後輩

「俺も、久々になんか描くか」


こちらも気持ちを切り替えて、部室にある筆洗器に水を入れ、パレットと筆を持って自分の席に着いた。そう本気で意気込み、絵を描こうとした瞬間。


  「先輩が絵を描くなんて珍しいっすね」


何故か今日に限って遅刻していない柊が颯爽と登場してきた。


  「今日は気分転換に描こうと思っただけだ」


  「先輩でも落ち込むことあるんすね」


  「人間なんだからそういう日があってもおかしくはないだろ」


  「なんすか黒瀬先輩と喧嘩でもしたんですかぁ~」


部室の扉の前であれだけ話をしていたから少しばかり注目を集めてしまったのか。


  「いや別にそういうわけじゃないけど...」


  「じゃあなんで、あんな先輩冷たそうにしてたんすか」


  「まぁ、ちょっとな...」


重い空気が俺と柊の周りを漂っている。それを読んだ柊は申し訳なさそうと、話を切り替えてきた。


  「久々のスケッチっすけど、描くものとかって決めてるんすか?」


  「いや、特には決めてないかな」


絵を描くなんてついさっき決めたばかりなので、勿論テーマなど思いついてるわけもなく。


  「じゃあ、窓から見える景色なんてどうっすか?」


  「風景画か...」


今まで描いてきた絵は動物や人などの、生きているものしか描いてこなかったので、これはまた新鮮な気持ちで描けそうだ。しかし生きていないものを描くとなると、どう躍動感を表現していいかいまいちピンと来ない。


  「それは、違うっすよ先輩」


  「何がだ、風景画じゃないのか?」


  「そうじゃなくて、生きていないって所っす」


定期的に人の心を読んでくるのは止めてほしい、心が読まれるこの感覚だけはいつになっても気味が悪いものだ


  「確かに自然も生きてるのかもしれないけど、その....実感が湧かないというか」


  「そんな、先輩には尚更、自然を知ってもらうため風景画を描くことをおすすめします」


そう言うと、半ば無理やり席を立たされ、窓際まで袖を引っ張られる。


  「待て待て、まだ自然を描くと決めたわけじゃないぞ」


  「いいえ先輩、今の先輩は心が荒んでいます。その荒んでいる心を自然を見て浄化してもらいます」


そんな簡単にいくのなら俺は悩んですらないだろうと思いながら、窓際に立たされた。


  「ほら、どうですこの景色。普段何気なく見ているかもしれない景色ですが、意識してみるとすごくバランスの取れた風景じゃありませんか」


いつもは帰る時に窓の戸締りで見る程度で、別にどうってことなかったが、いざ意識して俯瞰してみてみると....


  「良く分からない」


  「えぇ!!こんなに綺麗な景色なのに何も思うことはないんすかぁー」


意識してみても、やはりいつもの景色。車がせわしなく走る道路、少しはソーシャルディスタンスを取ってほしいぐらいに密になっている住宅街、そしてクレーターのある公園。ちょっとは自分の見方に変化があると期待したが、やっぱり俺にそういったセンスは持ち合わせていないようだ。


  「まっ、描いてみればそのうち分かるかもな、別に今日終わらせるとかそういったものじゃないし」


自分の気持ちを共有できない柊に苦し紛れのフォローを入れる。


  「そうですよね。すいません私も押し付けるような感じで」


  「どうせ描くテーマが決まってなかったんだ、むしろ感謝したいぐらいだ」


  「そうっすか....分かりました。いつになるかは分かりませんが、是非ともその絵を先輩が卒業するまでには描いてくださいっすね」


と、自らの掘っている彫刻の作業を進めるべく、柊は戻っていった。


  「別にそんな大層な物にする訳じゃないが...」


少し戸惑いながらも、柊からのすすめで風景画を描くことにした。


時計の針は6時付近を指しており、皆後片付けを始めようとしている頃合いである。


  「....」


皆が後片付けをしている最中、俺は自らの画力が無さすぎるという絶望を感じていたのであった。久々に描いたからというのもあったが、今日2時間弱かけてこの進歩具合と絵のクオリティは見合ってなさすぎると感じた。


  「どうっすか、先輩出来のほどは」


彫刻刀を片づけに行くついでに俺の作品を見に来た柊


  「悪いがこのありさまだ」


柊は作品には割と辛口評価をする方なので、きっと自分の作品も批評されるのかと、渋々柊に描いた絵を見した。


  「いい、いいよ先輩これ!」


  「えっ?」


てっきり滅茶苦茶ばかにしてくるか、ここをこうした方が良い的な批判がくるかと思っていたら、意外や意外、なんとあの柊が褒めてきたのか。


  「この植物の動きとかさ、ちょーいい感じっす」


  「怒らないのか?」


  「何でです?」


お世辞にも俺の絵は上手いとは言えないし、所々悪い癖で明らかに植物がしない動きをしている部分がある。


  「それがいいんですよ、何も別にそのままこの風景を描けと言ってるんじゃあるまいし、むしろこういう躍動感がある方が、自然は生きてると再認識できる気がするっす」


  「それならいいんだがなぁ」


  「まっ、ここの公園の所は流石に絵心無さすぎっすけどね」

 

  「うるさい」


へへっと笑って急いで逃げる柊。おかげでこちらの気持ちもだいぶ落ち着いてきた。


  「あら、素敵な絵じゃないですか茨木君」


  「葉月先生」


絵を描き始めた時から終わるまで気づかなかったが、この人この時間ずっと資料室にいた気がする。


  「先生なんで今のこの時間までずっと資料室にこもっていたんです?」


  「昔の生徒が描いた絵でも見よっかなぁ~って」


  「昔の生徒より、今作成している作品を見てあげてくださいよ」


  「は~い」


と軽いノリで返された。そんな先生を無視して、自分の作品を乾燥棚の所に乗せて、筆洗器とパレットと筆を洗い始めた。


  「お疲れさまでした」


とうとう部活が終わり、皆がこの部室から出ていく、普段の俺ならば誰よりも早くこの部室から出て玄関に向かうが、今日は一番遅くに出ることになるだろう。


  「茨木君と黒瀬さんここに残るの?」


葉月先生が指で鍵を回しながら言ってくる。


  「はい、少しの時間の間だけ残ります」


そう先輩が答えると


  「分かりました。それじゃ後の戸締りお願いね」


  「はい、ありがとうございます」


そう言って、鍵を先輩に渡し部室から出ていく葉月先生。これでこの空間には先輩と俺の二人だけの空間となった。

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