第2話 お隣さんは家事ができない


「で、結局どういうことだよ」


 とりあえず晩ご飯を作り終え、しれっと混ざってきた藤谷と食べ終えたあと、本日の本題の時間に突入した。


「あのですね……笑わない?」

「笑える要素があったら笑う」


 なんならこのしおらしい態度だけで爆笑ものだぞ。

 もじもじといじらしい態度をとる藤谷は大変レアなので、しばらく見ていたい衝動に駆られるが、生憎暇じゃない。食器洗い、課題等々やることは山のようにある。


「というわけで、要件をどうぞ」

「何がというわけ……?」


 細かいことはいいから、ほら、どうぞ。


「実はな……妹が、こっちに来るのよ」

「へー、良かったな」


 シスコンな藤谷にとっては嬉しい話じゃないのか? と聞こうと思ったが、どうやら話は終わってないようで大人しく待つ。


「あたしさー、実は家事とかあんま出来ないんだよね」

「うん、知ってる」


 どこまで出来ないのかは知らないけれど、とりあえずしないことだけは知っている。


「そこは否定して欲しかったなあ」

「ウソ、イクナイ」


 恨みがましげな目でこちらを見てくる藤谷さん。いや、ほらいいから、さっさと要件要件。


「それでな、妹にはあたしが完璧に家事こなしてるパーフェクト姉だって言ってるのよ」

「ウソ、イクナイ」

「嘘じゃないよ。ほら、ちょっと誇張しただけで……」

「ウソ、イクナイ」

「ぐぬぬ……」


 ぐぬぬ……ってお前……。

 ここまで来て、ようやく藤谷が何の用事で今日家に来たのか分かった。つまり、


「妹の幻想を壊さないために、助けてくれない?」


 家事を教えてくれるよう頼みに来たって訳だ。


「妹の幻想って……姉の威厳じゃないのか?」

「そうとも言う」

「そうとしか言わないだろ」


 ったく。だからあれほど、料理しろ課題しろ遅刻するなと言ってきたのに……。いやこれほとんど家事じゃねーな。


「だから頼むよー、何でもするからさー」


 何でもって……。こいつに頼めることはあるかなと、少しばかり考えてみる。……うん、無いな。頼めること、全然ない。エロいことも考えてはみたけど、普段の性格と様子を知っているせいか全然そそらない。


「あ! でも、エロい事はダメだからな!」

「ねーよ。絶対ない」


 即答で、且つ断言すると不機嫌になった。……どうすればいいんだよ。これ、興味あるって言ったら変態扱いだろ多分。


「まあ、藤谷が真人間になったら俺も負担が減るからまあいいけどさ」

「おっ、マジ? なら決定な!」


 不機嫌な様子から一変、上機嫌となる。


「それじゃあ、今日はもう遅いしまた明日にでも……」


 さっさと帰ってゲームでもしたいのか、早々に話を切り上げて帰ろうとする藤谷。


「そうはいかんぜ、お嬢ちゃん」

「何その言い方。おっさん臭い」

「同い年だっつーの」


 いやまあ、今のは自分でもどうかとは思うけども。


「今日は掃除でもしないか?」

「うぇ!? あ、いや、でも、もう遅いですし……」


 冷や汗ダラダラ、目が泳ぎまくりの藤谷に、俺は安心させるように笑顔で、肩に手を置いた。


「大丈夫。そんなに遅くまでやらないし、ちょっと整頓するだけだから」

「あ、あー、ははは……」


 顔に、頼む相手間違えた……と文字が浮かび上がっているがもう遅い。いっその事本当に真人間に更生してやる。


「すぐ終わりから、な?」


 明るくそう言ってのけると、ちらと上目遣いでこちらを見てきた。


「ほ、本当にすぐに終わるんだな? 信じるよ?」

「ああ、本当だとも」


 チョロい。

 ここまでチョロいと、この子の将来が不安になってくる。家事のついでに怪しい人について行かないとか、そういったことも教えた方がいいかしら。


「よし、じゃあさっさと終わらせよう!」


 パンっと手を叩いて元気よく部屋から出ていく。ほんと、元気だなぁ……と心の中で呟きながら、彼女の後を追った。



「うわぁ……」


 思わず声が出てしまっていた。


「……なんだよ、その目は」

「いや、別に……」


 お菓子の包装にペットボトルに……あーあ、服もこんなに散らかして……。


「ちゃんと掃除してる?」

「ちゃんとしてるよ……ちょっと前に」

「ちょっとってどのぐらい前?」

「あー……三ヶ月前?」


 なんで疑問形なんだよ。しかも三ヶ月前って……おい。


「これ今日中に終わるか……?」

「ええー。明日もやるのは嫌なんですけど」

「でもよ、ここまで汚いと住みづらくない?」

「いや、もう慣れたから」


 ええ……。

 若干引きつつも、時間も時間だしある程度やって明日に回そうと、頭の中でチャートを作る。


「とりあえず、取捨選択だけでもやっとくか」


 本来なら、引き出しとか押し入れとかのもの全部出してやる方がいいのだろうが、先に床をある程度綺麗にしておきたい。


「いるもの、保留、捨てるもので分けてくれ」

「保留って?」

「いつか使うかもしれないし……枠だ。最後にそこに入ってるやつをもう一度分ける」

「なんでそんなことまで……」

「いる、いらないだったら、いるの方が圧倒的に多くなるだろ。特に捨てられない! ってタイプは」

「まあ、そうだけどさ」


 納得してくれたのか、いそいそと分け始める藤谷。それを横目に、俺も俺で手を動かす。


「というか、ほんとに色んなゴミがあるよな。ゴミ箱に入れろよ」

「いやー。面倒くさくなるんだよね」

「だろうな。でも、その割には弁当箱とかないよな」


 こんだけ散らばっていると、コンビニ弁当の箱も転がっているものだと思っていたのだが、今のところ見当たらない。おにぎりとか、サンドイッチとかその辺が好きなタイプなのだろうか。何気なくそう口にし、手は動かし続ける。


「え、そりゃあご飯毎回お前のとこで食ってるから」

「そういえばそうでしたねぇ!」


 そういえば毎日来てたんだった。いや来るなよ、なんでそう平然としてんだよ。


「あたしの食はすでにあんたが握っているからな」

「何その脅してる風なのに言ってること全然違う言葉」


 軽口を叩き合いながら、掃除を続けること二十分。ようやく終わりが見えてきた。


「やっと終わる……」


 夜遅いこともあってか、どっと疲れが押し寄せてきた。こんな事なら、明日に回しとけば良かったと思いつつ、手を動かす。


「ん……?」


 ハンカチか? 脳が疲れていたのか、深くは考えずに無意識に掴んだそれを広げてみた。


「あ……」

「え”」


 そこまできてようやく自分が何を広げているのかを理解した。黒い生地にヒラヒラとしたレースのついた――下着だった。


「うぉっと」


 強引に手に持っていたそれを奪い取られる。どういう反応をすべきかなと思いつつも、とりあえずそれの所有者である彼女の方を向いてみた。


「……」


 真っ赤な顔でプルプルと震えていた。顔を赤くしているのは羞恥からか、それとも怒りからか。

 どちらかなのかは分からないけれど、少なくとも今選択を間違えたら詰むことは確かだ。ここで良い感じのフォローまたは言い訳をしなければ、明日からの俺はクラスメイトの女子の下着をとった変態扱いされかねん。


「あー、えーっと……」


 頭を掻きながらなんて言うべきか模索する。だが、そうこうしている間にも藤谷の頬は風船のように膨らんでいっていた。


「ごちそう……あー、なんかごめんね?」


 一つ言い訳をしてもいいのであれば、その時の俺は疲れからか眠気からか、はたまた動揺からか頭がちっとも働いていなかった。


「出てけぇぇ!!」


 初めて聞く大きな声で、藤谷の部屋から追い出される。力いっぱいに背中を押してくるのに抵抗することなく、そのまま部屋から俺は出た。


「おやすみっ!」


 彼女も動揺しているのか律儀なのか、そうとだけ言い残して思い切り扉を閉めた。

 夜空に浮かぶ星月は綺麗に輝いていて、思わず息が漏れ出てしまう。シンとした夜中に一人でいると、まるで世界に俺だけしか存在しないかのような気がして、独り言が自然と漏れ出てしまった。


「黒か……」


 何がとは言わない。だって独り言だから、何がとは言わなくても自分には伝わる。ただ、こんなことを考えてしまうあたり俺は割と限界みたいだった。


「寝るか」


 そう、それがいい。俺は宵闇に背を向けて、自分の家へ向かう。

 夜も遅いその時間は、シンと静かに静まり返っていて、


 ――隣の部屋から聞こえる何かをぶつけたり落としたりする音ははっきりと聞こえてきた。

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