第31話 幼馴染は対立する


 ☆ □ ☆ □ ☆


 ――時は少し遡る。

 カツンッと床を叩く音が聞こえてくる。

 誰かが来た。おそらくは彼女だろう。それを察しながらも私は窓から見える夜の景色を眺めていた。


「久しぶりですね、彩月さん」


 ふわりとした声色。優しく響くその声は私は昔から嫌いだった。


「……ええ、そうね。二度と会いたくなかったけれど」


 それはあちらも同じだと思っていたのだが、どうやら彼女の執念深さを私は読み間違えていたらしい。

 黒い艶やかなセミロング。微笑みともとれるほど薄く開いた瞳はどこか猛禽類を彷彿とさせる。


 ――二枝 美紀。


 私と彼の元クラスメイト。それだけの関係。


「まさか修学旅行先が一緒な上にホテルまで一緒だなんてね。こんな偶然、あるものなのですね」

「行き先が一緒なのは珍しくないでしょう。昨今はグローバル化が進み海外に行くところも増えているけれど、それでも古き良き伝統として京都に行く高校は少なくないはずよ」

「それでも、ホテルも一緒というのはどこか運命みたいじゃない」

「そんな運命なんて願い下げだけれどね」


 軽い応酬。これだけで彼女が昔話や過去の謝罪に来た訳では無いことを悟る。彼女が謝りに来るだなんて一ミクロンも無いとは思っていたけれど。


「それで要件は何かしら。特に用事は無いけれど、貴女に時間を割けるほど私は安くないわよ」

「酷いです。ただ昔話をしに来ただけなのにそんなことを言うだなんて……」


 薄らと涙を浮かべてみせて、傷ついたように振る舞う彼女。やはり流石だ。決して尊敬は出来ないけれど、嘘泣きだけは本当に上手い。


「一応言っておくけれど、何かしようって言うのなら辞めておいた方がいいわ。友人に貴女と会うって伝えたから、私に何かあれば真っ先に貴女が疑われるわよ」


 とりあえずは牽制をしておく。今日この場でなにかしてくることは無いとは思うけれど、こちらにも用意はあるとチラつかせておくことが重要だ。そうすれば、迂闊に実力行使はしてこれない。


「へぇ……。あなたに友達なんて、いたんですね」

「ええ。とても良い子よ」


 だからこそ、あの娘に彼女を合わせたくは無い。だからこそ彼女には私が誰と会うかは言っていない。これで、もし何かあっても彼女に被害が及ぶことは無いはずだ。


「じゃあやっぱり……また自分の友達が酷い目にあったら辛かったりする?」

「また、とはどういう事かしら。私は友人が酷い目にあったことなんてないのだけれど」


 記憶を辿ってみるが、それに該当する人は見つからない。

 彼はその……友人、と呼ぶには些か仲がその……ふ、深すぎるような気もするし、除外してもいいでしょう。


「あの娘は友達じゃないんだぁ?」

「あの娘、というと……入水さんかしら。あの娘は友人ではないわ。知り合いではあるけれど」

「……ま、どっちでもいいです。それで、答えを聞かせてもらっていないんだけど?」

「辛いかどうか、ね。それは辛いわね。特に貴女なんかに、という前提がつくなら尚更に」


 言葉を交わせば交わすほどに空気が悪くなってくる。どうしてこんな話をわざわざ、とは思うものの、薄ら笑う彼女はどこかこれを楽しんでいるようだった。まるで、檻に閉じ込められたライオンを見るような。


「いい加減、この無意味なやり取りを終わらせましょうか。お互い、こんな姿を他人には見せたくないでしょう?」


 彼女の思惑がなんであれ、私は彼女の存在そのものにうんざりしていた。せっかくの修学旅行。彼と、大切な友人たちとの時間は柄にもなく楽しみにしていたのだ。その時間を奪うことも穢すことも私は許せない。


「ははっ。怖いよ、彩月ちゃん」


 昔に聞いた事があるその声色は、忌々しい過去を想起させる。知らず、私の声に棘が含まれた。


「貴女がやってきたことを考えると、警戒ぐらいはするでしょう。あと、いい加減にその態度はやめなさい。気味が悪い」


 私の吐き捨てるような言葉に、彼女は反論も無視もせず「そう」とだけ答えた。その瞬間、ギリギリ保たれていた清らかな雰囲気は霧散して、残ったのは暗く汚れた笑みと瞳だった。


「入水ちゃんのこと、もちろん覚えてるよね?」

「ええ。貴女にいじめられていた……いえ、暴言や暴力を浴びせられていた女子生徒よね」

「暴言や暴力だとかとんでもない! ちょっとした弄りだよ、弄り。それを大袈裟に受け取っちゃってさぁ、迷惑だよねぇ」


 まるで自分は悪くないのだと言い張る姿に、嫌悪感を抱く。


「水を浴びせたり、教科書を破り捨てたり、階段から突き落としたり、裸の写真を撮ったりした事がちょっとした弄り?」

「いやいや。私聞いたのよ、あの娘に。『大丈夫よね?』って」


――そしたら、大丈夫ですって返ってきたの。


「なのに、先生に話を聞かれた途端にいじめだって言い張っちゃって……酷くない?」


 もちろん、これは同意を求めてきている訳では無いのだろう。そんなもの、顔を見なくても分かる。


「ああそれと。彼のことも覚えてる? なんだっけー……植村くんだっけ」

「……植木くんの事かしら」


 わざとらしい言い回し。わざと名前を間違えてみせて、侮辱して、自分が強者なのだと見せつけているつもりなのかしら。


「彼も酷いよね。私がいじめをしてるだなんて根も葉もないことを言い出したくせに、言うだけ言って転校しちゃったもの。きっと、転校するから最後にそんな悪評を広めようだなんて馬鹿なことをしたのよね」


 そんなはずがない。植木くんが転校すると決めた理由は、そのすぐ後にあった。その事はクラスの誰もが知っていること。


「まあ、だから、という訳でも無いのだけど罰があったったのよね。他校の不良に絡まれたらしいし」


 二枝 美紀がいじめを行っていると、訴えてやると、そうされたくなければそんなことをやめろと。そう彼女に言ったその日に、彼は襲われた。

 徹底的に体を痛めつけられたそうだ。


 ――そして彼は、次の日も襲われた。


 家から出た瞬間を狙われたそうだ。そして次の日も、その次の日も。彼が家から出てこなくなったら、今度は脅迫まがいな電話が毎日来たそうだ。

 そしてその結果、彼とその家族はどこに行くかを誰にも言わずに唐突に姿を消した。


「……それで、結局のところ何が言いたいの? ただ昔話をしに来ただけなら帰ってもいいかしら」

「中途半端に助けようとすることって、酷いことだと思わない?」


 一歩踏み込んで上目遣いでこちらを見てくる。


「大した力も持っていないのに逆らうからそうなる。防護服を着ないままで蜂の巣を突くようなものだよ」


 ドロリとした目が私を捕らえる。


「……この例えはちょっと違うか。だってそのしっぺ返しは助けようとした人だけじゃないもんね。助けられかけた人も酷い目に合う」

「……それは、彼が襲われたのに自分は関与してるっていう自白?」

「やだなぁ。例え話ですよ」


 声が冷たくて、薄ら寒い。そして、口は三日月の様に裂けて嘲笑うかのように言葉を紡いだ。


「そういえば、知ってる? 入水 恵ちゃん、旅館のお手伝いをしているんだって」

「貴女……っ!」


 鋭く抗議の声を上げるが、彼女は笑みを深くするだけ。


「どうしたの? そんなに意外だったかな」

「彼女に……何かしたの」

「あはは。あの辺じゃあ、私の悪評が広まってるからあんまり近寄れないんだよね。だから安心して、」


 ――あの娘には何もしていないから。


「花蓮っ!」


 突然名前を呼ばれてビクリと肩が跳ねる。いまだに彼からの名前呼びは慣れていない。


「か、一葉……くん」


 思わず彼の方を見てしまう私を見て、――彼女はにぃっと笑ったような気がした。


「なーんて、冗談冗談! 久しぶりに会ったからちょっとふざけすぎちゃった。ごめんなさいね」


 スっと下がって謝ると、そっと口元に指を当てて見せてきた。このことは誰にも言うなと釘を刺しているのだろう。そんなことを言われなくても、彼らを巻き込むつもりは毛頭にない。


「それじゃあ、おやすみなさい。いい夢を」


 そうとだけ言い残して、踵を返して立ち去った。

 このタイミングで接触してきたということは、少なくとも何事も起こらない修学旅行は諦めた方が良さそうね。


「どうしたの、一葉くん」


 いつもの調子で彼に対応しながら、私はそっとため息を零すのだった。

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