島の中央にあるトワの家に連れられて、混乱していた青年はようやく一息つく。

 トワが作ってくれたココアは体に染みる温かさで、優しい甘さが疲れを癒してくれた。

 青年はてっきりたちの悪い夢でも見ているのかと思っていたが、この感覚は妙にリアルだ。

 いろいろなことが起こりすぎて頭の中で処理しきれない。


 学校にいたはずなのに、目が覚めたらどこか遠くの孤島に漂流していた。


「津波でも来たのか……?いや、都心まで来るほどのバカでかい波なんてありえねぇか」

 自問自答に苦笑しながら、本当に一体ここはどこなんだと、青年は改めて辺りを見回す。

 トワの家はこの島の中心の丘の上にある、こじんまりとした小さなコテージだった。

 木が一本も生えていないこの島に木製の建造物があるのは少し違和感があるが、家の中にあるオレンジ色の明るいライトや、暖炉からくる優しい炎の熱は、この無機質な孤島とは対照的で、唯一生命を感じられる場所のように思えた。


「あいつ、一人でずっとここに住んでんのか……?見るからに何もなさそうなこんな島に」


 家の外には何もないからこそ、家の中はこんなに物で溢れているのかもしれない。

 床に積まれたカラフルな表紙の本棚。

 箱いっぱいに詰められたぬいぐるみ。

 そして青年の視線を一際引いた、棚の上に置かれていた一本の古そうなガラス瓶。

 ガラスがくすんでいて、ところどころヒビが入っているその瓶の中には、どうやら紙が入れてあるようだった。

 ボトルに手紙でも入れて海に流すつもりなのか?

 ココアをすすりながら青年が瓶とその中身をぼーっと見つめていると、部屋のドアがガチャっと開く音がした。

「少しは温まれましたか?」

 ニコニコした顔でトワが青年に駆け寄ってくる。

 風呂で海藻まみれだった青年の体が綺麗になったことは嬉しいが、貸したトワの服は彼にはサイズが少々小さかったようだ。丈があっていない服を無理矢理着ている姿は、災難に遭った彼には申し訳ないが、やはり面白いなとトワは思う。

「あ!お腹空いてませんか?今日はもう暗くなるので、ぜひここに泊まっていってくださいよ」

 元の場所に帰るのは、明日でも遅くないでしょう、と青年に笑いかける。

「明日になったら俺帰れんの?」

 元の場所に戻れる希望が見えたからか、青年の顔が少し明るくなった。


 無愛想な顔をしないで、もっと笑えば素敵になるのになー、とトワは思う。


「もちろん!あなたがそう望めばですが」

「俺が望めば……?」

「はい!」

 望まないわけねぇだろ、と青年は心の中で思う。

 こんなよく分からない島にいるより元の高層ビルだらけの島国の方がマシに決まっている、と。

「そもそも本当にここどこなんだよ。どこにある島なんだ?」

 青年がトワの方を見ると、トワも困った顔で青年を見る。

「どこの島かと聞かれても……。実は僕もよく分かってないんです。仕事でいるだけですから」

 苦笑いを浮かべながら答えるトワ。

 少しでもこの青年が元の場所に帰れるお手伝いをしたいが、そもそもトワにとってもこんな摩訶不思議な出来事は初めてなのだ。


 今まで知らなくても困らなかったし、そもそも知ろうともしていなかったことが、こんなところで必要になってくるなんて……。


「そういえばお前、墓守しているって言ってたよな。この島に墓なんてあんのか?」

「いや、お墓はないですよ」

 おや!今度は答えられる質問ですね!と、律儀に答えるトワ。

「は?墓がないのに墓守してんの?」

「そうですね。厳密に言えばそうなります」

 こいつ何言ってんだ……と心底青年は思う。

 確かに俺よりも年齢は低そうに見えるし、こんな小学生みたいな子供が仕事なんてしてるわけないとは思ってはいたが……。

 そんな呆れた青年の心情なんてつゆ知らず、「そう言われると、墓のない墓守ってなんか面白いですね!」なんて呑気にはしゃぐトワ。

「じゃあ墓のない島にいる墓守さんは、一体こんなところで毎日何をしてんだよ?」

 イライラを隠さず吐き捨てた青年の言葉を聞き、無邪気な笑顔で笑っていたトワがぴたりと止まる。


 困ったな、とトワは思う。


 やっぱり今日は嬉しいことだらけかもしれない、と。


 この人は知りたいんだ。

 この人は僕にこの島のことを語って欲しいんだ。

「墓石がなくても、たとえ形でそう呼べるものがなくても、ここはちゃんとお墓なんですよ」

 青年は困惑した表情を浮かべている。

 まるっきりトワの言葉が理解できていないようだ。


 大丈夫ですよ。


 言葉にしないけれど、トワは彼に向ける笑顔にその想いを込める。


 物語はまだ始まったばかり。

 これからどんどん面白くなっていきますから。


「ここにいるより、見てもらった方が伝わりやすいですね。さぁ、お出かけしましょう!」

 青年はトワに引っ張られてふらつきながらも席を立つ。

「え、は?おい!ちょっと待てよ!」

 もちろん小さな少年の力なんて青年からしたら大したものではないが、自分よりも年下を押し倒すのはさすがの彼でも気が引けて、されるがままになっている。

「そんなに服引っ張んなって!そもそもどこに出かけるんだよ」

「大丈夫ですよー。この島の反対側に行くだけです」

 ふらふら歩く青年の様子に、「ふふふ」と悪巧みをしている子供のように笑うトワ。

 その顔を見て、「ああ、やっぱりこいつはまだ子供なんだな」と青年は改めて思う。


 どれだけ敬語使って大人っぽく喋っていても、大人みたいに「仕事」をしていると言い張っていても、こいつはまだまだ子供のままなんだな、と。

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