第30話 かいたらいけません!

 サロンの長椅子に寝転んで漫画を読んでいたテフィルの右手を、セレンがガシッと掴んだ。


「あなた今、かこうとしてたでしょ」

「い、いきなり何の話……?」


 凄みを利かせてにらむセレンに、怯みながらテフィルが尋ねた。


「正直に言いなさい、かゆいんでしょう?」


 更にセレンが顔を近付けて問い詰める。


「ちょっとだけだし、別にどうってことないよ」

「どこがかゆいの?」

「ど、どこって……」


 テフィルが目線をそらしたのを、セレンは見逃さなかった。


「やっぱり言えない場所がかゆいんじゃない! あなたそれが、どういう意味か分かってるの!」

「この程度すぐ収まるって!」

「だとしてもちゃんと診てもらわなきゃダメよ。病院紹介してあげるから」

「ヤだ! 病院行ったら家族に連絡いくじゃん! 恥ずかしすぎる!」


 駄々をこねて掴まれている手を振り払おうと暴れるテフィル。セレンもわがままは許さぬと彼女を抑えつけている中、サロンの扉が開かれた。


「おーっす」

「ごきげんよう」


 入ってきたのはリーナとメノであった。


「あら、珍しい組み合わせね」

「入り口でバッタリお会いしまして……ところで何をされてるんです?」


 二人の異様な様子を見たメノが首を傾げた。


「テフィルがね、かゆいらしいのよ。あそこが」

「別に病気だと決まってないでしょ!」

「それを決めるのはあなたじゃなくてお医者さんよ!」


 セレンが叱りつけるも、テフィルは抵抗をやめようとしない。


「ははぁ、そういうことか。ご愁傷様だな」

「どういうことなんです?」


 得心したリーナにメノが尋ねた。


「遊んでいるとな、時々怖~い病気になっちゃうことがあるんだよ」

「そうなんですか!?」


 目を見開いて口を押えるメノを、ちゃんとしたお店でちゃんと対策してれば大丈夫だとリーナがなだめた。


「とにかくひどいことになる前に病院へ行きなさい!」

「だからヤだって! 絶対姉様に笑われる!」


 姉妹仲は良好なようで何よりだと思いながら、リーナは組み合う二人の様子を微笑ましく眺めていた。


「実に他人事のようだけども、放置したまま遊びに行かれたら巡り巡ってリーナのところまで来るかもしれないわよ」

「よーし、助太刀するぜセレン」


 一転して気合を入れたリーナがテフィルの元へにじり寄った。メノといえばただその場であわあわするばかりだ。


 二人がかりでは望みが断たれると思ったテフィルは、長椅子から転げ落ちて無理やりセレンの手を引きはがしす。


「こら! 待ちなさい!」


 拘束を解かれたテフィルが脱兎のごとく駆け出した。小さな体で器用にリーナやメノを避けると、入口のドアノブに手をかける。


「あ、あれ? 開かない……」

「残念、カギかけておいたぜぇ」


 ガチャガチャとノブを回すそうとするテフィルの両肩を、ニオンが後ろから掴んだ。ひえっ、とテフィルは小さな悲鳴を上げて背筋を凍らせる。


「そんなに病院行くの嫌か?」


 掴んだ手でテフィルをこちらへ振り向かせた。


「だってほんとに病気だったらしばらく遊べなくなるじゃん……」

「疑わしい状態でも遊ぶな!」


 リーナが声を荒げながら、しょんぼりするテフィルをテーブル席まで引き戻した。


「だったら私が代わりに診てやるぜぇ? これでも医者だからな」


 ニオンは無駄に袖の長い白衣をひらひらさせながら、再びテフィルの背後まで近づいた。テフィルは振り返らず、露骨に嫌そうな顔をする。


「絶対下心あるでしょ!」

「こういう時のニオンは至って真面目よ。医者は言い過ぎだけど」


 不安を口にするテフィルに、セレンが言い聞かせた。


「女の子の身体に関する知見は十分だから、病院に行く前に確認してもらうのも手ではあるわね」

「ほぉら、公爵令嬢様のお墨付きだ」


 そう言いながらニオンはテフィルの前まで回りこみ、手をわきわきさせながら前歯を見せた。テフィルは完全に怯えて身体を縮こませる。


「病気と判断されたら、ちゃんとした医者に診てもらいなさい」

「だったら見られ損じゃん!」

「あら、病気だと認めるの?」

「そういうわけじゃ……ないけど……」


 セレンとの問答を続けるも、次第に口数が少なくなる。


「テフィルさん、放置し続けるのはよくないと思いますよ」

「うぅ……」


 年下のメノにまで注意されたのがこたえたのか、テフィルは力なく肩をうなだれた。


「わかったよ……とりあえず見るだけね」

「任された。気になるなら三人には出てってもらおうか?」

「二人きりの方がヤだ!」


 観念したテフィルはこの場でニオンの診察を受けることとなった。ニオンの指示に従う彼女を他の三人が見守る。


「足を閉じるな、見えないだろうが」


 顔を赤らめて不安そうな表情を見せるテフィルの身体を、ニオンがのぞきこむ。


「……うん、もう着ていいぞ」


 特に危惧したような行動はなく診察が終わった。テフィルはいそいそと着衣を戻す。


「テフィル、心して聞いてほしい」


 体面に座ったニオンが真剣な眼差しで見つめながら言った。物々しい雰囲気にテフィルの額から汗が流れる。


「お前のかゆみの原因は――」


 テフィルだけでなく、見守っていた三人も息をのむ。


「――ただの汗疹あせもだ」


 全員の肩から力が抜けた。


「無駄にためてんじゃねぇよ!」


 クレームをつけるリーナだったが、内心ではヤバイ病気ではなかったことにホッとしていた。


「市販のかゆみ止めを塗ってりゃ大方大丈夫だろう。だが一週間経っても治らなかったら絶対に病院に行け。わかったな?」


 絶対に、を強調してきたニオンに対し、さすがのテフィルも素直にうなずくしかなかった。


「あと治るまではお店も禁止だ」

「結局ダメなの?!」

「当たり前だろ。風呂入り過ぎるのも肌に悪いし、万が一遊び相手にうつったら出禁だぜ」


 再び不満を言い始めたテフィルをニオンが言い聞かせる。


「さすがに他人に迷惑かけるのは良くないな」

「ニオンの言う通り、しばらくは我慢なさい」


 リーナやセレンからも諫められ、すっかりいじけてしまったテフィル。そんな彼女にメノが笑顔で話しかけた。


「お店で遊べない時は自宅で訓練がオススメです。遊びの幅が広まりますよ」

「いや、色んな意味で幅を広げる気はないから」


 その後幸いにも数日で汗疹が快癒したテフィルは、再び夜にお店へ足しげく通うのであった。

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