第13話 妹さんはプチデビル

 


  こいつ、今なんて言った?

  『ちょっと彼氏になってくれ』?

  ちょっとってなんだ。何を基準にちょっとなんだ。そもそもちょっとした彼氏ってなんだ。藤谷の焦って口にする言葉の意味不明さが凄いな。というか、問題はそこじゃない。

 

  色んな感情が、言葉が、頭の中を飛び交う。だが、口から出たのは簡潔な疑問だった。


「いきなり何言ってんの、お前」


  ある意味で端的に俺の今の気持ちを表した言葉だったかもしれない。


「えと……その、あの……!」


  本当に慌てているようで、なかなか言葉が出てこない。


「落ち着け。とりあえず、ここで話してるのも邪魔だし目立つし中に入れ」


  そう言って中に入るように促すと大人しく部屋に入ってきた。藤谷の後ろを確認してみたが藤谷妹はいないようだ。


「――で、いきなりどうしたんだよ」


  水を一杯飲み干すと、ようやく落ち着いた藤谷に声をかける。


「あ、ああ。用事はさっき言った通り。ちょっと彼氏になってくれない?」

「いやだから、それが意味わからないんだって」


  ちょっとってなんだよ、ちょっとって。そして、何がどうなってその頼み事が出てきたのかが知りたい。


「えっと、まず青柳がアリシアをここに案内してくれたんだよな?」

「案内って言っても、口頭で道を教えただけだけどな」

「それはどうもありがとう。それで、アリシアに言われたんだよ。『お姉ちゃん、隣の男の人と知り合いなの?』って」


  自分の姉に電話している男がいたら、そりゃあ気になるよな。そこまでは分かる。だが、そこからどうやったら藤谷と俺が付き合うって話になるのかが分からない。


「そこであたしは言ったんだ。『隣人兼クラスメイトだな。お姉ちゃん、あいつを色々と助けてあげたりしてるんだよ!』って」

「おいこら待てや」

「まだ話は終わってないよ」

「今サラッと自分を持ち上げるために俺を落としたよな」

「いいじゃん、そのぐらい。とりあえず、話し続けるよ!」


  納得がいかない。なんか、藤谷妹の中での俺の評価が親切なお兄さんからわたしの姉にお世話になってる人ってランクダウンしてる気がする。

  別に良い人ぶりたい訳でもないけどさあ……。


「それで、『お姉ちゃん、仲のいい人が出来たんだね。よかったぁ』って言われたんだよ」

「まあ、一人暮らしなんだし人間関係について心配されるのは普通なんじゃねえの」


  実際はどうなのかは知らないけど、俺だったら心配する。

  そこで藤谷は隠れるように口元に手を当てて、俺だけに聞こえるように話し出した。


「そこで、『当たり前だ。仲のいい友達なんて何人もいるし、なんなら彼氏だっているし!』って」

「おい待て」


  なんとなくオチが読めた。あと、なんでこいつはこんなにも迂闊な言葉が零れ落ちるのか。べつに妹は仲のいい人ってだけで、彼氏がいるのかとか友達何人いるのかなんて一言も言ってないし。


「そうしたら、紹介して紹介してって強請られまくったんだよ!」

「で、嘘ついてるのをバレないために俺に彼氏役になれと。見栄張ったって謝るか、他のやつ探してこい」

「嘘ついたなんて知られたら、姉の威厳が無くなるじゃん!」

「じゃあもう他のやつ探して来いよ……」


  一回嘘ついた程度で崩れ落ちる威厳って……。


「それは無理だ」


  呆れながら放った言葉を、藤谷は当たり前のことのように即否定した。なんでだ? と、視線だけで問い返すと、彼女はあっけらかんとこう言った。


「付き合ってる彼氏は隣にいる青柳だって、もう言っちゃったから」


  …………は?


「え、なに勝手なこと言ってんの。ここには事後承諾を取りに来たってこと?」

「まあそういう事だな」

「なら断る」


  呆れてものも言えないとはこのことだろう。さすがにこれはダメだ。許容できる範囲を超えている。


「本当にごめん! 勝手なこと言って、巻き込んでるのは分かってるんだけど、どうか助けてください!!」


  鬼気迫るその声に若干気圧される。

  今にも土下座しそうな勢いから、本当に反省しているのだということも、必死なんだということも伝わってくる。

  でもなぁ……。


「頼む! これまで、妹に凄いって言って貰えるために色々頑張ってきたんだ。こんな事で軽蔑なんてされたくない!!」

「そのぐらいで軽蔑されないだろ」


  だが、万が一ということがある。それが、彼女にとってその可能性が万が一でもあることが許せないのだろう。

  あの面倒なことが嫌いな藤谷 咲希がどのぐらい頑張ってきたか、俺が一番よく知っている。そんな彼女の頑張りが身を結んで欲しいと、俺だって思っている。


  でも――


「分かったよ。彼氏役でもなんでもしてやるよ。ただし、自分を持ち上げるために俺を落とすとかはなしだぞ」

「本当か!? もちろん、約束する!!」


  藤谷はパアッと華やかな笑顔でガバッと突然抱きついてきた。……近い近い近い。嬉しいのわかったから、ちょっと離れて。色々当たってるから! あ、なんか良い匂い……。


「……いい加減離れろ。暑苦しい」

「あ、ごめんごめん」


  鬱陶しそうにそう言うと、謝りながら離れていった。

  はぁ……ほんとに暑苦しい。ほんと、暑い。


「じゃあ、今から紹介してもいい!?」

「……もう好きにしろ」


  嬉しそうな藤谷の後ろを渋々ついて行く。

  とりあえず、藤谷が焦った顔をしてる時はしょうもない時。どうでもいいことを学んでしまった。


「ほら、早く早くー!」

「はいはい」


  扉の前で手を招く藤谷。

  彼女の下へと歩いていると、先ほど頭を過ったある疑問が再び湧いてきた。


  そうやって見栄を張って、作り上げた虚飾の姿は本当にお前の望むパーフェクト姉の姿なのか?


  ――と。


  ☆ ☆ ☆


「というわけで、あたしの彼氏の青柳だ!」

「……どうも」


  とりあえず説明とかは藤谷に任せて、俺は適当に合わせることにする。


「で、青柳。こっちがあたしの妹のアリシアだ!」

「先ほどはありがとうございました」

「ああいや……」

「まさか、お兄さんがお姉ちゃんとお付き合いをされてるなんて思いませんでしたよ。言ってくだされば良かったのに」

「勝手にあれこれ言うのもどうかと思ってな。黙っていてすまなかった」


  軽く頭を下げる。

  藤谷妹の態度はさっきまでのそれよりも距離を感じる。やはり、姉の男ということで警戒されているのだろうか。


「まあ、あたしが勝手に言っちゃったんだけどな!」

「ほんとだよ。藤谷、勝手なことするんじゃないよ」


  本当にな。

  ちろりと睨みつけると、ごめんごめんと手刀を切って謝ってくる。そんな俺たちを見て、藤谷妹は不思議そうに小首を傾げた。


「お付き合いされてるのに苗字読みなのですね。てっきり、名前で呼び合うものだとばかり思ってました」

「あ、あー、そうだよな! あたしらもいつもは名前で呼びあってるんだけどさ、こいつが恥ずかしがりやがって!!」


  痛い。叩くな。そして俺を落とすな。

  藤谷が横目で分かっているな? と念を押してくる。分かってるよ、さすがにこの流れを読めないわけがない。


「……今更恥ずかしがってもだし、いつもの呼び方に戻すか。咲希」

「そうだな、か、か……」


  あれ、こいつもしかして名前覚えてないのか。恥ずかしがっているというより、分からないみたいな感じだな。


「おい」


  隣にいる藤谷にだけ聞こえるように小声で話しかける。


「一葉だ。か、ず、は」


  そう教えると、彼女は恐る恐るといった様子で口を動かし始めた。


「えっと……か、カズ、カズくん?」


  ……まさかの愛称だった。確かにカップルとかで愛称で呼び合う姿はたまに見かけるからセーフ……なのだろうか。

  藤谷妹がどういった反応をするのか確認しようと思いそちらに視線を向ける。


「……へぇ」


  小さく、そして凍えるほど冷たい声音がこの中で一番年の低い彼女から発せられたものだと認識するのに少しだけ時間がかかった。


「二人とも、仲がいいんですね。よかったです」


  さっきの冷たい声などなかったかのように、明るい声でそう言った。


「おうよ。同じ釜で飯食う仲よ」

「炊飯器だけどな」

「似たようなものだろ」


  そういえば、さっき炊飯器鳴ってたんだよな。


「んじゃ、俺はそろそろ戻るわ。晩ご飯、作り終わってるし」

「あ、そう?」

「なわけで、そろそろお暇させてもらう」

「そっかー。じゃ、あたしらもご飯食べようか!」

「うん」


  俺はそう切り出して立ち上がる。


「大丈夫か?」

「問題なし! それじゃ、あたしがカレーライスを作ってあげよう!」


  試すようにそう聞いてみたが、すぐに自信たっぷりとそう返されてしまった。藤谷もこれまで頑張ってきたのだから、心配なんていらないか。


「じゃ」


  そう言い残して部屋を出る。

  無鉄砲で能天気な姉に大人しめな妹。まったく違ったタイプのように感じるが、仲は良いみたいだ。


「いいなぁ……」


  らしくもなく、彼女のことを羨んでしまった。

  そんな声は誰かに届くことなどないのに。


  ☆ ☆ ☆


  翌朝。

  夏休みにしては珍しく、朝早くに目覚めてしまった。


「父さんは……もう出かけてるよなぁ」


  昨日遅くに帰ってきた父さんは、今よりももっと早くに仕事へ向かったようだ。

  さて、二度寝でもしようかなっと思っているとコンコンっと控えめにノックされた。


「こんな早くに……って程でもないけど」


  七時前。早過ぎるって程でもないが、人を訪ねるにしては早い時間帯。適当に羽織りながら扉に近づくと、念の為覗き窓から覗いてみる。


  見えるのは、いつもより低い位置にある金髪。


「はいはーい……」


  開けた先にいたのは、想像していた人物を幼くした少女。藤谷妹ことアリシアだった。


「こんな朝早くにどうした、藤谷妹」

「おはようございます。ちょっと、お姉ちゃんの彼氏さんに話がありまして」

「はあ……」

「ここで話すのもなんですし、中入ってもいいですか?」

「玄関先でいいならいいけど」

「では、お邪魔します」


  布団とか出しっぱなしなので、話程度であれば玄関先で対応することにした。


「で、どうしたんだ?」


  扉を閉めて、要件を促す。


「妹として挨拶と……警告に」

「……警告?」


  思わず、一歩後ずさってしまっていた。その差を埋めるように彼女が一歩近づいてくる。


「お姉ちゃんと付き合うのはいいんです。お姉ちゃんが選んだ人なら。お姉ちゃんの気持ちを否定する気もないですから」

「……」

「でも、」


  一際声の温度が下がる。澄んだ瞳に闇が渦巻き映り込む俺を巻き込んでいく。


「もし、お姉ちゃんを悲しませるようなことをしたら。お姉ちゃんを泣かせるようなことをしたら。お姉ちゃんを裏切るようなことをしたら、」


  チクリと、手の甲にちょっとした痛みが走る。


「痛っ」


  彼女の手には小さな針が。

  きらりと光るそれが喉をめがけて上がってきた。


「赦さないですからね」


  有無を言わさぬ迫力。それに呑まれた俺は目だけで必死に肯定の意を示す。


「良かったです」


  にこぱっと笑顔を浮かべると、彼女は喉元に突きつけていた手を引いて反対の手を差し出してきた。


「よろしくお願いしますね、お兄さん?」


  大人しくも、明るくも、どこか薄暗い声音。

  それを拒絶することなど当然できるはずもなく、俺はその手に左手を重ねてしまった。


「あと、藤谷妹はやめてください。アリシア、そう呼んでください」


  ああ、嫌な予感しかしない。

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