第10話 夏至前二日~首都バルーカ~

 レイは、何を当たり前のことを聞いているんだろうという顔をしながら、いとも軽く頷いた。


 昔、兄さんが、アバダンには妖精がいるので、花は摘まないようにしましょうとか、小人のために小石を蹴らないようにしましょうとか言ってたけど、あれ、お伽話じゃなかったんだ……。


「あなたは、ほ……本当にそ、外から来たの? アバダンに入れたのに……その髪をもって……まさか、本当に、と、飛べないの?」


「髪は関係ないでしょ。飛べないわよ。言ってるでしょ」


「そ、そんなはずない。本当ならあなたはこの国に……ましてやここには入れないはずなんだ」


「だから、言ったでしょ。見たでしょ。飛行機から落ちてワンバウンド、あなたのベッドがなかったらとっくにこの

世にいないわよ」


 しつこいなあ。


「……本当にひ、飛行機に乗ってきて、落ちたの?」


「そう。本当に」


「こ、この時期に?よりにもよって……夏至の飛行機から、こ、ここに落とされた?」


 レイは、床を指さした。


「ここに落としたのは鳥だけどね。飛行機からは、落とされたっていうか、落ちちゃったんだよ。事故だよ」


 あたしは、マールがどうなったかは考えないようにした。


 飛んでる飛行機の扉が開いていることへの業務上過失致死傷罪は置いといて、一応、あたしは自分から落っこちたのだ。


「っじ、事故? それこそ、ま、まさかだよ。夏至の期間に飛ぶ飛行機がじ、じ、事故を起こすわけがない」


 紫の目が疑わし気に細くなった。


「こ、ここをどこだと思っているの? あ、アバダンの首都、ば、バルーカの、さらに中心。アバダンの心臓部。ここら上空は飛行禁止区域になっていて……ひ、飛行機なんて、も、もちろん、あ、アヴォイド以外の生き物はすべてこの塔にも近づくことすらできない」


「そんなこと言っても、その鳥さんが、ここに落としたんだもん」


「ああ、そうか。あ、あなたはアヴォイドに乗ってきたと言ってたな。そ、それだったら……」


 あるかも。


 まだ納得いかない顔で彼の声はしぼんで消えていく。


「あたしは鳥に落とされた糞と同じよ。何の意図もないってば。でも、そうか。ここがアバダンの首都なんだ。アバダンのバルーカって言ったら、お城があるとこよね。そうか、ここがバルーカ。それと、あたしが乗ってきた鳥さんの名前、よく聞き取れないんだよね。えっと……」


「あ、アヴォイド」


「アヴォイド。飛行機から落ちたとき、あのふわふわの胴体のとこに着地したからなんとか生きてたんだよ。あの、首のとこと、長い尻尾の、鱗みたいなものに覆われているとこに落ちていたら、絶対死んでいたと思う」


「あ、あなたは、なんで、ア、アヴォイドを知らないんだ?」


「いや、ばかにしないでよ。あたしだって来る前に色々下調べして来たかったけど、この国のことって、どこにも詳しいこと何も載ってないんだもん」


 小さい頃、母さん曰く「ドがつくほど優秀な兄さん」がこの国の歴史や文化をあたしに叩きこんだらしいんだけど、あたしはまるっと忘れている。


 あたしがおばかさんなのか、必要ないから覚えなかったか、おそらくはその両方。


 兄さんがあのまま家で一緒に暮らしていたら、違っていたかもしれない。


 でも、兄さんはいなくなった。


 あたしにご飯を食べさせるのも忘れるような母さんが手間暇かけてあたしに何かを教えるはずもなく、あたしのアバダン英才教育は自然に頓挫した。


 今、あたしがアバダン語を話せるのは、ひとえに、母さんがめんどくさがって家では自分の母語のアバダン語でしか会話をしなかったからだ。


 照美ってば、あたしがアバダン語を話せると聞いて驚いていたっけ。


 今頃ラインで泰治とあたしの誕生日の準備をして……。

 

 あたしは急にあの、文明の利器を思い出した。

 

 電話だ。


 空港に電話をしよう。


 アバダンの空港には母さんと兄さんが待っているはずだった。


 きっと大変なことになっている。


 母さんはともかく、兄さんは、あたしが到着しないと判明するかしないかの間に、空港の職員の首を絞め殺すに違いない。


 ヘビのように執念深い兄に睨まれるなら、ひと思いに殺してあげた方がいっそ親切だ。


「ねえ、レイ君。電話貸して。兄さんも母さんも……はどうだかわかんないけど、とにかく心配しているだろうし。携帯も全部飛行機の荷物の中なの。空港に電話すれば、あたしが無事なのが伝えられるし、迎えに来てもらえる」


「で、で、電話……知ってる。音声を電気信号に変えて会話情報を遠方に伝達するためのもの。チャールズ・ページが伝達原理を発見し、外の社会の主な通信手段となっているもの」


「電話発明したのはベルよ。そんなことより、電話貸してよ」


「ぎ、ぎ、義父に特許申請してもらい、グレイに勝ったベル。ページは……」


「電話! どこ?」


 思わず大きな声を出してしまった。レイはびっくりしたように肩をふるわせた。


「……そ、そ、そんなものはここにはないよ」


「なんで? 電話がないってどんな国よ」


 今どき、サハラ砂漠のど真ん中だってスマホが通じる。


「ぼ、僕たちは、が、外部に連絡するべきときは、か、鏡を使うんだ。鏡はどこの家にもあるし、こ、効率がいい。書類が必要な時は、鳥たちが届けてくれる」


 なるほど。


 兄さんが、あたしへの手紙を黒鷺で届けるはずだ。


 かかる代金はパンくずだけ。死んだら土に戻る。


 お財布にも環境にも優しい。


 彼らが嵐にあった時、偶然、政敵の屋根の下で雨宿りをしなければ、実に有効な手段だ。


「じゃあ、どうにかしてくれない? あんた、できないの? その、鏡を使うなんとかって方法で」


 あたしは半ばやけくそで言った。


「こ、ここには、鏡は置いていない」


 彼は、しごくまともな顔をして言った。


 あー。そうでしょうとも。


 人と会いたくない人間が鏡を置く理由がない。


 まあ、鏡はどこの家にもあるって話は、天窓から空にぶん投げられたが。


 携帯はポッケにいれること。

 

 あたしは頭のメモにしっかりと書き込んだ。


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