第50話 彼らの行き先

 いつの間にかリーナはリラクリカの店内にいた。まるで初めて訪れた時のような気恥ずかしさを覚えながら、いつもの受付嬢がいるカウンターへと歩を進める。


「いらっしゃい……おや、ごぶさただねぇ」


 いやらしい笑みを浮かべる彼女に、リーナは黙って無料券を差し出した。受付嬢は受け取った券を「ふむ」と一瞥すると、そのまま懐へとしまう。


「大変申し訳ないんだけど、すぐ案内できるのが一人しかいなくてね」

「そうかのか、じゃあ――」

「まぁ待ちなさい。帰る前に写真だけでも見ていきなさいな」


 踵を返しかけるのを引き留め、一枚のパネルを差し出した。それを見たリーナの動きが止まる。


「こ、この子……」

「あんたの初めての子さ。一度入ったきり裏を返してなかったけど、そろそろ二回目いってもいいんじゃないのかい?」


 セレンのアドバイスに従ってずっと避けていたのだが、まさかこのタイミングで再会するとは。


 そそられるものがなければ、すぐに店を出る心づもりでいた。だからこそ、この不意打ちはかなりリーナに効いていた。最近はずっと一人で済ませていたせいか、下腹部がじわりと熱くなっていく。


「じゃ、じゃあこの子で……」


 伏し目がちにパネルを指さすと、受付嬢はすぐにリーナをカーテンの奥へと促した。一秒の待ち時間もなく、リーナは店の奥へと吸い込まれていった。



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 荒い息をなかなか整えられないまま、リーナは柔らかいベッドの上に横たわっていた。久々なのに加え、相手の腕も上がっていたのか、今までで一番充実した時間だった。抜けるどころか、弱まりもしない余韻に身体を震わせる。


「また一緒になれて嬉しいよ」


 隣にいる男の子の、幼さの抜けきらない声が聞こえる。遊び相手の声を、ここまではっきりと認識したのは初めてだった。


「本当に……嬉しい……?」


 リーナがとろんとした目で彼を見つめる。


「こんな仕事、嫌じゃないのか……?」


 言葉が無意識に漏れ出ていた。


 お店の男の子にこんなことを聞くなんてご法度だった。だが彼は嫌な顔一つしなかった。


「確かにやむを得ない事情で、嫌々やってる人もいると思う。でもそんな仕事って、ここに限らず世の中にはたくさんあるんじゃないかな。だからどんな職業であれ、その職に就いてる人は不幸だと決めつけるのは良くないと思うよ」


 真摯に、それでいて淡々と彼は答える。


「少なくとも僕は、この仕事に誇りを持ってる。歓楽街で一番のお店まで上り詰めて、稼いだお金でお父さんの病気を治すこともできた。もっと幸せな生き方もあるだろうけど、僕はまだここで働き続けるつもりだよ」


 リーナは自分が誤解していることに、ようやく気が付いた。自分の勝手な想像で、ひとくくりに決めつけるのは間違いだった。この仕事が誇りだという人に対して、余計な手を差し伸べることこそ傲慢だったのだ。


 彼が特殊な例なのかもしれない。この世界から逃れたいと切に願う人もいるだろう。でもそういう人を救う方法は、お店に行かないことではない。ましてや業界をつぶすことでもない。もっと他にあるはずだ。


 リーナが彼の手を握ると、彼もまた握り返してくれた。十分な対価を払ってこの幸せを享受することは、少なくともこの国では悪ではない。


「延長して、いいかな?」


 彼は優しい笑顔でうなずいてくれた。その後の彼の声は、おぼろげにしか覚えていない。



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「あら、奇遇ね」


 リーナがリラクリカを出ると、店の前でセレンとばったり鉢合わせた。本当に偶然なのか疑わしいくらいのタイミングに、リーナは口から心臓が飛び出るかと思った。


「サロンに行くわよね」


 その質問にすぐ答えることができなかった。だが返事を聞く前にセレンが歩き出したため、リーナは慌ててその後をついていった。


「エヴァニエル家は以前から、歓楽街の端の方で誰でも無料で通える学校を運営してるの」


 唐突な話題だったが、リーナは後ろで黙ったまま聞いていた。


「わずかな学費すら払えない下級市民が主な生徒よ。卒業生には政治家になった人や社長になった人、貴族に才能を買われて雇われた人もいるわ。ちなみにニオンはその一人」


 マジかよ、とリーナは目を見開いた。


「えぇ、彼女は進学校のトップクラスの生徒にも劣らない成績でね。ただ性格があれだから、普通の仕事はできないと思ってエヴァニエル家で取り立てたの。今もサロンで働きつつ、必要な知識と常識を学ばせているわ」


 果たして学びの成果は出ているのだろうかと思ったが、リーナは口に出さないでおいた。


「ただ、学校に通うだけで大成する子なんて一握り。ほとんどの子はちょっとだけマシな仕事に就くか、夜の街に戻っていったわ。この現状に偽善だとか、イメージ戦略だとか陰で言う人もいる。けれど、少なくとも何もしない不届き者よりはマシだと思うの」


 無料の学校がなければ、ニオンはどうなっていただろうか。少なくとも、今以上の幸せはつかめなかったはずだ。そう思うとセレンがまぶしく感じられて、リーナは足取りが重くなった。


「リーナ、何もしないことと、何もできないことは全く違うわ」


 そんな考えを読み取ったかのようにセレンが言った。


「あなたは男爵の娘とはいえ、まだまだ子供。私のように才覚やカリスマがあるわけでもない」


 言い方が辛辣だが、事実だからか不思議と怒りはわかなかった。


「でも何も知らずに遊んでる人たちより、全てを知って思いやりを持てるあなたの方がよっぽど偉いわよ」


 はっとして顔を上げると、いつの間にかサロンの前まで来ていた。


 セレンがドアノブに手をかける。


「おかえりなさい、リーナ」

「あぁ、ただいま」


 扉が開かれると、同じ穴のムジナたちが笑顔でリーナを迎えてくれた。

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