第10話 幼馴染は宣言する

 

  テストが終わった。

  点数が終わってるという意味ではなく、期間的に終わったということだ。


「何ともまあ……普通な」


  全ての教科が六十〜七十点代。高いとも低いとも言えない。数学で六十点はちょっと良い方だと思うが。といっても、特に面白みも何もない結果だ事で……。

  周りからはテストが返却されて何点だったのか、ダメだった、勉強あんまりしてないからな、といった声が聞こえてくる。

  ちらりと藤谷の席を見てみるが、すでにそこには彼女の姿はなかった。


「一葉、いつもの場所行こうぜ」

「ああ」


  テストが返却され、いよいよ夏休みが近づき浮き足立つ教室の空気を背を向けて、いつの間にか定位置となってきている屋上に続く階段へと向かう。


「で、一葉、テストどうだった?」

「六十、七十。良くも悪くもないって感じ。根本は?」

「赤点ゼロ! いやもう学校のテスト楽勝だわ」

「基準が赤点な時点で楽勝ではねぇんだよなぁ」


  そんなどうでもいい会話を繰り広げながら歩いていると、いつの間にか目的地に到着していた。


「あれ、彩月さんじゃん。どしたの?」


  階段にはすでに先客がおり、黙々と本を読んでいた。彼女は根本の声でこちらに気づくと、パタンと本を閉じて顔をあげる。


「友達なのだから、お昼ご飯一緒に食べようと思って」

「歓迎歓迎。な、一葉?」

「……お、おう」


  先日の言葉が頭を過り、反応が少し遅れてしまった。


「そういえば彩月さんはテストどうだった系?」

「系統は分からないけれど、テストは全て満点だったわ」

「まっ!?」


  彩月の方を指さして、口をパクパクしながらこちらを見てくる。何言ってるのか分からないけど、面白いなその顔。


「中学の頃からずっと満点だったよな、確か」

「驚いた。よく知ってるわね」

「なんか先生がよく褒めてたからな」


  完璧超人の優等生。あの頃からそういう認識だった。そのせいか、近寄り難い印象を持たれたり、疎まれたりしていた。本人はまったく気にしていたようには見えなかったが。


「となると……残りは藤谷さんか。一葉、藤谷さんどんな感じだった?」

「なんで俺に聞くんだよ」

「そりゃあ、お隣さんだし一番仲良さそ」

「そういうのは本人に聞いた方が早いんじゃないかしら」


  根本の言葉を不機嫌そうな彩月の声が割って入る。二人揃って彩月の方向へと視線が向かうと、それに気がついた彼女は俺たちの背後を指さした。


「あ、本人じゃん」


  振り返ってみると、そこには教室にはいなかった藤谷の姿があった。そして何故か、彼女はこちらに向かって全力疾走で向かってきている。


「え、これ避けた方がいいやつ?」

「よし、一葉。盾になれ」

「やだよなんでだよお前がなれよ」


  ここでもみ合ってもどうしようも無いので、二人揃って壁にペターと張り付いた。ああ……壁がひんやりしてて気持ちいい……。


「かっれりーーん!!」


  猪突猛進。一直線に爆進して来た彼女は大声でそう叫びながら俺たちの背中を通り過ぎ、彩月に抱きついた。


「見て見て! テスト、四十点以上! 快挙だよ快挙!!」

「ちょっと離れてくれないかしら。暑い。というか、あれだけやって四十点って貴女……」


  彩月は抱きついてきてぴょんぴょん跳びはねている藤谷をひっぺ剥がす。そこでようやく藤谷は俺たちの存在に気づいた。


「あれ、青柳に根本いたんだ」

「……あ、ああ。まあ」


  いつの間にか仲良くなってる二人に驚き固まってしまっていた。彩月の方は鬱陶しそうに見えるけど、多分仲がいいのだろう。


「藤谷と彩月ってそんなに仲良かったっけ?」

「親友よ親友。なー、かれりん」

「ちょっと何言ってるのかわからないわ。勝手に親友にしないでもらえるかしら」

「辛辣!?」


  彩月の辛辣な一声に藤谷が泣き崩れる……フリをしている。そんな彼女を無視して彩月は続ける。


「この子の勉強を見てあげてたのよ。ただそれだけの事よ」

「そういうことか」


  一度見たことがあるが、藤谷の成績は誇張なしに壊滅的だった。それをここまでのレベルに引き上げたのであれば相当丁寧かつ的確に教えたのだろう。

  ただ、その勉強をいつしたのかという疑問はあるが……。


「勉強は基本的に通話でしたわ。あと、短い時間で区切りつつね」

「心読むな心を」

「時間がなかったから、確実に出るであろう部分を重点的にやった結果よ。これはその場しのぎでしかないから、次からはもっと前から計画的に勉強することね」

「えぇー……」


  一気にさっきまでのハイテンションが急落していく。やはりというかなんと言うか、俺よりも上手いこと藤谷のサポートをしてくれたみたいだった。


「ん? ……あれ、ちょっと待って。もしかしてオレ、この中で一番テストの結果悪かったのでは?」

「知らん」


  多分、そうなのだろうけど。

  ショックを受けてる根本を無視して藤谷と彩月の二人を見る。最初の頃に感じていた、誰かが間に入る必要のある雰囲気ではない。


『青柳くんには彼女が必要なんだって思っただけよ』


「じゃあ、今度もかれりん勉強手伝ってよねー」

「まず自分でやろうとしなさい。あと、かれりんって……」


  これ以上俺は必要がない。

  彩月 花蓮ならば、藤谷 咲希の目標になりながらも彼女のサポートを俺以上に完璧にこなすだろう。彩月本人がそうすることを拒絶するのであれば、別だったがそういった様子もない。


『青柳くんには彼女が必要なんだって思っただけよ』


  だから俺はもうお役御免。必要性も、必然性もない。これから彼女に関わっていく回数は徐々に減っていくだろう。

  そう思うと、すぐ近くで起きている藤谷と彩月のじゃれあいが遠い場所の出来事のように感じてくる。


  不意に藤谷 咲希がこちらを振り向いた。

  そしてたたっと、それほど遠くない距離を早足で駆け寄ってくる。


  そうして、屈託のない、邪気のない、あの純粋で明るいいつもの笑顔で言うのだ。


「青柳も、もちろん手伝えよな!」


  自信たっぷりと、断られるなんて微塵も思っていない様子で。


「料理とか掃除とか、妹来るまでそんなに時間ないし!」


  あの日のように瞳の色には不安なんて無くて、そこには信頼の色だけがあった。


  ……まったく、こいつは。本当に、こいつは。


「……まあ、一度乗りかかった船だし、やる気があるなら手伝おう」


『青柳くんには彼女が必要なんだって思っただけよ』


  やっぱりね、といった顔が腹立たしい。

  そういうんじゃねぇっての。


「あ、あと根本も」

「オレはついでかよ!」


  ようやく藤谷が離れると、彩月はこちらに歩み寄ってきた。


「よかったわね」

「何がだよ」

「まだ彼女と関わる理由が出来て」


  鼠をいたぶる猫のような目がこちらを捉える。

 

「……意味わからねぇ」


  本当に意味がわからない。どれだけ睨みつけても怯む様子もない彼女の姿が、酷く恐ろしく感じられた。


「貴方は、昔から理由がないと人と関わろうとしないから」

「それは……」


  思い当たる節がないわけではない。でも、そんなもの何を今更、と言わざるを得ない。


「というか、昔っていつのことだよ」

「さて、いつの事かしらね」


  小学生の頃か中学生の頃か。高校に入ってからは特に何もなかったはずだから、そのどちらかか。


「ねぇ、」


  彼女はさっと前に来てこちらを見上げてくる。その瞳は先程までとは違って不安が垣間見える。


「なんだ?」


  そんな彩月の表情を見るのは本当に久しぶりで、声の調子が少しだけ昔に寄ってしまった。


「今度は離れるつもりは無いから」

「……」


  決意の籠った発言に返せる言葉は持っていない。そんなことは承知の上だったのか、彩月は言いたいことだけ言い終えると用事は終わったとばかりに視線を外した。


「早く昼ご飯、食べてしまいましょう。昼休み、終わるわよ」

「え、マジじゃん!」

「うおっ! 急がねぇと!!」


  彩月に声をかけられた二人が、慌てたように弁当を取り出す。根本は手作り弁当、藤谷はコンビニ弁当。……いやおい。料理しろよ、料理。


「……あれ。青柳早くしないと時間なくなるぞ?」


  一向に弁当を取り出しもしない俺を不思議に思ったのか、彩月がそう声をかけてくる。

  俺には藤谷が必要。それが生活を藤谷に支えられているとか、クラスでの立ち位置が藤谷ありきだとか言うことではない。その言葉が示すことはただ一つ。


  だが、それがもしそうなら、それは――。


「……そうだな。早く食べないとな」


  夏が始まる。

 

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