第39話 過去との決別・後編
首都中心街は繁華街とはまた違った種類のにぎやかさに包まれていた。おしゃれなカフェのテラス席に、リーナとセレンが座る。
「本当に来るのか?」
リーナは向かいにある王立劇場の裏口を眺めながら、オレンジジュースに刺さったストローをくわえた。
ヤトラから聞いた話では今日、午前の公演を終えた後にエソリアとアイネがデートをするらしい。二人が現れるとすれば、関係者通用口である裏手側だ。裏手といっても、人通りは激しい。
「クラスで自慢してたのよ。相当な見栄っ張りじゃなきゃ、ウソはつかないでしょ」
そう言いながら、紅茶の入ったティーカップを持ち上げるセレン。ただ飲んでいるだけなのだが、実に優雅で様になっている。
「ほら、噂をすれば」
視線の先をたどると、深紅のローブを身にまとった少年が歩いてきていた。長いローブはヤトラと同じメアーリス族の伝統衣装である。彼がおそらくエソリアだろう。なるほど、確かに端整な顔立ちをしている。
「ヤトラが惚れるのも無理ないな。高級店にいてもおかしくない」
「一般人をお店の男に例えるのはやめなさい」
セレンに注意され、不満げに肘をついた。
エソリアと思われる少年は少しの間、劇場裏口付近で辺りをキョロキョロ見回していた。しかし目的のものは見つけられなかったらしく、リーナたちがいるカフェへと入ってきた。二人がいる場所とは反対側のテラス席へと案内される。
相手もこちらの顔を知らないはずなので、二人はそのまま観察を続けていた。すると裏口から一人の少女が姿を現した。
ブランドものの衣服に身を包み、顔が隠れようかという大きなサングラスをかけている。明らかにそこら辺にいそうな一般人ではない。
「来たわ、あの子よ」
セレンが予想通りといった風に口角を上げた。彼女がアイネ・キルハスだ。
「まるで大物女優だな」
「実際、人気子役であることは間違いないわね」
裏口の扉が閉められると、アイネはかけていた大きなサングラスを外した。下に隠れていた顔は予想よりも幼く、表情を引き締めているものの子供らしいかわいらしさが垣間見える。
アイネがカフェの方へ向くと、ローブを着た少年が立ち上って片手を上げた。アイネは顔をほころばせて駆け寄ると、周りの目も気にせず彼と抱き合った。
「行くわよ」
セレンが意気揚々と立ち上った。リーナも慌てて彼女の後を追う。
「あらまぁ、そちらにいるのはアイネ・キルハスさんではなくって?」
白々しくセレンが話しかけると、アイネは見たくない物を見たかのように顔を引きつらせた。エソリアは誰だろうと訝しんでいる。
「セレン・レフラ・エヴァニエル……!」
「お久しぶりね、元気にしてたかしら」
なんと二人は面識があるようだ。公爵の娘ともなると、気軽に俳優にも会いに行けるのか。
「そちらはエソリア・ワンマルクさんで間違いないかしら」
「ど、どうして俺の……いえ、私の名前を……」
エヴァニエルという姓を聞いたエソリアが、すぐさま態度を改めて襟を正した。貴族でない者からしたら、公爵家は雲の上の存在である。
「普段通りでいいわ。それより私の友人のヤトラ・メアマルトのことなんだけど――」
ヤトラの名前を出すと、エソリアがハッと息をのんだ。
「振った女の子に聞こえる場所で、随分と自慢してるそうじゃないの」
エソリアの顔がすっかり青くなっていた。ヤトラの友人に、こんな偉い人がいるとは思わなかったのだろう。
周囲の注目を集めかけていたので、セレンが席に座るよう指示した。四角いテーブルの、それぞれの辺に四人が腰を下ろす。
「だ、だってあいつ……振った後も名残惜しそうにこっち見てくるんで……」
エソリアの言い訳によって、わざとヤトラに聞かせていたことが明らかになった。
「なら直接言ってやりなさいな。『脈は皆無だから諦めて』と」
「そんなことしたら余計落ち込むだろ、アイツ」
「間接的に聞かせても同じことよ。付き合えなかった人の交際相手の自慢とか、余計に傷つくわ」
ぐうの音も出ないエソリアは、下を向いて黙りこくってしまった。
「クラスメイトだし顔を合わせるなとは言わないわ。ただ会話の内容はもう少し配慮してもらえると――」
「さっきから黙っていればねぇ!」
イラついたアイネが突然セレンの話をさえぎった。
「いきなり現れてなんなのよ! 元はそいつが他人の彼氏に色目使ってたのがいけないんでしょ! エソリアばかり責めるのはおかしいじゃない!」
公爵の娘相手に、一歩も引くことなく畳みかける。役者だからか度胸が据わっていた。
「そうよね、エソリア君」
上目遣いに訴えるアイネ。彼女も甘いマスクの虜のようであった。エソリアも良いところを見せようと、段々と気を強くしていった。
「確かにその通りだ! 向こうにも原因はある!」
「そうよそうよ! 嫌ならそっちが転校でも何でもすればいいじゃない!」
二人ともいじめっ子が使うような反論だった。
「さすがにそんな言い方はねぇだろ!」
声を荒げて立ち上がろうとしたリーナを、セレンが片手で止めた。
「なるほど。エソリア君は全く謝るつもりはない。加えてアイネはそんな彼の肩を持つと」
ギロリと二人をにらむセレン。一瞬怯んだようにも見えたが、二人とも愛の力を過信しているようだった。
「そうよ!」
アイネが言い切ると、セレンは深く長いため息をついた。
「悲しいわね、同じムジナ会の仲間ともあろうものが」
「何っ!?」
セレンの思わぬ発言に、リーナは驚嘆の声を漏らした。アイネの顔から一気に血の気が引いた。
「あの……そのことは黙っててくれるって……」
「約束したわね。でも大事な会員を傷つけるというのなら、それなりの罰を与えざるを得ないわ」
「まさかあなたの友人って……そういう……」
全てを理解したアイネが絶望の表情を浮かべる。
「こいつも会員だったのかよ」
「本業が忙しくなってから、サロンに顔を見せてなかったけれどね」
「おい、ムジナ会って何なんだ一体?」
一人置いてけぼりにされ、ぽかんとしたエソリアが尋ねた。
「いや、その、別に大したことじゃないってゆーか……」
「夜にお店へ行く女の子たちの集いよ」
必死にごまかそうとするアイネを無視して、セレンがド直球に言い放った。
「夜にお店って、まさかお前……!」
「違うの! まだ付き合う前の話で――」
「あら、つい先週もお店と男の子を手配してあげたじゃない」
取りつくろいが速攻で崩れ去り、アイネの顔が引きつった。
「付き合った後じゃねぇか!!」
「知らない! 知らないわよこんなの!」
テラス席が一瞬にして修羅場と化した。最初から謝っとけばこんなことにはならなかったのにと、リーナは哀れに思った。
「そんなに否定するなら証拠を見せてあげるわ」
更にトドメを刺さんとばかりに、セレンが一枚の写真をテーブルに投げ置いた。
「…………は?」
それを見た三人の目が点になる。映っていたのは繁華街らしき通りで、見知らぬ女の子と腕を組むエソリアの姿だった。
「あ~ら! 間違えてエソリアの写真を出しちゃったわ~!」
わざとらしく高笑いを浮かべるセレン。アイネは一転して肩をわなわなと震わせていた。
「いつの間にこんな写真を……ってか顔知らないんじゃなかったのかよ!」
「敵を騙すにはまず味方から。公爵家の力を使えば個人の特定なんて朝飯前よ」
リーナに答えながら取り出したもう一枚の写真には、リラクリカの中に入っていくアイネの姿が映されていた。変装しているが、サングラスは先ほどまでかけていたものと同じだった。
「何よ! あんただって遊んでたんじゃない、この浮気者!」
「お前が言うな! この俺じゃ満足できなかったってのかよ!」
「あんたこそ私の美貌じゃ物足りないっていうの!」
罵り合いはエスカレートしていき、ついに取っ組み合いのケンカへと発展してしまった。慌ててウェイターが止めようとするも、もはや手が付けられない状態だった。
「さぁ、帰るわよリーナ」
「絶対にセレンだけは敵にしないわ」
複数のグラスが割れる音を背に、二人はカフェを後にした。
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