少年は困っていた。

 この島で働き始めてかなりの年数が経つが、未だかつてこんな出来事は経験したことがない。

 四方八方海に囲まれていて、少年の住む小さな家以外何もないこの孤島での毎日は、彼にとって平凡で平和的なものであり、こんなイレギュラーな事態など今まで起きたことがない。

 そもそも振り返ってみれば、この島に変化が訪れたこと自体一度もなかった。

 少年には、この島が地球上のどの海の上にあるものなのかさっぱり分からない。

 この島の近くを通った船なんて一隻も見たことがないし、誰かがこの島を訪れに来たことなど一度もない。

 無人島にいそうな野生動物も虫もいないし、木が一本も生えていないから、鳥だってここにはやってこない。


 存在している生き物は、少年ただ一人だけなのだ。


 そんな現実世界から切り離された場所で孤独に暮らす彼は、決して寂しさを感じていないわけではない。

 誰か話し相手が欲しい、なんてふと思ったことは何度もある。

 しかしながらその度にこの少年は、「まぁ仕事だから仕方がないですねー」と自分に言い聞かせていたのだった。

 だからもしかするとこのイレギュラーな事態は、彼にとってはいい変化だったのかもしれない。


 困っているだけではなく、ちょっぴり嬉しかったのかもしれない。


 目の前の砂の上でぐったりと仰向けに横たわっている男の人は、初めて見る自分以外の人間。

 おそらくどこからか波で流されて、ここに漂流したのだろう。

 見た目からして成人前で、顔にまだ十分幼さを残している青年だった。

 全身ずぶぬれでそこら中に海藻をくっつけている姿は、死にそうな彼には申し訳ないが、どこか面白い。

「もしもーし。あの、お兄さん生きてますかー?」

 頬を指でつつきながら少年は彼に声をかける。

「僕の声聞こえてますか?」

 少年の声に反応してか、青年のまぶたがピクリと動く。

 右手が弱々しく動き始め、地面の砂を指で触る。

「ん……」

 彼はゆっくりと目を開けると、少年とバッチリ目が合った。

「あーよかった!全然動かないからてっきり死んじゃったのかと思いましたよー!」

 ニコニコしながら話しかけてくる少年の声は、起きたての頭に鋭く響いて青年は顔をしかめる。

「うるさ……」

 ふらふらする体を無理矢理起こし、青年は目の前の少年を見る。小学生くらいの幼いガキ。

 何でこんな子供が俺の前に……。

「誰だか知らねぇけどもうちょっと静かに喋ってくんね?頭割れそ……」

 全身が痛い。

 耳の中に水が入っているせいか、周囲の音がすこしくぐもって聞こえ、鼻には海水のにおいがこびりついている。

「ここは、どこなんだ……」

 確か俺は学校の教室で授業を受けていたはず……。

 青年はこの島に着くまでの記憶を探す。


 普段だったら屋上でさぼっている現代文の授業に、あの時青年は珍しく出席していた。

 理由はない。どんな内容だったのかも思い出せない。

 そもそもどの授業も最近は、やれ大学だの受験だので耳をふさぎたくなるようなつまらない将来の話ばかりだった。

 それでもあの時授業に出たのは、本当にただの気まぐれで時間つぶしだったはずなのに、どうもあの先生が語る話が頭から離れなくて。


 なぜかどこか苛ついて、心の中が異様にもやもやして、それで……。


「あのー。だ、大丈夫ですか?どこかで頭打ちました?」

 ぼーっと遠くを見つめている青年が心配になって、少年は声をかける。

 呼びかけてすぐに目を覚ましてくれたが、もしかするとどこか体調がすぐれないのかもしれないと少年は思う。

「もしよかったら僕の家に来てください!そんなに濡れてたら風邪をひきますから」

 なにせ少年にとってこの青年は初めてのお客さん。

 できるだけのおもてなしをしたい。

 弱っている彼に寄り添ってあげたいのだ。


「初めまして!僕はトワ」


 ハッとした顔で少年を見た青年に笑顔で手を差し伸べ、砂まみれの彼の手を優しく包む。


「この島唯一の墓守です」


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