第23話 妹さんは希う
☆ ☆ ☆
「わたしは大丈夫だから」
暖かい手が頭を撫でる。
「わたしは大丈夫だから」
柔らかな声でそう言ってくれる。
「わたしは大丈夫だから」
弱々しい手つきで頬を撫でてくる。
「……」
青冷めた唇も冷たい手も動くことはもうない。
☆ ☆ ☆
薄らと目を開けてみると、薄暗い天井が目に入る。壁に掛けられている時計を見てみると七時半を指し示していた。午前ではなく、午後の。
「よいしょっ……と」
体を起こして背伸びする。倦怠感は抜けきっていて、熱は下がったように思えた。
昨日雨に打たれたことが原因か、それとも慣れない労働を一週間続けたせいなのか。今朝熱が出てしまいバイトを最終日なのに休んでしまった。
「そういえば、祭りやってるのか」
窓から見える灯りから、ちょうど夏祭りをやっている時間だと思い出す。
「あいつら楽しんでるかなぁ」
俺のせいで楽しめなかったなんてことがないことを願いつつ、俺はそう呟いた。
「……ま、大丈夫か」
ゴロンともう一度倒れ込む。眠気はないが、何となく目を閉じてみる。
――カタッ。
と、扉が開かれる音が聞こえてきた。
「……」
続いてこちらに近づいてくる足音が。
初日にアリシアがこの部屋に来た時のことを思い出す。……いやいやないない。どうせ茂が帰ってきたとか、旅館の人が様子を見に来たとかだろきっと。
そう思いながらも心臓の鼓動は早くなる。
足音はついに俺の横へと到着し、そこでピタッと止まった。
「……」
止まった時間がしばらく流れる。
……ええいままよ!
「茂……か……」
バッと布団から飛び出して、隣にいる何者かを睨みつける。……するとそこには藤谷が立っていた。
「うおわ!?」
予想外の人物に思わず声が漏れ出てしまう。するとその声に驚いたのか、藤谷の肩がピクリと跳ねた。
「びっ……くりしたぁ。なんだよ、寝起き早々大声出して」
「いや、まさか藤谷がいると思わなくてな」
まだ祭りもしているようだから、藤谷は満喫しているだろうと思っていたのだが。もしかして、俺が熱を出した事に負い目を感じているのか?
「どうしたよ。確か、今祭りやってるんだろ?」
「ああ。アリシアとかれりんとその他と屋台回ってきたところだよ」
「その他って……」
「ほら、これあげる」
そう言って彼女は手に持っていたビニール袋を押し付けてきた。俺はそれを受け取り中を見る。
「……え、なにこれ」
「屋台のやつ、好きそうなの買ってきた」
そう言うや否や、ふいっと顔を逸らす。いやいやそうじゃなくて。
「なんでわたあめそのまま入れちゃったの!?」
ビニール袋の中にはわたあめがそのまま入っており、袋の中はベタベタしていた。
「ほとんどがパックに入ってるんだから問題ないだろ」
「パックがベタベタするんだよなぁ」
わたあめを取り出しながらそうボヤく。
「まあでも、ありがとうな。気を使ってもらって」
焼きそば、たこ焼き、ヨーヨー、りんご飴、いか焼き。それなりの量が袋の中に入っていた。いや待てヨーヨー。ベタベタしてるんだけど。
「ああそうだ。ちょっと待ってろ」
自分の鞄の下まで向かい、中から財布を取り出した。
「いくらぐらいだ?」
「別にいいって。昨日のお礼も兼ねてるから」
「そうは言っても、これだけの量となってくるとそこそこかかっただろ」
払わなくていいとお金の受け取りを拒否する藤谷に払うと言い張る俺の姿がそこにはあった。
「なら、これ一緒に食べるってことで!」
「それは全然いいけど」
「これでお前が払うってのもナシな!」
「分かってるって」
そんなやり取りをした後、俺たちは思い思いに食べ始める。
「なんか部屋の中で食べる屋台の料理って微妙な感じするよね」
「おい。なんでわざわざ食べてる最中に言い出すんだ」
「思いついたから」
「……そうか」
そんな会話を時折混ぜながら焼きそばやらいか焼きやらを食べ進める。と、その時。不意に何かを思い出したように、藤谷が窓の外を見た。
「どうかしたか?」
「そう言えばそろそろ花火の時間だなーって思って」
「そろそろか」
俺も釣られて外を見る。と、窓の外が一瞬光り、遅れて大きな音が聞こえてくる。
「うーん……見えないねぇ」
「いや待て。こっちの窓からなら少しだけ見えるぞ」
そう言って手を招く。
「ほんとだ。少しだけだけど見える」
「……外に出てみるか?」
外に出て、祭りをしている方向へ行けばここよりも見える場所に到着するかもしれない。そう思い提案してみたのだが、しかし彼女は首を横に振った。
「ここがいい」
即答する彼女の瞳には小さな花火の光が映っていた。俺は「そうか」と答えると、黙り込んで窓の外を眺める。
「なあ、」
不意に藤谷がそう言った。
「昨日、ありがとうな」
「どういたしまして。でも、偶然見つけたのが俺だったってだけなんだから、お礼は全員に言っとけよ」
「ちゃんと言ったよ。謝罪と一緒にね」
「そうか」
見当違いの忠告だったか。
まだ彼女を軽んじてしまっていたと反省する。
「でも、それだけじゃないから。このお礼は」
暗くてもよく見える、綺麗な髪が小さく揺れる。そして、宝石のようなその瞳が花火ではなく俺の姿を映し出した。
「これまでの事、アリシアに色々と言ってくれてた事、あと……いや、なんでもない」
「そこまで言ってやめるのかよ」
「まあいいじゃん。大事なのは、助けてくれてありがとって事」
彼女の清々しいその姿を見て、俺は関係の終わりを悟る。彼女は目的を達成したのだ。パーフェクト姉になるって目的を。
「あたし、間違ってた。外面を整えて尊敬されるってのも大事だけど、それよりも先にアリシアと向き合うべきだったって思った」
「そっか」
その答えは、きっと間違っていない。
以前感じた違和感。取り繕って、偽った虚飾の姿はやはり、彼女の目指すパーフェクト姉の姿とは少し違っていたようだ。
「つまり、今のあたしこそがパーフェクト姉! ってわけよ!」
しんみりとした空気を変えるように、彼女は殊更明るくそう言った。
「そうだな」
それに俺は、茶化すわけでも馬鹿にするでもなく、ただ素直な感想を伝えた。
「うぇ!? ちょ、ちょちょい、どうしたの!? てっきりバカにされると思ってたんだけど!」
「バカになんてしない。本当にそう思ったんだから」
「うぅ…………ありがと」
本当に、彼女は変わった。いや、元々こんな感じだったのかもしれない。ただこれまで空回りしていただけで、ようやく正解を引き当てたのだろう。
手遅れになる前にきちんと向き合い、話し合い、そして蟠りを解消した。それは俺には出来なかった事で――。
「本当に凄いな、藤谷」
「う……ね、ねぇ、そろそろやめない? ほら、あたしが凄いってのは分かってるから」
意外なもので褒められ慣れていないのか、居心地の悪そうに藤谷は身を捩っていた。
「普段調子に乗るくせに褒められると弱いんだな」
「いや別に他の人に褒められるのはいいんだけど、カズくんはいつも呆れられるか小言ばかりだから……」
「……褒めたこと無かったっけ?」
「なかった気がする」
……言われてみれば褒めたことは無かった気がする。
「ごめん。今度からちゃんと褒めることにする」
「うーん……カズくんって、どこかズレてるんだよなぁ。というか、そんなに褒めなくていいからね? なんかこう……ムズムズするし」
「そうか。ならやめておく」
「……あー、いや、やっぱり時々褒めるのはいいと思う。というか、褒めて」
「どっちだよ……」
そう言って、二人同時に吹き出した。
「あっはは! 何この会話」
「痛い痛いなんで叩くの」
バシバシと叩いてくる手を振り払いながら文句を言ってやる。
「気にするなって!」
最後に大きく叩くと、彼女はくるりとこちらを向いた。
「ありがとうな、嘘に付き合ってくれて」
「…………ああ。彼氏彼女の件な。文脈無視するなよ、一瞬何言ってるのか分からなかったよ」
「分かってるならいいじゃん。でさ、ちゃんとアリシアに説明したよ。カズくんと付き合ってるってのは嘘だって」
「そうか」
憑き物が取れたような、清々しい顔をしていた。気にしていないようで、どこか罪悪感があったのだろう。妹に嘘をつき続けることは。
「という事は、パーフェクト姉になる手伝いってのはもう終わりか」
「うん。まあ……そだな」
当初の目標とは違うものの、藤谷 咲希はパーフェクト姉と成った。だから、俺の役割はもうお終い。
「なあ、藤谷」
「ん、なに?」
花火で照らされた彼女の顔はどこか儚げで、幻想的だった。
「隣人として、友達として、これからもよろしくお願いします」
役割が終わったからこそ、もう一度関係を構築する。あの日あの時、藤谷の方から手を伸ばしてくれたから。だから今度はこちらから。
「うーん…………やっぱり、カズくんってどこかズレてるわ」
どこか複雑そうな彼女はこちらを見据えて頷いた。
「こちらこそ、よろしくな」
藤谷の言葉と共に、外では一際大きな花火が打ち上げられる。
「こっから見ても凄いな」
「そうだね」
花火ももうクライマックスのようで、次から次へと打ち上げられていた。藤谷はそれを眺めながら、一度こちらを一瞥すると。
「あ、あとさ、今更呼び方変えなくてもいいから」
「どういう意味?」
「いやだから、名前呼びでいいって言ってんの!」
何故かキレ気味にそう言うと、彼女はそれ以上何か続けることはなく花火の方へ視線を戻す。
「そっか。じゃあ、よろしくな。咲希」
「ん」
そうして、数秒間の沈黙の後、ラストの大きな花火が夜闇に咲き誇った。
「凄かったな。こんな遠くからでも、結構迫力あったな!」
そう話しかけると、咲希は「あ、」と何かやらかした時と同じような声を漏らした。
「え、なに? 何やらかしたの?」
俺のその問いかけに、咲希は答えることなく勢いよく立ち上がる。そして、その勢いそのままにこちらに振り向いてきた。
「カズくん! 体調、大丈夫か!?」
「え、うん。特に問題は無いけど」
「よし、じゃあちょっと出るぞ!」
「え、今のタイミングで!? もう花火終わったけど!」
「馬鹿野郎! 花火はまだ始まってない!!」
咲希はおかしなことを口走りながら、外に向かって走り出した。
☆ ☆ ☆
咲希に連れられて、夜の海に辿り着く。そこには花蓮、茂、アリシア、本堂、江澤がなにやら準備をしていた。
「来たよー!」
咲希が声を投げかけると、みんな一斉にこちらを向いた。
「ようやく来た……。二人とも、準備はもう出来ているわよ」
花蓮の言葉にはてと首を傾げる。準備とはいったいなんの事だろうか。咲希の方へ視線を向けると、彼女はふふんと得意げに話し始めた。
「店長が一週間頑張ったご褒美って花火くれたんだ!」
「あと、貴方の分の給料は根本くんに渡しておいたから、後で受け取っといてね」
花蓮の視線の先に目を向けると、そこにははしゃぐ三人の姿があった。
「根本先輩、青柳先輩が来ましたよ!」
「おーい、早く花火始めようぜー!!」
花火らしきものを何本か持って、ぶんぶんとこちらに向けて振り回している。
「それでは一葉くんも来たことだし始めましょうか」
そう言うと、事前に準備をしていたらしい蝋燭に火をつけ、茂達は一斉に花火に着火した。
暗闇を彩る赤、青、緑といった光。それを子供のようにはしゃぎながら、彼らはぶんぶんと円を描くように振り回している。
「あたしもやるー!」
目を輝かせて、あちらに駆けていく咲希を苦笑をしながら追いかける。その道中で花蓮と合流した。
「……体調、大丈夫?」
「ああ。そもそもちょっとした熱ってだけだったから、全然問題なし」
「そう」
ほっと優しく笑むと、彼女は俺の隣を歩き出した。
「昨日はお疲れ様。よく彼女があの公園にいるって分かったわね」
「アリシアが行きそうな場所の心当たりがあるのがあそこしかなかっただけだ。それにあいつは自力でアリシアを見つけたのだから、俺は何もしてないよ」
「色々と彼女に言ったそうじゃない」
「……なんで知ってるんだよ」
その問いかけには答えずに、彼女は試すような目をこちらに向けてきた。
「もしかして、どこかの誰かさんと彼女たちを重ねちゃったのかしら?」
「そうかもな」
認めるとは思っていなかったのか、微かに息を飲む音が聞こえてきた。
「あいつと俺を重ねて、あいつの願いを叶えることで俺の過去の失敗をやり直す。それこそが、花蓮が言った俺には咲希が必要だって言葉の意味だったんだろ?」
「……ええ」
少しの間を開けて、諦めたように花蓮は頷きを返してきた。
「彼女の願いを本当の意味で叶えられたのなら、貴方が少しは前向きになれるかと思ったのだけれど……」
「悪いけど、それは無理だよ。あれは咲希の問題であって、どれだけ関わろうと俺の問題に影響が出ることはない。状況が似てようが、全くの別物だから」
それに、過去の失敗はどれだけ今を償ったとしても無くなることはない。
「そう。それはそうよね」
「ただまあ、」
花火を両手の指に挟み込みクルクルと回っている咲希と、それを呆れた様子で見守るアリシアに目を向ける。眩しいものを見るように、少しだけ目を細めながら。
「少し救われた」
あったかもしれない結末を、救いの未来を見れた気がした。
「そう」
寂しそうに、しかしどこか嬉しそうに彼女はそう答えるとそれきり口を閉じた。と、そこへ明るい声が割ってくる。
「二人とも、なにゆっくり歩いてるんだ。早くしないと花火が無くなるぞ!」
はしゃぐ輪の中に入ろうとしない俺たちを見つけて、茂がタタッと駆け寄ってくる。
「それ、一度に何本も使うからじゃないのかよ。子供か」
「二刀流はロマンがあるだろうが」
「あれ二刀かなぁ」
パッと見でも、六本は同時に使っているように見えるが……。
「細かいこと気にするなって! ほら、花火一本やるから、な?」
「子供扱いすんなって……というか、テンション高……」
テンションの高い茂に絡まれたくないのか、花蓮がいつの間にか少し距離をとっていた。
「あ、そうそう」
そこへ茂が何かを思い出したかのように、俺と花蓮を順番に見る。そして、
「今夜、ちょっと付き合って欲しいんだが大丈夫か?」
と、そう尋ねてきた。
☆ ☆ ☆
パチパチと火花を散らして、周囲を微かに照らしている。花火は残すところ線香花火のみとなった。
「隣、いいですか?」
そう言いながらしゃがみ込むのは、何度かこちらを窺うような視線を送ってきていたアリシア。
許可出す前に座っちゃったよ。聞いた意味無いな。
「昨日はありがとうございました」
こちらに一瞥もくれずにお礼を言ってくる。
「気にするな」
だから俺も彼女の方を見ることなく、花火の先を眺めながらそう答えた。
「……そういえば聞きましたよ。嘘だったんですね、お姉ちゃんと貴方がお付き合いされてるという話」
「それ、咲希のやつが言い出したからな。俺は悪くない」
「別にその事で怒っているとかはないですから。寧ろ、感謝してる部分もあるので」
「そうか? ならいいけど」
線香花火の先端の火種が大きくなって、ぐらぐらと揺れて落ちそうになっている。
「そういえば、線香花火が最後まで落ちなかったら願いが叶う、なんて話があるそうですよ」
「そんなものがあるのか」
「はい。貴方は何を願いますか?」
そうだな、と少しだけ考える。
その時、花火ももう終わりだというのにまだはしゃいでいる咲希に茂たちと、彼らの姿を呆れたように眺めている花蓮の姿が目に映った。
「……そうだな。ずっとこの関係が続きますように、とかかな」
何も無かった中学時代よりも高校二年生になってからの数ヶ月の方が、色濃く、そしてかけがえのないものだった。だから、そんな願いが溢れ出てしまったのかもしれない。
「そう言うアリシアは何を願ったんだ?」
そう尋ねてみると、アリシアは少しの間を置いて答えてきた。
「ある人と、今よりももっと仲良くなれますように、と」
その声色がとても優しかったので思わず彼女の方に顔を向けてしまう。
「……」
今まで一度も見たことがないような、柔らかな表情だった。
俺が選択できなかった先にある――俺とは違う結末。
「アリシアの姉ちゃんは凄いな」
正解を引き当てて、蟠りを解消して、目標であったパーフェクト姉に成った。
俺にとってその姿はとても眩しく、そして羨ましい。
「でしょ?」
嬉しそうにはにかんでこちらに顔を向けてきた。
その表情は、暗闇の中であるにも関わらずとても綺麗で――、
「……あ」
ポトリ、と俺の線香花火の火種が落ちてしまった。落ちた火種は一瞬だけ輝くと、すぐに光を失い見えなくなる。
けれど、アリシアの火種は落ちることなくいつまでもいつまでも線香花火の先端で輝き続けるのだった。
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