トワが朝目を覚ますと、部屋に青年の姿は無かった。

 あぁ、もう帰ってしまったのか。

 トワは思う。

 残念だな。最後の別れくらい言いたかったのに。

 眠い目をこすりながら、トワはほうきを持って外に出た。


 少年の朝はいつも決まっている。


 海風が通った跡がついた地面の砂をならしながら島の反対側へ行き、積み上がったボトルの山を眺める。

 毎日見に行っても大した変化はないのだが、それでもしっかりこの光景を目に焼き付けておくことが、彼に任された一番大事な仕事だとトワは考えていた。

 だから今日もいつも通り砂を平らにしながら丘を登る。

 人が増えたから足跡がいつもより多めなのが、トワは少し嬉しかった。

 青年が昨夜ベッドであれこれ考えていたのと同じで、トワも昨日はどこか心がそわそわしていてうまく寝付けなかった。

 トワにとっては初めての経験だらけの一日。

 あの青年は楽しんでくれただろうか。

 初めての客人を、しっかりおもてなしできただろうか。


 僕が語った物語は、彼の何かを変えることはできたのだろうか……。


 青年は優しかった。確かに口は少し悪いけど見ず知らずの僕を、世間知らずの僕を信用して、隣で一緒に過ごしてくれた。

「僕が質問したときも、嫌な顔しながら何気に答えてくれましたしね」

「ふふふ」と笑いながらトワは昨日の夜の会話を思い出す。


「そういえば元の場所ではどんなことしていたんですか?」

「は?」

 夕飯を食べた後、リビングでココアを飲んでいた青年にトワは話しかけた。

「僕はここしか知らないんで、島の外ってどんな感じなのかなーって思って」

 青年は眉間にしわを寄せて、でっかいため息をつく。

「どんな感じって別に大したところじゃねぇよ。建物がやたら高くて、人がごちゃごちゃしてて、いるだけで疲れる。そんなとこ」

 へぇーとトワは驚く。

「なんか想像できないですねー。すごいですねー。そんな場所で毎日何してるんですか?」

 トワは目をキラキラさせながら青年に近づく。

「もしかしてその高い建物でお仕事ですか?かっこいいですねー!」

 青年はまた大きなため息をつく。

 面倒になってきたのか、返事も適当だ。

「あーそうそう、そんな感じ。他のやつと一緒に詰め込まれて、将来だの未来だののためにお勉強すんの」

 クソみたいな毎日だよ、と青年がボソッと吐き捨てた言葉がトワの耳に残る。

 青年はいい人だった。

 でも時折どこか辛そうで、すごく悩んでて。

 彼はきっと自分の中にある何かと戦っていて。

 だからそんな彼を少しでも元気づけたくて、トワは口を開く。

「それでもそうやってまだ見ぬ何かのために頑張っているのは、やっぱりすごいと僕は思いますよ」

 トワの言葉を聞いて、目を見開く青年。

 そして唐突に「ふん」と鼻で笑い、表情が少し優しくなる。

 それを見て「よかった」と心の中でトワは思う。

 辛そうな君の心に僕の言葉が少しでも届いたならそれでよかった、と。

「でも、お前のほうが俺なんかよりよっぽどすごいと思うけどな」

「え?」

 突然の言葉に顔をかしげるトワ。

「世界中のやつらが忘れてしまったものを、お前だけは最後まで寄り添ってやってるんだからな」


 お前はほんとすごいよ。


 青年がトワに向けてくる優しい笑顔。

 それを見て、今度はトワが目を見開く番だった。


 おかしいな、とユウは思う。


 僕が彼を救うはずだったのに。

 なんで僕が彼の言葉に救われている、そんな気がするのだろう……。

 やっぱりあの青年はいい人だ。


 トワは昨日の出来事を振り返りながら改めて思う。

 彼はずっといい人だったと。


 風がひゅーっと吹き、せっかく平らにならした地面にまた歪みができる。

 これも日常茶飯事だ。

 それでもへこまずに「墓守」でい続けているのは、きっとそれが彼の仕事だからだろう。そしてこれからも消える最後の瞬間まできっと、ずっと、そうあり続けるのだろう。

 トワ自身はそう思っていた。

「よし!今日も張り切って頑張りますか!」


 だからまさか平穏なこの島に、あんな音が鳴り響くなんて一度も思ったことがあるはずもなかった。


 ガッシャーン


 唐突に聞こえたその音。

 恐らく家の裏から聞こえたであろうその音に向かってトワは駆け出す。


 ガラスが割れた音。


 その音がこの島で響くということは、トワにとってはただガラスが割れた以上の意味を持っているものだったから。

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