第47話 安さを求めて
いつの間にかサロンの中心はセレンからニオンに移っていた。視線が集まる中、ニオンは足を組みながら「さて」と口火を切る。
「まず前提として、首都の歓楽街には大量のお店がひしめき合っている。形態も価格帯もピンキリだ。だがそれらを全て網羅するデータベースというものは存在しない」
「サロンにあるファイルはどうなんですか?」
メノが壁際の本棚に並べられた、大量の分厚いファイルを指さす。
「確かにあれはムジナ会の有志によって作られた宝の山だ。だが全店舗の詳細な情報が掲載されているわけじゃない。加えて会員のほとんどは頻繁に高級店へ通えるような金持ちだから、格安店の情報は乏しい」
言われてみれば、ここにいるメンバーだと(ニオンを除けば)セレンが呼びかけなければ、あえて格安店に行くことはないだろう。
「ではどうやって情報を仕入れるかというと、一つは自分の足だ。通りという通りを歩き回って、新しい店ができていたらとりあえず入ってみる」
「マジかよ、リスク高くね?」
リーナが引き気味に尋ねた。
「もちろん。だから勘と経験というものが非常に重要になってくる。お店に入って『あ、これヤバいな』と思ったら即座に逃げろ。そういうのは100%当たる」
勘を育てるのに相当な場数を踏んできたのだと思うと、ニオンの苦労が伺える。
「それでもお店側が巧妙だと、全く気付かないことは多々ある。私も幾度となく失敗と後悔を重ねてきた。だから自衛のために必要以上の金は持ち歩かない。加えて金持ちっぽく身なりを整えない。ボッタクリ店員に貧乏人だと思わせれば、奴らは深追いしてこないからな」
「だからニオンちゃんは~、いっつも同じお洋服で髪の毛もボサボサなんだね~」
その通りだぁ! とニオンがフーミナを抱き寄せて頭を撫でた。そういう意図もあるだろうが、「面倒だから」が九割を占めているのではないだろうか。
「ならその方法は、私たちには向かないわね」
「まぁな。特に公爵家の娘ともなると、どんなに庶民っぽく見繕っても高貴なオーラがあふれ出ちまう」
テルルの言葉に相づちを打つニオン。リーナもエヴァニエル姉妹と初めて会った時のことを思い出す。出会いは別々だが、確かに二人とも名前を聞く前から周りと一線を画しているように見えた。
「それに新店ができるたびに遊んでちゃ、格安とはいえ金が持たん。そこでもう一つの方法が、案内所で情報を仕入れることだ」
歓楽街には「無料!」という看板を掲げた、案内所というものが複数ある。しかしムジナ会には独自のデータベースがあるため、誰も積極的には利用してこなかった。
「ああいうのって胡散臭さ極まりないんだけど。特に無料ってとこが」
「お客さん紹介するマージンで稼いでるからね。提携店に回そうと必死になってるし」
アイネの悪態にテフィルが同意する。
「確かに案内所には強引な紹介をしてくるところもあるが、多店舗の情報を得るという面ではかなり使える。案内する側も、紹介できる店が多ければ多いほど、マージンを得られる可能性が上がるからな」
そこでだ、とニオンが身を乗り出した。
「どのお店に行くか決めかねている客を装って、従業員から情報をもらうんだ。こちらで色んな条件を提示しながら、各店舗の特徴を探っていく」
「でもそれって、提携店のいいところばっかりしか教えてもらえないんじゃない?」
気になったレシチーが尋ねた。
「確かに初めの内は提携店の良いところか、非提携店の悪い所しか教えてくれない。だから続けて別系列の案内所へも行く。すると評価がガラッと変わることもある。いくつかの案内所を回ってそれぞれの情報を比べれば、各店舗の真実が見えてくる」
リーナはなるほどと思うと同時に、ニオンの涙ぐましい努力が垣間見えるようであった。レシチーが質問を続ける。
「でも一回案内所に入っちゃうと、どこかのお店に行くまで帰してくれなさそうなイメージがあるんだけど……」
「そこはどんなに引き留められても流されない、強い精神力を持って帰ればいい」
いきなり出てきた根性論に、レシチーは苦笑いを浮かべた。初めて行く案内所だと、きっと彼女には無理だ。
「もちろん、ずっとそんなことやってたら嫌われちまうし、最悪ブラックリストにのる。だからたまには、ちゃんとお客さんになってやれ。割引をつけてくれることもあるし、常連になれば色々と優遇してくれる」
情報もタダではないのだと、リーナは改めて認識させられた。
「例えば業界人しか知らない、特別な情報を教えてくれることだってある。どこそこにできた新しい店は、実はあそこの系列店で評判はどうだとか、あの店はもうすぐ潰れそうだとか」
この辺が情報の仕入れルートの本質だろう。やはり業界人と仲良くなるに越したことはないようだ。
「ここでようやく本題に入るんだが、ボッタクリのない安全な店となると金額の下限は10000ギノだ。これより安く済ませようとなると、リスクを取るか、割引を有効活用するかの二択しかない」
リスクというのも、かなり分の悪いものだろう。できることなら避けたいところだ。
「実は幸運なことに、一昨日とある格安店で周年キャンペーンをやっててね。通常12000ギノのところがなんと9000ギノ!」
サロン内におぉ、という声が上がった。
「しかも大々的に広告を打ってないから、案内所を回らなきゃキャンペーンを知ることができない。これだけでも素晴らしい情報だが、ここで満足する私じゃない」
ニオンは舌を鳴らしながら、指を振った。
「情報を仕入れた案内所を出て、仲のいい従業員がいる行きつけの案内所まで行く。そこで『どこまで安く済ませられるか賭けをやってるんだ』と頼み込んで、更に割引を付けてもらったのさ。だいぶ無理を通してきたから、しばらくはアイツを通して遊ぶことになっちまったがな」
「なるほど、そうして7000ギノという破格の安さを引き出したのね」
ユスフィルが感心しながらうなずいた。努力のたまものが生み出した結果に、話を聞いていた者の多くは感動すら覚えていた。
「そこまで苦労するぐらいなら、普通にお金払えばいいじゃないの」
だが元も子もないアイネの発言が全てをぶち壊した。
「これだからブルジョワは……」
ニオンがため息をつきながら脱力する。確かにお金で解決できる人たちにとっては、そこまで無理する必要など一切ない。
だがユスフィルにとっては、無駄な情報ではなかったようだ。
「いえ、大変参考になりました。庶民の方がどのような考えでお店を選んでいるか――という視点は、ビジネスにとって大変重要になってくるので」
ビジネス、という単語を聞いてニオンが眉をひそめた。
「まさかあんた……」
「えぇ、アロキア商会はこの業界に参入するつもりです」
サロン内が驚きに包まれた。大多数は期待がこもっていたが、テフィルは露骨に嫌そうな顔をしている。
「姉様本気!? そんな話聞いてないよ!」
「本気も本気。こっちに来た時からずっと考えてたことなんだから」
自信をもって答えるユスフィル。彼女がお遊びをよほど気に入ったのは、もはや誰もが知る事実だ。だがまさか自らお店を出そうとするとは。
「でも商会のイメージが……」
「あの! お店ができたらお友達割引ということで、少し安くしてくれませんか!」
ヤトラの大声がテフィルの言葉をさえぎった。お店のオーナーが知り合いというのは、それだけでなぜか得した気分になってしまうから仕方がない。
「あぁなるほど。友達割引はともかく、オーナーの妹なら自由に遊ぶことだって――」
「そんなのダメに決まってるでしょう!」
「じゃあ姉様はオーナーとして一切商品に手を出さないつもりなんです?」
妹からの問いに、ユスフィルはしばらくの間固まっていた。
「…………当たり前じゃない!」
「めちゃくちゃ悩んでたじゃないですか!」
姉妹の言い争いですっかりサロン内が騒がしくなった。だがこれまで沈黙を守っていたセレンが一つ咳ばらいをすると、瞬時に沈黙が辺りを覆った。
「ユスフィルさんに一つ言っておきましょう」
丁寧だが、全く表情を変えずにセレンが言った。
「夜の世界の裏側を何も知らずに手を出すと、後悔するわよ」
サロンの空気が、ピンと張りつめた。
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