花蓮のように誰かのために戦える強さもない。

 アリシアのように誰かのようになりたいと願えるほど純粋でもない。

 茂のように弱いと思いながらも、それでも何かをしようとする気高さもない。


 人に恵まれただけの凡人。特別じゃない人。


 だから俺は、月並みの言葉に気持ちを込める。


「俺は咲希の、ダメなところも、強いところも、これまで見てきた全てが好きだ。俺と付き合ってほしい!」


 彼女と再び向かい合って、手を差し伸べる。

 薄暗い公園。影になって見えなかった咲希の姿が、月明かりに照らされて露になる。月光が彼女の透き通るような金髪に反射してキラキラと輝き、宝石のような碧眼が俺の姿を映して微かに震えていた。


 そして――


「はい。喜んで」


 藤谷 咲希は俺の手を取って、そう言ってはにかんだ。


「あたしと付き合ったからには絶対に後悔させないからな!」

「頼もしい……でも、それ俺のセリフだから」


 さっきまでの気恥しそうな笑みはどこへやら。いつも通りの元気な笑みを咲希は浮かべる。

 だけど、握った手は冬だと言うのに熱いぐらい熱を帯びていて。


「話も終わった事だし、肉まん食おうぜ! 肉まん!」

「そうだな」

「あれ!? あたしの肉まんは!」

「さっき食べ終わってたけど」

「……なあ、カズくんさん、そこに置いてあるのは何?」

「肉まんだけど……」

「半分ちょうだい!」

「え、やだ」

「なっ!? ケチケチすんな、半分寄越せ!」


 襲いかかってくる咲希を避けながら、俺はふと思う。


 本当に、今日の彼女の笑顔を、熱を、どうやったって忘れないだろう、と。

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