キオク

今は何時だろうか、もし7時40分過ぎなら凜が起こしに来てもおかしくない時間帯だ、急いで意識を覚醒させないと。





           ――おかしい――





やっぱり今日の朝食も一段と上手い。これだけの料理も出来て、他の家事も完璧なら将来は安泰だな、俺も見習わないと、どんどんおいてかれちまう

                      





           ――おかしい――





凜もう行くのか?まだ8時前だっていうのに。ん?あ~生徒会の仕事で行かなくちゃならないだって、そりゃご苦労さんだ





           ――おかしい――






おーいエネルぐうたらとソファーでくつろぎながらテレビばっか見てると太るぞ~ってエメルさんに言ったんじゃないって頭ポカポカするの止めて結構シャレにならないぐらいに痛くなってきてるから~~




           ――おかしい――






ってもうこんな時間学校行かないとぉぉぉ。よし自転車はバッチリ、そんじゃレッツゴ~




           ――おかしい――





おい明の奴また授業中に寝てやがる、ホントこいつよくバレないよな~葉月先生に後で密告でもしとくか





           ――おかしい――





え?俺に。阿須が俺に頼みごとなんて珍しいこともあったもんだな、ていうか生徒会の仕事なら神谷にばったりあったりして......





           ――おかしい――





やっと生徒会の仕事終わったぜ、今ならぎりぎり遅刻しない程度に部活に参加できるかな




           ――おかしい――





うんなんとかセーフ......って先輩その絵何ですか?ここら一片の景色~?待ってくださいよ俺でももう少し絵心ありますよ。てか柊はまた遅刻ですか?えぇ、休み!!あいつどんな手を使って休みやがったぁぁぁ、あ、もちろん俺は休む気なんてないですからねははは




           ――おかしい――






紫苑さん~聞いてくださいよ、また厄介事に巻き込まれてですね......




           ――おかしい――





お、夕食はまた鮭のムニエルと、そう言えばこの前作るとか言って作ってなかったもんなぁ





           ――おかしい――





うぇ、食虫植物ちゃっかり育ってきたじゃんか、これは母さんもびっくりするだろうな





           ――おかしい――






うーーんお前ら、人が勉学に励んでいるのにデカい音量でゲームをするのはいかがなものと思うが....って俺も入れって?.....少しだけだぞ





           ――おかしい――







さ、消灯の時間だ。こらそこ二名、布団の上ではしゃがない。凜が起きてしまったらどうする





           ――おかしい――







じゃ、オヤスミ■■■■■■――■■■い―――




あれ?君は.....誰。瞼を閉じる間もなく、世界は真っ黒になる。その中で一つ見えるものがあった。暗い底に佇むそいつは憐れだと言わんばかりにこちら目を向けている。どうして、ここで会ったもの同士仲良くしようじゃないか!!

返事はない。いや、返事は無かったが目の色が変わった。それは怒りに満ち満ちた目をし、一言何かを発すれば、何かが飛ぶだろう、とその目が告げている。怖いので、だんまりとそいつの様子だけをまじまじと見ることにした。もちろん暗闇だから輪郭など、分かるはずがない。でも確かにそこにいる。おや?こちらに歩み寄ってきたのか、ただならぬ圧を感じるぞ!こっちとしては同じfjf;dwj同士仲良くしたいけど、手でも振ったら、この搾りかすみたいな意識からの接続も外れそうで怖い。タン――タン――と、足音は軽いはずなのに、何処か奥底に響いてくるような音、ベットに横になったばかりなので心地よい。おぉ、もう互いの息がかかるまで近くに来ているというのに俺はそいつを視認できない。ん?何か言っている、でも声が小さすぎて分からないな。俺まだ17なんだけど難聴案件かこれ。はぁ~困ったもんだ、どれどれ何処から声を発しているんだ。触覚を頼りに手当たり次第口っぽい形状の物を探してみることにした。お、あるじゃん、どれどれ――――




   「■■も終わりだ■■■■」









   「................っ」



何度目の異常起床だろうか。目は開いているというのに、視界がぼやけたままだ。脳の覚醒する能力が段々と疎かになっている気がする。ってか何かいつもと違う景色?いや違う、あの観葉植物は間違いなく我が家だ、視界がぼやけていても流石に分かる。それよりも視界の外側を一周埋め尽くす。緋色と水色と茶色の長いポニーテールみたいなものはなんだ?俺の部屋にこんなものなんてあったけか、ん?なんか水滴みたいなのが垂れてきたけど、雨漏りしてるのか、昨日の天気予報じゃ朝は晴れって書いてあったけど。ん―――?何か聞こえるな、でもぼそぼそとしか聞こえない。あ~こりゃ完全に聴覚も逝っちまってる。今度は体が勝手に揺れはじめ、それと同時に水色の何かがひらひらと揺れているのがぼやけた視界で確認できた。何だ何かのいたずらか、それとも夢の中か、人の快適な覚醒のための思考時間を邪魔されている気がする。こうなりゃ思考もくそも関係ない。視界はぼやけ、聴力もあまり機能していないが、凛やエネルエメルさんよりも先に起きてびっくりさせますか、と意気込みもう一度瞳を閉じる。それはもう二度寝のためのものじゃない、ぼやけた視界を元に戻すために、瞼の裏で洗浄しクリアにするために閉じたのだ。2秒と時間を数える。一秒目は俺が起こしに来たらどんな反応をするのかを妄想し、2秒目にはそれに怒られて後悔する姿を想像する。それでもいいと、瞼を思いっきり開け、少し上体を起こした――――


   「――――――――――――え....」


そこには、深刻そうな顔を浮かべ、俺の正面すなわちフットボードに位置するエネルと、目尻に少し涙を浮かべながら俺の体をゆさゆさとさするエメルさん。そして、感情をむき出しにこれでもかってぐらいに俺の上で泣き続ける凜がいた。



   「.............刹兄!!」


   「―――――――――ぉっと」


いつもなら俺の起床に無関心な凜が、今日に限って目を覚ました瞬間抱きついてきた。


   「――――――――っ....」


状況を冷静に判断しようと改めて周りを見渡そうとすると、脳に亀裂が入ったように軋む。二日前にあった朝の感覚とは違い、かき回されるような痛みではなく、誰かに血管を一つ一つ裂かれるようなそんな痛みが襲う。


   「刹兄!!!!」


   「大丈夫だってこれぐらい.......」


言葉を紡ぐ度に、頭の中の血管が千切れる。プツン――プツン――っと、優しい音が脳の中で反響する中での激痛。ある種それは拷問に近いようなものだ。千切れた血管はちぐはぐに継ぎなおされ、血の循環が上手く機能していない。その影響でなのかは分からないが、記憶が曖昧だ。


   「刹......君.....」


エメルさんは俺の体を揺らしていた手を離し、優しい瞳をこちらに向ける。その手がどれだけ俺をさすったかは、その赤みががった色で大体察せる。


   「.......」


一方のエネルも、普段の元気な姿からは想像が出来ない重たい様子。クローゼットの方を見つめるその目は何処か失念していた、と訴えかけるよう。


   「.............」


何も言えない。何も分からない。自分に起こったことまでは分かる。昨日の夜、渋谷で異形種狩りをしていて、ふとした瞬間に右腕の痛みと共に意識が途切れた所までは覚えている。でも......今に至るまでの過程の記憶を何も覚えていない。普段なら深呼吸をすれば痛みが引いていくはずなのに、昨日起こった痛みはそれすらも許してはくれなかった。ただ膝から崩れ落ち、地面に横たわりもがくことしか出来なかった。


   「.......っ」


脳はこれ以上の記憶模索を許さないのか、限界の状態でセーフ装置が起動し、後頭部に痛みを打ち付けた。


   「刹君....今は何も考えずに安静にしてて。腕の痛み自体は収まってるはずだとは思うけど、それでもいつ昨日のようなことが起こってもおかしくないから、今はただじっと.....」


その声に、やっと腕の痛みが引いてることに気づいた。急いで自分の右腕を確認するため、シャツをたくし上げる。


   「―――――――なん...ともない」


刻印のように刻まれた火傷痕はいつも通り腕にあるが、痛みも――見た目も――何らとして変化がない。あぁ、いつもなら変化がないことに安堵するはずなのに、今日だけはそれを不気味とさえ思った。


   「そりゃそうだ。刹が倒れた後、エメルちゃんが直ぐに処置してくれたおかげで処置自体は一瞬で終わって、後遺症やらもなしときた。でも、刹気絶したままだったからさ、夜の風にあてられていたら風邪ひくだろ、だから急いでここまで連れ帰ってきたってわけ。意識はあったって所がまだ救いだった。これが意識もないっていったら........」


その先は自分の口を封じるように手を当てる。”命はなかった”と言いたかったのだろうか、もしそうならばと考えると呼吸が浅くなった。


   「でも、でも刹兄は生きてる......それだけで....」


左腕付近のシーツのシワが凜の手によって濃くなる。握りしめられた拳には一つ、また一つと雫が。


   「あぁ、生きてるよ」


ちょっとでも安心させてやりたかった。ちょっとでもお兄ちゃんらしくしようとした。でも、結果はこれだ。凜から怪我をするなといって帰って来いと言われたのに、気絶して帰って来てしまった。俺は何一つ凜の約束を守れちゃいない。兄失格は当然、品格の面も疑われる。心に叱責する余力など残っておらず、俺は凜の言葉を反復するような形で答えた。


   「もう.....大変だったんだから。深夜から朝まで、刹兄が唸るたびにびっくりしちゃうし、あんな状態だったんじゃこの暑い時期に体温調節も出来ないからっていって、冷やし枕とかで付きっきりで調節してたし」


冷やし枕だったのか、これ!枕の感触が、いつもよりブヨブヨしていたり、高さも少し低いなと思っていたけどそういう事だったんだな。


   「深夜から朝まで.......まさかとは思うけど、皆寝てないのか?」


この違和感にもう少し早く気が付くべきだった。凜は制服に着替えているが、エネルとエメルさんは昨日の渋谷の時と恰好が同じだ。


   「あったりまえでしょ!!深夜にばたばたと何やってるのかと思って刹兄の部屋覗いてみたら、エネルさんとエメルさんが必死になって刹兄を介抱してるんだもん。そんな状況下の中で私だけ寝れないでしょ、後......」


   「後?」


上手く言葉が紡ぐことが出来ないのか口がこわばっている。


   「凜ちゃん、辛いことは無理して言わなくてもいいんじゃないの」


言葉を出そうと奮闘している凜の肩にそっと手を置き、エメルさんはそう伝える。


   「そ、そうだねエメルちゃん。刹兄、さっきの後に続く言葉はナシって事で」


   「お、おう」


先程までこわばっていた口はなくなっており、いつもの軽快によく喋る口になっていた。


   「って学校行かないと」


時計の針は8時を指している。後15分後には朝食を食べ、学校に行く準備を終わらせなければ確実に遅刻してしまうと悟った時に、中途半端に起こしていた上体を、完全にまで持ち上げてが、腹筋に力が入らず、ベットに左腕をついたてしまっていた。


   「いやいやいや、今日ぐらいは休んだ方がいいぜ刹、今は何ともないかもしれないけどよ、昨日みたいに急にあれが発症したら大変だろ」


フットボードに両肘を置きながら注意喚起してくるその姿勢に少しドキッとしてしまった。


   「で....でも」


   「自分の容態と相談しろ。そしたら刹の体は”休みたい”って正直に言うと思うからさ」


休みたい....か、特別無理な事をしたわけじゃないのに学校を休むというのは何だか気が引ける。それに、明や阿須に迷惑を心配をかけたくない。あいつらはあの高校で唯一俺と同じ中学で、俺の過去を知っている。一日ぐらいって思ってしまっても、過去が引きずって休む気にはならない。


   「うん、私もそう思う。一日ぐらい休んでも神様は何も罰を与えない。それに刹君は病み上がり....言わば患者さんみたいなもの。患者が休まなくてどうするって話よね」


エメルさんは俺を励まそうと必死だ。分かってる、もしも昨日のような事が学校で起こってしまえばそれこそいい迷惑だって。分かってるのに、分かってるのに......


「刹兄、お願い今日は休んで。学校なんて一日行かなくても何ともない、それにあの時言ったよね「俺がお前の傍に兄貴ずっと居てやる」って、私あの時すごい嬉しかった。パパとママを失って、残った絶望の中、刹兄だけが手を差し伸べてくれた。だからお願い.....もし学校に行って、また倒れたりでもしたら、私.....本当に刹兄までいなくなっちゃうんじゃないのかなんて思っちゃうから。ごめんねこんなわがままな妹で」


あぁ、こんな凜2年ほど前にも見たっけな、お兄ちゃんお兄ちゃんって言って直ぐに俺に甘えてきて。でも、今じゃそんな面影なんてめっきりなくなって、誰からも頼られる存在になって、その成長ぶりに逆に怖くなってた。だから安心した。まだ凜にもこんな部分があるって。


   「分かった、今日は学校を休む」


今まで皆勤だった高校生活。真面目だとか優等生とか絆されていたけど、それは違う。俺はただ心配をされたくないと―――いや嘘だなそりゃ。明や阿須が心配するといった事を盾にして、ただ謎の正義感を崩したくないがために休まない。言わば自己保身のようなもので休まなかったんじゃないのかと、自分の醜さと共に気づけた気がする。


   「あぁ、それが正解だ刹、エメルちゃんが言った通り、一日ぐらい休んでも神様は何ら罰を与えない」


   「――――――うん、多分これが正解だと思う」

  

己を保身するための正義感はとうになくなっていた。普通の人間からしたら何を下らない事で、と思うのが当然かもしれない。でも、その下らない事でも2年近くやってれば気づかず内に俺の中での一部になっていた。その一部を今日切り離せただけでも俺にとってはかなり大きい、一歩となった。


   「刹兄が休むって聞いて安心した。じゃ、私は生徒会の仕事で早く行かないとだから――あ、もし朝ご飯食べたくなったら冷蔵庫に作り置きしてあるからチンして食べてね」


相変わらずお母さんらしい。


   「凜ちゃんって生徒会の仕事してるの!!」


俺の方を向いていたエメルさんが凛のたった一言で視線が俺から凜に移った。


   「そんなに驚くことかな」


   「私日本の漫画で見たよ、生徒会を牛耳るものは並ならぬ権力を持ってるだとか、生徒会はモテるだとか」


   「それ、嘘だよエメルちゃん」


   「え!だってエネルが日本文化を学ぶにはこれが良いって~って漫画を渡されたんだけど。エネル、まさかあなたそれを知ってて渡したんじゃないでしょうね!!」


視線は凜からエネルへと移り変わり、視線と呼ぶには相応しくない銃口のようなものがエネルへと向けられている。大抵の漫画ってそういう所誇張されて書かれてあるから、あんまり信用にならない。まぁ、そもそも漫画やアニメを嗜む時ってそういうものだとということを前提に読んだり、見たりするものであって、一切日本文化に触れてこなかった人からすると、それが事実だと思ってしまうあから誤解されがち。そしてエメルさんもその被害者であるのだが、エネルやっぱりお前だったか。


   「ちがうちがう、そういう変な意図を持って渡したんじゃない。ただあん時エメルちゃん暇してそうだなぁ~って思ってさ」


必死に言い訳をしているが、動揺が隠しきれていないぞエネル。


   「エ~ネ~ル~く~ん、後でお話しよっか!」


「はい........」


エメルさんは満面の笑みをこれでもかってぐらいにエネルに見せつけている。もちろんその笑顔に善意と呼べるものは一切ない。エネルはただ”コクン”と頷いただけだった。


   「エネルさんがんばってね~」


凜もエメルちゃんの肩を持つのか、エネルを煽るかのようにして学校の鞄を肩にかける。


   「いってらっしゃい凜、今日は所で悪いけど」


   「ん~んそんな事ないよ、それじゃいってきます」


いつも通り”いってらっしゃい”と、場所は違えどこれが俺の日常。パタン!と凜によって優しく閉ざされる扉。今日は扉が跳ね返りもせず実に穏やかだと、異常起床ながらにホッと胸を撫でおろす。


   「.........」


   「.........」


   「......................あのぉ」


凜が部屋を出た途端に、空気が一変した。いつもは寂しく端っこに佇むベットの上に寝ていられるのが幸せなぐらい重苦しい空気があちらこちらに飛び交う。良かった本当に端っこで良かった。もしこのベットが部屋の真ん中に鎮座していれば、この重苦しい空気が四方八方から俺を潰し圧死させていたであろう。端っこならば前だけにくる重苦しい空気をはねのけるだけで、後ろには何ら気を配る必要がない、だってそもそも後ろという概念がないのだから。



   「さ、作戦会議するぞ~みんな~」


重苦しかった空気は、エネルが窓を開けたことによって全て外へと逃げていった。


   「ちょ、エネルいきなりなんで窓開けるの」


学習机の数十センチ上についている窓から、朝を始めるには持ってこいの風はヒューヒューと流れ、エメルさんの長い水色の髪全体に当たる。


   「ただの空気の入れ替え、いつまでもこんな空気じゃ圧死してしまうと思ってな」


だがそれはただこの数秒の会話を作るためだけのその場しのぎにしか思えなかった。エネルが窓を開けて数秒。多少は重かった空気が流れていったが、それでもこの部屋で生産されていく重い空気の量が異常すぎて、あの小さい窓だけじゃ排出が間に合わない。


   「........」


   「........」


   「..........」



再び訪れる沈黙。それは人などを切り刻むには適した静寂。まるであの時の先輩とエネル達の睨み合いのようだ。なら、ここで静寂を断ち切るのも俺ってわけか....


   「さ、作戦会議とやらはどうしたんだ、はは」


重い空気に圧迫されながら答えたせいで、腑抜けた声になってしまったが、結果として静寂を断ち切ったのでおけ


   「あ~~まぁそれは建前というか何というか―――」


エネルにしては珍しく動揺している。


   「正直に、刹君が昨日なんであんな事になった理由を話すわそれは―――」


   「異形種の直視.....これが今回のそれに直結している」


エメルさんの後に続く言葉を遮るようにしてエネルが喋った。


   「でも、俺今回はあんまり直視していないはずだぞ」


異形種、本来存在すらも認識できない生命体だが、何故か渋谷の異形種だけは認識でき、それ自体がおかしいとエメルさんから注意されていたからあんまり見ないようにはしていたけど....


   「あぁそうだ、俺が見る限りでは刹は直視なんてしていなかった。じゃあなんで刹はいきなり倒れたのか。おほん、さっきの異形種の直視っていう所、悪いが訂正させてくれ。異形種の直視ではなく、異形種からの直視と」


無駄にこちらの不安を煽るその言い方は、物語の語り部のようにゆったりとそして深くへと心の中に染み渡る。


   「異形種からの直視?」


それじゃあ、まるでこちらにアプローチでもしているような言い方。


   「本来異形種が直視しても何ら害はない、だってそもそもが認識出来ないのだからな。でも渋谷のは違う、あれは認識出来るようになっている。直視をされただけで気絶をするなんて聞いたこともねぇが、実際なっているものは仕方ない」


   「でも俺、初日に異形種に襲われかけたけど、何ら害はなかったぞ」


あの時はエメルさんに助けてもらっていたとはいえ、異形種自身が真っすぐに俺を見つめていた。


   「ただの人を襲うような異形種ならばそこら辺のと変わらないからな、まだ歪じゃない異形種だったのかもな」


渋谷全体の異形種が何も全部特別だという訳ではないのか。何だか少し安心したが、


   「そして歪なのは何も渋谷だけじゃない」


   「――――――まだあるってのか」


右腕の激痛による気絶、そしてそれに直結する異形種からの直視。これだけでも朝から吐きそうで耳を塞ぎたいのに、異形種という存在はどうやらそれを許してくれないらしい。


   「マナから聞いた話なんだが、渋谷以外の所での異形種での被害は2日前から途絶えたらしい。というか渋谷に異形種という存在が集約された感じか、他の場所には異形種は確認されなくなったらしい」


   「それじゃあ.....」


残っている異形種を狩るには渋谷に行かなければならないということだ。渋谷に行けばまた異形種からの直視をされ、気絶する可能性は高い。そうすれば毎日このような日々が続くってことか。


   「あぁ、また異形種からの直視を受ければ右腕の痛みが再発して気絶してしまう可能性がある。だから、今後は別に俺らに同行せずに、無理して異形種を狩らなくても......」


エネルはぼかして言っているが、つまりはここで異形種という存在に関わらなくていいと言っている。あぁ、そんな事が出来るならもちろん――――


   「それは、出来ない」


断固として拒否する。エネル達や先輩が倒している中、俺だけがその事を知ってただ傍観しているだけってのが許せない。それにエネル、言ってたじゃないか、”知ってしまったお前には責任がある”って。あれから色んな事を知った。異形種の存在、この地球が崩壊に向かっているということも、とってでもないけど、こんな一般人が知る必要がなかった情報。それらの情報を受け取らずに拒むことだって出来たはずだ。でも俺はそうはしない、もう無知ではいられないって、無知は罪なんだって、エネルが言ってくれたから、俺は今こうしてエネルとエメルさんと会話しているんじゃないか。


   「また、気絶するかもしれないってのに?、凜ちゃんを心配させるかもしれないっていうのに?」


あぁ、もう一回でも気絶して帰ってきたら凜に何て謝ればいいんだろうな。あぁ、全くどこまでいっても兄貴失格じゃないか。でも....でも


   「それでも行く。エネルが言ってたじゃないか、”知ってしまったのならその責任を果たせ!”って」


その覚悟は、あの夜の公園で済まし、先輩ともした。今更変えられやしない。


   「―――――――――――――――――お前は本当に強い奴だよ」


   「やめてくれそんな言葉は俺には相応しくない。強いっていうならエネルの方だろ」


精神でも肉体でも、何もかも上回っているのはエネルの方だと、この口は断言する。


   「そんな事ないよ、俺は.........」


俯きながらその後の言葉を濁す。


   「あ~~せっかく良い空気になっていったのに、また重くするのは許さないよエネル。前向きに考えよ、今日はまだ始まったばっかだし、異形種を狩るまでまだまだ時間はある。そして刹君は休み、もう考えられることなんて一つしかないよね」


   「一つ?」


まさかとは思うけど........



   「遊びに行こぉぉぉ」


二パ――とした笑顔をこの部屋中にばら撒きながら、病み上がりの住人に対しての容赦のない仕打ちがおこなわれる。やっぱりか。何となく察してはいた、初めてこの部屋にいた時から、今ここに至る現在まで、こいつらが好奇心を抑えられていた時はあったか!いや、あったのはあったな。でも、基本的に二人は欲には忠実な人達だ。地球に来て間もないのだから、無理はない、だが限度は知れ。と心の中でエメルさんの頭上にポカっと拳を打つ。


   「でも、俺腕心配で......」


元々、気絶した理由も右腕の痛みで起こったものだし................




           ――あれ?―― 



   「大丈夫、右腕の痛みなら私がまた直しておいたから安心して、今日一日中鬱憤を溜めた状態で家の中籠っても嫌でしょ。それなら外に出てパァーってやろう。それに腕を酷使するような事しないから大丈夫」


手を大きく広げたその仕草に憂う気持ちだったのに微笑みが出るほど。


   「中途半端に楽しむぐらいなら、全力で楽しまないとな」


あいつ完全にやる気スイッチが入ったな。フットボード越しにも伝わるエネルの喜の感情、エメルさんは腕を酷使はしないと言っていたが、エネルが来るとどうなることやら。


   「ま・ず・は、腹が減っては遊びは出来ぬ。ということで刹君、凜ちゃんが朝作り置きしておいたご飯を食べよう!」


遊びに行くと頷いた覚えがないのに、このテンションの高さ。うん、もうなんだか嫌な予感がしてくる。


   「ちちちちなみに遊びに行く場所のプランとかって決めてるの?」


腕ではなく心臓の方が持たないこの状況さながら、恐れおおいが、意を決して不敵な笑みを浮かべるエメルさんに聞いてみた。


   「それはもちろん秘密よ」


最後にハートマークでもつきそうなそれは、俺にとっては死の通告になる予感がした。


   「でも、安心して。本当に大丈夫なところだから」


   「だと良いんですけどね」


返事が返ってくる訳でもないのに、後ろの壁に振り返り、一方的に問いかけていた。


   「それじゃ、刹君。私達はもう食べちゃったからここでテレビでも見て待ってるわ」


   「分かりましたよ」


体を引きずるようにしてベットから出ていったこの家の住人は呑気にあくびをかまし部屋を出ていった。



  「さ、エネル。話をするわよ」


パタン、と部屋の扉が閉まった瞬間に空気が切り替わる。盛り上がっていたムードを壊すなとあれ程言っていた女が自ら盛り下げ役になっていたのだ。


  「どうかした―――かい!エメルちゃん」


一方で男は、この家の住人がベットを空きにした途端、しめた、と言わんばかりにベットにダイブしていた。おかげでベットのスプリングはその余韻を残して今も上下している。


  「なんで、刹君にまた嘘ついたの?」


咎める勢いは、いくら仲睦まじい関係であろうが容赦はない。彼女の冷酷な眼差しは銃口に匹敵するほど恐ろしい。それを当然の如く緋色へと向けている。


  「それはこの前も言った通りの方針だ。哨戒班の存在は刹には言わない」


  「私それに賛成した覚えはないよ。話せる時がきたらって言った、哨戒班の情報、刹君に言わないといけないんじゃないの?」


ベットに横たわる男を俯瞰する女に余裕などなかった。


  「エメルちゃん。エメルちゃんはさぁ、刹の事どう見えてる?」


男はベットにくつろぎながらも至って真剣に目の前の女に問う。


  「急にどうして?」


  「まぁ、いいからいいから」


男に促されるながら真剣に考える女


  「う~ん、あんまり考えたことはなかったけど普通の学生って感じなんじゃないの?私、日本の教養はあんまり備わっていないから普通かどうかは分かんないけど」


捻りだした答えに嘘はない。エメル視点から見た茨木刹という人間がありのままに語られていた。


  「あぁ、半分正解だ。刹は至って普通の学生、右腕全体にストロークを隠し持っていたが、これくらいはまだ許容範囲だ」


言葉を順調に綴っていた口だが、それも数秒前まで――


  「だが、刹には一つの長所とも言えるし短所とも言える性格がある」


  「?」


女は”そんなのあったけ”と首を傾ける。


  「やっぱり気づいていなかったんだな。ほら、刹って結構正義感強い所あるじゃんあれでも」


  「正義感?少なくても私には....」


何かを思い出したかのようにハッとしている水色の女。


  「凜ちゃんの事もそうだし、異形種への思いもそうだし、今日の朝の事だって、よくは分からないけど何か変な正義感に囚われてるっつーか。一様誤解を招かないように言っておくが、別に悪いと言う訳じゃないんだけどな!」


  「別に誤解なんてしないわよ、それでその正義感が哨戒班の情報開示をしない事となんの関係があるのよ」


女からの指摘は至極当然のものだ。あちらからのわがままでこのような事になっているとは言え、協力関係同士で情報を共有を疎かにしているのだから。


  「刹はな、哨戒班の事を聞けば、絶対に倒そうと必死になって俺達に着いてくる、役に立たなくてもいいから行かせてくれって、そう俺には予見できる。哨戒班、まさかこの惑星に受胎していたなんて思いもしなかった。まっ、再構築放棄の責任で権能の弱体化があったとは言え、哨戒班一人なら怖くはない」


男は余裕そうに鼻を鳴らす。哨戒班、異形種の数を減らされた後に、惑星自身が崩壊を防ごうと自身の中にそれを受胎させ、生命体による惑星に反する行為の解消がみられない場合に、惑星が内から外へと出し顕現される、惑星による最後の手段。そこにある感情はただ一つ。惑星自身の営みを阻害した、その生命体達の白紙化。異形種などと比較する事すらおこがましい存在であり、惑星による絶対。そんな奴を相手に、この緋色の男は”怖くはない”そう断言していた。


  「哨戒班が顕現するのは、間違いなく渋谷だ。時間帯は深夜ではなく、人が活発に行動する夜といった所かな」


異形種は生命体を排斥するために作られただけの存在、裏を返せば防御面は人間よりもずっと弱い。だから、一度に大量とは言えないが、確実に仕留められる深夜に出てきた訳なのだが、哨戒班は違う。惑星によって絶対を確約されたそれは、生命体、異形種、それらを遥かに凌駕する惑星自身が自らを投影した姿。そんなものがわざわざ深夜などという人通りの少ない場所で生命体を排斥してもあまりにも効率が悪すぎる。哨戒班も馬鹿ではない、恐らくは人の動きが活発になる19時あたりに来ると思って間違いはないだろうと男は淡々と喋る。


  「私達二人で倒すってことなの?」


それは憤慨ではなく、ただ純粋に女は問うていた。


  「流石のマナも協力はしてくれるだろうが、ほとんどは俺とエメルちゃんで戦うってことになるだろうな」


男は横向きになっている体勢が辛くなったのか、エメルちゃんから視線を外し、天井を見る形で仰向けになっていた。


  「その時刹君は何してるの?」


だが、女はそれを許さない。男が視線を天井へと逃がすと同時に、女が男の正面へと覗き込む。


  「う~~~、多分自宅待機?」


男は少し恥ずかしそうになりながらも、何とか答えを振り絞る。


  「考えてないわねエネル」


少し幻滅したような目で見るが、どこかホッとしている様子


  「哨戒班に合わせる訳にはいかねぇよ、だって―――」




  「お~い二人とも、ご飯食べ終わったぞ~」


勢いよく開かれた扉の向こうにいるのはこの家の住人の一人茨木刹。戦前の腹ごしらえを終え、下で待機していたのだろうが、いつになっても二階にいる緋色の男と水色の女が降りてこないため、気になって自分の部屋へと来てしまったのだろう。


  「って、なんで俺のベットで寝てるんだ。眠いなら俺が出ていく前に言ってくれよ、ちゃんと整えたかったからさ」


部屋に入った時にエネルが仰向けで、それをじーーっと見つめるエメルさんという何とも言えない空間が成立していた。


  「いやいや、今のままでも十分に気持ちいいぜ!ほら、この枕だって」


  「ちょ!」


そう言うとエネルはいきなり枕に顔をうずめはじめた。ゴロゴロ~ゴロゴロ~と男の枕で顔をうずめるのが何が楽しくてやっているかは分からないが、エメルさんが笑っていたから良しとしよう。


「行く準備はできたけど何処へ行くんだ」


着替えなどは、ベランダに干してあるものをちょちょっとつまんだものだから大した服装ではないが、その分二階に行くという工程は省けたため、早く準備することが出来た。


「ふっふっふっ、よくぞ聞いてくれた刹の坊ちゃん」


刹の坊ちゃん!俺の髪型そんなマッシュみたいな見た目になっているのかと慌てて部屋の姿見に自分を映すが、髪型は寝ぐせがあるが、いつも通りで安定していた。なんだただの変な言い回しかと納得する。


  「じゃーん、珍しいクレープの屋台販売がやってるの、ここに行こ」


ポケットから出された無駄にデカいポスターには、カラフルな文字でクレープ販売と書かれている。そしてクレープ自身も小麦色の生地ではなく、虹色の生地に多種多様なフルーツが包まれていた。これ食べても大丈夫な奴なのと、じっくりポスターを見るが、そのクレープの横にある小さく書かれた値段、少しバクっていないかと目を擦るが、何回目を擦っても0の桁は減りはしない。


  「ここって、この場所からだと電車で30分以上も掛かるが....」


隙を見せてしまった、その瞬間エネルがベットから身を乗り出し、


  「俺が空中―――――」


  「やっぱり!!電車で行かせてくださいお願いします」


セーフ、何とかそれを言わせる前に阻止することが出来た。ここで空中散歩などとふざけた真似をすれば、夜ならともかく、見通しの良いこの天気の中、空中を闊歩してゆけば、それこそ大ニュースになるため何とか阻止したが、その快適な電車でも30分以上かかる。


  

  「それなら大丈夫だよ、この屋台販売10時からだし、それまで公園の中でも歩いてればいいと思う」


なるほど、ちゃんとそこまで見通しているとは思わなかった。全くほんと食に対しては忠実な人だ。


  「なんかいったせつく~ん」


  「いえ、何でもありませんすみませんでした」


心を読んでくることをまるで忘れていた。エメルさんの前じゃこっちの心なんて見透かされてるも同然。なるべく変なことは思わないようにしよう。


  「よし、それじゃあ行こみんな。エネル財布はオッケ―?」


  「バッチリだ」


右手に握られた黒の革財布。


  「―――ってそれ俺のじゃん!!!」


それはまごう事なき俺が普段使っている財布。


  「いやぁ~本当はお金出したいんだけどさ~先日までやってた良いバイト無事に解雇させられて、見ての通りおけらなのさ」


  「色々聞きたいことは山ほどあるが、その解雇とやらの件、後でじっくりと聞かせてもらうぞ」


本当になんのバイトをしていたんだこいつ。


  「準備バッチリだね」


あぁ、俺の財布から今日の出費が出るんだと考えると、胃がキリキリ痛む。バイト増やそうかな。そんな俺の嘆きには目もくれず二人は俺の部屋から出ていく。


多少の罪悪感はあるさ。皆が真面目に学校に行っている時に、外にほっつき歩き遊びに行くのだから。今思えばこんな経験一度だってしたことなかったな。あの日以来、どんなにつらくても学校に行って、大丈夫だと安心させ生きてきた。でも、そんな呪縛から解き放たれた今。罪悪感よりわくわくが少し勝っている。だって二人がこんなにも楽しそうにしているのだから、俺も高揚せずにはいられないってもんだ。部屋を出た二人を追っかけるようにして俺も部屋を出る最後に姿見で自分を映してから部屋を出ていった。

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