第三章 みんなの夜

第16話 バーテンダーのウデマエ

 先ほどまでの素敵な一時を思い出しながら、リーナはぼんやりと歓楽街の路地を歩いていた。もはやムジナ会のサロンへ向かうのに、わざわざ道を思い出す必要はない。自然と向かう足取りのまま、長屋状の建物の一角にある扉に手をかけた。


「やぁ、いらっしゃい」


 扉を開けた先には見慣れたカウンターバーと、全く見慣れない一人の少女が立っていた。リーナは違う部屋に入ってしまったかと、一歩下がって建物と周りの景色をキョロキョロと確認する。


「えっと、ここ、ムジナ会だよな?」

「そうだよ」

「……どなた?」


 カウンターの奥に立つ少女はボサボサの髪の毛を垂れ流し、両目の下にくっきりとクマを作っている。見るからに不健康そうだ。加えてサイズの合わない白衣を羽織っており、長い袖を無理やりまくって小さな手をのぞかせている。


「ここのバーテンダーさ」

「ばー……てんだー……???」


 リーナは一瞬、彼女が何を言ったのか理解できなかった。バーテンダーといえばカッコいい制服を着た大人が、これまたカッコイイ手裁きでお酒をシャカシャカ振っているはずだ。だが目の前にいる存在はそのイメージとはかけ離れている。


「元は家の使用人の娘でね、ここで雇わせてもらったの」


 奥から出てきたセレンが、優雅な足取りでカウンターの椅子に座った。紹介を受けた少女は腕を組んで鼻を鳴らす。


 ムジナ会の主である彼女が言うのなら本当にバーテンダーなのだろう。


「で、名前は?」

「ニオンだ。名字はない」


 だがリーナはすぐには納得がいかなかった。


「ほんとにバーテンできんの?」

「そんなに疑うなら見てみるといい」


 ニオンはそう言うと、冷蔵庫からいくつかのジュースと、棚からシロップの瓶を取り出し、流れるようにシェイカーへ液体を注いでいった。そして大人顔負けの動きでシェイクし、氷が入ったグラスに注ぎ入れてリーナの前に差し出した。


「プッシー・キャットだ」


 リーナは促されるまま、きれいなオレンジ色に染められたグラスを手に取って一口飲んだ。


「おぉー! さっぱりしててうまい!」


 今まで飲んだことのあるジュースとは少し違う、フルーティな風味に目を輝かせた。


「他にもバージン・ブリーズとかフルーツ・パンチとか、いろんなノンアルコールカクテルが作れるわよ」


 同じく注いでもらったグラスを手にセレンが言った。


「すげーじゃん! でもなんで白衣なんか着てんだ?」

「医者も兼ねてるからさ。病気になったら見てやるぜぇ?」


 思わぬ回答に吹き出すリーナ。セレンがさっとおしぼりを手渡すと、受け取ったリーナは口元をぬぐう。


「お前、いくつだよ?」

「12」


 まさかの同い年にリーナも二の句が継げない。


「さすがに医者は言いすぎよ。でもニオンは女の子の健康に関する知識が深くてね。困ったことがあればいつでも相談するといいわ」

「にしては見た目がヤバすぎだろ! 自分の健康に気をつかえ!」

「面倒なんだよ。きちんと仕事してれば問題ないだろ?」


 医者の不養生という言葉があるが、ニオンの外見はただ白衣を着ただけの引きこもりと言った様相だった。


「この職場も太っ腹でさぁ、お給料に加えて週一でリラクリカに連れてってくれるんだよ。金のない庶民にとっちゃまさに天国! まさにセレン様々さ!」


 ぐへへと気色の悪い笑みを浮かべるニオンを見て、リーナはここがムジナ会であることを思い出した。


「因みにお医者さんごっこも大歓迎だぜぇ~?」

「絶対お前には診てもらわない」


 両手をワキワキしながら舌なめずりするニオンから距離を取る。


「というかその白衣、もうちょいいいサイズなかったのか?」


 両腕からぷらぷらと揺れる袖を見てリーナが言った。先ほど彼女がノンアルカクテルを作る時も、身体の動き自体は滑らかだったが、袖の位置を度々気にしているようだった。


「あぁ、これ? こいつは私の切り札でね。こうやって萌え袖にして……」


 ニオンが腕を下げるとバサッと白衣の袖がずり落ちた。そして肘を曲げて手の先からぶらんと垂れ下げると、口元まで持ってくる。


「おこづかいちょーだい、おにーちゃん♪」


 声のトーンを1オクターブ上げ、上目遣いで首を傾けるニオン。扉も窓も閉まっているはずなのに、サロン内には冷たい風が吹き抜けた。


「かわいいだろ?」

「吐き気がした」


 リーナが容赦ない感想を述べた。


「おっとそりゃ大変だ、デキてるかもしれん。今すぐ確かめるから触診を――」

「原因はそれじゃねぇよ! こっち来んな!」


 カウンターを出てきたニオンから、慌ててリーナが部屋の隅に逃げる。


「まぁ、普段は超邪魔くさいから腕まくりしてるけどな」

「萌え袖の意味ねぇじゃん……」


 リーナが何度目かの呆れ顔をしていると、サロンの入り口からドアベルの音が鳴り響いた。


「あ~! ニオンちゃんだ~!」


 入ってきたフーミナが顔をほころばせながら、ニオンの元へと駆け寄った。


「おぉ、フーミナ。久しぶりだな、元気してたか?」

「うん!」


 そのままフーミナは飛び上がって抱き着いた。ニオンは袖からギリギリのぞかせた手で、彼女の頭をなでる。


「知り合いなのか?」

「そうだよ~。ニオンちゃんとは時々ここでお話してたんだ~」


 どうやらニオンは以前にもサロンに訪れたことがあるらしい。


「拡張の訓練法とかいろいろ教えてもらったんだ~」

「フーミナを狂わせたのはお前かぁ!!」


 無邪気な8歳女児の嗜好をとんでもない方向へ曲げてしまった原因に、リーナは怒りをあらわにした。


「いやいや、あたしゃちょっぴりアドバイスしただけだって。それより広げ方知りたいんだったら、リーナにも教えてやるぞ?」

「……いやいらねぇから!」


 返答に若干の間があったことは、あえてセレンは指摘しなかった。


「こんばんは……みなさん……お元気そうですね……」


 沈みきった声にギョッとして全員が振り向いた。顔色の悪いヤトラがサロンの入り口で肩を落とし、さめざめと泣いていた。


「大丈夫~ヤトラ~!?」

「またトラウマの発作を起こしたようね。ニオン、頼めるかしら」

「しょうがねぇなぁ」


 不安がるフーミナをセレンに預けると、ニオンはヤトラの元へ行き、すっかり丸くなってしまった彼女の肩を抱いた。


「しばらく見ない内にすっかり元気なくしてんじゃん、ヤトラ。またあの男を思い出したか?」

「ニオンさん……」


 その後もニオンは、ヤトラの耳元で何かをささやきながら会話を続けていた。一分くらい見守っていると、だんだんとヤトラの顔に血色が戻っていった。


「ですよね! そうですよね! いやー、やっぱりニオンさんとお話して良かったです!」

「元気出たようで何よりだよ。また何かあったら相談してくれ」


 ニオンがぽんとヤトラの背中を叩くと、彼女はすっかりいつものテンションを取り戻していた。一部始終を見ていたリーナも手のひらを返して「すげぇ」と漏らす。


「ニオンは女の子のことをよく知ってるからね」

「メンタルケアもできるのかよ……」


 見た目にそぐわぬ優秀さを発揮するニオンに、リーナはすっかり感心してしまっていた。


 そんな中で再びサロンの扉が開かれた。


「げ、ニオン」

「顧客に対して『げ』とは随分な反応じゃないか、テフィル」


 ニオンが両手を広げ、入ってきたテフィルに馴れ馴れしく話しかけた。なんだかんだでリーナ以外と全員面識があるようだ。


「それより頼んでおいたアレは届いてるか?」

「うちはそういう店じゃないんだけどさ……とりあえず姉様に手を回してもらって入荷しておいたけど」

「さっすが商会の娘! 頼りになるぜぇ!」


 頬ずりしようとしてきたニオンを、テフィルはダルそうな表情で突き返した。


「一体何を注文したんだ?」


 リーナの質問に、ニオンはニヤリと笑いながら答える。


「オモチャとおクスリだ」

「あっ……」


 即座に尋ねたことを後悔した。


「興味あるなら一緒に使ってみるか?」

「断る。ってか『一緒に』とかふざけてんのかお前」


 既に部屋の隅にいるリーナがもう一歩後ろへと下がった。


「今日からニオンには、ここのバーテンダーをやってもらうことになったから」


 セレンが立ち上がり、全員に伝えた。フーミナが手をパチパチと叩き始めたので、他の少女たちからも次々を拍手が沸き起こる。


「おうおう、大歓迎だな! 基本はカウンターに引っ込んでるだろうけど、これからよろしく頼むよ」


 少し照れながら頭をかくニオン。リーナはまたとんでもない奴が現れたなと思いながらも、周りに合わせて手を叩いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る