第3話 お隣さんはパーフェクト姉を目指します!
翌日の昼。
先日同様寝不足な俺はくぁっと小さく欠伸をして目を擦る。
「眠い……」
眠気の原因である藤谷は後ろで爆睡している。はあ……もう俺も寝ちゃおうかなぁ……。
「あの、ちょっといい?」
これもまた先日同様、今度は遠慮がちではないものの頭上から声が聞こえてきた。
「……はい」
気だるげに顔を上げると、予想通り彩月さんの姿が目に映る。
「今日提出の課題、藤谷さんがまだ出てないから……」
いやほんと言われる前に出せよ、藤谷。
内心でそう毒づきつつも、決して外には出さない。
「えーっと……悪いんだけど、今ちょっと喧嘩じゃないけど、あまり話せない感じだから彩月さんが聞いてくれないかな」
誤解を与えてしまわないよう言葉を選びつつ、そう答える。
「……そ。わかった」
こくりと小さく頷いて後ろで爆睡中の藤谷に話しかけに行ってくれる彩月さん。
あれから俺と藤谷は一言も言葉を交わしていない。というか、あんなことがあった後になんて声をかければいいのか、全然分からない。
この感じでは、家事を教えるという約束も守れそうにない。どうにかして、仲を元通りにしなければ……!
そう意気込んだはいいものの、どうすればいいのか何をすればいいのかさっぱりわからない。そうやって、うーんうーんと唸っては時間が潰れていってしまう。
「……はぁ」
知らず知らずのうちに深いため息を吐いてしまっていた。気分がどんより沈んでいて、こんな事なら昨日掃除するんじゃなかったと後悔する。
どんなに後悔しようがやり直したいと願おうが、意味がないことは分かっている。もう一度ため息を吐き出そうとしたその時、ちょんちょんっと肩を突かれた。
「はい……」
また彩月さんかしらと重い頭を動かすと、そこには藤谷の姿があった。体はこちらを向いてはいるものの、頑なにこちらを見ないとばかりに明後日の方向に顔を向けている。
俺は勢いよく席を立ち彼女と向き直った。
「……で? なんの用よ」
「はい……?」
予想外の言葉だったために、思わず聞き返してしまった。
「いや、だから、彩月さんが「青柳……くんが話があるって言ってたよ」って……」
当然、俺はそんなことを言った覚えはない。つまり、これは彩月さんの嘘だ。なぜ、そんな嘘をついたのか。
……答えは簡単だ。さっき断る時に言ったのを聞いて、お節介を焼いてくれたのだ。
彩月さんの姿を探して教室内をぐるりと見回してみると、教室からちょうど出ていく背中を見つけた。
これはあとでお礼を言わないとな。
「あー、そうだ。えーっと……」
せっかく彩月さんが用意してくれたチャンスだ。それを無駄にしないために口を開いたものの、なかなか言葉が出てこない。
「……あーっと、その……昨日はごめん」
昨日のことは、完全にこちらが悪かった。どちらに非があるかと言われれば、確実にこちらだろうし、俺から何も無かったかのような空気にすることは許されない。
「……あー、もう! 今まで散々迷惑かけてきたし、あれでチャラでいいよ!」
何を言うべきか迷っていたのか、何度も口を開閉させると勢いよく背中を叩いてきた。
「で、他には? 何か要件ある?」
「え……と、あ、料理の仕方教えるから帰りに買い出しによる……ませんか?」
☆ ☆ ☆
「おしっ、じゃあ何買えばいいんだ?」
「藤谷邪魔。ほんと邪魔」
自動ドアの前で仁王立ちすんな。人の邪魔になるだろ。
「さすがに人が多い時はしないって」
「少ない時でも、他人の邪魔になる行動はやめろよ」
事情があってー、とかならともかく、面白半分での迷惑行為はな……。ぶつくさと注意をし続けると、段々と藤谷の行動が面倒なやつをみる目に変わっていく。
「ってか、めっちゃ普段通りじゃん。学校での態度はなんだったのさ」
じろりと睨めつけながら聞いてきた彼女の問いに、俺はカゴをカートに入れながら答える。
「藤谷がいつも通りだから、なんかこっちだけ気にすんのもなー、ってだけ」
「なんかバカにされてるような」
「してないしてない」
本当にしていない。
いつも通り接してくるということは、こちらにもいつも通りの態度を求めているのだと解釈した。もちろんその解釈が間違っているのかもしれないし、謝れと言うのであれば謝るけれど。
「それならいいけど」
チョロいのか、それとも俺の解釈があっていたのか分からないが、珍しく大人しく引き下がった。
「で、何を買うんだ?」
「今日はカレーを作ろうと思います」
「なるほど」
「カレーを作るには、何が必要でしょうか?」
カートを押しつつ隣を歩く藤谷へ質問する。藤谷は顎に指をつけて考え込む。
「えーっと……お湯と米!」
「インスタントじゃないからな」
早々に幸先不安になってきたのだが。
とりあえず、せめて料理初心者のところまでの知識は必要なので教えることにする。
「えー……、カレーにはカレールー、肉、野菜が入っています。まあ、肉、野菜は無いやつもあるし一概には言えないけど」
昨日の残りものをとりあえず鍋に入れて、カレーにするってのはよくある事だし。俺の知っている中では、おでんをカレーにしたってのも聞いたことがある。
「今回は豚肉、にんじん、じゃがいも、玉ねぎを使ったカレーを作ります」
ちらと隣を見てみると、なるほどと呟きつつメモを取っている。……こういうやる気を勉強に活かせばいいのに。
「だからとりあえずは、今言ったものを買いに行く」
「先生! 隠し味はどうするんだ?」
「先生呼びするなら、せめて最後まで敬語であれよ。応用したいなら、基礎出来ないと意味ないだろ」
「何名言っぽいこと言ってるの?」
「うるせぇ」
こちとら名言のつもりで言ってないから。なんか言ってみたら名言っぽい感じになっただけだから。
言い訳をすると明らかに意識してるみたいになってしまうので、心の奥底でそう叫ぶに留めておく。
「じゃあ、良い野菜の見分け方とか教えて!」
「え、そんなの無いよ」
いや、そんな期待してます! 的な目で見つめられても困るのだけど。
「え、ないと困るんですけど」
「何に困るんだ?」
肩を落としてあからさまに落ち込む藤谷を見て、はてと首を傾げてみせる。確かに買うなら良いものがいいけど……そんな感じじゃなさそうだし……。
「ほら、妹と買い物に来た時、教えてあげられないじゃない。こうやって選ぶといいのよー! って」
「あー、そういう」
「助けを求めた理由がそれだから、忘れんなよ」
確かにそうだったわ。こいつは姉の威厳を保つため、あと妹から尊敬したいがために家事を教わりに来てたんだった。
「で、ないの? なんかこう……裏技的な」
無いんだよなぁ。
今までパッと見で良さそうなのを選んでいただけで、コツとか裏技とかそういうのは一切ない。そもそも、買い物で気をつけてるのは値段と賞味期限消費期限ぐらいだし。
そう答えようと思ったものの、何かを期待する藤谷の目を見て推し留まる。うーん、何か……何かないか……。
「……にんじんとかだと、切り口が瑞々しいのが良いんだと(ネット調べ)」
記憶を総動員して、昔ちょっとだけみた記事を思い出す。確かあれは、切り口は劣化が顕著に表れる部位だからだったか。
「ほー」
うんうんと頷いてメモを取り始める。
ご満足いただけただろうかと、顔を伺ってみるとまだ何かあるんじゃないかと、じっと見てきていた。
あ、これ。
「ねぇ、他に――」
「よし、さっさと買い物終わらすか!」
「いやだから、他には――」
「手分けするか。豚肉買ってきてくれ!」
じゃっ! と片手をあげてさっさとその場を立ち去った。
いや、俺そんなに詳しいってわけじゃないから!
☆ ☆ ☆
材料を一通り買った後、俺が住んでいる部屋の隣――つまり藤谷の部屋に訪れていた。
「なんか綺麗になってる」
そこは昨日とは全然違っていた。足の踏み場もなかった部屋が、必要最低限の物しか置かれていない簡素な部屋になっていた。
「ま、そりゃあ、あたしはやればできる子だから」
「それ自分で言うなよ」
「自分で言わなきゃ誰が言ってくれんだよ」
「確かに」
にしても、ゴミ袋がそこそこあるのが気になるものの、綺麗好きな子の部屋だって言われても信じるレベルだぞ。
「まあほら、昨日ちょっとまああったし、それである程度は片付けておこうと思って……」
「……自分から片付けるのは良い事だしな! うん」
こういう時なんて言ったらいいのか全然分からない。ただ、あまり深掘りはしない方が良さそうだったので、早速台所へと移動した。
「そんじゃあ、始めるか」
「おう」
ある程度食器や調理器具の位置を確認して、そう呼びかける。すると、隣から気合十分な声が返ってきた。よーし、いっちょ始めますか。
それからは――
「皮は剥かないとだめだから!」
「えー」
本当に――
「野菜、ちゃんと切って。繋がってるから」
「いや、そういう形のやつで……」
「そういう形のやつはない」
大変だった――
「だから隠し味入れないって!」
「いやほら、挑戦とか大事じゃん?」
「少なくとも塩はダメ! 多分だけど確実に塩はダメ!!」
目の前には、ごく一般的なカレーの姿があった。
「なんとか出来たぁ……」
疲労100パーセントの声が漏れる。疲れた、いやほんとに。今まで料理してこなさすぎだろ。
俺が本当に疲れたと内心で愚痴っている目の前で、カレーを美味しそうに食べ進める藤谷。そんな彼女は、一向に食べようとしない俺に気がついた。
「なんだ、食わないのか?」
「いや、食べるよ」
せっせとカレーを口に運ぶ。美味しい。ほんと美味しい。なんでかな、普段よりも美味しく感じる。疲れてるからかな……。
「なんかめっちゃ暗い顔で食ってんなぁ」
誰のせいだと……。言わないけど。
それから二人とも食べ終わり、最後に食器洗いの仕方を教えてやる。さすがにわかるかとも思ったが、案の定、食器洗いも手こずって一枚皿がお亡くなりになってしまった。……前途多難だよな、本当に。
「今日は色々とありがとな」
「ま、初めてにしてはなかなか上達したんじゃない?」
カレーを詰めたタッパーを持って、にやりとそう褒めてみる。
「ん、まあな」
藤谷は予想通り、彼女らしい自信に満ちた顔でそう返してきた。それが何故だか可愛らしく見えてしまい、ふっと笑みをこぼす。
住んでいるのがすぐ隣だとはいえ、昨日はもっと遅かったとはいえ、年頃の少年少女が夜中に会うには少し遅い時間だ。そろそろ解散しなければ。
「それじゃあ、そろそろ帰るわ」
踵を返して玄関へと向かう。
引き止められるはずもないことは分かっているので、何も言われないのにはどうも思わないのだが、珍しく見送りに来たうえに無言なのは少しばかり気になる。
「……」
なにかもう一言言っておくべきなのだろうか……。
言い表せない不安を胸に、扉に手をかける。そうして扉を開けると、挨拶ぐらいしとこうかと思い後ろを振り返った。
――――。
顔を両手で挟まれ、頬に熱い何かが押し付けられる。
「……それじゃ、今日は色々とありがとねー。じゃっ!」
ドンッと力強く押し出され、勢いよく扉が閉まる。追い出されたような形になった俺は、ポカーンとその場に立ち尽くしていた。
「え……は……?」
頬にキスをされてしまった。しかも見た目は一応美少女である藤谷に。
「いや、ちょ……」
わけが分からない。どうしてこんな事をしたのか。というか、今どき頬にキスとか口同士よりも恥ずかしくないか。ってか、これってやっぱりお礼的なやつで他の意味はないよな、うん。ほんと明日どうやって顔合わせろと、なんで二日連続気まずいスタートなんだよ。もしまた彩月さんに気を使わせてしまうようなことになったらどうするんだよ。
思考がまとまらない。突然のことへの戸惑い、そして羞恥心のせいだ。
そのせいで、心臓がさっきからうるさいのだ。脈が早くなって、顔がカーッと熱くなる。
「落ち着け、冷静になれ」
あれはお礼。他意はない。そう何度も言い聞かせても、脈打つ鼓動は早くなるばかり。
あれだけ藤谷をチョロいと言っておきながら、あれだけでこんな反応だなんて、俺も十分チョロいじゃないか。そう思うと、知らず知らずに自虐的な笑みが溢れてしまっていた。
どうしても頭から離れないあの時の映像を振り払うように、何度も何度も頭を振る。けれど、どうやったってダメだった。
手すりによりかかり、夜空を見上げる。空には昨日と比べるの若干大きな月があるものの、月と星の光がこちらを照らすということには変わりがなくて。
そのせいで昨日のこととさっきのこと、要はあの金髪の彼女のことを思い浮かべてしまう。
「あー、もう本当に、」
どうやったって忘れられない。
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