風雲!生徒会

彼方のようにも思えた■■の手を握る。■よりも小さい、でも■にはない温かさが壊れた体でも伝わってくる。■■の手を借りその場に立とうとするが、足が生まれたての小鹿のようにびくびくして上手く立てていない。それを見た■■はおまじないなのかなにかは知らないが、そっと足全体を撫でてきた。あぁ、驚いた。世界にはまだ居たんだと――――




朝の目覚めはいつにもまして良かった。脳が覚醒する時間のタイムアタックをしていたのなら今まででぶっちぎりで一番であっただろう。相変わらずの二人は凜が起こしに来てもぐぅーすかと。エメルさんに関しては朝食につられない程熟睡しており、エネルもエネルで布団を全身に被せながら寝ていた。昨日の件もあり、ここで起こすのは何故か裏切りに繋がると勝手に思ってしまい、無理に起こさずに、久々に凛と俺の二人で朝食を食べたけど何だか少し物寂しい気にもなってたった5日間しか同じ屋根の下で暮らしていないのに、慣れってやつは怖いものだ。朝の日課の凜の見送りを手短に終わらせ、そろそろ学校へと向かう時になってようやくあいつらを起こす。流石に窓をぶち破られて泥棒でも入ってきたりでもしたら大惨事になるため門番の一人や二人いた方が頼りがいがあると仕方なしなし起こした。エメルさんはすっと起きてくれたが エネルの方には抵抗が見られ、布団を引き剥がそうとしても、エネルの指が吸い付いて中々取れない。数分の格闘の末、時間の関係上俺の敗北が決定し、学校へと自転車を走らせた。



  「おっはよ~刹ク~ン、刹君にしては珍しく学校をお休みしてたみたいだけど」


  「ただのずる休みってやつだよ」


  「そう―――それなら良かった」


一日ぶりなのに何処か懐かしいと思えてしまう学校。こんなにも寄り添える場所だったけ学校って、いや勝手に俺が思ってるだけだな。


  「あの、茨木」


中学校からのルーティンになりつつある朝の明との会話をしている最中に、背中から聞こえる女子の声に振り返る。声の主は、このクラスのクラス会長でもあり、あの生徒会長の下で働く生徒会メンバーの一員でもある阿須だった。相変わらず、ショートの黒髪は綺麗に手入れされており、一本一本が主役だと強調しているような自重しているような印象を受ける。髪にこういった感想を持つのはいかがなものかと思うが一切の無駄がない。正直見ていて気持ちが良い物だと思うほどに阿須の髪は芸術の領域に達しているほどに美しい。


  「朝からお前が話しかけてくるなんて珍しいな」


  「えぇ、少し手伝ってもらいたいことがあってね。本当は前から頼みたかったんだけど、私が上手く言えなくて。悪いね、休み明けなんかに頼んじゃって」


  「そんな事気にしなくったいいって。仕事って生徒会の?」


  「うん。本当は私がやらなくちゃいけないものなんだけど、結構体力勝負な仕事になっちゃって私ではどうも手付かずになっちゃってて」


  「明の方に頼めばいいんじゃないか?俺なんかよりもずっと体力あってきびきび動けるぞ」


それに俺はもう老いぼれの爺みたいなもの。阿須にとっては昔の水泳をやっていた時の体力があるように見えているかもしれないけど、もうあれは過去の栄光。2年以上も運動から離れていたんだ。あの時のおかげで今はまだ身は引き締まっている方とはいえ、体力は全然。運動していない負債はたまりにたまりまくってその内だらしのないボディーが自分の意思と反して出来上がっていくのだろう。


  「鳥乃は駄目。体力的には申し分ないけど、生徒会の機密情報とかを勝手に漏洩しそう」


まぁ、よくも本人の前で喋れるな阿須よ。おかげで明が目に涙を浮かべながら自分の席へチンと座ってしまったではないか。阿須には分からないかもしれないけど、あれをあやすには相当時間がかかるぞ。


  「はは、こりゃ酷い言い草だな。じゃあ正直に自分には無理ですって他の生徒会の体力のあるやつに頼むのは駄目だったのか」


  「本当はそうしたかったんだけど、今生徒会は人員不足でね、本当は猫の手も借りたい・・・というか借りようとしてるんだけど、それぐらいに切羽詰まってて。その人に適した仕事っていうのが本来与えられるはずなんだけど、多少無茶な仕事だって今の生徒会には降りかかる。皆それを当たり前だと思ってちゃんと期日通りに仕事をこなして、そんな中で私だけが、自分に適したものじゃないからって投げ出すのは生徒会としてはあるまじき行為なの。でも、おかしいよねこんな事語っておきながら結局は茨木に頼ってるんだもん」


普段強気の阿須がこうも弱弱しくいるのは中々に調子が狂う。


  「お前あんまり無理すんなよ。ただえさ一人で抱え込むタチなんだからさ、困ったときは、俺とか鳥乃とか他の人にもたくさん頼れ。とにかく自分で自分を縛り続けてたらいつかガタが来ちまうんだ」


  「どの口が・・・・言って」


言葉を詰まらせながら言う意味が俺にはあまり理解が出来なかった。


  「ま、ようするに俺に頼れってことだろ」


  「それはない」


せっかく勇気を振り絞って聞いた明がついにノックダウンしてしまった。ちょっと口から魂的なもの出てるし、そんなに阿須からの信用なかったけこいつ。


  「その仕事やらは時間帯的にいつ頃になるんだ?」


たまたま昨日の夜に明日は営業停止だと紫苑さんから入っており、時間的に余裕はあるのだが、あんまり遅くなると凜を心配させてしまうからなるべく早くの方がいい。


  「茨木からしたら嬉しい放課後よ」


  「何で俺が放課後なら嬉しいんだよ」


  「だって部活サボりたいでしょ」


ぐぬぬ、ここで過去の出来事が災いしやがったか。多分阿須の事だ部活をサボれるからって子供みたいに体で表現するレベルだと思い込んでいるに違いない。


  「あのなぁ、部活が嫌いって訳じゃないんだし・・・まぁそりゃ自分の時間を奪われるのは何かちょっとむず痒いけど。でも、今はサボれるからって嬉しがりはしない」


  「そ、なら良かった。仕事が終わったら部活直行ね」


  「はい....」


なんかこう、改めてそう言われるとお家に帰りたくなってくるぞ。


  「じゃ、放課後生徒会室に来てね、待ってるから」


  「分かった」


俺との要件を終わらした阿須は、スタスタと、RPGの一回限りのイベントを終わらせた後のNPCぐらいに俺達には見向きもせずに真ん中の後ろの席へと帰っていく


  「お~い明終わったぞ~」


阿須から役目無しの烙印を押された明を、前回の反省も込めてゆさゆさとソフトタッチで起こす。


  「は!あいつもういないよな・・・良かった、これでまだここに滞在していたら俺のライフポイントがゼロになるところだったぜ」


明がどこまでの領域の事を”ここ”と指すのは分からないが、今も尚阿須はこの教室におり、何なら割と近くで本を読んでいるし。幸いにも明の発言は阿須の耳には入らなかったのか、何事もなく次のページをめくろうとしている。聞かれなくて本当良かったが、明にはもう少し範囲というものを知ってほしいものだな。


  「ほら、そんな冗談言ってないでビシッと席座れ、ホームルームで恥かくのお前だぞ」


  「うっそ!もうしょんなおじかん」


明は気づいていなかったのか、ざわついていたクラスは明の魂が抜けている間に一変、静寂が佇むようになっていた。相変わらずこの切り替えは不気味だし、最初の頃は吐き気だって催したが、慣れれば気持ち悪いと思うだけで済むようになった。明もその雰囲気に流れ、椅子に横向きになっていた姿勢を板書の方へと向ける。


秒針の音。心臓の鼓動の音が体の中を反響する音。静脈と動脈が清く正しく血管の中を伝う音。今か今かと葉月先生を待つものもいれば、こうして音だけに耳を立てる輩もいる。皆葉月先生に心酔する気持ちも分からなくもない。あれだけの美貌、優しさをふりまけば堕ちない男子などそうそういないだろう。その証拠に女子からも可愛がられてるんだから本当に凄い。でも、今はこうして目を閉じて音だけを聞いていたい。俺はちゃんと学生生活が送れているのだろうか、俺はちゃんと明と阿須と話せたのだろうか、当たり前の事を再確認する。あぁ、大丈夫そうだ、と心の中で頷くと同時に教室の扉が、ガラガラと開く音が聞こえる。


  「皆さんおはようございます、昨日は少し愛想なかったように見えたらしくて本当ごめんなさい」


教卓の上で頭を下げる先生。


  「そんな事いちいち気にしませんよ葉月先生」

 

  「そうそう、そんな日、誰にだってあるもん仕方ないよ」


山中先生の時とはえらい違いだな。山中先生の時なんか、教壇に足をぶつけて痛そうにしていても心配されなかったのに、このように美人な先生になると、少ししたことでも心配される。まっ、どちらも慕われてたのは間違いないけども、少し山中先生に同情してしまう。


  「そ、そうですかね。皆がそう思ってくれたのなら安心です」


いやぁ、改めてあの部活や印刷室の時の態度と大違いだな。ていうかこれ絶対俺に向けていってるセリフだよね。ほら、なんか先生の視線こっち向いちゃってるし、ここは取り敢えず不純な事は考えるなと、不純を取っ払うために不純を抱えるという矛盾を心の中に落とし込む。


  「では、ホームルームを始めるにあたって皆さんに大切なお知らせをしなければなりませんね」


  「大切って...そんないきなり緊迫感のあるムードになっちゃうの先生!」


  「男子叫びすぎでしょ、それで大切な話ってなに先生~?」


葉月先生からの一言は、このクラス内にいる性別の反応を二分割させた。男子の大半は驚愕した様子。多分これは結構しょうもない理由だと何となく察するが、一方の女子はフラットな感じで先生に対して聞き返していた。


  「あぁあぁ男子の皆さん少し落ち着いてください。言い方が悪かったですねすみません」


荒れ狂う男子を教師としてなだめるも、動揺が隠しきれていない。


  「学校からの重要事項として、本日より部活動の停止、明日から一週間は午前だけの授業となります」


  「えぇ!まじでやったぁぁぁぁぁぁぁ」


  「うそ!ホント!!」


  「あわわわ皆さん落ち着いてくださ~~い!!」


それはもうパーティーだった。部活動の中止に加えて、一週間の午前だけの授業。そうなれば喜ばない学生なんてほとんどいないだろう。俺と明を除いて。


  「明、お前どうするんだ?」


歓喜している雰囲気に耐えられなく、思わず明に聞いてしまう。


  「どうもこうも、やれないっていうんなら自主練でもするさ」


  「そ、そうか。ファイト」


結構落ち込んでいるのかと思ったら、明なりに冷静に状況を分析しているらしい。それもそうか陸上部なら大体検討はついていた事態だろうし、やっとか、と内心ほっとしている部分もあるだろう。その意外な反応に、その場に似つかわしくないグーサインで自分の机の方へと体を戻す。


  「このような処置の理由といたしましては、皆さん知っての通りの連続失踪事件の多発、部内などでのいざこざなどが原因で学校側が判断しました。それを忘れないよう心に留めておいて下さい」


  「は~~い」


  「ごめんね葉月先生」


  「いえ、気持ちが高ぶらない事は分からなくもないですし、それに急に伝えた私にも責任があります」


何だか安心した、ちゃんと生徒と先生との線引きが出来る先生で。でも、問題はそんな簡単じゃなくなってきており、遂には俺の学校でも来てしまったという訳なんだ。凜の学校も明日中には恐らく繰り上げになっているであろう。異形種。ここにいるほとんどの生徒はそれを知らず毎日を送っている。だから繰り上げ授業についてほとんどの生徒が”何で”よりも”嬉しい”が勝ってしまう。それは学生としては正しい在り方なんだと納得する。でも、中には部活をやりたい、授業をしたい、っていう生徒がいるはずなんだと、いつからかその規律正しい学生と堕落しきった学生の立場が逆転したのだろうか。俺はあまりその醜悪さには気づきたくなかった。もしかして先輩が言ってた世界の醜悪さって、こういう小さなことも指してたのかな。はは、そうだとしたら前置きに世界とか言わなくても良かったでしょ別に。


  「はぁ~全く何を考えてんだが」


捻くれた考えを溜息と共に吐き出す。


  「お前は喜ばないのか刹?」


  「喜ぶもどうも、陸上部の件が関係しているんならお前の前で喜べるかよ」


  「お前が俺に気遣うなんて珍しいな。いつもだったら俺の目の前で発情したサルの如く喜ぶことを想定していたんだけどな」


期待外れと言わんばかりに残念そうにそう語る。


  「待て待て待て!目の前で喜ぶとかそういうのは置いといて、発情したサルとはなんだ発情したサルとは!!」


眼前に見えるヘンテコベリーショートに向かって怒鳴る。本当にこいつから見た俺の印象はどうなってんだ。


  「茨木君うるさいですよ。静かに」


  「は.....はい」


明に向けて放った怒りの声は、自分でも気づいていなかったほどに教室中に響き渡っていたらしい。感情的になると、五感の性能が急激に落ちるとエメルさんも言っていたし自分ではあまり大きな声を出している自覚がなかった。それになんかこのまじまじと他の生徒に見られてるの恥ずかしいし、金輪際明のホラに付き合うのもほどほどにしておこう。


  「あ~らら、これ以上怒られれば葉月先生からの好感度減るぜ」


自分にはお咎めなし、と分かったのか嬉しそうにこちらを見ながら懲りずに話しかけてきた。


  「ああ分かったよ。それ以上なんか言ってみろ、本当に発情したサルみたいにお前の目の前に出てやるぞ」


  「えぇ!冗談で言ったのに。まさか刹にそんな癖があったとはな」


それ以降明との会話に進展はなかった。というか無理やり進展をさせないように、自分で言っても恥ずかしくなるような冗談を言って会話を無理やり終わらせただけなんだがこれが予想以上に効いた。明は申し訳なさそうに俺から視線を外し、俺の方もあと少しのホームルームだけは真面目に受けようと、教卓に立つ葉月先生に対して視線を向けた。







  「おい、起きろよ~明~」





全ての授業が終了し、いつも通り寝ている明を起こし、いざ部活へ!....とはならない。そもそも部活の中止が発表された今、生徒諸君は早く帰宅するように先生達から促されているので教室で着替えたり準備したりするといった工程がないのだ。明が起きた時にはほとんどの生徒が、連絡事項を守り颯爽と玄関へと駆けこんでいる。その中で教室に取り残された生徒俺と明と阿須、そして俺達を腫ものを見るような目でこちらを見てくる葉月先生。


  「は~や~く は~や~く は~や~く」


そんなにも早く帰ってほしいのか、教師から異例の帰れコール。そのゆったりボイスは部活の時の葉月先生を連想させ、部活だけではなく教室でもそのスイッチが入ってしまうのかと、改めてよく分からん先生だ。


  「葉月先生ってこういったら失礼ですけど、雑ですね」


  「な....!!!」


教卓に突っ伏していた顔が、俺らの向きへと変わる。俺から言われる印象と、阿須から言われる印象とでは重さが全く違う。だが、阿須はクラス会長。その立場である以上、他の生徒の事を熟知し観察することに長けている事は先生でも知っているため、その阿須に”雑”と言われればそうなんだと納得するほかない。


  「実は最初の授業の時から思ってたんですけど」


  「あ...ぁ....」


やはりクラス会長兼生徒会の一員の言葉は先生であれ突き刺さるのか、追い打ちでかけられたその言葉に、ついには正面を見据えながら放心状態にまでなっていた。


  「あっ、すいません。先生にそのような事をクラス会長である身分として」


  「べ、別にいいのよ阿須さん。思ったことは正直に言わないとね、あはは」


阿須に悪気なんかもちろんない。もちろんないのだが、その悪気のなさが今ここにおいて葉月先生を苦しめる一番の要因になっていた。


「ま、雑な所が私は結構好きなんですけどね。行くよ茨木」


一人悲しく向かいの壁に向かってブツブツと一人お経を唱える先生に最大限のフォローを入れつつ、教室から出ていく。それを追うようにして、気が気でないが、明と先生を教室に残し俺も後ろの扉からそ~っと阿須の後をつけるようにして出ていった。


  「あれ、意外にもたもたとして遅くなるかと思ったけど、案外早かったのね」


  「お前の・・・足・・・どうなってんだ」


てっきり、近くの廊下をまだ歩いていると思い込んで教室の扉を開けたのにその姿はなく。ふと、向かいの窓の方向を見てみると、一つ離れた棟の廊下を早歩きする少女が一名。顔は見えないが何となくの特徴で阿須だと判断し、俺も急いで向かいの棟までダッシュしに来たわけなのだったのだが、どうやらその何となくの直感は当たっていたらしい。


  「別に普通よ。何なら茨木の方が速いぐらいだし」


普通の奴が、僅か30秒程度で向かいの棟まで行ける脚力を持ちますかね。それに俺はお前よりも足が速くないと、横にいる阿須に伝える。


  「それにしても、相変わらず阿須ってキビキビ動くよな。もうちょっとゆっくり行動してもいいんじゃないのか、時間に余裕があるんだしさ」


全部活の中止となった以上、当たり前だが阿須の所属する園芸部も中止になったんだんだ。急ぐ必要などの微塵もないと思うのだが、もしかして急がなければならない程に仕事が山積みになったりでもしているのだろうか。そうならば阿須が急いで廊下を早歩きする理由も何となく分かる。

 

  「人は時間を有限だと認識しつつも、心のどこかで勝手に無限にあるものだと解釈してしまう。気持ちは分かるよ。でも、一秒一秒を意識して過ごしてなんていたらそれはただ単に時間の奴隷になるだけで毎日時間に追われて生きていかなければならない。でも忘れないで一時間といった大きな時間にも一秒がたくさん入っている、言わば一秒の集合。何を当たり前のことをと思っているかもしれないけど、その意識しない一秒を3600回もやればあっという間に一時間と言った大きな時間を意識しないままに過ごすことになる。それを寝る前まで続け、寝る頃に今日の活動時間によって何の利益が得れたのかと活動時間と照らし合わせてみたら、きっと”あ~今日やった事特にないもないなぁ”と呟くだけ。人はそれを当たり前だと思って生活しているけど、それじゃ本当に目を瞑る時に後悔しか残らないでしょ。だから私は絶対に時間を無限だとは解釈しない、物理的にも精神的にも」


阿須は自らが考えうる時間というものに対しての解釈を独白のように俺に聞かせた。


  「別に無限だとは思わないけどさ、阿須のその考えで言ったらそれこそ時間の奴隷になっていないか?」


一秒という時間に対しての価値を考えながら行動するなら、それこそ本当に時間の奴隷というものであろう。常に時間というものに縛り付けられ、活動時間による利益の決算がノルマに達しないなら、もっと一秒を突き詰める。そんな在り方は精神を、そして身体を蝕む。


  「かもね。でも、私はこういう頭の固い人間だからさ、つまらない事しか考えられない」


  「そうか?あんまり阿須の事を頭の固い人間だとは思った事ないけどな。中学の時からお前といてつまらないと思った時間がないぞ」


  「ばっ!!そういうのは本人の目の前言わないモノなのよバカ!!」


  「馬鹿とは辛辣な!!本当の事を言っただけだぞ俺」


珍しく感情的になっている阿須に、こちらまで動揺してしまう。





長い廊下の永遠とも思われた時間に終止符が打たれる。阿須と俺の視界に”生徒会室”と小さく書かれた看板が目に飛び込む。


  「さっ、着いたわよ。遠慮せずに入って」


  「し、失礼しま~す」


扉の前から緊迫感のある雰囲気を醸し出している生徒会室に緊張を隠せず、身を縮こませながら阿須の後に続いて生徒会室に入っていく。


  「――――――――ぁ」


  「神谷先輩、お茶要ります?」


  「あぁ、よろしく頼むよ」


中の空気は外で感じていた緊迫していた空気が更に具現化されており自然と肩にのしかかる重さにまでなっていた。それに耐え切れず阿須に助け船を出そうとするが、阿須は重さなどを一切感じさせないまま、神谷に対しお茶を淹れるため奥の方にある電気ポットの方へ向かっていった。



  「・・・・・・・・・」


  「・・・・・・・・・」


  「――――茨木、座らないの?」


扉の前で沈黙する事20秒。お茶を淹れ終わらせ神谷に湯呑を提供するその一連の流れは洗礼された動きだと、見惚れていたのが嫌に思ったのか、阿須は俺に生徒会長の対面に位置する席へ座れと促す。


  「じゃ、遠慮なく」


ここでその気遣いを無下にするほど肝は据わっておらず、感謝の意を込めて、茶色の長机の下に雑に置かれているパイプを引っ張り出して時間をかけてゆっくりと座る。


  「――――相変わらず、阿須の淹れたお茶は美味いな。俺もこうして美味いお茶が淹れれるよう見習いたいもんだ」


  「確かに先輩の淹れたお茶、とってでもないけど飲めそうにありませんでしたからね」


長机を介さずに、逆方向で一方的に行われている会話。それをただただ茫然と傍観するだけしか今の俺には出来ない。参入する余地...的なものがないというか、気品にあふれているというか、例えるなら仲の良い主従関係を見ているような気分。実際はそういった関係であるのかと錯覚してしまうほどに、神谷と阿須の間では変な隔たりはなく普通に会話が行われている。


  「で、阿須が来たところまでは想定内の範囲だったが、茨木が来るところまでは想定外だったぞ」


  「なんで俺の名前を!!」


長机という特徴を活かして最大限幅広く手をつきながら神谷が俺の名前を呼んだことに大きくリアクションする。


  「なんでって、生徒会長は全学生の名前を覚えるもんだろ普通」


  「な......」


そんな異常な事を平然と言わないでくれ生徒会長。驚きとともにでたその言葉に乗せて今まで抱き続けていた悪の生徒会長の印象がボロボロと崩れ流れてゆく。


  「茨木もお茶いる?」

 

  「喜んで」


神谷の異常すぎるまでの発言にしばらく硬直していた俺を気遣ってなのか、神谷と同じように淹れたてのお茶が提供される。湯気は嫌でもパイプ椅子から立ち上がっている俺の鼻孔を刺し、その湯気を伝った風味を届けてくれ硬直していた体をほぐす。気が付けば先程までのしかかっていた重い空気は普通の重さへと変わっており、そのおかげか緊張によって縛られていた身体が不自由なく動けるようになっていた。


  「じゃあいただきます――――――――おい...しい」


一口、たった一口を口内から喉を伝わせただけなのに、これほどまでに存在感のある味が出せるものなのか。これは神谷が美味いと絶賛するのも分かると同時に、なんでこれまでの技量を阿須が持っているのかという疑問も湧いてきた。気が付けば湯呑の底が見え、いっぱいに入っていたお茶は全て俺の胃の中に入っていた。


  「はは、すごい勢いだな茨木。俺が言うのはおかしいが、阿須のお茶美味いだろ」

  

  「そうですね、格の違いというのを見せられました」


正直こんな風に思うのなら味わいたくなかった一品だ。これを基準にして飲む後のお茶なんて、全てこれより下と思ってしまうのだから。

  

  「わわ私のお茶の事なんて今はどうでもいいです。それよりも私の仕事について先輩に話をしに来たんです」


阿須のお茶について絶賛していた俺達の間を阿須自身がその話題を切り、いよいよ本題の方へと移行した。


  「私の仕事私の仕事――――もしかして電気スイッチの件か?」


思い当たる節が中々なかったのか、顎下に手をつきながら、The考えていますよ感のオーラを醸し出していた。


  「そうです。実は茨木をここに連れてきた理由とそれが関係ありまして。誠に勝手ながら電気スイッチの件は私ではなく茨木が引き受けるといった形でお願いできませんか?」


やっと生徒会長と生徒会委員としての関係として見られた気がする。阿須は律義に頭まで下げ、神谷に対してお願い被っている。


  「ほう、それはまた随分と身勝手だな阿須」


ここでやっと俺が抱いていた神谷の印象と合致するような神谷の雰囲気が感じられた。正面にいる俺から視線を外し、頭を下げている阿須の方へと顔を向ける。


  「はい、身勝手とは存じますが。私の身体の都合上、学校中に張り巡らされているスイッチを一人で取り除く事が出来る体力がありません」


  「それは茨木も同じだと思うが。その点はどうだ阿須」


  「もちろん茨木も身体に対しての不都合な部分があるのは承知の上です。ですから二人で分散して仕事を請け負おうと思いまして...」


二人で?確か、俺がやるって話だったはずだけど。


  「なるほど――――」


秒針が進む音が生徒会室中に響く。悠久かと思われたその時間は、俺が抱いている印象とは真逆の神谷によって幕を閉じさせられた。


  「いいぞ、元々は他の奴がやる予定だった仕事を阿須に頼んだ俺の失態だ。阿須、お前は生徒会室で休んでろ」


  「で、でもこれは私と茨木でやるって決めた仕事ですし」


その言葉は嘘だらけだった。本当は誰かに頼りたかったのに、本当はやるべきはずじゃない仕事だったのに、それでも尚阿須は俺の事を気遣って共同での作業という名目で嘘を貫いた。


  「俺もその意見には賛成だ。阿須、朝も言ったけどお前無理しすぎなんだよ」


俺はそれを否定する。あいつの性格は嫌というほど知っているから何としてでも阿須には働かせない。朝、俺に頼ってきた時でさえ、勇気を振り絞ったんだろうな。だってあいつが俺に頼みごとなんてしたことなかったからさ、嬉しかった反面、どこか不安だったんだ。


  「生徒会では多数決が絶対。阿須が働くに一票、働かないに二票。この結果をもって、阿須は生徒会室で休むなり、帰ってゆっくり休むなり、とにかくどんな休息でもしてこい。働くといった事だけは絶対に許さない。ごめんな阿須、お前を頼りすぎていた。本当にすまない」


神谷は生徒会での決まりを使って無理に阿須に対して休息を求めるように促し、謝罪の言葉を阿須に向かって言った。そこには”悪の生徒会長”などといった面影なんて一ミリもなく、ただ後輩に対して優しく接する先輩の絵がそこにはあった。


  「い.........いえ。じゃあお言葉に甘えて、生徒会室で....休んでいます」


少し涙を浮かべ、震えた声で答える。それは恐怖に怯えて震えているのではなく、どこか解放された喜びからくる嬉しさの震えのようにも思えた。





  「って生徒会長直々に来るとはな」


阿須との一件を終わらせ、仕事に身を乗り出そうと生徒会室を出ていく時に、神谷から一言『俺も同伴する』と声を掛けられ、今に至る。


  「そりゃ、茨木一人で出来る仕事量じゃないからな仕方なく着いてきたんだ。全く、最近の学校は色々と生徒会に押し付けすぎなんだよ」


  「一つ聞いていいか生徒会長?」


  「なんだ?あ、あと生徒会長という呼び方はやめろ虫唾が走る。神谷と呼べ」


初めて俺に命令形を使って自らの呼称を変更するようにと指図してきた。じゃあなんで生徒会長になったんだよお前は。


  「じゃあ神谷。今日始めて神谷と会った訳だけどさ、俺が今まで知っていた神谷の印象と、さっきの生徒会室にいた時の神谷の印象じゃまるで違って見えたけど。もしかして公の場に立つ時の生徒会長である時の神谷って演じてたりするものなのか?」


それは純粋な俺個人だけではなく学校中の生徒が気になっている疑問である。噂に聞く悪の生徒会長と先程の生徒会室での生徒会長の印象があまりにも乖離しすぎていて何よりも先にこれを聞かずにはいられなかった。


  「あぁ、噂のな。それを話すと俺が高校一年生の時まで遡るが、いいか?」


  「いいですよ、どっちにしろ時間にはまだまだ余裕ありますから」


凜には帰りが遅くなるからエネル達と食べててくれって連絡したし、電気スイッチを転々とするために使う廊下の移動時間の退屈しのぎにもなるから長い方が丁度良いとも言える。


  「そっか。う~んでもまず何から話せばいいんだろうな」


神谷の思考はうんと長く。棟を一つまたぐレベルまで時間が経過していた。


  「取り敢えずはあの土曜学校のこと。これ神谷が考えたんだよな」


棟をまたいだ後も一向に口を開く様子がなかったので、ここは後輩として、そして好感度を少しでも上げるためと先輩をこれ以上悩ませる事なく先手を打つことにした。


  「あぁ、いい事言った茨木。実はなそれ俺が考えたものじゃないんだ」


  「え・・・・?」


神谷の口から告げられるそれは俺の理解の範疇を超えるものだった。だとしたら一年以上も事実だと誤認していたという訳か。今日は神谷という人間に驚かされてばかり、流石は現生徒会長なだけあって言葉に色々と重みがある。


  「新一年生は毎年この学校の校則を聞かされないまま入学するなそういえば。そのせいかそれを俺が考えた校則だと勘違いして、俺の演説と言ってることが違う!と生徒会室の意見箱に新一年生が入学して一か月ぐらいは大量にクレームのような物がまんぱんに入れられる。それを見るたびに、あぁ、違うんだよって言いたいんだけどそれを言う機会はこの学校は作ってくれないからさ」


  「じゃあ、部活動の強制参加も、伝統を守ると言ったのも....」


  「あぁ、俺の一つ前の生徒会長が作ったものだ。俺はそんな狂った学校を変えるべく一年の後期に生徒会長になったらどうやって学校を変えていくかとか、生徒が喜ぶような校則を色々と考えていたものさ。でも、現実は違った。順調に生徒会長になれた、までは良かった。だけど悲しきかな、校長と俺の父、この学校の理事長だな。そいつらが前生徒会長をひどく溺愛していてさ、校則やら思想は前生徒会長のものを引き継ぐようにだって。息子である俺よりも前の生徒会長の方が良かったんだとさ。色々都合が良くて」


あぁ、もう完全に壊れた。神谷卓という一人の悪魔は、この学校を変える第一人者になるべく人材だったのだ。権力を持ち、生徒を圧政する。なんだよ、ただの勘違いじゃねぇかよ。本当に押しつぶされそうになってたのはお前じゃなかったのか神谷。上にも下にも。


  「じゃあどうして、今でも生徒会長をやってるんだ?一回地獄を見たんだろ、それ以上地獄に関わる必要なんて」


生徒会長の任期は約半年。であれば一度二年の前期に地獄を見たのなら、後期には立候補なんてする必要が無い。変わらないのだから。それなのに神谷は二回、三回も、俺が知りうる生徒会長の座はずっと神谷の独壇場だった。そこまでして何に希望を見出すんだ神谷卓という男は


  「俺は馬鹿な人間だからさ、気づいていないふりをしてるだけなんだ。凡人で、諦めの悪い、短所だけしかない弱者でも、学校変えられるんだって...そう思ってやってるが、現実は中々うまくいかなくてな、正直逃げ出したい気分だよ」


そういえば神谷は人に優劣をつけない、これは悪の生徒会長の印象を持っていた時から思っていたが、そうか、そういうことだったんだな神谷。お前は伝統という都合のいい言葉で学生を縛っている上の奴らに、一発いれたかったんだな、凡人なりの拳ってやつを。


  「ま、こんな話は掘り返したところで、自分の弱さが露呈するだけだから話題の切り替えといこうか」


電気スイッチがある教室まではあと少し、その短い時間にしてまた新たな話をしようと神谷は言ってきた。正直男二人で今廊下を歩きながら会話しているが雰囲気もくそもない。


  「でも、話す事なんて何にもないですよ」


  「じゃあ、おすすめの観光スポットとかなんかないか」


急な話の転換だなおい。数秒前の雰囲気はどこえやら。


  「そんなものありま......」


いやあるある、めっちゃある。何なら昨日言ったばかりでまだ脳裏にも網膜にまでもその景色が焼き付いているレベル。


  「いや一つだけありました。ここから電車で30分近くの公園なんですけど、そこが絶景で.....」


べらべらと神谷に発言権が委ねられることはなく、喋りが得意ではない俺がずっと話しているという異様な光景になっているが、それほどまでにエネルとエメルさんと行ったあの公園の景色が忘れられないのだろう。神谷は微笑ましい笑みを浮かべながら、心の底から楽しそうに俺の話を聞いている。


  「―――って俺ばっかり喋り過ぎましたよねすみません。その...神谷は何かないのか、おすすめのスポット的な」


流石にこのままではお喋り好きの後輩という印象を与え兼ねないので、話のバトンを未だに距離感がつかめない神谷へと託した。


  「観光スポットと言われればそうではないけど。俺はさ、夏の桜が好きなんだ」


  「夏の桜?」


すました顔で言われるセリフには疑問しか残らない。そりゃ、桜は綺麗だし、ちゃんとここら辺の桜は整備されてあって観光スポットとして良く映えると言えば映えるのだが、それにしても時期を一つ間違えていないか。


  「あぁ、大抵の奴はピンク色をつかせた桜の木の方が良いと言う。もちろん俺だって春の桜が嫌いだという訳じゃないんだ。ただ、あいつらはピンクでいられる時期があまりにも短すぎる。早くて一週間。遅くても二週間といった所で、葉はピンクから緑に変わり、あんだけ注目されていた桜が見向きもされなくなる。それがさ、嫌なんだ俺は」


  「でも、夏の桜とかって毛虫とかいっぱいついていて嫌なんですけど俺」


  「それは、お前が虫嫌いなだけだろ茨木」


くそ!どうやらこの生徒会長の前では何もかも見透かされているようだ。コイツ本当に凡人の類か?


  「確かにさ夏の桜なんてそこらへんに植えてある木となんら大差はないのかもしれない。でも、あいつらは頑張ってまたピンクを咲かせようと見向きもされない間、必死になって努力してるんだ。何だかさ一人の人間が必死になって努力している期間のように思えて、俺は嫌いにはなれないし、むしろ好きなんだ」


  「じゃ、夏休み一緒に見に行きます夏の桜。丁度俺の家の目の前に桜あるんで」


  「良い提案じゃないか茨木。じゃあ阿須も一緒に、茨木の家の前でブルーシートでも敷いて、花見とでもしゃれこもうじゃないか」


  「阿須を連れてくるのはいいですけど、お願いですからブルーシートを持ってくるのだけは止めてくださいね!」


生徒会長に強気にそう念を押した。夏の桜の下、ブルーシートを敷いて三人でゆっくりしているのを誰かに見られたら、間違いなく変人扱いされるだろう。


  「よし!ついた」


神谷との長いようで短い雑談を終え、ようやく一つ目の電気のスイッチを変えるべく場所、廃墟と化した教室へとついた。どうやら神谷の話では、この手の教室は今後使うかもしれないであろうと、余った予算を無理やり使おうとした感が否めないが老朽化した電気スイッチの交換を生徒会顧問直々に言われたそうだ。


  「にしても....蜘蛛の巣が!!この」


扉を開けていつも通り教室に入る感覚で歩を進めた瞬間に顔の周りを蜘蛛の巣が覆いつくす。躍起になって顔中を触るが中々にとれず、本当はやりたくはなかったが思い切って面積の大きい腕全体を使い、俺の制服が少し汚れたぐらいで無事に顔面から蜘蛛の巣は排除できた。


  「・・・・・・・」


廃墟と化していた教室は、この学校とは思えない程に汚かった。床や壁には埃、傷、落書きなどが普通の教室と比べて尋常じゃない量張り巡らされていて、板書や教卓以外には何もないので声だってこの通り反響しまくっている。カーテンもビリビリに、硝子だってあちこち割れそうな所があったり、悪い点を挙げていったらキリがなくなる程に老朽化が進んでいる。ここも美術室と同じく改装工事の範囲外だったという訳かと、この教室に少しだけ同情

してしまう。


  「はは、蜘蛛の巣ぐらいなんだって言うんだ茨木。かき分けて進めばいいの話だろ」


そう得意そうに喋り、有言実行。本当に手で扉の前にあるデカい蜘蛛の巣を思いきり振り払いながら俺の後に続いて教室の中へと入っていく神谷。虫嫌いからすると正直引くレベル。


  「で、ここにある電気のスイッチを変えるっていう事なんだと思うんだけど、俺配線を元通りに繋げるとかその手の事出来ませんよ」


昔ながらの質素な電気のスイッチを指さしながら神谷に言う。


  「電線を取り換えるといった類の仕事は後で専門の人が学校に来るらしい、俺達がやるべき仕事はその人達が来る前までに電気のスイッチの側だけを外すこと、それだけでいい」


どうも時短を考慮しての配慮なのか、それにしては整合性がとれていない気もするが。


  「ていうか神谷、電気のスイッチの外郭を外すというのに、ドライバーの一本も持ってきていないのか?」


見た所、いつの時代の物かは知らないが、電気スイッチの隅には四つのねじがしっかりと占められておりドライバー類の道具がないと、中を剥き出しにすることはおろか、それに辿り着くまでの外郭すら外せない。


  「あぁ、それは大丈夫、こうすればね!!!」


理解があまりにも追いつかなさ過ぎた。だって一秒前まで屈強にねじで締めつけられていた電気スイッチが、バゴォ――ンンーと音を立て、神谷の回し蹴りと共に粉砕され、その破片を四方八方に散らばらせていたのだから。


  「は?え?ちょ?」


電気のスイッチは、緑の基盤を剥き出しにし、だら~んと、半壊したボタンであったものを垂れ下げている。理解は未だに追いついていない、いや、理解はしている。ただこの頭では処理しきれない程の情報だったという訳だ。俺の中で形成されていた神谷の印象は今日をもって完全に壊され、崩れ落ちた。


  「生徒会長もたまにはこうして羽目を外さないとな」

 

  「いや!そういう事を聞きたいんじゃなくでなぁ神谷!!」


動揺、焦り、その他諸々を隠し切れないまま、粉砕されたスイッチの前に冷静に突っ立っている神谷に近寄る。


  「そういう事もどういう事もない。ほら次々」


神谷がこの教室にいたのはたった数十秒。そのたった数十秒という間で神谷は蜘蛛の巣、質素な電気のスイッチと、二つこの教室だけにある趣を平然と壊して出ていった。


その後も、今にも崩れそうな階段、長い間使われていなかったトイレやら、主に俺達の学校生活とはまるっきり関係のない一番端の棟を中心とした電気のスイッチを神谷がことごとく粉砕していった。


  「なぁ茨木」


  「何だ神谷」


神谷の回し蹴りにとうとう呆れという感情が出始めながら廊下を歩いている時に、唐突に神谷に呼び止められる。


  「ここ最近の陸上部の件と言い、連続失踪事件の拍車のかかり具合と言い、茨木はどう思っている?」


それはこの街に住む一般市民としての発言でいいのか、この学校の生徒として言うべきなのか、あるいは内情を知っている者として確信をつく一言を発せばいいのか。


  「正直おっかないと思うよ」


俺は、この街に住む一般的な市民としての発言という選択肢をとった。


 「おっかない....か」


 「ん?何か気にでも障ったか?」


 「いや別に。当然の感性だと思うだし、それが普通なんだ」


神谷は俺の意見に肯定するものの、何処か奥底で引っかかったようにしている。


 「じゃあ逆に聞くけど、神谷はこの不可解な事件についてどう思ってるんだよ?」


これじゃ納得いくはずもなく、思考するより先に口が勝手に神谷に問うていた。


  「まぁ、大体は茨木の言った通り、おっかない、と思ってる。でも、どうしてかな。おっかない...だけではすみそうにない気がして堪らない。その言葉で済ませるにはあまりにも重すぎる気がするん....だ」


神谷は表情を曇らせ俺の質問に曖昧な回答を差し出した。そのせいか、生徒会室へと戻ろうとしている歩を少しづつ遅くなっており、自分でも何を言っているのか分からなくなって戸惑っているようにも見えた。


  「そうですね。すいません、おっかないなんて軽はずみな言葉を口にしてしまって」


  「いやいや別にそういう事じゃないんだ。むしろ事件の事を認知して、それに自分の意見を持てるというのは素晴らしくてだなぁ...昨今の若者はニュースやら新聞を見ていないのか、そういう事件は認知していても、”怖いねぇ”とか”心配だね”なんて他人事のように思ってる節があるからさ、生徒会長としては、生徒の危機感を再構築してほしいもんだと思うよ」


  「でも、俺の意見もかなり浅はかだったと思いますけど?」


  「なんかお前が言うと無駄に重く感じるというか、軽くは聞こえないというか。正義の味方が事件に対して客観的な思考を紡ぐ的なものを感じる」


  「なんだそれは」


  「悪い忘れてくれ」


事件の事はともかく。正義の味方って何だよ正義の味方って。神谷との話が終わると同時に、”生徒会室”と書かれた看板が視界に入る。


  「阿須いるか~?」


神谷は慣れた手つきで生徒会室の扉を開け、阿須の安否確認をする。


  「生徒会長も茨木に感化されて柔らかくなりましたか」

 

開けたその先には黒髪ショートの少女が一人、窓際のパイプ椅子に座りながら自分で淹れた最高品質のお茶を嗜んでいる。阿須にも阿須なりの生徒会長象というものが頭の中で形成されていたのか、その象とのギャップがある呼び方だったのか、つい阿須の可愛らしくない言い方で神谷を弾劾する。


  「俺に感化されて柔らかくなるって何だよ阿須」


  「別に、ただ茨木と一緒にいる人達って皆こう、ふっくらしてるというか...」


阿須は自分の目の前でふわっと、手を使いながらジェスチャーしている。確かに皆ふっくらしてるよな、特に先輩とか。


  「どうやら俺も角がとれて丸くなる時期への移行期間なのかもしれないな」


  「何言ってんだあんたは」


こちらも一人、自己を保身するための蛹から羽化する時期だと生徒会室の中で呟く生徒会長。これが他の生徒諸君に知られれば、下がりきった好感度も少しは右肩上がりになるというものだろう。


  「はいこれ」


  「おっと...これは」


そう言いながら阿須は神谷に手を出すよう促し、出された手元に一冊のノートを静かに置いた。


  「本当は来週締め切りの会計だったんだけど、あんまりにも暇すぎるから終わらしといたわ」

 

  「お前休んどけってあれ程言っただろ」


神谷からの叱責はもっともだ。阿須の身体を労わって仕事を引き受けたというのに、その阿須が他の仕事をしていれば本末転倒もいい所だ。


  「茨木と先輩が仕事をやっている中で私一人が、ちんまりと生徒会室で待っているなんて、とってでもないけど私には出来ませんでした。それに私は肉体仕事が体に不都合なだけであって、頭脳仕事はむしろ好きな部類なので気にせず」


そう言い、茶色の長机に置かれていた少しだけお茶が入っている湯呑を手に取り口元まで持っていく。


  「そう・・・・か。まっ、取り敢えずだな。今日締切の仕事はかたついた、皆って言っても三人だけだけどご苦労様、てことで今日は解散!」


その言葉を聞き阿須はホッとしたのか、口元まで近づけていた湯呑を離し、再び茶色の長机と置く。その湯呑の中にはさっきと変わらずに少量のお茶が残されていた。


  「私ももう帰るけど、茨城はどうするの?私のわがままを聞いてもらったんだから今からでも何かおごるけど」


そう言うと、パイプ椅子から立ち、長机に広げられていた私物を鞄の中へと詰め込む。


  「いや、そんな大そうな事はしてないし、おごられる権利もない。俺ももうすぐ帰るよ。阿須は先帰ってろ、時間も時間だし物騒な世の中なんだからな」


俺の注意喚起ともとれるその発言と同時に阿須は荷物を詰め終わり、その重そうな鞄を右肩にかけ生徒会室の扉が開かれる。


  「そう。今日は分かったけど、私の気が済まないからいつか絶対私におごられなさい」


こぢんまりとした生徒会室中に声を響かせながら扉を閉め帰路へと旅たっていった。


  「相変わらず自分が決めたといった事は、何が何でも貫き通すんだからなアイツはな」


昔からそうだった。、自分が思った事は直ぐに行動に移したり、非行にはしる生徒を正しい方向へと導いたり、気が難しいのに学級長になったりしてさ....  


  「本当・・・・・真面目すぎるんだよお前は...」


ここにはいない誰かに向かってそう呟く。それは、こんなにも小さな部屋ですら聞き取れないほどに小さすぎた声だった。


  「自分の事を棚に上げて阿須への心配か。随分と能天気な思考回路してるな茨木、お前だって被害にあうかもしれないんだぞ」


  「ご忠告どうも。幾ら会社員の被害が多いとはいえ、学生がいつターゲットになってもおかしくありませんからね、陸上部がいい例です」


この生徒会室に用はないと。決別の如く神谷の背を向き、阿須と同じ帰路へ旅立つために数十秒前に閉められた扉に手を掛ける。

 

「神谷、最後に質問だ。なんで俺の身体の不都合の事知っていたんだ?」


「単なる当てずっぽうなる偶然だよ」


ガチャンと生徒会室の扉は神谷との別れを告げるべく閉まった。








  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る