牛丼魔女

「はぁ~はぁ~ まさかバレていたなんてなぁ」


自転車を必死に走らすことだけに体の全神経を使う中、俺は、バイトがばれた理由について、残り少ない神経を使うことにした。俺がバイトを知っている奴なんてごく少数。その中で学校に関与がある人と言えば、直接的ではないが火曜と金曜日には塾だからという嘘の理由で休むと言っていた、部活の人達ぐらいか。でも、それで俺がバイトをしているなんて結びつけるのは、やや難しいだろう。


 「それなら、やっぱり....」


誰かは分からないが俺を知る先生が何かしらの方法で情報を手に入れ、校長に直接言ったのであろうか。


 「俺、そんな恨まれることなんてしてないんだけどなぁ」


日々の行いに対し懺悔する所など、再構築を阻んだ以外にないと言うのに、随分と誰かかしらに反感を買ったものだ。あくまで推測の話だから決めつけは良くないけど。そんなこんな考えていたらいつの間にか商店街に着いていた。この前に行ったばかりの駅前よりも遥かに閑散としていて、昔のような活気はそこにはない。廃れた天井のアーチから差す光は、商店街を通る人達を照らすことだけに役目を担われているのか、他の場所よりも一段と明るく見えた。


 「はぁ、はぁ、はぁ.....」


着いたと同時に襲う、全身の疲労。昨日からの無茶もあり、ここまでロクに休憩も入れずに突っ走ってきた影響であろう。あの水泳をやっていた輝かしい俺の体力はどこえやら、と過去の自分が見たら吐き気を催す程の体たらくで呼吸を続ける。しかしそのおかげで、学校からのバイト先へゴールする時間が今までの記録を優に越しての最高タイムとなった。


 「お、刹っち 珍しいなこんな早くに」


 「あ、如月さん」


疲労困憊のおぼつかない足取りで商店街を歩いていると、前から見慣れた人影が現れた。


 「随分と慌ててんな刹っち、どうした誰かに追われでもしてるのか」


 「まぁ、そんな所です」


 「えぇ!まさかの本当のパターン」


如月 紫苑 俺のバイト先の先輩だ。学校は違えどそれなりに仲が良く、バイト中には、明や凛に相談できそうにない内容の相談をいつも聞いてもらっていて、頼れる兄貴的な存在だ。


 「ていうか、紫苑さん今日シフト入ってましたっけ?」


先程、慌てて学校の駐輪場に行く途中でシフト表をチェックしたが、そこには紫苑さんの名前は無かったはずだ。


 「それがな~今日入っていた学生の女の子がよ、行けないって連絡があったらしくてさ、それで代わりに”紫苑君来れないか”って店長から言われてさー俺も慌ててここまで来たって訳」


 「はは、お互い大変ですね」


文句を言いつつも断れない辺り、やっぱり放っておけないんだろうなこの人は。


 「お互い大変って、刹っちはどったの?」


紫苑さんは目を丸くして純粋に聞いてきた。


 「話したいのは山々なんですが...」


そう言って、スマホの時計を紫苑さんに見せる。画面には3時55分と映し出されており、バイトが始まる5分前となっていた。


 「うわぉ、ただえさえ人手不足で死にかかってる店なのに、主力の俺らが遅刻なんてしたらあの店潰れるぞ」


まるで他人事かのように自分のバイト先の悪態をつく。


 「呑気な事言ってないで行きますよ紫苑さん」


 「おっと、お疲れの所悪いね」


もはや無遅刻を諦め気味の紫苑さんの手を無理やり引っ張り、バイト先の牛丼屋へと足を運ぶ。



 「それでさっきの話だけど、なんで大変だったの」


店内にはテーブルからカウンター含めて誰もいない、先程までいた客を20分程度で片付けひと段落した所だ。二人で客を捌いたにしては中々上出来だろうと、店長からバックヤードで少し休んでもいいと許可が下り紫苑さんと俺の二人でバックヤードを占領し、つかの間の休憩をしていた。この時間帯には人がまばらにしかいないから二人で捌けるのは当たり前っちゃ当たり前なんだが、それでも中々に骨が折れる仕事だ。


人員不足と言いながらここのバックヤードはそれに見合っていないぐらいに広い。テーブルの上には店長の労いを意味したものなのか飴が入ったバケットが鎮座している。紫苑さんはその行儀よく積み重なっていた飴の山から一つつまみ、口の中に放り投げてさっきのことを問いただす。


 「それが、バイトしてることが先生にバレちゃったんですよね」

 

 「うそ~あんなけ必死に隠していたのにー」


口の中で飴を転がしながらも上手く返答する紫苑さん。


 「そうなんですよ、だから尚更どこで情報が漏洩したかが分からないんですよね」


先生が店に訪れ、俺がバイトしている様子を見ていたら俺の注意散漫で終わる話なのだが、そんな失態を犯したつもりもないし、それにバラされる確率を低くしようと口頭した人数を最小限に抑えたのにも関わらずのバイトばれ。葉月先生がいたから何とかなったものの、何か引っかかって仕方がない。


 「それで、処分的なものは下ったの?刹っちの学校って確かバイト禁止だった気がするんですけど」


 「それが何とか、一人の先生のおかげで助かって....」


 「めちゃくちゃ優しいなその先生」


 「はい、最初はその先生にも辞めろって言われたんですけど、何とか説得して急いでここまで来ました」


 「相変わらずえげつないことするな刹っち」


 「えげつないことって?」


 「おいおい気づいてないのかよ、普通バイトの事で怒られた後にバイトに行くか~」


 「だって、バイトに遅れちゃ駄目だろ」


 「はぁ~お前ってやつは....」


俺の目の前でも気にせずに深い溜息をつく紫苑さん。


 「しおんく~ん、配達の連絡あったから行ってきて~」


店長がバックヤードの扉を勢いよく開け、休憩時間も終わりかと思っていたら。いきなり紫苑さんに泣きついて頼み事をしてきた。


 「また俺っすか、別に良いですけど、場所によっては刹っちに行かせますからね」


 「俺!!」


他人事かのように話を聞いていたら、こちらにも飛び火してきた。


 「場所はね...はは...あ、ここの場所って紫苑君の同級生の明人君のアパートの近くの所じゃなかったけ?」


 「誤魔化しても無駄っすよどうせまたあの人の事でしょ、俺嫌ですよ。明人に届けるならまだしもその住人だけには届けたくないです」


全て分かった。何故店長が泣きついて頼んできたか、そして紫苑さんの嫌がり具合も、全て分かってしまった。それはあくる日の事、この牛丼屋では近辺限定のデリバリーサービスというのを最近になって行うようになったが、ある日、一人の女性から牛丼を自宅まで届けてほしいとの連絡があり、そのデリバリーを請け負った紫苑さんがその人のいる元まで届けに行ったのだが、数十分で帰ってくるはずだった紫苑さんが、まさかの1時間半後の帰宅。店長と俺で遅くなった理由を聞いても、無視しバックヤードで一人で消沈していた。それからというもの、その女性から牛丼一個のデリバリーがあるたび、帰還は遅く、みな消沈してバックヤードに戻っていくようになった。まるで魔法でもかけられたみたいに皆は何が起きたのかを全く話さない。そのせいで今でもちゃんとした真相は分からない。だから俺はそのデリバリー先の女性の事を牛丼魔女と心の中で名付ける事にした。


 「そこをなんとか、お願い」


 「そんなに言うなら店長が行けばいいじゃないですか」


経験した者にしか分からない辛さというものがあるのだろう。紫苑さんは抑揚をつけて喋っているが目が笑っていない。

 

 「じゃあ刹君」


トラウマを植え付けられた紫苑さんは駄目だと悟ったのか、ターゲットが俺に切り替わった。


 「俺も嫌ですよ、あんなの見せられたら」


ここで承認してしまえば、俺の平穏なバイト人生が泡となって消えると悟ってしまった。


 「そうだよね....」


落胆したように紫苑さんからずり落ちる店長。しかしそこで諦める店長では無かった。すぐに体勢を持ち直し


 「こうなったらじゃんけんと言うのはどうだね諸君」


店長は公平に取り決めをするのに一番手っ取り早いやり方を提案してきた。


 「俺は別にいいですけど、刹っちは?」


意外も意外、てっきり店長に押し付けるだけなのかと思っていたら、素直に承諾し、こちらにもその提案に乗らないかと言わんばかりのオーラを醸し出してくる。もちろん断る理由もないので...


 「俺もいいですよその方が手っ取り早いですからね」


俺は何故この時に紫苑さんの素直な態度を疑わなかったのかひどく思う。


 「よ~しそれじゃあ気合を入れるために皆立ってやろっか」


何故か俺達二人に立つことを促す店長。


 「はいはい立てばいいんでしょ立てば」


そう紫苑さんが立ち上がり、俺も同時に立とうとすると、紫苑さんが意図的に俺の視界から店長の方を遮ってくる。


 「紫苑さんそれじゃ店長が見えませんよ」


 「あ..あぁ、ごめんな刹っち」


それに気づいていなかったのか、俺に謝りすぐにどいてくれた。


 「じゃあ行くよ~」


店長はまるでレクリエーションのような雰囲気で始めようとしているが、この雰囲気を後に笑って過ごせる奴はこの中から二人。そいつらからすればただの楽しいじゃんけんで済む話なのだが、問題はもう一人。じゃんけんという勝負事で決めるのだから、勝者の裏では、泣き叫ぶ敗者も出るに決まっている。しかし敗者への代償が重すぎやしないか。そう考えているうちに二人は自分の手を見られないように自分の後ろで拳を作っていた。


 「この戦いだけには負けられねぇ」


己に対しての喝なのか、紫苑さんはバックヤード中に響き渡る声で気合を入れ、腰を低くし構えた。


 「私もです、店長としての意地をここで」


店長としての意地とは?と聞きたい所だったが、こちらも本気も本気。並大抵の構え方をしていない、それはまるで野球選手のスライダーをも彷彿させる構えだった。俺はそんな二人の気迫に押し倒されそうになりながらも、少しだけ変な構えをした。


 「じゃあ」


 「いくよ」


開始の合図の宣言がされる。


 「じゃーんけーん..ポン!!」


開始の合図から数秒立たずとも、戦いの幕は下りた。


 「な!?」


そう、戦いは一瞬にして俺の敗北という結果で幕を閉じたのだ。


 「やったーーーこれで店長としての威厳が保たれる~」


相変わらず何を言っているか分からない店長が、更に何を言っているか分からない事を言っている。


 「よし.....」


紫苑さんも控えめなガッツポーズを俺にはやや隠しながらしていた。


 「まさか一回もあいこにならずに負けるなんてな」


三人でじゃんけんをやった時にあいこにならない確率はそう低くはないが、それでも一回で負けるのは何か後味が悪い。まぁ、敗者の言い訳にしか聞こえないんだが。


 「今日はついてなかった日ってことだな刹っち」


勝ちからの余韻から覚めたのか、安堵した様子でこちらの肩に腕を回してくる。


 「なんとか作戦が上手くいってよかったよ~」


 「作戦?」


作戦とは何のことやらと純粋に聞いてみる。


 「店長!!!」


 「あ!!...これはそのなんでもないのよ刹君」


あのいつも冷静な紫苑さんまでもが慌てふためいて、バックヤードの中の気温は一気に上昇した。


 「まさか、さっきのじゃんけん意図的に仕組んでましたか」


先程から二人の行動が怪しすぎたのだ。紫苑さんが店長の姿を俺に見させないように遮ったり、店長も紫苑さんばっかりにくっついていたから、まさかなとは思ったが当たったみたいだ。


 「いやぁ~そのなんていうか....これはつい出来心で...」


悪事がばれた店長に言い訳の余地はない。


 「刹っちごめん。店長がどうしてもやろうって言ってきたから」


紫苑さんも続けて謝ってきた。やはり黒幕は店長だったか。


 「はぁー.....」


その店長の策略にまんまと引っかかってしまった自分に呆れる。


 「別にいいですよ行っても」


 「え!?」


俺の返事が予想外だったものなのか、俺が仕事を了承した瞬間に二人は泣きながら俺に飛びついてきた。


 「うわぁ、今回だけ特別です。その代わりに二度とこんな真似しないでくださいね」


 「か、神様!!!」


デリバリー経験のない俺からすれば、最初に届ける先が牛丼魔女とはなんともついてない。今日は凛に遅れるって連絡しなきゃな。


 「じゃあ行ってきますから、店は二人に任せましたよ」


 「了解です」


何故ここでのバイト歴が一番少ない俺が、熟年者である二人に指示を出しているのか、統率という行為に少し快感を覚えてしまうではないか。


 「で、場所はどこですか?」


いざ行こうと歩を進めたのはいいが、肝心の場所について何も知らされていないということに気づいた。


 「それがね、名前は前と全く一緒で電話を受け取った時には鳥肌が立ったけど、前と住んでいる場所が違うのよね」


そう言うと、牛丼魔女の住処が記してあるメモを俺に渡してきた。


 「この場所って....」


そこに記されていた場所は、紛れもない自分の家だった。






ピーンポーン


見慣れすぎた自分の家のインターホンを押す。まさか帰ると言った意味以外の別の用事でこの家に立ち寄ることになるとは。この時間帯には凛はまだ学校から帰っておらず、常時二階に居候中のエネルとエメルさんしか家にはいないだろう。その証拠にインターホンが聞こえないのか玄関の扉を開けてくれる気配もない。一様商品である牛丼をここに届けにきたと名目でここに来たのだから、勝手に入るのも何か違うだろうと思い再びインターホンを鳴らした。すると今回はちゃんと二階にも響き渡ったのか、階段を降りてくる音が聞こえる。何やら慌ただしく降りているようにも聞こえたが、早く来てくれるに越したことは無いので特別気にはならなかった。ガチャリ、と扉が開く音、普段は内側から開ける側なので少しむず痒い気持ちになった。



 「あ、刹君じゃん学校終わり。それにしては格好がちょっと違うか」


出てきたのは、恐らく牛丼魔女であろう人物のエメルさん。今は晩御飯の時間帯ではないというのに何故にこんな胃に優しくないモノを頼んでいるのだろうかこの人は。


 「はぁ~まさか牛丼魔女の正体がエメルさんだったとは..」


 「ぎぎ、牛丼魔女って何!!!ってか刹君牛丼持ってるし」


俺が牛丼屋でバイトしていることを知らなかったエメルさんは、俺の右手にぶら下げてある牛丼を見て驚愕する。


 「俺牛丼屋でバイトしてますけど、うちのバイト先でとんでもない事になってるんですよエメルさん」


 「私が!!なんで...」


心当たりがないのか、牛丼屋での自分の噂を聞くと驚いた様子でこちらの事を見てくる。


 「なんか、エメルさんの所に届けに行ったら遅くに帰ってきたとか、一体来た人に対して何やってたんですか?」


他人事のように思っていたこのデリバリー、実際に直面しても知り合い同士なので実感は得られず、それどころか牛丼魔女なんて存在しておらず、ただ単にデリバリーを長引かせたい人達による陰謀で生まれたのか、なんて変な考えまでがよぎってしまった。そうなると紫苑さんは人を欺くのに長けてすぎな気もするが。


 「あぁ、それね。刹君の家に来る前には賃貸って形で家に住んでいたんだけどね、その時に配達しに来た人達とお喋りしてたからかな、結構長いこと話してたから」


これは同じバイト仲間に同情してしまう。ただ牛丼を届けに行っただけなのに、何時間もの間話をされるのだから。


  「ていうか、こんな時間に食べて夕飯は大丈夫なんですか?」


俺らの次元に住んでいないとはいえ、食いすぎたら体重が増える理論はいくら次元が違えど一緒なはずだ。


  「し、失礼だね刹君。安心して、この日本って国には3時のおやつなるものがあるらしいから、少しぐらい食べても平気平気」


色々言いたいことはあるが、おやつに牛丼並盛はいささか多すぎではないか。


  「で、俺も牛丼を届けに来たってわけですけど、ここから数時間お喋りコースですか」


考えるだけで身の毛がよだつが、俺の犠牲の上で店長と紫苑さんが巻き込まれなかったと考えると少しだけ救われる。まぁ、当の本人達は俺を欺いたんだけどな。


  「いつもは来てくれた人からこの街についての情報とか日本についての事を聞いてるんだけど、刹君の場合いつでも話せるでしょ。だからいいのいいの」


さっと俺の右手にぶら下がっている牛丼だけを手際よく俺の腕から外し、その代償に俺の手のひらになけなしのお金なのか530円を置いて..


  「じゃ、刹君。またバイトの話聞かせてね」


  「あっ...ちょっと」


と、玄関の扉を閉め、先程と同じく慌てて階段を踏む音が玄関越しに伝わってくる。


  「後20円足りないんだけどな」


手のひらに置いてある530円を眺めながらそう思った。エメルさんが慌てて二階に行った以上、もうインターホンには反応してくれなさそうなので、仕方なく自分の財布から20円を取り出し、エメルさんの530円の上からかさ増しした。


  「よし、借りは作ったから、その借りになんであんなに慌てふためいたのか後で理由でも聞こう」


ただで20円を失うといのはいかがなものかと思い、物ではなく情報といった形で、勝手に自分一人でエメルさんに対して借りを作った。


  「取り敢えずこれでデリバリーも無事終了だな」


数時間かかる見込みであちらはいるとはいえ、仕事内容が終わってしまった以上特にやる事もないし、俺も自転車に跨り、勤務場所へと自転車を走らせた。



  「は、早いな刹っち」


裏口から入ってバックヤードに戻った所は予想より遥かに早い帰還をした俺に唖然としている紫苑さんがいた。店長は客を捌いているのか、バックヤード越しでも店長の怒声に近い声が響き渡ってくる。に集中しこちらの帰還には目も向けてくれないが。


  「そ..それでどうだった。何か知ってる情報聞かれたか」


怯えながらにそう言い放つ。正直実体験をしてみて思ったが、数時間知っている情報について話させられる事以外に、恐怖感を与えてくる行動が一切なかった気がするが。だから何故エメルさんがそんなにも恐れられているのかが俺には分からない。


  「いや聞かれなかったし、そもそも俺の知人だったから、そこまで恐怖する理由が分からなかった」


知人以外には冷たく接しているのだろうか。でもそれじゃあ、俺が最初に会った時との矛盾が生じてしまうではないか。


  「刹っちの知人なのかあの人!知っている人同士だと下心というものは湧いてこないのか」


つい、自分との境遇の違いに幻滅したのか、訳の分からない事を口走っていた。


  「多分関係ないと思いますけど」


  「そうだと良いんだが、あぁ、お願いだから次の俺の番にも優しく接してくださいな」


また、天を仰ぎながら神様にお願いするような姿勢を見せている。


  「俺からも改めて注意しておきます」


先程はあちらが慌ててそれどころではなかったが、バイトが終わって家に帰ってからなら、この真相についてゆっくりと話せそうだ。


  「ていうか、店長に店任せっきりで大丈夫なんですか?」


さっきから紫苑さんと二人で喋っているが、この喋っている間にも約一名が表舞台でせっせと働いているので心配になった。


  「あぁ、俺も手伝いますよって言ったんだけど、「刹君を騙したのも私だし、その作戦に紫苑君を誘ったのも私だし」とか、せめてもの慈悲としての行動らしい」


どうやらあのじゃんけんの後罪悪感を感じたのかどうかは知らないが、俺の知らない所でそのような事が繰り広げられていたらしい。ならば最初からしなければ良かったのではと思うが、それほどデリバリーはしたくないという意志の表れでもあったのだろう。全く変な所で几帳面なのだから。


  「でも、結果的に俺は苦ではなかったんだ、今からでも厨房に行って手伝うよ」


騙されたとはいえ、今こうして紫苑さんと話せていることが楽できた何よりの証拠だ。この楽できた状態を自覚しながら店長を見過ごす訳には行かないとは思い厨房へと行こうとするが


  「やめといたほうがいいぜ刹っち」


ドアに手をかける寸前に俺の肩をこれでもかってぐらいに掴み必死に行かせないようにしている。


  「なんでですか...」


紫苑さんの腕を必死に振りほどこうとするが、相手は元柔道部。素人の抵抗など、紫苑さんの技量でいとも容易く無かった事にされる。


  「刹っちはもう時間だろ。帰って妹さんの温かい飯でも食べてくれ。店は俺と店長と、後夜に来るもう一人の三人で回すからさ」


俺に帰宅を促す紫苑さん。時間的には家での食事がもう間もなくという時間帯になってきているため、そろそろ切り上げる頃だろう。しかしそれをしてしまえばしばらくの間は店長と紫苑さんだけでこの店の千客万来に直面してしまう。


  「でも、紫苑さんは騙された方でしょ、それなら...」


強制されず自分のペースでやればいい。今日本当は来なくてもいいっていうだけで十分に罪は背負っているはずなのに、この人はさらに罪を背負って己が責務を果たそうとしている。


  「はは、刹っちは優しいな....いいか刹っち、敗者の持論だけど、俺は確かに騙されたかもしれない、けど結果としては刹っちを陥れてしまった。これって仕組んだ本人と与えた影響としては同じだと思うんだ。だから騙される側にも罪はあんだって」


何も言い返せない。だってそれを正しいと思ってしまっている自分がいるから、決して首を横に振る事は出来ない。

  

  「こんな俺が言ったとしてもなんだけどな....」


自分に対しての自虐の意味を込めたものなのか、紫苑さんは一人でに苦笑している。


  「分かりました。今日の紫苑さんのその行動をもってこの罪は不問とするので、二度とそんな真似しないでくださいよ」


  「はい、肝に銘じておきます」


バイトの先輩後輩という立場が今この瞬間だけ逆転した気がする。


  「じゃあ、少し気が引けますがこれで..」


紫苑さんと店長だけではどうにも心配で手伝いたかったが、紫苑さんに丸く収められてしまった為今日のバイトはここらで切り上げることにし、バックヤードから外に通じる扉を開ける。


  「あぁ、気にすんなって。また木曜な!」


  「分かりました、紫苑さんも頑張ってください」


その言葉だけを言い残し、バックヤードから外に通じるドアをそっと閉めた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る