第22話 上下一心前後不覚

「だから後ろにはすぐ入らないんだって」

「えー! でも本だと『こっちも来て』ってノリで入れてたじゃん!」


 サロンに入って早々ニオンとレシチーの会話を聞いたリーナは、扉を開けた勢いのままズッコケた。ドアベルからは本来鳴るはずのないけたたましい音が鳴る。


「大っぴらに何の話してんだお前ら!」


 鼻を押さえながらリーナが立ち上がった。


「何って、前は慣れたからそろそろ後ろにも挑戦してみようかなって」

「どうせ店の前まで来たらビビって腰が引けるんだろうが。やめとけやめとけ」


 レシチーが意気込んで話すのをあしらいながら、カウンターバーの席に着いた。彼女の話し相手であるニオンにプッシー・キャットを注文する。


「そもそも何もせずヌルっと入るのは漫画だけの話で、実際にはきちんと訓練しないと指すら入らないもんなんだぜ」


 ニオンはそう説明しながら、冷蔵庫から取り出した瓶をクルクル回したり空中に飛ばしたりといったアクロバットを披露する。


「相変わらずスゲェな! これでもう少し格好と性格をきちんとすれば、最高のバーテンなんだが」

「身なり整える金があったら遊んでくるさ。それにどんな見た目だろうが性格だろうが、金を払えばお店の男は喜んで舐めてくれる」


 最後にシロップを加え、丁寧にシェイクされたプッシー・キャットがグラスへと注がれた。


「じゃあその訓練って、何をすればいいのさ」


 しばしニオンの技に見とれていたレシチーが口を開く。


「お、気になるか? だったら私がタダで文字通り手取り足取り教えてやるぜぇ?」

「タダは魅力的だけど……なんかヤバそうだから遠慮しとく」


 正しい選択だと、リーナはレシチーの背を叩いて言った。


「そもそも後ろってそんなにいいもんなのか?」

「なんだぁ? 興味あんのかリーナ」


 釣竿に魚がかかったかのような勢いで、ニオンがバーカウンターから身を乗り出してきた。明らかに失言だったとリーナは後悔する。


「ぶっちゃけ人によるとしか言い難いな。前よりいいって奴もいれば何も感じないって奴もいる。ちなみに私はどっちも良好だ」


 ふふんと鼻を鳴らしながら袖をまくった腕を組むニオン。んなこた聞いてねぇと思いながら、リーナはすっかりマズくなったプッシー・キャットを口に含んだ。


「苦労して訓練しても実際やってみたら全然――なんてことになったら嫌だなぁ」


 饒舌なニオンの話を聞いて、レシチーが不満を漏らした。


「広がりやすさなら前より後ろの方がまだ楽だよ~」


 話を聞いていたのか、フーミナがレシチーの背中に抱き着いてくる。


「……未だにこの子が6歳で卒業したとか信じられないんだけど」


 レシチーは苦笑いを浮かべながら、背中から引きはがしたフーミナを軽々と持ち上げて、カウンターの椅子へと座らせた。


「大人の初めては前じゃなくて後ろだったしね~」


 聞いてもいないことを無邪気な笑顔で話すフーミナ。


「大人のが前に入るようになるまで、だいぶかかったからな。それが今や人に教える立場だなんざ、泣けてくるぜぇ!」


 そう言いながらニオンは右腕の袖を降ろして涙を拭いた。まるで親のようなことを言っているが、やった所業は決して親がするものではない。フーミナから訓練法を教わっているメノも手遅れにならなければいいのだが、とリーナは思った。


「えへへ~、ありがと~。でもまだ大人のは前と後ろ同時には入らないんだよね~」

「前後同時!? その発想はなかった!」


 驚くレシチーだが、ない方が正常である。


「ってかその言い方だと、同年代だったら入るとでも言いたげだな」

「入るよ~。二人に挟まれると幸せな気持ちになれるんだ~」


 微笑みながら頬を押さえるフーミナを見て、もはやリーナは何も言う気力もなかった。


「でも同時だとあんまり集中できないから、片方ずつの方が好きかな~?」

「そいつぁ修行が足りねぇな。私なら前後に上を加えてもしっかり楽しめるぜ」

「上って……合計三本!?」


 未知の世界を垣間見たレシチーが驚きの声を上げた。


「逆ハーは金がかかっから、最近はご無沙汰なんだけどな」


 リーナはそれよりもフーミナへ「修行が足りない」と言ったニオンに対して、マジかよと心の中でつぶやいた。


「さすがにちょっと上はまだ無理かなって思うんだけど……」


 その辺の感覚はまだ正常なのか、レシチーが引き気味に言った。リーナは以前調子に乗って色々チャレンジしたことは、しばらく黙っておくことにした。


「確かにセレンは雰囲気を楽しむもんだってよく言ってる。それは正しいし、ぶっちゃけ私も飲み込むのは好きじゃない」


 いつもとは違う真面目な表情に変わったニオンが言った。


「でも極限まで相性のいい奴だと、舐めるだけで美味いと感じたり、気持ちいいと感じたりすることがあるんだ。あたしゃ頻繁に遊べるほど金持ちじゃないから、そういう相手にはまだ会っていない。でももし見つけたら、自分の何を犠牲にしてでもそいつを手に入れるつもりでいる」


 いつになく力を込めて話すニオンに、誰もが思わず聞き入ってしまっていた。自分がもしそういう相手を見つけた時は、どうするだろうかと考えてしまう。


「だからどんだけ金持ちだろうと、貴族や軍人になるのはゴメンだ。前者は結婚相手が決まってるし、後者は戦地に行くことが決まっている。当事者であるお前らの前だからこそ言うぞ。今は好きなだけ楽しめばいい。でもいつか現実と向き合う日が来ることを忘れちゃダメだぜ」


 三人はすっかり黙りこくって下を向いていた。自分の欲望で頭が埋まっていそうなニオンから、そのような言葉が出てくるとは思わなかった。彼女の作ったノンアルカクテルを飲む手も止まり、グラス内で解けた氷が崩れる音だけが響き渡った。


「つまり私が言いたいのはな――」


 ニオンが最後に付け加える。


「金持ちかつ自由な身である商売人が一番いいってことなんだよ! なぁテフィル! 親父に頼んで私を養子にしてくれよ!」

「ニオンと姉妹になるとか絶対にヤだ!!」


 長椅子で漫画を読みふけっていたテフィルへニオンが呼びかけるも、願いは虚しく一蹴された。


 リーナは好転しかけていたニオンへの評価を、そっと以前のものへと戻した。

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