第17話 妹さんには怖いものがある
「起きて……ますか?」
怖々とこちらを覗き込んできた。
「……どうした?」
「あ、起きていましたか」
安堵したようにほっと息を吐くアリシア。だがこちらは全然安心できない。
え、なに。怖い怖い。俺、何かした?
思い出すのは初めて会った日の翌日のこと。低い声で藤谷を泣かすなと釘を刺されたシーンだった。
「……さっきのは嘘泣きだぞ」
UNOの時のあれは俺が責めたせいというよりも、全員が否定したせいだと思うし。なんなら嘘泣きだし。だから俺が悪いとは一概には言いきれないので刺すのは勘弁して欲し――。
「……そっちではないですよ」
「あれ、そうなの?」
「突拍子もない事というのは分かっているのですが……」
アリシアにしては珍しく歯切れが悪い。そして、チラチラと扉を気にしながらこう言った。
「幽霊が……出たんです」
☆ ☆ ☆
あのまま話していて茂を起こしてしまっては悪いので、中庭へ移動した。
「ふと、目が覚めたんです。何かこう……ゾワッと嫌な感覚がしたので」
「なるほど」
適当に相槌を打っておく。
「それで、わたしはゆーっくり振り向きました。すると、なんと扉の隙間からこちらを覗き込んでくる二つの目があったのです」
重々しくそう言われてしまったが、悲しいかな、あまり怖さが伝わってこなかった。
「気のせいだろ。そうじゃなかったら、夜中に他人の部屋をのぞき込むような不審者がいるってことになるが」
「いえ。あれは間違いなく、この世ならざる者でした」
自信たっぷりにそう言いきっている彼女を見ると、その主張を曲げさせるのは難しいことを悟る。
そもそもとして、いない、ということを証明する手段があまりないのだ。それが幽霊ともなってくると、俺の手札では科学的にありえない、としか言いようがない。だから、
「確かにそれは霊かもしれないな」
「そうですよね!?」
肯定すると、ずいっと急接近してきた。
「あ、ああ。だが、霊は霊でも守護霊だろう」
「守護霊……?」
「そう。守護霊。守護霊ってのは人を呪ったり、害を及ぼしたりするんじゃなく、人を守る幽霊のこと」
「何かされたりしないのですか?」
「しないしない。それどころか、守る霊だから他の悪霊から守ってくれる」
だから、怖くないのだと言い聞かせる。実際気のせいだと思っているし、本当にいるのなら守護霊とかでは無いのだろう、と思っているけど。
「あの……お兄さん、もしかしてわたしが幽霊に怖がっていると思ってますか?」
え、違うの?
「わたしは、幽霊が怖いのではないんです。見えないものが怖いんです」
「よく分からないけど、つまり幽霊も怖いってことでは?」
「……お兄さんって結構イジワルですよね」
「そうか?」
そんなことないと思うけど。
「見えないもの……ねぇ」
「見えなくて、不確定で、不安定なものが怖いのです」
「わかるような……わからないような」
うーん……と腕を組んで考えてみるが、なんとも言えないモヤモヤだけが胸中を渦巻く。
「……それはいいのです。話を変えましょうか」
「そろそろ部屋に戻らない?」
「だって、部屋には守護霊がいるのでしょう?」
「まあ……どうだろうねぇ」
どうやらまだ戻りたくないようだ。でも、俺めちゃくちゃ眠いんだけどなぁ。明日、というか今日も仕事あるし早めに寝たい……。
「お兄さんって、本当にお姉ちゃんとお付き合いされてるんですか?」
ヒヤリと背筋が凍った。
「当たり前だろ。……お姉ちゃんに相応しくないのから付き合ってない、とかいうよく分からん理屈はなしだぞ」
「そんなこと言いませんよ。ただ、一般的な恋人の距離感ではないと思いまして」
距離感、か。
それはまあそうだ。だって付き合ってないんだし。ただ、それを正直に言うわけにもいかない。
「どんなカップルでも、一般的、普通とはちょっとズレてるものだろ。それにほら、今はアリシアがいる」
「わたしが……ですか?」
「直接では滅多に会えない最愛の妹が来てるんだから、そっちを優先してもおかしくないだろ」
「そういうものなのでしょうか」
「そういうものだろ」
優先順位が変わるっていうのはよくある事だ。ある日突然、どうでもよかったことが最優先事項になることだってある。
「そうなのですか……」
納得したような、しないような顔でそう呟いた。
それから彼女はほぼ一方的に話を続けた。
昔、この辺りに住んでいたこと。藤谷がここに来るまでのこと。藤谷がこちらにくる前日の話。
その一つ一つを宝物のように話す彼女の声は、次第に小さくなっていった。
「それで……です……すぅ……すぅ」
「ようやく寝たか」
倒れそうになるアリシアをそっとベットの上に寝かしつけながら、さてこれからどうするかを考える。
俺が藤谷や花蓮の部屋に入るのはアウトだろうし、アリシアが俺たちの部屋で寝るのもなぁ……。かといって、このままにしとくわけにもいかない。
仕方がない。起こすことになるだろうが藤谷に電話するか。
「……何をしているの、一葉くん」
「うひゃあ!?」
唐突に背中に声を投げつけられ、思わず変な声が出てしまった。
「そこまで驚くことないじゃない」
「ははは……。そんなことより、どうした? こんな夜遅くに」
「アリシアさんが居なくなっていたのよ。いつまで経っても戻ってこないから、こうして探しに来たの」
そこまで言って、花蓮はベンチの上で眠りこけているアリシアに気づく。
「こんな時間に……何をしていたの?」
「何もしてないからな。話を聞いてただけだからな」
声量を抑えつつも、必死に何もしていないと訴える。
「さて……どうかしらね」
「……もしかして、見てた?」
「ついさっき来たばかりだから、あまり貴方が何をしていたかは分からないけれどね」
小さく笑んだ彼女の顔から、本気で疑っているようではないか。
「それで、あの、あ、貴方に聞いておきたいことがあるのだけれど……」
「なんだ?」
「あの……その……え、えっと、た、……いえ、なんでもないわ。気にしないでちょうだい。彼女を連れていけばいいのね?」
「あ、ああ」
た?
花蓮が何を聞きたかったのか。それについては分からなかったが、なんでもない、と言うのであれば無為に詮索するのも良くないか。
「そういえば……なぜ、彼女は一葉くんのところに来たのかしら?」
「幽霊が怖いんだと」
「いえ、そうではなくて。なぜ、私や藤谷さんではなく、なぜ貴方を頼ったのか。それが分からないのよ」
確かに、わざわざ別の部屋の、しかも男のいる場所に来る必要はなかったはずだ。
「さあな。案外、一番俺の事を信用しているのかね」
「あら、貴方にはそんな自信があるの?」
「まさか。ま、そうじゃないなら、単純に起こすのが申し訳なかったからとかじゃないか? 俺たちの部屋に入る時も、出来るだけ音を立てないようにしてたし」
「……その辺りが妥当ね」
一番無理のない推測。
だが、そうじゃないとしたのなら。もしも、前者の方であったのなら。
「ねぇ、」
思考の沼に呑み込まれそうになったところで、花蓮の声で我に返る。
「月が…………いえ、星が綺麗ね。満天の星空だわ」
月の光が艶やかに反射して、キラキラ輝いている。そんな姿に見惚れてしまっていた俺は少しだけ反応が遅れてしまった。
「そうだな。これだけのものが見れたのなら、ここまで起きてた甲斐があったってものだ」
そんなことを嘯いて、アリシアを背負って歩き出した。
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