第22話 マイシスターはーー
☆ □ ☆ □ ☆
お姉ちゃんは、いつも傍にいてくれました。
何をしても一番で、出来ないことなんてなかった。キラキラ輝いていて、眩しくて、わたしの憧れだった。
いつからでしょうか。お姉ちゃんの隣に歩くのが辛いと思うようになったのは。
いつからでしょうか。お姉ちゃんがわたしの前を歩くようになったのは。
お姉ちゃんだけ送別会を開かれたのに対して、わたしは帰りの会でクラスメイトにお別れの言葉を言っただけで終わった時でしょうか。
お姉ちゃんはすぐ友達を作ったのに、いつまでも引っ越し先に馴染むことが出来なかった時でしょうか。
それとも、お姉ちゃんが日本に戻って、家族からも、友達からも、毎日のようにお姉ちゃんについて話されるようになった時でしょうか。
それとも――――。
☆ □ ☆ □ ☆
たったったっ、と足音が聞こえてきます。
「やっ……と、見つけたっ」
確認しなくても、そこに誰がいるのかはわかります。お兄さんとの勝負はわたしが有利であるはずなのに、すぐに決着がついてしまいました。
「もー、黙って出かけるなよ心配するでしょ。一言ぐらい連絡入れなさいってば」
「……」
「店長まで探してくれたんだよ? 明日お礼言わないと」
そう言いながら、お姉ちゃんはわたしの隣に腰を下ろしました。
……なんでこの二人は似たような行動をとるのでしょうか。恋人ってやはり、似ている者同士でくっつくものなのでしょうか。
「……」
「……」
そして黙ってしまいました。行動までもが同じです。これはまたしてもわたしから話しかけないといけないパターン……。
「あの、」
「ん、どうかした?」
優しい声が返ってきてきます。
わたしは言葉を続けようとして――止まりました。言おうとした言葉が上手く口の中から出てきません。
『咲希に本音を伝えろ』
お兄さんとの約束も、お兄さんがいない以上は破ってもバレません。でも、それでも、ここまでしてくれたのだから、逃げることはしたくない。
「お姉ちゃん。聞いて欲しいことがあるの」
「……うん、話して」
優しい声音で続きを促してくれる。そのおかげで、少しだけ話しやすい。
「わたし、お姉ちゃんのこと嫌いだったんだ」
「ごぎゅ……!」
変な声を漏らして固まってしまった。顔を上げて見てみると、ぴくぴくと痙攣をしていました。
「えっ……と、お姉ちゃん?」
「……は! だ、大丈夫。大丈夫だから、続けて」
「……わたしがお姉ちゃんを嫌いだったのは、嫉妬からでした」
お姉ちゃんは勉強も出来て、運動も出来て、いつもみんなの中心でした。引っ越す時も、お別れ会を開かれて、大勢の人から別れを惜しまれていました。
――わたしとは違って。
引っ越し先でも、言語が違う場所でもお姉ちゃんはすぐにお友達を作って日本にいた頃と同じように、もしくはそれ以上に人気者でした。
――わたしとは違って。
わたしはお姉ちゃんの付属品として生きてきました。みんなからお姉ちゃんと比較されて、ずっとずっとお姉ちゃんの影はわたしを捕まえていました。
そんな人生がわたしにとってはとてつもなく苦痛でした。
いつもそばにいて、わたしに付き纏うお姉ちゃんが、お姉ちゃんの評価が邪魔でした。
「でも、結局は違いました。わたしは、お姉ちゃんがいてもいなくても、何もない」
お姉ちゃんがどうだとか、評価がどうだとか、そんなの全然関係なかった。
「わたしは結局のところ、お姉ちゃんのせいでって言い訳をしていただけでした」
本当に、わたしは何も無かった。
出来ることなんて、何一つ。
「昨日お姉ちゃんが負けた姿を見て、わたし喜んじゃったんです。ああ、お姉ちゃんも完璧じゃないんだって。そう思って、」
張り切って――失敗した。
分かっていたはずだったのに。お姉ちゃんがいたから人気者になれなかったわけでも、得意なことがなかったわけでもないことを。
「だからごめんなさい。こうやって逃げ出したのは、誰のせいでもなくて、ただの自己嫌悪からなんです」
もう、お姉ちゃんのことは嫌いじゃない。嫌いなのは、ずっと嫌いだったのは、――他でもない自分自身なのですから。
「……すぐに戻りますから、一人にしてくれませんか……? お姉ちゃんの近くにいると辛いんです」
自分が如何に矮小な存在であるかを突きつけられるかのようで。
憧れた、憎んだ、その相手の近くにいるのは辛い。自分自身がもっと嫌になります。
「断る」
わたしのそんな懇願をお姉ちゃんはそう即答しました。
「いやほら、めっちゃ雨降ってるじゃん。あたし嫌だぜ、この雨の中帰るの」
「そ、そうですか……」
確かにこの雨の中帰れとは言えませんね……。風邪でも引いてしまったら大変です。あの人が残っていたなら、連れて帰って貰うことも出来たのでしょうが当然姿は見えません。
ただ、さっきの今で話せる状態ではなく、気まずい時間が流れます。
「……なあ、」
「は、はい」
お姉ちゃんの声に緊張してしまいます。聞きなれた声のはずなのに。
「アリシア、深く考え過ぎだと思うぜ? 別にアリシアだって出来ることあるだろ。勉強だって出来るし、運動だって出来る」
お姉ちゃんがそう口にするのは、慰めの言葉。それを聞いた途端、わたしは心の中から何かが溢れ出しそうになるのを感じ取った。
「だからさ、アリシア。あたしは思うんだけどさ」
やめて。その一言が口から出てこない。
ダメだ。と直感的に悟る。
「アリシアは十分優秀だとおも――」
「やめてっ!」
あ、マズい。
「違います違うんですそうじゃないんです根本的に間違っています」
仮面が剥がれて醜い顔が顕になります。
「わたしはっ、優秀でいたいのではないんです!」
何も出来ない自分が嫌なのではない。そんなものは、わたしなりの最後の抵抗。醜く卑しい心を隠すための嘘。
「誰かと比べて、劣っているのが嫌なのです!」
一番でいたい。周りと比べて優秀だとか、よく出来ている方だとか、そんな評価はいりません。
「お姉ちゃんはもっと勉強が出来た! 運動が出来た! 料理だって、掃除だって出来た! わたしがそこそこ出来たとしても、それはお姉ちゃんの劣化にしかならないんです!!」
何をしても、お姉ちゃんの方が上手く出来た。
失敗をしたことも、お姉ちゃんなら成功した。
子供の頃からずっとずっとずっと。わたしはお姉ちゃんの劣化でしかなかった。
「わたしは、わたしはぁ……っ!」
見えないものが怖い。
見えないから、怖い。
幼い頃から比べられてきた。姉と比べられているという被害妄想は、どれだけ頑張ったとしても払拭されない。
誰も彼もが心の中でお姉ちゃんと比較して、まだまだだとため息を吐いているように思えてしまう。
そんなわけないはずなのに。
でも、そんなわけないと言いきれないから怖い。
「……あたしの中では、アリシアが一番なんだよ」
ぽつりとそう言ったお姉ちゃんは、わたしの方ではなく降り続ける雨を眺めていた。
「覚えてるか。昔、引っ越しの前日にアリシアがここで泣いてたこと」
「覚えてますけど……本人にその聞き方はどうかと……」
「細かいことは気にするなって。……その時、言ってくれたよな。『お姉ちゃんみたいになりたい』って」
その言葉が胸に突き刺さります。
あの頃からわたしはお姉ちゃんの様になれば、みんなわたしの事を見てくれると思っていました。
「あたしさ、その言葉がすっげー嬉しかったんだよ。お姉ちゃんっぽいことやれてたんだって、思えたから」
嬉しそうに、そして悲しそうにお姉ちゃんは言葉を続けます。
「だから、あたしは尊敬されるような姉になろうって、頑張って来たんだよ。料理も掃除も全然でさ、出来るようになったのは最近なんだよ。カズくんやかれりん、根本に手伝ってもらってさ」
本当、格好悪いんだけどな。
照れくさそうに、嬉しそうに、そして悲しそうに。お姉ちゃんはくしゃりと顔を歪めた。
「……そう、だったんですね。だったら、わたし、自分で自分の首を絞めてた事になるのですか……」
滑稽だ。わたしの言葉で自分自身を追い詰めるなんて、酷く滑稽で愚かしい。
「違ぇよ。あたしが言いたいのは、そんなことなんかじゃない」
お姉ちゃんの声は震えていました。
「あたしは昔から完璧じゃなかったんだよ。アリシアがたまたまあたしが出来ていたところだけを見ていただけで、出来ないことを頑張ろうだなんて、思えなかった。出来ないなら仕方がないって、出来なくてもいいやって、諦めてた」
雨が、強くなる。
「でも、アリシアの言葉で頑張ろうって思えたんだ。変わってやろうって、諦めたくないって、そう思えるようになったんだ」
「別にわたしは頑張ってなんて思ってませんでした! むしろ、出来なかったらいいって、心の底では思っていて……っ!」
「それでも!」
大きな声に肩が跳ねました。お姉ちゃんの顔がこちらを向きます。
「あたしを変えれたのは、アリシアなんだよ。他の誰でもない、比べるまでもない、アリシアなんだ」
「だから、そういう意味じゃ……!」
「アリシアが! あたしに力をくれたんだ! あたしにこんな力を与えてくれるアリシアが、劣ってるわけないから!!」
――泣いていました。
悔しそうに、悲しそうに、辛そうに。
「あたしの中でアリシアはずっとずっと一番なんだよ!」
「お姉ちゃんが何を言ったって、周りの目は――」
「誰かからの見えない評価より、あたしの言葉を信じろよ。アリシアを傷つける言葉より力になる言葉も受け止めろよ。……あたしの目を見てくれよ……!」
肩を掴んできた。顔は俯いて見えないが、手から感情が伝わってきます。
「誰かの力になれる人が、劣っているなんてあるものかよ! アリシアが一番じゃないなんてあるものか……!」
絞り出すように声を出し、懇願するように顔を上げた。その瞳は涙に濡れて赤く腫れている。
「他人の評価を気にしたとしても、アリシアのおかげで頑張れた人が変われた人がいることを。誰かの代わりでも劣化でもない唯一だってことを。絶対に忘れないでくれ……!」
完璧だったお姉ちゃんの虚像はとっくに崩れ落ちていて、残ったのは子供のように泣きじゃくるお姉ちゃんの姿でした。けれど、わたしにとってはその完璧なんかじゃない、子供のような姿がキラキラと輝いて見えて……。
「そういうのじゃ……ないのに」
違うはずなのに。お姉ちゃんだけに認められたって、力になってるなんて言われたって、意味ないはずなのに。どうして、どうしてなんですか。
「うっ、ううぅ……!」
多くの人に認められたかった。
誰よりも優れていたかった。
見えなくても怖くないほどに、慕われたかった。
けれど、たった一人のお姉ちゃんに認められただけなのに、大きく心を揺さぶられます。
「ごめんな、向き合えてなくて。外面を整えるよりも先に、もっとアリシアと話し合うべきだったな」
その言葉に胸が締め付けられます。
「そしてありがとう。話してくれて」
その言葉が胸の中を満たしていきます。
……ああ、いつの間にか忘れてしまっていました。
多くの人に認められたいだとか、一番になりたいだとかそんな事を願ってきましたが、それよりも前の一番最初の願いは。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん……っ!」
たった一人に褒められたい。
そんな、願いでした。
「わたしは……お姉ちゃんのこと、本当は……本当はっ!」
劣等感に埋もれて、ずっと忘れていたけれど、この想いだけは変わっていません。
――わたしは、こうやって傍に居てくれるお姉ちゃんのことが大好きです。
震える声で紡いだ言の葉を受け取ったお姉ちゃんは嬉しそうにわたしのことを抱きしめてくれました。
「あたしもっ……大好きだよ……!」
☆ □ ☆ □ ☆
いつの間にやら雨も、そしてわたし達の気持ちも次第に落ち着いてきました。
「アリシア、大丈夫か?」
「うん……」
数時間で大きく変わるようなことはありません。見えないものは未だに怖いままです。
けれど、大事なことを認識することが出来て、少しだけ前向きに生きれそうな気がします。
「ちょっと濡れるけど、早く戻ろうか」
「……うん」
お姉ちゃんに手を引かれ、わたしは遊具の中から外に出る。
わたしは、変われるでしょうか。
お姉ちゃんの様にではなく、お姉ちゃんの隣を歩ける様になれるでしょうか。
それはまだ分からないけれど、
「あ」
公園を出たところで、お姉ちゃんはあるものに気が付きました。それにわたしも遅れて気が付きます。
「……本当に、ありがとうな」
お姉ちゃんはそれに向けてそう言いました。
お姉ちゃんはそれを手に持ち、開くとこっちに来いと手招いてきました。わたしはそれに従ってお姉ちゃんの隣りに並びます。
「んじゃまあ、帰るか」
「はい」
――変われるかどうか分からないけれど、まずはあの人にお礼を言いましょうか。
あの人が持っていた傘をお姉ちゃんと一緒に使いながら、わたしはそう決意しました。
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