「もう少しですよ!」

 手を引かれたまま連れてこられたのは、どうやら家の裏側のようだった。

 トワの家が小高い丘の上にあるからだろうか。それとも遮る木がこの島には一本も生えていないからだろうか。

 潮の香りがする冷たい風が、青年の全身をすり抜け、耳の横でごうごうと音をたてている。

「まだ目を開けちゃダメですからね!」

「ふふふ」とまた笑いながらトワは青年を引っ張り続ける。

 家を出る直前に目を瞑ることを指示された青年は、全てのコントロールをトワに預けてしまったことにビクビクしながらも、律儀についていく。

 口は悪くても、根は優しい青年なのかもしれない。

「はい、着きましたー!」

 目を開けていいですよ、と言われるのと同時に青年はゆっくりとその声に従う。


 この島に漂流してから、青年は一面に広がる砂地と砂の丘に建つトワの家しか見ていなかった。


 この島には一体何があるのか。

 トワはなぜこんなところにいるのか。

 彼の仕事は、「墓守」とは、一体どういうことなのか。


 青年は今自分が見ているこの景色が、目の前に広がるこの光景が、その全ての答えだと思った。


「すごいですよねー。よくぞここまで流れつきましたね!って感じです」

 辺り一面を埋め尽くすガラス製のボトルの数々。

 重なりあって、積み上がって、大きな山のとなって盛り上がっていた。


 それはまるで果てしなく続くゴミの山のように。


 瓶のサイズや色はバラバラ。ビール瓶のように少し大きめのものもあれば、栄養ドリンクが入ってそうな小さなサイズのものまである。

 半透明の青や緑色が沈みかけの太陽の光を反射して、海と同じくらいキラキラ光っている。

 素敵な現代アートにも見える。

 ただ、この光景からは、どんな優れた芸術家でも表現することのできない、根本的な何かが伝わってくる。

 青年はごくりと唾を飲み込む。

 本当は口の中はカラカラに乾いていて、飲み込む唾などなかったのだが、何かせずにはいられなかった。

 この光景からは、綺麗な見た目に隠された何かがある。


 潮風に紛れて哀愁漂う死の匂いが香ってくるような、そんな気がする。


「これは、何なんだよ……」

 青年は前を見ながら声を絞り出す。

「この大量の瓶はどこから……」

 トワは最初に会った時から変わらず笑顔。


 驚きますよね。

 でもこれからもっと驚きますよ、と。


「ここの島には表側と裏側があるんですよ。あなたが漂流してきた方が表側。砂地しかない虚無の空間です。そしてこっちが裏側。世界中に繋がる海流に乗って、忘れ去られた物語たちが最後にここに漂流する」


 この瓶の中には、もう誰にも語られていない物語が、一つ一つに詰まっているんですよ。


 果てしなく続いているガラス瓶の山のそのさらに奥を見ると、海の上を漂いながら島に上陸する順番を待っているさらに大量の瓶が海上で列を作っていた。

 青年は近くにあったボトルを一つ手に取る。

 恐らくここに着くまでに何度もぶつかったのだろう。今にも割れそうなほどヒビが入っている。

 中を覗いてみると、丁寧に丸められた紙が入っていた。

 これがその「忘れ去られた物語」なのだろうか……?

「忘れ去られたってどういうことだよ」

 青年はトワの方を見る。

 トワもまた、瓶を一つ手に取って沈んでいく太陽にかざしていた。

「言葉のままの意味ですよ。もう誰も覚えていないから、もう誰も必要としなくなったから、物語たちは最後の最後にここに集まってくるんです」

 今に始まったことではないが、青年にはやはりトワの言ってることは理解できない。温かいココアをくれた彼が悪い奴ではないことが分かっていても、こんな話は流石に信じきれないのかもしれない。

 世界中の物語がこんな瓶の中に入って、海の上を漂うなんてことが本当にあるのだろうか。

「流れついた物語たちは、ここでゆっくりと消えていくのを待つんです。消えて砂になって、綺麗さっぱり忘れ去られる。そのためにこの島があるんです」


 それを見届けるために、僕はいるんです。


 トワが手を上にあげると、彼が持っていた瓶が潮風に吹かれてサーっと砂になり、どこか遠くの方へ跡形もなく消えていった。

 青年が持っていた瓶も、いつの間にか消えてキラキラと光る砂だけが手のひらの上に残っている。

「ここに集まる物語ってどんな内容なんだ?」

「そうですねー」

 青年の問いにトワは、また困ったような顔をする。

「瓶の中に入っているお話の内容は、実は僕も知らないんです」

「なんで?仕事なら開けて読んだりするんじゃねぇの?」

 トワは首を振る。

「読みませんよ。だって、誰か一人でも読んでしまったら、その物語は消えれないじゃないですか」


 また誰かに語ってもらえるって、期待しちゃうじゃないですか。


 トワの笑顔に、青年はドキッとする。


 こいつはいつも笑ってる。


 見てるこっちがイライラするくらいニコニコしてる。

 でもその笑顔が、今はどうしてこんなにも悲しそうに見えるのだろうか。


「夜が近づいてきましたね」


 いつの間にかオレンジ色に輝いていた夕日は、水平線の向こうへ沈みきっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る