第37話 ベストフレンドはヒーロー



「……なあ」

「なんだ?」

「生きてる?」

「返事をした。それが答えだ」

「そんな……っ、茂……!」

「いやなんでだよ。お前の中では死体が喋るのかよ」


 ボロボロになって宿泊施設へ向かった結果、部屋で安静にしてろと言われてしまった。

 花蓮と話し合った結果、うちの高校には事情を話さないということになったため、当然のように明日も修学旅行は続く。まあほとんど帰るだけだが。何度も言っているが。


「つーかよ、転んだって主張は見苦しかったんじゃねぇか?」


 ここにたどり着いた時の事を思い出していたのか、茂が唐突にそう言ってきた。


「しょうがないだろ。本当のこと言うと、大事になる可能性が高かったんだから」

「そうは言ってもよ、あっちの高校から連絡が来るかもしれねぇじゃんかよ」

「ま、その時はその時だ。その可能性は低そうだけどな。あの教師の態度を見るに」


 実際にはどうなるかは分からないが。

 そう答えると、少しのあいだ沈黙が続いた。


「……悪かったな。多分だけど、大事にしなかったのはオレのためだろ」


 なんだ、そんなことか。

 茂は、俺たちがこの一件を大事にしないのは自分のためだと思っているようだった。大きな大会を控えた状態で変な噂が流れないようにしている、と。

 だが、それは間違いだ。確かにそれもある、が。


「気にするな。花蓮のやつ、最初から大事にするつもりはなかったみたいだし」

「そうなのか?」


 証拠を出しても、あちら側の対応次第では有耶無耶になる可能性があったし、何よりすべての責任を武政に押し付ける可能性もあった。そう考えると、上手く逃げられるよりも確実に罰を与える方が得だと考えた、とのこと。

 そう説明してみるが、茂は何やら納得がいっていないようだった。


「本当にそうか? 声、撮ってたのだったら言い逃れ出来なくないか?」

「そうは思ったんだけどな。なにせ相手は可憐な美少女。脅されて無理やり、だなんていくらでも言えるし、それにそこを認めたとしても主犯だったと問い詰めることは出来ない、だとよ」


 二枝 美紀と武政の関係がどれほどのものだったのかは分からないが、武政が一人でやったと主張すれば、否定する術はないだろう。


「ま、これ以上なにかして来れないように手は打つって花蓮が言ってたから、その辺は大丈夫だろ」

「そうだといいけどよぉ」

「ちゃんと、あいつの保護対象にはお前の幼馴染も入っているよ」


 俺がそう言うと、茂はぴくりと反応を示した。


「……オレ、お前に言ったっけ? そのこと」

「あー……。まあ、たまたま知ることになってな。別に花蓮のせいじゃねぇぞ」

「そうか。いや、責めるつもりはねぇよ」


 そう否定し終えたあと、再び「そうか」と言って、布団を深く被り直した。

 チクタクと時計の針の音が耳を打つ。疲れからか眠気が襲ってきた頃合に茂は布団の中から声をあげた。


「……オレぁ全然ダメだな。ほんと、何も出来なかった」


 悔いるような、恥じるようなそんな声色だった。


「結局、全部彩月さんにやってもらってばかりでよ。情けねぇ」

「そんなことないだろ」


 なぜか分からないが、ここだけは否定しないといけないと、そう思った。


「お前、助けに来てくれたじゃねぇかよ。俺のために、武政を殴ってくれた」

「あれは自分のためだよ。それに殴っただけだ。後処理も何もかも彩月さんがやってくれた」

「それでも、だ。あの時あの場所で俺を助けてくれたのはお前だ、茂」


 体を起こして、彼の布団へと言葉を投げつけるがそれっきり言葉は返ってこない。


「お前が来なかったら俺はもっと酷い目にあったかもしれない。というか、あっただろうな。殴られて、蹴られて、もっと情けない姿を見せたかもしれない」


 あの時の俺は、自分から状況を作り出したのにも関わらず、心が折れそうだった。情けないことに。だから本当に、あの時あの場所に茂が来てくれた時は嬉しかった。安心した。もちろん、申し訳ないとか、試合があるだろとも思ったが。


「……そうは思えないけどな」

「なにその高評価。俺こそ今回何も出来てないよ? ほとんど殴られただけみたいなところあるし」

「お前はそれが価値のある行動だったんだろうが。殴られた時の音声を撮る必要があった。そしてそれは、証拠になった。何も出来てないだなんて、ないだろうが」


 そうでもない。

 確かに俺はあの状況を考えた。けれど、結局のところあの状況になるように場を調節したのは俺でも、花蓮でもない。咲希だ。

 俺の手柄なんて、花蓮の詰めと咲希の助力がなければ意味などなかっただろう。だが、これを彼に言ったところでどうしようも無い。彼が言いたいのは、そんな事では無いのだから。


「オレだけが何も出来てねぇ。昔も、今も」


 抜け出す先のない懺悔はその場に重々しく残り続け、そして次第に消えていく。だが、俺はそれを許さない。失敗でしかない懺悔で消えていくことを認めなてはならない。


「お前は役に立ってるよ。今も、それこそ昔も」

「……」


 立ち向かった人だけがヒーローなのだろうか。悪を倒した人だけが正義の味方なのだろうか。


「……中学の頃、入水さんと一度だけ話したことがあったんだ。どうして耐えられるのか、って聞いてしまってよ」


 不躾な質問だっただろう。だが、彼女は困ったように笑って答えてくれた。


「『こんな私でも、友達だって言ってくれる人がいるから』だってよ。会いはしなかったけど、そいつとはたまに連絡を取り合ってたんだって」


 子供を抱えて逃げる親。避難誘導をする警官。辛い時に寄り添ってくれる家族に友人。彼らをヒーローと呼ばないのだろうか。


「何もしないことが、救いになることだってあるんだよ。いつも通りに助けられることだってあるんだよ」

「……そんなの、結果論じゃねぇか」


 結果論。そう、結果論だ。

 結果的に助けになっていただけ。あとから見たら、振り返ってみれば、良い結果になっていただけ。


「結果論。それの何がいけない? 結果的に良かったのなら万々歳だろ」


 結果的に悪い方に転がって、正義が悪に変わることだってある。正義と悪は紙一重。どちらになるかは分からない表裏一体。

 そんな曖昧で不確かなものなのだ。


「誇れよ、茂。お前は間違いなくヒーローだ」


 入水さんは茂が居なかったらきっと、花蓮が助ける前に倒れてしまっていただろう。

 茂が、添え木のように彼女を支え続けたからこそ、彼女という苗は暴風豪雨を受けても耐え抜けたのだ。


「それに、だ」


 わざと言葉を区切って、彼の布団に視線を向ける。茂はほんの数分前とは違った顔つきでこちらをうかがってきていた。


「今回も誰かの救いにはなってると思うけどな」


 ☆ □ ☆ □ ☆


 ホテルの一室で、二枝 美紀は苛立ちを鞄に込めて床に投げ捨てる。その様子を呆れた目で見ているのは、彼女の担任の女教師だ。


「それじゃあ、私は会議に出るから部屋から出ないようにね」


 数時間にもわたりお説教を受けたあと、二枝 美紀は修学旅行の間の謹慎を言い渡された。もちろんクラスメイトと同じ部屋などではなく、教師と同じ部屋に変更になった。


「あーもう。うっざ」


 悪態をつきながらこれからのことを想像して気が重くなる。みんなの前で自分のした事を言うだなんてことはしないだろうが、少なくとも数週間の停学はあるだろう。その時、友達にどう言い訳をするべきか、と頭を悩ませる。

 詳細は言わなくても、旅行中に相応しくない行動をした、ぐらいの説明はされるだろうから、その辺と齟齬がない理由にしなければならない。


 数分間ほど頭をひねるが、そうそういい案は出てこない。言い訳を考えるのは一旦やめて、武政に連絡を取ろうと思い至る。


「あいつに頼んどこっかぁ。どうしよ。家まで行って家族含めて脅してもらう? いや、それだと騒ぎになるから狙うべきは個人よね……」


 そう考えていると、ちょうどピロリンと通知を知らせる音がスマホから鳴った。思考を中断してスマホに視線を向けると、そこには簡潔に『縁を切る』という一言だけがあった。


「はぁ!?」


 二枝 美紀は慌ててスマホを手に取ると、武政へ電話を鳴らす。そして、計六回にも及ぶコール音のあと、不機嫌そうな武政の声が聞こえてきた。


『なんだ?』

「なんだじゃないわよ! どういうつもり!?」

『そのままの意味だ。これ以降連絡入れんじゃねぇぞ』

「はあ!? だから、なに勝手なこと言ってんのよ!」


 ヒステリックに叫ぶ二枝 美紀とは対照的に、武政はらしくもなく冷静だった。呆れたようなため息が電話口から聞こえてくる。


『オレぁ、てめぇがカスだろうがクズだろうがどうだっていい。惚れた弱みってやつだ。でもな、オレの力だけを頼るのはてめぇのためにならねぇ。何でもかんでも力で解決出来るわけじゃねぇしな』

「あんたなんか居なくても、どうとでもなるから。何勘違いしてんの?」

『そうか。ま、好きに生きてくれや。手段を一つだけしか持たねぇガキじゃなく、十でも百でも使える大人になるんだぞ』


 彼が二枝 美紀にだけ向ける優しい声音。そんな声で、大人が子供にものを教えるように、そう言った。それが、本当に最後の餞別のようで――。


「病気にだけは気をつけるんだぞ。……柄じゃねぇってのは分かってたけどよ。本気でてめぇのこと、好きだった」

「え、ちょ待っ――!」


 ツーツーと通話が切れた音が鳴る。それ以降、何度かけ直しても武政が電話に出ることはなかった。


「ちっ。なんなのよ、あいつ……!」


 最後の言葉が気にかかり、二枝 美紀は椅子を力任せに蹴り飛ばした。


「あーもう面倒くさい。いっその事、あいつらの噂でも流してやろうかしら」


 学校の裏掲示板なり、なんなら友達にでも噂話として話せば、瞬く間にあいつらの学校まで広められる。それだけの影響力が二枝 美紀にはあった。


 ――そこに、通知が一つ届いた。


「……『これ本当!?』……?」


 不思議に思いメッセージを開く。するとそこには、ラブホに入っていく二枝 美紀と武政の後ろ姿があった。


「は……!?」


 いつの間に。誰が。と言う疑問が頭を過ぎるが、すぐにあいつらの仕業だと思い至る。だが、時すでに遅し。

 次の瞬間には、一斉に通知音が鳴り響く。

 信じられないといったメッセージから、『彼氏いたんだ、おめでとう!』『旅行中にラブホ行くとかwwwやばww』といったメッセージまで送られてくる。


「は……ちょ……」


 ピシリ、と。二枝 美紀という仮面に一筋のヒビが入ったのを自覚する。


 ――ピロリン。


 新しいメッセージは、知らないアドレスからだった。

 それには、簡潔なメッセージと動画のみ。


『不審な動きがあった場合、これをばら撒きます』


 添付された動画は、茂が倉庫に現れてからの一部始終が撮られた動画だった。

 誰が、という疑問の前に答えが出てくる。

 人を見下したような、バカにしたような、氷像のような表情が二枝 美紀の頭に浮かんできた。

 そして――、


「あのクソ女あぁぁぁぁぁぁ!!!」


 彼女の空気を切り裂くほどの絶叫は、部屋の壁を突き破り、ホテルの廊下にまで響き渡るのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る