第35話 ベストフレンドは逃げない



 まずいことになった。

 鈍くなっている思考を総動員して、今の状況を整理する。

 

 捕まった俺。

 助けに来た茂。

 その茂が武政を殴りつけた。


 ここから導き出されるのは――喧嘩だ。


 喧嘩はまずい。というか、俺はともかく茂が怪我するのはまずい。


「おい茂、逃げろ!」

「何言ってるんだよ逃げるわけねーだろうが!」

「いや逃げろよ! お前怪我するかもしれないんだぞ!」


 大声を出してしまったせいか、全身に針が突き刺さるように痛みがはしる。だが、言わなければならない。茂のためにも。


「県大会! あるんだろうが! そのために頑張ってたんだろうが! 今怪我すると試合に出られなくなるぞ!」


 痛みに堪えながら精一杯に声を張り上げる。

 緩いだのなんだの言っていたが、こいつが部活動に本気で取り組んでいたことぐらい知っている。それをこんな事で邪魔をする訳にはいかないのだ。


 俺の言葉が効いたのか、茂の注意が武政から一瞬だけ逸れる。それを察した武政はその隙を狙って茂の頭に一発拳を振るった。


「茂っ!」


 当たりどころが悪かったのか、鮮血が床に飛び散る。


「あ?」


 だが、茂は武政を逃がさないように襟首を掴むと武政の顔面に鋭いストレートを喰らわせた。


「うるせぇよ、一葉」


 ゆらりと立ち上がると、彼は額を伝う血をぐいっと拭った。そして、力強い瞳でこちらを睨む。


「オレぁはダチを見捨てる言い訳するために部活やってんじゃねぇんだよ」


 その声に含まれているのは、鬱屈とした怒り。

 それはどこか自分に向けているようであった。


「ここで逃げたら、試合に出るよりも大事なものをなくすんだ。だから、できない理由にはなりはしねぇ」


 もう既に俺の事は視界に入っておらず、彼は武政と、そして二枝 美紀を見ていた。


「何ぼーっとしてんだよ。さっさと逃げたらどうだ?」

「ぶっ殺す!」


 武政は音を立てながら近づいて、拳を突き出すが茂はそれを軽く受け流す。そして腕を掴んで後ろに回し捻りあげる。


「だァクソが、鬱陶しいんだよ!」


 それに武政は力任せに振り払い茂の顔を掴むと顔面に膝をめり込ませる。続いてよろめく茂の腹に蹴りを入れて吹き飛ばした。


「はっ、もう終わりか?」

「舐めてんのかクソガキが」

「同い年だろうが、ガキ」


 執拗に武政を煽り続ける茂。そんな彼の姿を見て、ようやく真意を察した。おそらくはこの隙に逃げろと言っているのだ、と。


 鈍重な身体に鞭を打って、武政に気づかれないように立ち上がる。しかしその瞬間、二枝 美紀に蹴り飛ばされてまたしても床に這い蹲ることになる。

 彼女の眦はキリキリと上がっていて今にも襲いかかってきそうな様子だった。


「……っ、何しやがんだ」

「なんで余計なやつが来るんだよ。ねえ!」


 詰めが甘いからだろ、とそう思ったものの反抗すればもっと酷い目に合うと思って口を閉ざす。


「……」

「なんとか言いなさいよ!」


 ヒステリックに叫びながら腹に脚を蹴りつけてくる。……武政が来るよりかはマシか。後のことを考えるならば、今動くのが最善だ。


「……なあ、なんでこんなことをする」


 痛みを堪えながら問いかける。答えない可能性もあったが、感情が昂って口が軽くなったのか馬鹿にしたように笑うと口を開いた。


「はあ? そんなもの決まってるでしょ。仕返しよ、仕返し」

「仕返しって……」

「あの女が中学の頃やってきた事のに決まってるでしょ」

「あれは自業自得だろ」


 いじめて、それがバレて、怒られた。たったそれだけ。当たり前だが、妥当ではない罰。


「自業自得? どこが?」


 だが、それはこのプライドモンスターにとっては耐え難い屈辱だったようだ。


「ちょっとからかって遊んでただけなのに、それをいじめだって言って問題を大きくして責められるのよ。酷いと思わない?」

「やってたことはどっからどう考えてもいじめだろうが」


 暴力に暴言に脅迫に人権の侵害。犯罪だ。なんなら今やってる事も暴行に拉致誘拐と立派な犯罪だが。


「仮にいじめだとしても、一度の過ちに対する罰が酷すぎるのよ。その行き過ぎた分をあの女たちで調整してるの」


 当然の事のように、疑いもない事実を述べてるかのようにそんなことを宣う二枝 美紀。

 この女の言うことがまったく理解できなかった。


「……お前の受けた罰ってのは厳重注意と一週間の停学だけだろうが。そのどこが行き過ぎてるんだ」


 罪にしては甘すぎる罰。学校の評判を気にした教師側は、あろう事か「一度の過ちぐらい」と「大事にならなかったのだから」と言ってその程度で済ませたのだ。これには花蓮も講義に行ったようだが、結局取り合って貰えず、再犯を絶対に起こさないと約束させるぐらいしか出来なかったそうだ。


「行き過ぎてるでしょ。あれのせいで、私の評判がどうなったと思う? ガタ落ちよ」

「それこそ自業自得だろうが」


 しかもガタ落ちと言うが、結局この女はスクールカーストの上位のまま卒業していきやがった。彼女のいうガタ落ちというのは、トップから上位に転落したこと、事件が明るみになったことで何人かの生徒が取り巻きを辞めたこと、悪い評判が中学で出回ったことを指しているのだろう。


 だが、そんなものはいじめという事実が露見した時点で、花蓮の存在の有無に関わらず起きていたことだ。


「私はね、一番じゃなきゃ嫌なの。あの根暗の女のせいで、輝かしいはずの中学生活に傷が入った」

「おかしいのはお前だ。お前のせいで、入水 恵の中学生活が壊されたんだぞ」

「は? いやいや。私とあの根暗女とじゃ価値が違い過ぎるでしょ」


 ケラケラと嗤う二枝 美紀の姿がどこか悪魔のように見えてきた。プライドモンスター。その表現がしっくりと来る。

 プライドが高いが故に、自らを高尚だと思い過ぎるが故に、当たり前が許容できず一つ傷ついただけで喚き恨む。


「お前怖いよ」


 恐ろしい。被害者面をして暴れ回る人間は。被害者だと勝手に思い込んで、復讐してもいいと、する権利を持っていると勘違いする人間は。


「らぁっ!」

「ぐっ……!」


 武政の気合いの入った声で意識が再び引き戻される。彼らは互いにボロボロ。しかし今の攻撃は効いたのか足下が覚束ない様子だ。


「……はあ。餌をもうひとつ増やせば連れてこれるかしら。でも、電話が繋がらないのよね……」


 二枝 美紀は俺から視線を外してスマホを見る。

 武政も注意は茂に向けられており、今の俺は完全にノーマーク。逃げるなら今だ。

 ――逃げたら、茂はどうなる?


 茂と武政の二人の会話が聞こえてくる。

 

「てめぇはよぉ、なんであんなクソ女の言うこと聞いてんだ」

「あ?」

「惚れた弱みか? くっだらねぇ。彼氏ならちゃんと彼女の手綱を握っとけよ。なんでもかんでも言うこと聞いてんじゃねぇぞ」


 立ち向かうか、逃げるか。

 下手に立ち向かって二人捕まるよりかは、逃げて助けを呼ぶ方が良いか? でも、その間に茂になにかあったらどうする?

 心臓の鼓動が早くなる。息が乱れ、汗が額から伝って落ちていく。最善なんてない。どちらも最悪の可能性を持っている。


 怖い。また失敗して、失ったら――。


「間違ってる時に何もしねぇのはただの逃げだ。そいつのために、嫌われたとしても正してやるのが愛ってもんじゃないのかよ」


 ――違う。あれは、間違えたからじゃない。何もしなかったからだ。何もしなかったから、失ったんだ。


「うおらああああああああぁぁぁ!!」


 自分を鼓舞するように声をあげて、武政に突撃する。


「……なんだテメェ」


 すぐにぶん殴られ振り払われたが、一瞬だけ茂から注意を逸らすことに成功する。派手に倒れた瞬間、一瞬だけ茂と目が合った。――頼んだ。


「任せろやこらぁっ!!」


 茂は武政に近づくと、彼の頭を目掛けて思いっきりぶん殴った。武政の巨体がぐらりと揺れる。そして――。


「クソった……れがぁ!」


 ドサリと音を立てながら床に倒れ込んだ。


「よっし……!」


 武政が倒れたことを確認すると、安堵か疲れか茂もその場に倒れ込む。

 武政を倒しても、まだ二枝 美紀が残っている。けれど、俺はさっきの一撃か、倒れた時の当たり所が悪かったのか、上手いこと体を動かせない。茂もすぐには動けそうもない。


「ちっ。なんでこんなことに……!」


 忌々しげに舌打ちをしたが、今の状況を理解したのか余裕そうな態度に戻る。


「仕方がないわね。とりあえず今日は、こいつらの弱みを握って――!」


 その時。倉庫の中に声が響き渡った。


「そこまでよ!」


 それは、芯のある真っ直ぐとした声で。

 走ってきた後だとは思わせない、汗ひとつない顔で。

 そして、鬼を想起させるほどの気迫を持って。


 彩月 花蓮はその場に現れた。

 

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