第21話 お隣さんはパーフェクト姉



 藤谷が言うには、帰ってきた時にはもう部屋に居なくて、旅館内を一通り探してみたけど見つからなかったらしい。


「これは……どうするべきかしら?」

「どうするって、オレらも探すべきだろ」


 藤谷は既にアリシアを探すため外に飛び出してしまっていた。


「……そうだな。本堂、江澤、手伝ってくれるか?」

「もちろんっす!」

「どんとこいっす!」

「なら、茂は海の家に行っていないかを確認して。花蓮はもう一度旅館に居ないか探してみてくれ。本堂と江澤は、近くの店を。何かを買いに行ってるだけかもしれない」


 あのアリシアの様子からして、わざわざこの雨の中買い物しに行くとは思えないがな。


「探し終わったら、どこを探したのか全体に共有してくれ。もちろん、見つけたら連絡を入れること」

「「「「はいっす(了解)」」」」


 藤谷の家に帰ったなんて事はないと信じたい。そして、近場にいるということも。


「貴方はどうするの?」


 各々が動き出す中、花蓮は俺にそう尋ねてきた。


「とりあえず、心当たりがある場所をあたってみる」


 ☆ ☆ ☆


 悩んでいる時や、追い詰められた時、人は無意識的に安心できる場所に向かうらしい。

 例えば、毎日のように過ごした階段。

 例えば、よく遊んだ人の家。

 例えば、思い入れのある場所。

 安息を求めて、特別で特別ではない場所へと引き寄せられる。


 まあその話が本当だとしても、俺はアリシアの事をそれほど知らない。昔、ここに住んでいたことぐらいしか知らない。だから、過去にどんな場所で過ごしたのかも知らない。

 故に、俺が持っている心当たりなんて一つしかなかった。


 雨に濡れることを厭わずに傘を折りたたみ、しゃがみこむ。凄い勢いの大雨で、みるみるうちに服がびしょ濡れになっていく。


「見つけた」


 半球体の複合遊具の穴の中を覗き込むと、果たしてそこにはアリシアの姿があった。彼女の綺麗な金色の髪の先から雨水が滴り落ちている。


「ほら、そのままだと風邪引くぞ。タオル、使えよ」


 持ってきていたタオルを突き出すが、アリシアはじっとしたままで受け取ろうとはしない。


「あー……ちょっと入れてくれない? 俺、めっちゃ濡れてるんだけど」


 無反応。すなわち無視。


「あのー、聞こえてます? ちょっと冗談抜きに濡れて気持ち悪いって言うか、なんか冷えてきた……」


 服がぐっしょりと肌に張り付いてくるのは気持ち悪いし、夏なのに冷たい風が吹いてきて俺の体温を奪っていく。


「……」

「……」


 これ以上話しかけても無駄かと思い、無言で待ってみることにした。


「……」

「……」


 無言の時間がしばらく続く。


「……」

「……」


 居心地の悪そうに身を捩るが、俺は気にせず見続ける。


「……」


 ついに根負けしたようで、体を横にずらしてくれた。


「ありがとう」

「……」


 お礼を言ってみるが、やはり返事はなかった。

 俺はアリシアに気づかれないように、手を後ろに回してグループにアリシアが見つかったと連絡を入れる。そして、次々と送られてきているであろう詳細を求める連絡を見ずにスマホの電源を落とした。


「……」

「……」


 とりあえずの問題は解決したので、アリシアの隣に座って待つことにした。どこかへ行って欲しそうな視線を感じるが、俺は気付かないふりをする。


「……お兄さん、いつまでここにいるつもりなんですか?」

「雨が止むまで。まさかこの大雨の中帰れって言わないよな?」

「帰って欲しいですけど……」

「言っちゃうのかー……」


 言われたからって帰るつもりは無いけど。


「お兄さんはなぜ、そんなにわたしに構うのですか?」


 なぜ、か。

 純粋な善意や心配から。藤谷がパーフェクト姉になるための手伝い。色々な理由はあれど、そのほとんどが言えなかったり、言っても納得してもらえないものばかりだ。

 だから、俺は嘘をつく。


「なんたって、お前の姉ちゃんの彼氏だからな。俺は。未来の義妹を気にかけるのは当然だろ?」

「そう……ですか」


 納得はしているが、不満そうな表情をしている。期待していた答えとは違っていたのだろう。


「なあ、」


 俺は徐に声をかける。

 彼女がどんな返答を望んでいたのかは見当がつかないけれど、今のやり取りである事には確信を持てた。


「アリシア、お前姉ちゃんのこと好きか?」


 藤谷であれば即答していたであろう質問だが、アリシアは口を閉ざした。


「なぜ……そんなことを聞くのですか……」


 声を震わせてそう返してくる。顔は俯かせ、決して表情を見せないようにしている。

 けれど、その態度こそが答えだ。


「見えないものが怖いと、そう言ったな」


 彼女はあの日の夜、見えないから怖いとそう言った。


「感情なんてものは決して見えない。だから、俺を脅したのか? 約束という見える形にするために」


 痛みと恐怖で訴える事で、見えないはずの感情を強制的に引き出すことで見える形に変えたのだ。

 そんないい加減でこじつけのような理論でも、最低限の筋が通ってさえいれば自分を騙すことは出来る。


「約束だって見えないけど、全然見えない感情よりはマシってことなのか」

「……」


 問いかけても、決してアリシアは喋らない。図星なのか無視しているだけなのかわからないが。


「なあ、分からないのか? あいつがどれだけアリシアの事を想っているのか」


 どれだけ藤谷が妹を思って努力していたのか、それを知っている俺たちは見えなくたって、アリシアを大事にしてると信じられる。


「……わかりませんよ。何年見続けても、お姉ちゃんのことは」


 どこか投げやりな態度。諦めた声音。

 理解するのを――諦めた顔。

 仕方がないと、しょうがないと、どうしようもないと、投げ出した。その行為は理解することを放棄したと言っていい。


「アリシア、本音を伝えたことはあるのか?」


 言葉尻が熱くなる。

 胸中に浮かび上がってくる感情は――怒り。


「ない……です」


 ああ、そうか。そうだったのか。

 そこでようやく彼女の言葉の意味を理解する。あの日のそんな訳がないと、思っていた言葉の。


「なあ、アリシア」


 小さな子供に言い聞かせるように話しかける。


「伝えないと、言葉にしないと、人の心は見えなくなる」


 伝えることで、相手を深く理解することもある。

 言葉にすることで、誤解が解けることだってある。

 だが、何もしなければ――何も起きない。間違えも、正解も。どこが間違っているのかすら分からない。


 本音を隠して、自らを偽って、表面上だけ整えて。そんな行動に何の意味があるのだ。そんなものは、いつか綻びが生まれ、そして取り返しのつかなくなるだけだ。


「アリシア、勝負をしよう」


 これは他人がどうこう出来る問題ではない。藤谷とアリシアの二人で解決する問題だ。俺が出来るのは、少しだけ背中を押すことだけ。


「これから十分以内にこの場に咲希が来るのかどうか。もちろん、俺から連絡するような事は一切しない」

「……」

「天気が荒れているこの状況で、諦めず、この場所を探し当てられるかどうか」

「……そちらが勝ったら何をしろと言うのですか?」

「咲希に本音を伝えろ。隠さず、はぐらかさずに」


 明らかにアリシアが有利な勝負。

 そもそもとして、この時点で藤谷が十分以内に来れる位置にいなければ勝負にすらならない。


「わたしが勝った場合はどうなるのでしょうか……?」

「俺が何でも一つ言うことを聞く。咲希に今後近づくな、なんて命令でもな」


 アリシアは黙り込んだ。

 有利ではあるが、勝ったとしても特に旨みがない勝負。だが、お前は必ず勝負に乗ってくる。

 だってお前は、


「……結果はわかりきった勝負ではありますが、受けて立ちます」


 ――シスコンなんだから。


 普通、嫌いでなくとも兄姉弟妹の彼氏彼女にわざわざ警告するような真似はしない。お前は思っている以上に藤谷のことが好きなんだ。

 話をする理由を作れば、食いついてくると思ったよ。


「それじゃ、勝負スタートだな。これから十分以内に咲希が来るのかどうか」


 これで、あとは藤谷の問題だ。

 さっさと俺は退散するとしよう。


「それじゃ、俺はもう行くな」

「……不正を働くつもりですか?」

「しないしない。なんなら、ここにスマホを置いていってやるよ」


 そう言ってスマホを置くと、腰を上げて傘を手に持つ。


「まあ……偶然会うことがないとは言いきれないけど、その辺は俺の事を信用してくれ」


 あとから難癖つけられるかもしれないが、その時はその時。むしろ、部外者がいると彼女らとの対話の邪魔になることを避けなければならない。


「あなたは……お兄さんは、本当にお姉ちゃんが来ると思ってるんですか?」


 遊具から一歩踏み出したタイミングで、そんな事を聞かれた。


「当たり前だろ」


 アリシアもそこそこのシスコンだと思うが、藤谷は重度のシスコンだ。彼女のアリシアへの想いの強さも、これまでの努力も、それらが少し空回りしていただけで、向き合おうという姿勢だけは本物だった。


 だから、信じられる。


「なんたってあいつは、パーフェクト姉だからな」


 断言出来る。


 たったったっ、と足音が聞こえてきた。

 どうやら、俺の見立ては甘かったらしい。


「どうやら俺の勝ちのようだな」


 約束、守れよ。


 傘を差して歩き出す。

 前から迫ってきた人影が少しずつ大きくなっていく。


 たったったっ、と。

 雨に打たれながら、びしょ濡れで、泥だらけになりながら。妹がいる遊具へと向かって。


 走る彼女の目には俺は映っておらず、俺に一瞥もくれずに抜き去っていった。

 あの様子だと、大丈夫だな。


「頑張れよ」


 聞こえないとわかっているけれど、一言だけそう残して。そうして俺は一度も振り返らずに公園を出るのだった。

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