第6話 夏至前二日~あたし飛行機から落ちる~

 飛行機は着陸の体制に入っているのか、どんどん下降を続けていた。


 しばらくすると、雲を抜け、広い湖の上にでた。


 朝日を浴びて湖面が光っている。





 昨日は飲めや歌えの大騒ぎだった。


 アバダン行きのこの飛行機は、なぜかあたしと同じ歳くらいの子しか乗っていなかった。

 乗客の人数も少なくて、誰からともなく話しかけると、みんながあっという間に仲良くなった。


 誰かがギターを持ち出して、誰もが知っている歌を歌った。


 楽しかったけど、あたしは榛の木村を、夜がまだ明けないうちから出てきたもんだから、眠くてしょうがなかった。


 民族衣装のような美しい服を着たキャビンアテンダント、いわゆるCAのお姉さんに促されるまま、誰も使う人のいないファーストクラスの個室を借りて、泥のように眠った。


 そのお陰で、今は嘘みたいに頭がすっきりしている。


 ファーストクラスは完全に外の世界と完全に隔離されていて、誰の話し声も聞こえない。


 あたしはもう一度窓の外を見た。飛行機の横を、象のように大きな鳥が何羽も飛んでいる。


 風が強いのか、機体が不安定に揺れて、あたしは急に心細くなった。


 あたしは、トイレに向かうふりをしながら、昨日、最初に案内された客室へと向かった。

 あたしの座っていた席の隣に、マールという女の子がいるはずだ。


 マールは、照美によく似た人懐っこい笑顔が印象的な女の子で、英語がよく聞き取れないあたしのために、ゆっくり何度も話をしてくれた。


 まだ寝ているだろうか?


 マールに会って、へたくそな英会話をしたかった。


 あたしは、はやる心を抑えながら、客室へと通じるドアを開けた。


 客室は、静かだった。

 美しく整えられた空っぽの座席が、ずらりと並んでいる。


 鼓動が急に早くなった。


 あたしは左右の座席に誰かいないかを確認しながら、足早にマールのいるはず席に向かった。


 いない。


 いない。


 誰もいない。


 あたしが、昨日通されたはずの座席は、綺麗に片付けられ、次に乗せる客を待つばかりになっている。


 顔に冷たい風が吹きつけた。


 何かが引っかかった。


 風が吹くわけがない。ここは飛行機の中だ。



 あたしは吸い込まれるように風の吹いてくる方へ向かった。

 次の客室に向かうドアノブに手をかけたとたん、風に押されて勢いよくドアが開いた。


 一瞬、風圧で息ができなくなった。


 視界の隅に白いスカートがたなびいていた。


「マール!」


 マールは、頭からすっぽりとケープを被っているCAに囲まれて、開け放たれた非常用ハッチから今にも落とされようとしていた。

 マールの金の髪とスカートが風にあおられ、その青い瞳は閉じられている。


「待って!」


 あたしの声に反応して、一人が振り返った。ケープの中は穴が開いたように真っ暗で顔がない。


 CAの顔は、輪郭線を残して目も鼻も口も消えていた。


「チガウ」


「アナタチガウ」


「チガウ」


「チガウ」


 壊れた機械のようにしゃべりながら、CA達はマールをハッチから落とそうとした。


 あたしは、マールを助けようと必死にくらいついた。


 落ちる


 そう思った時には遅かった。


 落ちるあたしをつかもうと、伸ばされた腕がみるみる小さくなっていく。


 乗ってきた飛行機は、太陽の光を反射して、一瞬光って見えなくなった。


 次の瞬間、衝撃が脳天を突き抜けた。吹っ飛んだ体はくるくると回転して、止まる気配を見せない。


 無我夢中で両手に力を入れた。


 しぼった雑巾のような姿勢で、何とか体が止まった。


 足はぶらぶらと宙に浮いたままだった。


 青い空と薄い雲が、視界の隅に浮かんでは消えていく。


 両手がすべった瞬間、下に広がる森に死体がひとつ転がる。


 日本人女子高生。アバダンで死亡。


 今どき、外国での事故なんてニュースにもならない。


 左腕にしていた父の形見の腕輪が朝日を受けて、光輝いていた。


 父さん


 そう思った瞬間、つかんでいる何かが揺れて、体がふっと浮き上がった。


 いまだ!


 あたしはあらん限りの力で自分の体をもちあげた。


 体を何とか安定させると、強い獣の匂いが鼻をついた。


 髪が焼けた時の、生臭い匂いが辺りに充満している。


 木がこすれるような低い音が絶え間なく鳴り響いていて、規則的に見えたり見えなくなったりする黒い影からは、線香花火のような小さな火が飛び散っていた。


 これは、何だ? 


 獣? 


 ううん。鳥だ。


 黒い影は羽だった。


 あたしは途方もなく大きな鳥の背に乗っていた。

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