第9話 幼馴染はそう言った

 

 

  連れてこれられたバッティングセンターはあまり人はおらず閑散としていた。


「バッティングセンター、よく来るのか?」


  あまりイメージはないけど、わざわざここに連れてきたということはそこそこ通ってたりするのだろう。そう思って聞いてみたが、彩月は首を横に振った。


「初めてよ。元々興味はあったのだけれどもね」

「え、じゃあなんで……」


  彼女は俺の疑問に答えることなくバットを構える。初めて来たと言った割には、その構えはなかなか様になっていた。

  そしてぐっとバットを握り、球が発射されるとバットの先端が綺麗な弧を描いた。


  ――そして、綺麗に空を切った。


「……」


  なんとも言えない空気が流れる。

  どう反応したらいいか分からず固まっていると、彩月の形の良い唇が自嘲気味に歪んだ。


「ホームランを打つだろう、なんて考えていたようね?」

「あ、……ああ、まあ」


  気まずさからか、俺はついつい視線を逸らしながら答えてしまう。少しのあと、ちらりと彩月の顔を伺ってみると、彼女は悪戯が成功した子供のような頬笑みを浮かべていた。


「ねぇ、上手くなるために最も重要なことってなんだと思う?」

「え、さい……」


  才能、と言いかけて立ち止まる。

  喉の奥で何かが引っかかって、才能という二文字を引き止めた。


「どうかしたのかしら?」

「……なんでもない。答えは努力とかだろ」


  今の彼女の姿と、昔見た少女の姿が重なったからだ、なんてとても言えない。彼女が完璧なのが才能のおかげではない事を知ってるからこそ、言えない。


「それも大事だけれど、もっと大事なことがあるわ」

「それってなんだよ」


  俺の心の中を見透かしているような視線が居心地が悪くて、少しだけ目を逸らして問い返す。


「それはね、」


  そう言いながらバットを構える。それと同時に球が発射され、鋭くバットが弧を描いた。


「興味を持つことよ」


  カキーンっと気持ちのいい音が彼女が見事に球を打ったことを伝えてくれる。


「興味を持って取り組むのと、義務感や強制的に取り組むのとでは吸収率に雲泥の差が生まれるから」

「そうは言っても、興味のあることだけしかやらないなんて通用しないだろ」

「そこは否定しないわ」


  バットを置くとこちらに歩み寄ってきて、彩月は俺の隣に腰を下ろした。


「それでも、彼女はあなたが思ってる以上に大人よ」

「そうか?」

「ええ。だって彼女、『やりたくない』と感情に任せて訴えるのではなく、『もう時間だから解散しないか』と提案してきたのだもの。少なくとも、感情のままに動かない点は立派だと思わないかしら」


  そう言われて、確かにそうだと納得してしまった。感情的にならずに相手を納得させるだけの理由を提示する。そのことがどれだけ難しいことか、俺はよく知っている。

  そして、それが出来る藤谷というイメージは、今俺が持っていたイメージとは違っていた。


「……ああ、そう言えば質問に答えてなかったわね。『藤谷をどう思うか』だったかしら。そうね、純粋で無邪気なあの感じは好ましいと思ってるわ」


  その答えも俺の予想とは違っていた。

  俺はいつの間にか、藤谷はこういうやつだと彩月はこういうやつだと決めつけて、本質を見誤ってしまっていた。弱みばかりに気を取られ、強みになるところを見逃してしまっていた。


「一つ言っておくけれど、先日の彼女は確かに色々悪かったわよ。連絡を忘れておきながら悪びれないところとか、三十分で解散を言い出したこととか……あ、貴方の料理を勝手に食べたこととか」


  最後の言葉は声が小さくて聞き取れなかった。ただ、話の流れ的に先日の藤谷の気に入らなかったことを言っているというのはわかる。


「それに貴方のことを悪く言ってるつもりはないわよ。青柳くんが悪意ではなくあの子のためを思っているのはよくわかるから」


  気遣わしげにそう言うと、徐に立ち上がって「帰りましょうか」と提案してきた。

  それに俺は小さく顎を引いて「ああ」と、短く答えるのだった。



  外は少し薄暗い。日はもう落ちていて街灯や家から漏れ出る明かりだけが夜道を照らしていた。頼りない光に浮かび上がるのは二つの影。

  俺は彩月を送るべく横並びに歩いていた。


「ねえ、」


  一歩半ほど前を歩いて、くるりと回ってこちらを見上げてくる。


「私からも聞いていいかしら?」

「なにをだ」


  上目遣いでそう尋ねてきたのを低い声で問い返す。すると彼女はピンっと人差し指を立てて続ける。


「青柳くんが藤谷さんのことをどう思っているのか……とか?」


  彩月の瞳が妖しく輝く。その姿は酷く蠱惑的で一瞬呼吸を忘れてしまった。


「……別にどうも思ってないよ」

「本当に?」


  一瞬たりとも彼女は俺の顔から視線を逸らさない。真偽を確かめる言葉にはどこか責めているような響きを孕んでいた。


「なら、なぜあの子のことをこんなに気にかけているの?」

「それは……一応、友人だからな。それに一度面倒みるって言った以上、何もせずにポイは出来ないだろ」


  だからこそ、俺は彩月を紹介したのだ。目標となるであろう彩月に俺の役割ごと押し付けようと思って。


「なるほど……ね」

「何か言いたいことでもあるのかよ」


  俺の問いかけに彩月は微笑むだけで何も答えない。満月を背にした彼女は答えの代わりのように嘯いた。


「青柳くんには彼女が必要なんだって思っただけよ」

「はあ?」


  なぜ、俺の方が必要なのだと言うのか。俺は藤谷に何かをしてもらった覚えもないし、なんならずっと世話をしている。それなのに俺の方が藤谷が必要だなんて……。


「ねぇ、青柳くん」


  見覚えのあるマンションの前で立ち止まる。確か、彩月が住んでいたマンションだ。いつの間にかこんな所まで来ていたらしい。


  闇夜の色に似た髪がゆらりと揺れる。それを手で整えながら、彼女は自信ありげに宣言するかのように言葉を紡いだ。


「私、こう見えて負けず嫌いなの」


  そんな、今更のようなことを宣言されてしまった。唐突で、まったくの予想外の発言にどう返事をするべきかわからずフリーズしてしまう。

  そんな俺を見て彼女は小さく笑みを浮かべ、


「送ってくれてありがとうね」


  とだけ言い残してマンションへと消えていった。


  取り残された俺はしばらくの間、時が止まったかのように動けなくなった。

  夜には騒がしい虫の音もなくって、ただただ彩月の言葉が残響のように耳に残った。


  ☆ ☆ ☆


  ようやく自分の家に到着した。

  いつもよりも遅い時間帯。まあ、それでも父さんが帰ってくる時間ではないし家には俺一人だけだろうけど。


「あれ」


  アパートの窓、ちょうど自分の家となる部屋から明かりが漏れていた。


「父さん……?」


  仄かな期待を抱きながらドアノブをひねる。

  ガチャりと扉が開いて中に入る。我がもの顔でくつろいでいる藤谷の姿が目に入った。

  ……いやまあ、何となく想像はついてたけど。


「なんでいるの?」

「今日の晩ご飯食べに来ただけ」

「いやおい」


  自分で作れよ。


「そういえば、こんな遅くまでどこ行ってたんだ?」

「ちょっと彩月と遊びに」

「ふーん」


  聞かれたから答えたのだが、すぐに興味を失ったのかこちらに背を向けて寝転がる。


「少しは興味持てよ」

「お土産ある?」

「ねぇよ、ない。近場で遊んだだけだし、なんでわざわざお土産を用意すると思った」

「興味持てって言うから……」

「お前はそういう物的なことにしか興味を持てないのか」

「うん」

「はあ……」


  藤谷の相手はほどほどにして晩ご飯をチャチャッと作ってしまおう。もちろん藤谷の分は作らないが。

 

『青柳くんには彼女が必要なんだって思っただけよ』


  俺にこいつが必要?

  そんなわけない。今の今まで頼られることはあってもこちらから頼ることなんてなかった。それなのになぜ彩月は……。


「考えても仕方がない、か」

「何か言ったー?」


  これ以上考えても答えが出そうにないと諦める。代わりに余裕な様子でだらけきっている藤谷に水を向けた。


「何でもない。というか、お前はちゃんとテスト勉強してるのか?」

「ふっふっふっ。よゆー!」


  ビシィッと格好つけながら親指を立ててくる。

  ……不安だ。

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