第43話 修復

 リーナがお店帰りにムジナ会のサロンへ寄ると、いつもは姉にべったりくっついているテルルが珍しく一人でいた。席は沢山空いているのに、なぜか部屋の真ん中でたたずんでいる。


「よぉ、どうしたんだテルル」


 声をかけると、テルルはぎこちない笑顔でこちらに振り向いた。


「な、なんでもないよぉ……」


 絶対何かがあったやつだ。他に誰もいないので、リーナは適当なイスを引っ張ってきて座った。


「セレンとケンカでもしたのか?」

「そんなわけないでしょ! 今日お姉さまはピアノのお稽古で遅くなるの」


 説明している間も、テルルはずっと立ちっぱなしだ。


「なんで座らないんだ?」


 不思議に思ったリーナが促すも、テルルは微妙な表情を浮かべたまま、うんと一つうなずくだけだった。その後も少しの間迷っているようだったが、やがて意を決したように両手を握ると、リーナの前のイスに腰を下ろした。


「あんぎゃああああああ!!」


 その瞬間、断末魔のような悲鳴を上げて飛び上がった。


「ど、どうした!?」


 何が起きたのか理解できないまま、リーナは床の上でのたうち回るテルルの元へと近付く。


「一体何が起きた!?」


 店の奥まで悲鳴が聞こえたのか、ニオンが仮眠室から飛び出してきた。勤務時間中に何してたんだと言いたいが、それどころではない。


「ふえぇん……痛いよぉ……!」


 床に寝転ぶテルルに気付いたニオンが、リーナと顔を見合わせた。


「リーナあんた……公爵令嬢を傷物にしたのか?」

「あたしは何もやってねぇ!!」


 本当に襲ったわけではないことはちゃんとわかっているのだろう。ニオンは必死に否定するリーナを見てケラケラと笑っていた。


 だがお尻をさすりながら涙を流すテルルを見て、すぐに何かを察したようだった。彼女の横にしゃがむと、先程とは打って変わって真面目な顔で問いかけた。


「何をしたか正直に話せ」

「お姉さまには言わない……?」


 涙目で訴えるテルルだが、ニオンは黙って首を横に振った。むぅと頬を膨らませるテルルだったが、観念して自分がやったことを白状した。


「お店で遊んでいる時に、後ろの方をチャレンジしてみたの……」

「それでやっちまったのか。ほぐしが足りなかったんだな」


 呆れるニオンを見て、リーナもようやくテルルの身に何が起きたのかを理解した。先程テルルが座ったイスは、クッションのない木製のものだった。


「どれ、見せてみろ」


 ニオンが促すと、テルルは低い声ではーいと答えながら自らのスカートに手をかけた。あまりに自然な流れでスルーしかけたが、リーナが慌てて止めに入る。


「ちょっと待て! ここで見る気かよ!?」

「なんだ? 前にもテフィルを診ただろ」

「確かにそうだけど……ってかテルルも抵抗なく脱ごうとすんな!」

「大丈夫よ、ニオンは信用できるお医者さんだから」


 さも当たり前のようにテルルは言いきった。ニオンは一体、何をどうやって公爵家姉妹の信頼を勝ち取ったのか。


「あー、こいつぁ切れてるな」


 その後、ニオンは患部をまじまじと眺めながら診察した。予想通りの結果に「やっぱり」とテルルも肩を落とす。


「またお姉さまに叱られちゃう……」

「とりあえず今日は薬塗っといてやるから、明日セレンに病院連れてってもらえ」


 そう言って救急箱から軟膏を取り出すと、なぜかリーナに差し出した。


「リーナ、塗ってやってくれ」

「はぁ!? なんであたしが!」

「毎日洗い物してるから手がカサカサなんだよ。リーナのしっとりキレイな手の方が痛くないだろ」


 言っていることはわかるが、さすがに塗る場所が場所である。抵抗は大きい。


「嫌に決まってんだろ」

「おいおい、美少女のお尻を触れるチャンスなんだぜ。変わってもらいたいぐらいだ」

「やっぱ下心あるじゃねぇか!」

「ねぇ、早く塗ってよぉ~」


 なぜか猫なで声でおねだりしてくるテルル。余程患部が痛いのか、それともただふざけているだけなのかわからないがやめてほしい。


「わかったからお尻を振るな!」

「おっと、薬を手に取る前にちゃんと消毒しろよ」

「いちいちめんどくさいな!」


 バーカウンターの流しで手を洗い、ニオンの隣――テルルの後ろ側へと回り込む。


「この部分か?」

「あぁ、くれぐれも優しくな」

「ねぇねぇ、まだ~?」


 テルルの催促をはいはいといなしつつ、リーナは今度こそチューブから右手の指先へ軟膏を絞り出した。利き手とは逆の手にしておけば良かったと後悔しながら、覚悟を決めて患部へと手を伸ばす。


「あんっ……!」

「変な声を出すな!」


 その時、前触れもなくサロンの入口の扉が開かれた。


「あなた……テルルに何やってるの……?」


 入ってきたセレンが、凍りつくような声で言った。


 不幸なことにテルルは入口側に頭を向けていた。そのためセレンの位置からは、リーナがテルルのお尻に手を伸ばしているようにしか見えなかったのだ。


「レシチーに飽きたらず、私の妹にまで手を出すとは……!」

「待て、違う! これは誤解だ!」


 ヤバい雰囲気を感じ取ったリーナが、慌てて釈明しようとする。たがニオンは袖でニヤける口元を隠しながら言った。


「あーあ、やっちまったなリーナ」

「お前がやれって言ったんだろ、ふざけんなよマジで!!」

「途中でやめないでよぉ~」

「テルルも妙な声色するんじゃねぇよ!!」


 結局セレンの誤解を解くのに、小一時間ほどかかったのであった。

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