第12話 夏至前二日~命の契約~
膝が笑って力がはいらない。なんで助かったか今わかった。そりゃ、飛行機から落ちても無事なわけだ。
「あ……や、や、嫌だった?」
レイ、心配そうにあたしの顔を覗き込んだ。
「いや……ありがとう。レイ君、落ちてきた時、こうやってあたしのこと助けてくれたんだね……」
レイは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、恥ずかしそうに首を振った。
「た、たいしたことしてない」
「たいしたことだよ。レイ君はあたしの命の恩人だよ。本当にありがとう」
下手すれば二度と大切な人に……照美や泰治にも会えないとこだった。
「いつか、何かあたしにできることがあったら言ってよ」
「命の契約をしてくれるの?」
レイは嬉しそうに言った。
「命の契約?」
なんだ?そのいやな予感しかしない怪しげな名前のモノは。
「こ、この国は等価交換が原則なんだ。お、同じくらいのものを僕に返してくれればいいんだよ」
思わず手背で彼のお腹を叩いた。
「無理だから!あんたの命、助けられないから!そもそも、そんな場面なんて、そうそうないわっ」
やっべ。こわ。知らない国、こっわ。オッケーが首横に振る程度の文化の違いじゃないわ。
「え、なになに。じゃあ、あたしが何かしてもらったら、おんなじものを何か返さなければならないわけ?たとえば、あなたにごちそうしてもらったら、次は私がごちそうするとか?原始時代の物々交換みたいなもの?」
そのうちわかんなくなったりしない? かっこいいフリをしたい彼氏なんかはどうするんだ?
「……ん……うん? まあ、そんなものかなあ……」
なんか違う。という顔で彼は頷いた。
「とにかく、わかった。飛べるような人にあたしができることなんてたかが知れてるし、あなたの命の危機の時にタイミング良くあたしが駆けつけられるのかわかんないけど……でも、助けてもらったのは、本当に感謝してる。ありがとう」
命を助けてもらって。少しまけてほしい。とはさすがに言えない。
「それが、契約だ」
「なにって?」
「……お、お礼を言うことで……と、等価交換の契約をしたことになる……」
「契約? 人として、言うでしょう。お礼くらい。」
「こ、この国では、めったに……ほとんど……言わない。お礼の言葉は契約の言葉。じ、自分にとって価値のあることをしてくれた。い、いずれ、自分も同じくらいのものを返す……等価交換の契約。そ、その約束が破られた時は、の、呪いがどこまでも追ってくる。古い。とても古い呪い。逃れることはできない」
「いやいやいや。海外旅行する時にその国の言葉で最初に覚えるのは、お礼の言葉でしょ。サンキューでもスパシーバでも」
ここまで言って、あたしは小さい頃、この国のお礼の言葉を教わらなかったことに、はたと気が付いた。
お礼の言葉、教わらなかったわ!「ありがとうってアバダン語でなんて言うの?」って、母さんに聞いたら「覚えなくて良い」って吐き捨てるように言ったっけ。
母さんも兄さんも他人にお礼を言うような殊勝な人間じゃないから、今までありがとうを言われなかったことに、なんの疑問もなかった。
え――まじで――。
がっくり。
あたしは肩を落とした。
あの礼儀に厳格な兄までもが、なんでその言葉を教えてくれなかったか分かった気がする。
赤べこ並みにお礼とお詫びをいいまくる妹が、いつかアバダンに来たときの布石だったか――っ。
兄さんと母さんはあたしの教育方法を間違った。
言葉を教えないんじゃなくて、アバダンの習慣を教えておいてくれたらいいのに。
まあ、あたしが忘れただけで、教えたのかもしれないけどさ。
あたしはくらくらする頭を抱えながら、大きくため息をついた。
「まあ、いいわ。あなたには、いずれなんらかの形で返したいと思ってるから。つけにしといて」
「つけって?」
「貸しにしといてってこと。」
「貸しって……」
あたしは説明するのが面倒くさくなって、話題を変えた。
「ねえ、それより、なんとかして下に降りる方法ない?」
「それよりって……そういうレベルの話かな……命の契約……」
「だって、もうしょうがないじゃない。とにかく、日本に帰るのが先。あなたの国に飛べない人とかいないの?そういう人は、どうやってこの部屋にはいってくるの?」
「飛べないぐらいの者は僕に会うことは許されていない」
レイはかたくなに首を振った。
はいはい。そうですね。誰だよこの中二病患っているヤツ。
あたしはため息をつきながら未練がましく部屋のカーテンの陰にドアがないか捜した。
最後のカーテンを確認して、もう一度明るい部屋をぐるりと見渡した。
窓のない所には、背の高い壁に備え付けられたの本棚があるだけだった。
「ねえ、もう一度よっく考えて。」
あたしはレイのそばに戻って言った。
「絶対あるはずなの。この塔を建てた人は誰?東大寺だって天武天皇が建てたんじゃないの。大工さんが建てたの。この建物だってあんたのおじいさんがお金を出したかもしれないけど、建てたのは大工さん。だから、絶対下に降りる方法があるはずなのよ」
「そ、そんなこと言われても……」
「本棚の本のどれかを引けばドアが現れるとか、なんかあるでしょ」
「いや、そんなものあったら……あ……」
「なに!?」
「おじいさまからいつかここを通って遊びにおいでって……昔、僕がこの塔に呪いをかけたときに一度だけ来てくれて……」
レイはそう言うと足下の赤い絨毯をベリベリとめくりあげた。
「その時はなんでそんなことを言うのかとか思ってたけど……」
絨毯の下からは錆びた金属の取っ手がついた木の扉が現れた。
どう考えても地上に通じる階段があるとしか思えない古びた木の扉だった。
「これだ!」
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