第41話 隣人は面倒くさい


 変わらない声音と口調に思わず口が綻んでしまう。

 それを誤魔化すように俺の口は動いていた。


「大きくなったなぁアリシア」

「数ヶ月ぶり、ですよ。そこまで身体的変化はないと思いますが」

「冗談冗談。……久しぶり」

「はい」


 そして訪れる沈黙の時間。

 ……これはどうするのが正解なのだろうか。


「……またな。仲良くやれよ」


 数秒の思考の後、導き出された答えは撤退だった。一度逃げて、再戦に向けて準備をするのだ。何と戦っているのかは分からないが。

 だが、その思惑は阻まれてしまう。閉めようとしたドアを掴まれて、するりと中に入り込まれる。


「どうしてそんなに逃げようとするんですか?」


 どこかの誰かはこう言った。

 ――大魔王からは逃げられない、と。


 大魔王と呼ぶほどおぞましいものでもないけれど。



 

「粗茶ですが」

「どうもありがとうございます」


 一言お礼を言って、口をつける。

 そんな姿を眺めながら、俺は自身の状況を客観的に分析していた。

 すなわち、中学生女子を連れ込んでいる男子高校生という状況を、だ。


 下手に長居させたら咲希に気づかれるよな。それで、暴れる。そんな姿がありありと浮かんでくるぜ……。


「……あのー、それで今日はどうきったご要件で……」

「なんでそんなにかしこまっているんですか。ただの挨拶ですよ。挨拶」


 挨拶というものは普通、ここまで部屋の中までお邪魔するものなのだろうか。玄関先の対応で終わるものなのではないのだろうか。そんな疑問が過ったが、わざわざ薮は突っつかない主義なので何も触れずお茶を飲む。


「……」

「え、なに。どうかした?」


 お茶を飲む俺の姿を何も言わずに見つめてくるその視線が、何かを訴えているようだった。


「……なんでもないです。あの、ところで最近姉はどうですか?」

「どうとは……?」

「なにか変わったことがあったのではないか、と思いまして」


 変わったこと。そう聞かれて、まず初めに浮かび上がってきたのは修学旅行の件。そして、俺が転校すると打ち明けた一件だった。


「……特には。あ、でも、最近また料理上手くなったぞ。特にカレー」


 簡単だからよく作るのか、カレーだけ手際がとても良い。


「へーそうなんですか。…………ちょっと待ってください。え、待って。は? なんで貴方がそんな事を把握しているのですか」


 それまでつまらなさげだった目が、刃物のように鋭くなる。……懐かしいな、この感覚。


「料理、教えてるの俺だからな。最近では、たまにしか手伝ってないけど」


 一人で作れるようになり、少しずつ俺の役目が終わっていっているような気がする。技術的な面で見てみれば、既に俺と遜色ないしな。あとは本人が定期的に料理やら掃除やらをするという習慣をつければ、完全にお役御免だろう。


「というか、なんでまた急にそんな事を聞いてきたんだ?」


 咲希がおかしな行動言動をしたのか、それとも妹だからこそ察せれたものがあったのか。


「いえ、なんでもないです。ただちょっと――」

「カズくんちょっとアリシアが――」


 アリシアの言葉が終わりきる前に、咲希がノックもなしに入ってくる。そして、部屋の中にいるアリシアの姿を認めるとピタッと動きを止めた。


「…………事案?」

「じゃないからな! ちゃんと見て! お茶飲んでるだけだから!!」


 スマホを片手に首を傾げる咲希の次の行動を制止する。

 危ない危ない。社会的地位を失うところだった。


「それで、どうしたの二人して。何か話しでもしてたのか?」


 部屋に二人きりで話していたことを疑問に思ったのか、そんなことを尋ねてくる。当然、そのことを聞かれると思い、俺は事前に答えを用意しておいた。


「実は、」

「青柳さんが動物園に連れて行ってくれるそうなんです」

「は?」

「ですよね、青柳さん!」


 そうなのか? とでも言いたげな咲希の視線と、分かっているな? と念を押すようなアリシアの視線が両サイドから突き刺さる。


「ま、まあな」


 当然、俺は違うと言えるわけもなく、頬を引き攣らせながら頷くしかないのだった。


 ☆ ☆ ☆


 寒空の下を元気に駆け回る影がひとつ。その後ろを追いかけるように歩く影がふたつあった。


「寒いなー」


 手を擦りながらそうボヤくと、隣から「そうだなー」と同意が返ってくる。


「この感じだと、クリスマスの日には雪が降るんじゃない? 雪!」

「それは勘弁。今でさえ寒いのに、もっと寒くなるのはちょっときつい」


 雪が降る想像をする、テンションの高い咲希にげんなりとそう返す。


「というか、こんな寒い中わざわざ動物園じゃなくてもいいだろ。水族館にしようぜ、水族館」

「水族館はこの前行っただろうが」

「そうだけどよぉ」


 人は空いているわけでもなく、混んでいるわけでもない。まだ年末年始の休みには早い休日だからなのか、寒いからなのかは定かでは無いが。

 そう考えていると、隣からパシャリとシャッター音が聞こえてくる。


「……ちなみに何してるのか聞いてもいい?」

「え? 可愛いアリシアの写真を撮っているだけだけど」

「そっかー……」


 当然のことのようにそう返してくる咲希の言葉に乾いた返答しかできない。どうやら、過度な妹愛は数ヶ月では適温にはならなかったらしい。


「でも、意外だな。アリシアがあんなふうにはしゃぐなんて」

「忘れそうになるんだけど、あたしらよりも年下だからな。寧ろ、あたしはあんな姿が見たいと思ってたよ」


 礼儀正しくどこか大人びた妹には、姉だからこそ思うところがあったのだろう。アリシアを見つめる咲希の横顔は安堵しているように見えた。


「……なんだよ」

「いや。案外ちゃんとお姉ちゃんやってんだなーって思って」

「当たり前だろ。パーフェクト姉なんだから」

「久しぶりに聞いたわ。その単語」


 そのおかしな造語で始まったんだよな、こいつとの関係は。……どんな関係だよ。ほんと。


「……なあ、」

「ん? どうした」


 意を決したように、彼女はこちらに向き直る。


「あのこと、いつ言うんだよ。あたし、あんまり黙っておける自信ないぞ」

「そうだなぁ。……クリスマスパーティーが終わってからにするわ。変に気を使わせなくないから」

「それ、あたしはどうなるわけよ」

「そこはまあ、悪かったよ」


 咲希だけに伝えるべきではなかったと、反省している。気負わせてしまっていることに罪悪感を感じてもいる。だが、


「ありがとうな」

「……気にすんな」


 知っていてなお、いつも通りに接してくれていることに救われていた。

 言ってしまえば、気を使わせてしまって、これまで通りにはいかないんじゃないかと思い言えなかった。でも、彼女はそれを察して、いつも通りに振舞ってくれていたのだろう。

 だから、俺は彼女だけに打ち明けたのだ。無意識で、咲希なら特別扱いをしないと信じて。

 

 本当、面倒くさいな。俺。


「ま、いつ言うのか決めてるんならいいや。それじゃあ、そろそろアリシアのところへ行こうか。じゃないと拗ねちゃうから」

「拗ねる……まあ、確かに」


 そして俺は恨まれる。あのシスコンめ。

 そう言い合って、ゾウを食い入るように見ているアリシアの下へと向かうのだった。


 ☆ ☆ ☆


 空は青から黒へと移り変わり、満足した様子の姉妹と並んで帰路につく。


「楽しかったなー」

「そうだな」

「冬のレッサーパンダ……あれはとてもいいものです」

「そ、そうだな……?」


 レッサーパンダに季節が関係あるのか……?

 ふと疑問に思ったのだが、余韻に浸っているアリシアにわざわざ言うことでもないと堪える。


「また行きましょうね!」

「もちろん!」


 年相応の笑みを浮かべて言うその言葉に、咲希は一も二もなく頷いた。

 それを微笑ましく眺めていると、ちらりとこちらを窺ってくる目がひとつ。


「青柳さんも一緒に……ですからね?」


 言い終わるとふいっと顔を背けて表情をこちらに見せないようにしてくる。だが、顔を背けたことで逆に見えてくる真っ赤な耳が目に入る。


「え、誰この子。めっちゃ可愛いのだが」

「これがあたしの妹です」


 普段の扱いとのギャップというか、こんな扱いをされたことがなかったので、思わず本音が溢れ出てしまった。


「……はあ。なんでもないです。早く帰りますよ」

「照れてるアリシア超可愛い」

「お姉ちゃんうるさい。ちょっと黙って」


 つかつかと俺たちの前を歩いていくアリシアの後ろ姿を、咲希は恍惚の表情で撮っていた。

 え、誰この子。めっちゃ怖いのだが。事案にしか見えない。


「というか、お前ちょっと本音出すぎでは? 姉というか不審者だぞもはや」

「素直に気持ちを伝えることの大切さを学んだからな。こればっかりは仕方がない」

「仕方がないわけあるか。伝えるのはともかく行動にまで移すなよ。本当に不審者みたいだったからな」


 再会して、姉としての理性がゆるゆるになってしまったらしい。失われた年月を取り戻すかのように溺愛するその姿は、事情を加味すれば微笑ましく、傍から見たら不審極まりない。

 とは言っても、不審者みたいだったと伝えても、改善する気はないのか、咲希は気のない返事をするだけだった。



 ようやく家が見えてきたところで、はっと何かを思い出したかのようにアリシアは立ち止まった。


「すみません。青柳さんの部屋に忘れ物をしてしまったみたいで……。取りに伺っても良いですか?」


 さっきまでの照れた雰囲気はどこへやら、いつもの大人びた声色でそう尋ねてきた。


「大丈夫だ。なんなら俺が取ってこようか?」


 俺の申し出は、首を横に振って却下された。


「ありがとうございます。ですが、自分で取りに行きますから」

「……そう」


 というわけで、ドアの前で咲希と別れ、俺と咲希は俺の部屋へと足を踏み入れる。すると、鋭い視線が突き刺さった。


「あの」

「はい」


 いい加減、この感じにはもう慣れてきた。慣れていいものなのかは分からないけども。

 そう思っていると、唐突に向けられていた目の力が緩まった。


「とりあえずは、ちゃんと話せたみたいですね。よかったです」

「あ、ああ。まあ、な」


 そこまで来てようやく察する。今日、アリシアには色々と気を使わせてしまっていたらしいのだと。


「悪いな。なんか、場を作ってもらったみたいで」

「大丈夫です。これは貸しにしときますから。これで前回のと合わせて貸し二ですね」


 ぶいと指で作って見せつけてくる。


「冗談ですよ」

「冗談を言うような目じゃなかったけどな」


 うふふ、と彼女は乾いた声でそう笑った。そして、ふっと眦を落として笑みを見せる。


「今日、楽しかったですから。それでチャラです」

「そうか。それはよかった」


 そんな応酬が一通り終わると、彼女は「さて」と呟いて踵を返した。


「それではこれで。……あ、あと」

「なんだ?」


 ドアノブに手をかけるその瞬間、顔だけこちらに振り返る。そして、


「わたしからのお願い、まだ続いていますよね?」


 そうとだけ言い残して、返答を待たずに去っていくのだった。

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