第46話 隣人とエンジェルシスター



 家に帰ると、ちょうど部屋の前にアリシアが立っていた。なにか用事でもあるのか、ドアを何度もノックしている。


「おいアリシア。そんなにドアを叩くなよ」


 俺がそう声をかけると、シュババッと動いて距離を取ってきた。


「……なんだよ」


 その対応に若干傷つきつつも、平然とした声を絞り出す。

 アリシアはハッと我に返ると、すぐにいつも通りの対応で「なんでもありません」と返してきた。


「部屋になにか用事でもあるのか。あ、もしかして忘れものでもしたのか?」

「まあ……忘れものと言ったら忘れものですね」


 奇妙な言い回しを首を捻りながら、それならとドアの鍵を取り出した。しかし、アリシアはその動きを制止してくると、さらに続けた。


「もっとも、忘れものというのはお姉ちゃんへのクリスマスプレゼントを買い忘れたというものですけど」

「……それでなんで俺の家に来てるの?」


 鍵をポケットの中に再び戻す。

 クリスマスプレゼントを買うつもりなら、ショッピングモールなり、専門店なりに行くべきだ。断じて俺の家に来るようなものではない。

 けれども、その疑問はすぐになくなった。


「ちょっと青柳さんに、プレゼントを買うのを手伝ってもらおうと思いまして」


 と、そんな言葉によって。


 ☆ ☆ ☆


「これ、可愛いですね。お姉ちゃんにピッタリです。そうは思いませんか?」

「そうかもしれないな」

「このメガネ、お姉ちゃんに絶対に似合います。メガネをかけたお姉ちゃんは普段の何倍も頭が良さそうに見えそうです。そう思いませんか?」

「そうかもしれないな」


 俺は延々と咲希の自慢と共に買い物に付き合わされていた。何故だ……何故なんだ。どうして手伝う羽目になっているんだ。


「……はあ。青柳さんは何が良いと思いますか?」


 露骨にため息を吐きながら、俺にそんなことを求めてくる。いや、そうは言われても。

 何も考えてなかった俺は、雑貨屋の中をぐるりと見回す。すると、ある物が目に止まった。


「これとかどうよ」


 その商品を手に取って、アリシアにどうだと見せてみる。彼女はしげしげとそれを見ると、はてと首を捻る。


「弁当箱ですね。どうしてこれを?」

「最近、咲希のやつ弁当に挑戦してみるとか言ってたからな。ちょうどいいかと思って」

「へー……」


 なぜか、不機嫌そうにジト目で見てくるアリシア。……なんでだよ。


「青柳さん、今日お姉ちゃん、朝ごはんに何食べたと思います?」

「えっ……あー、目玉焼きにウインナーにみそ汁……とか?」

「正解はお菓子です。昨日プレゼントしたやつの残り」

「いやそれ健康に悪いから。ちゃんとしたご飯を食べなさい」


 マウントを取りたかっただけなのか、俺が不正解であることがご満悦なのか、ドヤ顔だった。このシスコンがよぉ。


「いいでしょう。クリスマスプレゼントはこれにしておきます。どうもありがとうございます」


 言い終えるやいなや、会計をするためにレジに向かうアリシア。俺はそんな彼女の後ろ姿を眺めつつ、ほっと息を吐き出した。

 

 結局、茂のところで答えを出すことは出来なかった。どうしたいのか、したくないのかが分かっても、それが分かったという段階でしかない。これから、どう動くのか。それを決めなければ、どうしようもないのだ。

 そんなことを考えていると、アリシアが戻ってきた。


「お待たせしました。それでは行きましょうか」


 戻って来たアリシアの言葉に従って、俺はアリシアのあとに続いて店を出るのだった。



「それで、次はどこに行くんだ?」


 しばらく歩いて、家に向かっている訳では無いと察した俺は尋ねてみる。しかし、彼女はそれに答えることはなく別のことを聞いてきた。


「それで、結局貴方の悩みは解決したのですか?」

「悩みって……」

「解決してないから、まだお姉ちゃんは浮かない顔をしているのでしょう。話し合って、解決か解消かしたのかと思ってたのですが……」


 まったく、とそう呟いてひとつため息を吐いた。


「それで、結局のところ何を悩んでいるのですか。買物の最中も暗い顔をしていたので」


 話すべきなのだろう。どのみち近いうちに話さないといけなくなるのだから。けれど、どう話したらいいのか分からない。

 茂と話してから、ずっと考えは曖昧なままで、纏まりがない。


「話してください」


 逃げようとしたのを察知したのか、そんな言葉と共に刃物のように鋭利な視線を突きつけてくる。


「実は――」



 


 夕暮れ時の公園で。

 肩を並べてベンチに腰を下ろす。


「はあー……」


 話を全部聴き終わったアリシアは、深いため息を吐いた。


「……馬鹿なんですか?」

「え」

「そこで悩むって……あー、もう」


 頭痛でもするのか、額を押さえるアリシア。その姿がいつもの花蓮の姿と重なって見える。

 そんなにあれな発言をしてしまっただろうか。自身の言葉を思い出しながら不安になる。


「いいですか? 今の話、まず前提から間違っています」

「前提?」

「この場所に残りたいということが迷惑かどうか、それを確認していないじゃないですか。青柳さんの勝手な妄想で言っているだけでは」


 その言葉に俺は思わず視線を逸らしてしまう。


「言われなくたってそれぐらい――」

「分かるのですか? 貴方が? 笑わせないでください」


 彼女は反論など許さないと、語気を強める。


「逃げているだけじゃないですか。青柳さんは、お父さんに本音を伝えたことがあるのですか?」


 アリシアの顔が不意に見えた。

 浮かび上がっている感情は、怒り。


「ねぇ、青柳さん」


 不意に顔を掴まれる。そして、グイッと強引に顔を引っ張られ、アリシアの蒼い瞳と見つめ合う。


「伝えないと、言葉にしないと、人の心は見えなくなります」


 

「……見えたところで、それが良い結果に繋がるとは限らない」

「でも、見えない限り何も分からない。正解も、間違いも。だから、言葉にして伝えることが大事なんです」


 瞳が波打って、声が震えた。


「これは貴方がわたしに贈ってくれたことなんですよ」


 慈しむような表情で、宝物を見守るような眼差しで、続ける。


「答えを知るのが不安なんですか?」

「……何も大丈夫な保証もない。それに、今更大丈夫だって思えるわけないだろ」


 これが言い訳に過ぎないということを俺は言いながら自覚する。

 真摯に向き合ってくれている彼女への罪悪感から目を伏せる。


「だったら、」


 透き通った声色が耳を打つ。


「わたしを信じてください。大丈夫だって、わたしが保証します」


 あの日何も信じられなかった、藤谷 アリシアの姿はもうそこにはなかった。

 

 大丈夫だと、信じて。大丈夫だと、信じさせようと。


 だが――。


「…………」


 そうでは無いと、訴えかけてくる。俺が恐れているのは、恐怖しているのはもっと他の――。

 俺は、アリシアの顔が見られなかった。これだけ訴えてくれている彼女の顔を見るのが怖かった。


「……まったく。自分のことになるとダメ人間になるんですね」


 呆れたような声音が降り注いで、そして顔を掴んでいた手が離れるのを感じた。


「それじゃ、わたしは選手交代ってことで」

「……? 選手交代って、どういう――」


 去っていく背中に声を投げかけるも、その答えが返ってくることはなかった。けれど、その代わりにすぐにその言葉の意味を知ることになった。


「……こんばんは、一葉くん」




 クリスマスはまだ終わらない。


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