第33話 ベストフレンドは殴りかかる



 ――冷たい感触で目を覚ます。


「ゲホッ……ガホッ……!」


 少し冷たい秋の風が濡れた肌を撫でていく。寒い。

 ゆっくりと目を開けると、そこには二枝 美紀とあの大男が目に映る。


「おはよう。ようやく起きた」


 鼠を痛めつける猫のような目をした彼女は、涼しげにそう言葉を投げつけてくる。俺は彼女を睨みつけながら立ち上がろうとして、そこでようやく違和感に気がついた。


「……なんの真似だ」

「え? ただ手を縛ってるだけだけど」


 手を縛っているのがただ、で済まされる状況なわけないだろ。


「ああ、足を縛ったりどこかに縛り付けたりしないだけ感謝しなさいよね」


 そんなことに感謝するかよ。

 そう心の中で悪態をつきながら、勢いで何とか立ち上がろうとする。が、途中で二枝 美紀により蹴り飛ばされてしまい、またしても床に倒れ込んでしまった。


「痛てぇ!」

「私、立っていいなんて言ってないんだけど。勝手なことしないでくれる?」


 俺は横たわりながら、はんっと鼻で笑いながらそう言ってくる彼女を睨みつけることぐらいしか出来ない。今歯向かえば隣の大男に殴られることぐらいわかる。


「まあとりあえず。武政、ある程度殴っといてくれる?」


 訂正。何もしなくても殴られるようだ。

 何とか逃げようとするものの、両手を縛られ倒れている状態で素早く動けるはずもなくすぐに捕まってしまう。

 そして、武政と呼ばれた大男は俺を見下ろしながら拳を振り上げた。


「悪く思うなよ」


 ゴッと鈍い音と共に視界が暗転して、遅れて鈍い痛みがやってくる。力任せなその拳はまたしても顔に振り下ろされる。今度はどこか切れたのか、視界に赤いなにかが映り込む。

 

 そしてまた、拳が振るわれる。何度も、何度も、何度も。


 


 あれからどれぐらいの時が経っただろうか。考える気力もなければ余力もない。機械のように無機質にただ呼吸を繰り返すだけ。


「おい、生きてるか?」

「……っ」


 無造作に髪を掴まれて顔をのぞき込まれる。どす黒く濁りきった瞳の中に俺の顔が映し出される。


「はっ。いい顔してんじゃねぇか」


 満足そうにそう言うと、ゴミを捨てるように投げ捨ててきた。冷たい床に全身を打ち付けながら倒れ込む。


「……てぇな」


 蚊の鳴くような声だった。

 彼の瞳に映されていたのは弱りきった俺の顔。――恐怖に染まった俺の瞳。

 彼は僅かな間で暴力を持って心をへし折ったのだ。僅かであれど、深い傷を刻み込んできたのだ。


「で、こいつどうするよ」

「ん、あー、終わったの?」


 こちらに興味すらないのかスマホを弄っていた二枝 美紀が俺の惨状を目にすると、すぐにふいっと武政の方へ向いた。


「まあいいんじゃない。別にこいつはどうだっていいし」

「んで、これからどうするんだよ。こいつボコして終わりってわけじゃねぇんだろ?」

「本命はこれからよ。こ、れ、か、ら」


 彼女は妖しく瞳を光らせると、スマホの上で指を滑らせる。


「もしもし。彩月さんですか?」


 鋭い爪を裏に隠した穏やかな声。そんな声で紡がれた名前を聞いてようやく鈍い頭が回り出す。

 ……ああ、そうだ。二枝 美紀の目的は俺じゃない。彩月 花蓮のはずなのだ。

 そんな当たり前のことを今更になって再認識する。


「昨夜ぶりですね、彩月さん。……ああ、切らないでください。私が今、あなたに電話してるってことは……分かるでしょう?」


 彼女の目が愉悦に歪む。声も心做しかさっきよりも弾んでいるように感じる。


「え、無事かって……無事ではないわね。可哀想なことながら」


 ちらりとこっちを見てくると、楽しそうに電話の向こうの花蓮に向かってそう返した。


「あっはっは。怒らないでよ。落ち着かないと、大事なだぁいじな彼の指、どうなっちゃうかな?」


 その言葉を受けて一歩武政が俺に近づいてきた。それに俺は思わず体を強ばらせてしまう。


「彼を返して欲しかったら、一人でここに来てください。もちろん、先生や警察に言うのは禁止ね。それを破ったら……言わなくてもいいでしょ」


 俺に危害を加えるのだと、暗にそう言っているのだろう。さっきから武政が指を鳴らしてこちらを威嚇してくる。


「場所はー……そうだ。彼に教えて貰ったらどうかな」


 そう言って彼女は、俺に向けてスマホを突き出してきた。


「彩月さんが来たら、あなたは解放してあげる。来なかったら、あなたが酷い目に合う。さぁ選んで」

「ぁ……」


 言ってはダメだ。そんなことは分かっている。解放される保証はないし、解放されたとしても待っているのは元には戻らない日常。ここは言わないのが正解だ。


「場所、わからないの?」


 なかなか答えない俺に苛立ちの含んだ言葉が突き刺さる。場所はわかる。昨日迷ってたどり着いた無人の倉庫だ。窓から見える外の様子に見覚えがある。


「はぁ……めんどくさ。武政」


 二枝 美紀がそう吐き捨てると、それに反応した武政が俺な頭を掴むと 床に叩きつけてきた。


「あっ……!」


 叩きつけられる度に呼吸が止まり、血を失っていっているのだということがわかる。痛い苦しい痛い痛い苦しい痛い……っ!


 痛みよりも何十倍にも武政から恐怖を与えられ続けることが恐ろしい。彼が近づくだけで足がすくんで呼吸が荒くなる。


「……もう一度聞くわ。自分が今、どこにいるのかさっさと言いなさい」


 脅迫のような、命令のような、そんな強い口調で彼女は言った。

 大丈夫だ。近くには咲希や茂、本堂に江澤がいるはずだから普通に助けを求めればいい。きっと、何とかしてくれるはずだ。きっと、だいじょ――。


「――今日行った坂の裏路地だ! 坂の一番上の端にある小道の奥に進んだ先の小屋にいる! 早く助けてくれ!!」

「はぁ!?」


 二枝 美紀は舌打ちすると、慌ててスマホに向き直る。その慌てた様子に俺は少しだけ気分が良くなる。


「正解は倉庫――」

「こいつらは騙す気だ、だからこいつらのことは信じるなっ!」

「ちょっ、うるさいっ!」


 力任せの蹴りが俺の脇腹を抉る。武政の拳よりはマシだが、ボロボロの体にはキツすぎる。俺は呻き声をあげながら床を這う。


「もう一度言うわよ正解は――」

「了解、カズくん!」


 明らかに花蓮の声では無い力強い返事が、スマホの向こうから返ってくる。


「はぁ!? ちょっと! 切れてるんだけど!!」


 苛立たしげにスマホを叩き、再度電話をかけ直す。が、繋がらないのか奇声を上げながら俺のスマホを床に叩きつけて地団駄を踏んだ。


「あんた……っ、勝手なことをして……!」

「お……前が選べっていったんだろうがよ……っ!」


 はっ。とバカにしたように笑ってみせると、顔を真っ赤にして何度も何度も蹴りつけてきた。


「昔っから気持ち悪いのよそういうところが! 私があの根暗女と遊んでやってる時も、先生を連れてきたりしやがって……!」


 これまで溜まっていたストレスを発散させるように、勢い任せに蹴ってくる。


「気づかれてないとでも思った? あの女が邪魔しなきゃ、次の標的はあんただったから。こそこそと動いて、守ってやってるぜってヒーロー気取り? そういうのめちゃくちゃ気持ち悪いんだよっ!」


 最後に一度力任せに蹴り上げると、ようやく満足したのか肩で息をしながら後ろに下がった。


「それじゃあ武政。こいつもう壊していいよ。ってか、潰して」

「あーはいはい。わかったよ」



 あれから、床に押し倒されて何度も何度も殴られた。意識が飛びそうになる度に、水をぶっかけられて強制的に意識を呼び戻される。

 そんなことが繰り返されて、俺の感覚は麻痺していった。何も感じず、ただただ痛いのを堪えるようになった。


 

 その時。力強く足を踏み込む音が聞こえてきた。

 


「あ?」


 当然武政も気がついたのか、殴るのを中断して後ろを振り返ると――


「オレのダチに何してんだてめぇ!!」


 拳が、武政の頬を盛大に殴り飛ばした。

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