第38話 ベストフレンドと友達



 どれだけの時間が経っただろうか。

 薄らいだ意識が揺れて、はっと目が覚める。


「やっと起きた」


 ニッと活発な笑みを浮かべると、茂は俺から離れる。


「早くしねーと、メシ始まるぞ」

「……分かってる」


 寝ぼけ眼を擦りながら、のそりと体を無理やり起こす。修学旅行もいよいよ最終日。最後は水族館に寄ったあと、帰宅という流れになる。

 体のあちこちが痛むものの、動けない程でもない。歩き回るだけなら問題ないだろう。

 俺は同じかそれ以上に怪我をしたであろう茂を見てみるが、彼は昨日のあったことなど無かったかのように平然と着替えている。動き辛そうにしていたり、どこか痛がる素振りもない。


「……お前、凄いな」

「何か言ったか?」

「いや何も」


 思わず溢れ落ちた言葉をなんでもないと首を振り、俺も着替えるかと立ち上がる。

 ……にしても。と、もう一度彼の方へ視線を向けた。


「いつも通りでよかった」


 昨日のことを思い出しながら、俺はついついそう零してしまうのだった。


 ☆ ☆ ☆


 水族館内にて。


「ディスイズサメ! かっけー!」


 キラキラと目を輝かせて、大きな水槽にへばりつく咲希。それを俺たちは温かい目で見守るといういつも通りの流れとなっていた。


「本当にどこに行ってもはしゃいでるわね」

「まあ、あんな風に純粋に感情表現が出来るのはあいつの良いところだろ」

「……私は感情が表に出にくいだけなのだけれど、出した方がいいのかしら」

「え……いや、楽しい、とかの感情を噛み締めれるってのも良さだろ」

「……そう」


 それに出にくいと思ってるみたいだけど、意外と出てるからね。表情には出てないけどオーラがね。オーラ。

 それだけ、俺たちと一緒に居ることに良い感情を持ってくれているのなら嬉しい限りだ。


「……あの、オレのこと忘れてないよな?」

「……誰?」

「忘れられてる!? おいこら一葉、オレのことを忘れたとは言わせねぇぞ。彩月さんもなんか言ってやってください」

「…………誰?」

「彩月さんまで!?」


 悲痛な茂の悲鳴が木霊した。


「……まあ、冗談はさておき」

「よかった忘れられてなかった」

「ごめんなさいね」


 花蓮は茂に向き直ると、そう言って頭を下げた。


「え、なに。本気で忘れられてたのか……?」

「いえそっちじゃないわ」


 狼狽える茂の言葉に花蓮は首を横に振って否定する。


「二枝 美紀の処分を私一人で勝手に決めたことに対する謝罪よ」


 花蓮が言うには、こうするということは入水さんには言っていたらしい。だが、茂には言っていなかった。

 元々、彼をここまで巻き込むつもりはなかったのだろう。自分一人で解決するつもりだったのだ。

 頭を下げてそう告げた花蓮。突然の事で戸惑っているのか、茂は固まってしまっていた。


「……おい、茂」


 さすがにこれ以上続くと変に注目を集めてしまうため、茂を小突いて覚醒させる。


「おっ、おう。すまん、ありがと。えっと、彩月さん、顔を上げて」

「わかったわ」


 花蓮は茂の要望に抗うことなく素直に顔を上げた。凄まじい変わり身の速さだことで。


「今回、下手に追い詰めるよりかは、牽制をしておく方が良いと判断したの」

「その理由を聞かせてもらった」


 責めるつもりはないのだろうが、完全に納得していた訳では無い形での幕引き。茂の声は幾分か鋭い声色になっていた。


「そうだったのね」

「それを聞いて、納得は……完全には出来てないけど、理解はしたつもりだ。その判断を責めるつもりはないよ。それに、被害者である恵と一葉が良いって言ったのなら、オレから言うことは何もない」


 俺の方を一度だけ見て、彼ははっきりとそう言った。その言葉に迷いはない。


「一応、結果的に殴られたのだから、貴方も被害者ではあると思うのだけれど」

「その被害者のオレ的には、もうオレらに二度と関わってこないのならどうでもいいんだよ」

「そう」


 言い切った茂を見て、花蓮はそれ以上何かを言うのはやめたようだった。


「そうだ。また今度、恵のとこの旅館に泊まりに行こうぜ。みんなで。奢るからよ」

「……あそこ、海以外に何かあったかしら……?」

「なかなか酷いな。一応、オレの地元だぞ」

「どうせ奢りならもっと遠いところへ行きたい」

「おいこら一葉。そこまで金出せねぇよ」

「ケチケチすんなよ根本。あたし、海外行きたい」

「戻ってきて第一声がそれかよ! というか、藤谷さんは実家に帰りたいだけじゃないそれ!?」


 そう言い合って笑い合う彼らを見て、俺はそっと息を吐く。ああ、本当に。


「一葉、何笑ってんだよ」

「いやなんでもないよ」


 そう誤魔化して首を振る。


「あっ、てかさてかさ、写真撮ろうよ写真!」


 そう言うやいなや、俺たちの手を取って水槽の前まで連れてくる。


「どうする?」

「別にいいんじゃないかしら。せっかく水族館に来たのだし、ね」

「そーだな。オレも同意見だ」


 俺たちが賛同すると、満足そうに咲希は鼻を鳴らす。


「結局、みんなで写真撮ったのなんて初日以来だからねー」


 そういえばそうかと思い出す。昨日は色々あったし、午前中は写真を撮る機会がなかった。


「さ! 撮ろ撮ろ! サメが映りこんだらシャッター押すねー」


 茂、俺、咲希、花蓮の順番で並ばさせると、咲希は自撮りをするかのように手を伸ばし、撮りなれているのか上手く写真に映り込むようにピースをしていた。


 パシャリ。と、微かな音が鳴ると、咲希はスマホを胸に引き寄せる。


「うん、みんないい顔だね!」


 そう屈託のない笑みを浮かべると、俺たちにスマホを持って向けてくる。

 ああ、本当に――。


「確かにそうね。特にそこの男二人は」

「そうか? オレにはいつもと変わらないように見えるが……」


「どう思う?」と茂は俺に水を向けてくる。

 そう聞かれて、もう一度写真をじっくりと眺める。


「俺も、いい顔してると思うよ」


 迷いがなくなって、憑き物が落ちて、悩みが消えた。そんな顔だったから。咲希はいい顔だったとそう言ったのだろう。


「そうかぁ?」


 唯一言っている意味が分かっていない茂を見ながら、俺は再びそう思った。


 ――ああ、本当に。こんな日々が続けばいいな。


 と。


 ☆ ☆ ☆


「つ、疲れたー……」


 月の光を浴びながら、咲希はそう言って息を吐き出す。


「まああれだけはしゃいでたらな」


 修学旅行も終わり、俺たちは帰路についていた。ガラガラとスーツケースを引っ張りながら重い足を動かす。


「タクシー使うんだった……」

「今更だろ。あと少しだから頑張れ」

「カズくん、荷物持ってー……」

「断る。両手背中埋まってるから、渡されても持てるところはない」

「そこはほら、気合いで!」

「こんなことで気合いを使いたくないよ。普通にキツイ」

「ええー……」


 ごねる咲希の歩幅に合わせるように歩く速度を少し落とす。軽口を叩いてはいるが、疲労と合わさりさすがにキツそうだ。


「……お土産だけだぞ」

「え?」

「荷物、少しだけ持ってやる。旅行カバンとかは無理だから、お土産の入った袋ぐらいだけどな」


 おそらく負担はそう変わらないだろうが、気休めぐらいにはなるだろう。


「ん。ありがと」


 俺に袋を押し付けると、咲希は機嫌良さそうに一歩前へ出る。


「いやー、でもさ。楽しかったねぇ」

「そうだな」

「結構長いかなーって思ってたけど、終わってみたら一瞬だったし」

「そうだな」

「本当に……楽しかったなぁ」


 少しだけ寂しそうに言った。

 終わってしまったという寂寥感はもちろん感じるが、後悔も混じっているように感じられた。大事な修学旅行の一ページをあんな事で失ってしまったことの。

 しかし、それでも。そんなことがあったとしても、俺たちとの修学旅行が楽しかったと思えるのだと咲希は言っているのだろう。


「……そうだな」


 前を歩く彼女の顔は当然見えない。見えないが、見えなくてよかったとそう思う。


「卒業旅行、四人で行こうぜ。京都でもいいし、別のところでもいい」


 ピタリと咲希は足を止めた。

 そして、


「そだな! いいな、行こうよ。卒業旅行!」


 眩い笑みで振り返って、そう言うのだった。


 ☆ ☆ ☆


 ドアをゆっくりと開ける。音を立てないようにゆっくりと、静かに。


「ただいまー……」


 小声でそう言いながら入ると、予想外のことに足を止める。消えていると思っていた電気が、ついていた。


「えっ……と、父さん?」

「……ああ。帰ったか」


 机の前で何やら作業をしていた父さんが顔を上げてこちらを見る。


「話がある。すぐに終わるから、ちょっとそこに座りなさい」

「は、はい」


 俺は荷物を部屋の隅に置いて、父さんの真正面に座った。無言の一瞬一瞬が長く感じ、居心地の悪さに身を捩る。すると、父さんは徐に口を開いた。


「長期出張をすることになった。他県になるから、ついてくるなら転校することになる。お前はオレについてくるのか、ここに残るのか。一月までに決めなさい」


 と、そんな選択を突きつけてきた。

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