第13話 スーパー8歳児

「えへへ~、今日は三つもハシゴしてきちゃった~」


 ぷにぷにのほっぺたを押さえながら、軽やかな足取りでサロンに入ってきたフーミナ。彼女の第一声を聞いたリーナは思わず椅子から転げ落ちそうになった。


「さ、三軒って……今日は平日だよな……?」

「そうだよ~。今日はなんだかすっごく元気が余っててね~、学校終わった後すぐ遊びに行っちゃった~」


 現在時刻は午後七時。リーナとは学年も学校も違うので正確なところはわからないが、長く見積もっても四時間ほどで三軒回ったことになる。


「最初の二軒はあんまり良くなかくてすぐ出た……とか?」


 その可能性はまずないとわかっていても、確認せざるをえない。


「いやいや~、ちゃんと三つとも最後まで楽しんできたよ~」


 予想通りの答えが返ってくると同時にリーナは立ち上り、紅茶を飲んでいたセレンの元へ近づいた。


「さすがにヤバすぎるだろ、アレは」


 フーミナに聞こえないよう耳打ちすると、セレンはゆっくりとティーカップをソーサーの上に置いた。


「若いっていいわね」

「おばさんみたいなこと言ってんじゃねぇよ! 若すぎるから心配してんだろうが!」


 二人も大して歳は変わらないだろうという指摘はさておき、フーミナの遊び様を見ていると子供目線であっても心配に思えてくる。


「確かに少し様子を見てみた方がいいかもね」

「様子を見るって?」

「こういう遊びをしていると、誰にも言いたくないことが多々生まれてくるもの。あなたにも心当たりがあるでしょう?」


 リーナは何も答えなかったが、沈黙は肯定である。


「つまりフーミナはもっとすげぇ遊びしてるかもしれないってこと?」


 対象を自分からそらすべく早口で言った。


「可能性は十分あるわ。というわけでリーナ、明日は暇かしら?」

「明日?」



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 翌日の夕暮れ時、街灯が自らの役割を思い出したかのように次々と点灯し始めた。リーナとセレンはその光の届かない建物の陰で身を潜めている。


「なぁ、本当に今日も来るのか? 昨日三軒も遊んだばっかりだろ」

「フーミナの体力を舐めちゃダメよ。海軍一家で普段から鍛えてるらしいし」

「一体どこを鍛えてるんだか」


 皮肉ったリーナがため息をついた。


 今いる通りは、フーミナの通う小学校から歓楽街へ行くために必ず通る道だった。二人は彼女の動きをこっそり監視し、危ない遊びに手を出していないかどうか確かめることにしたのだ。


「来たわよ」


 セレンが小さな声で言うと壁に背を付けた。角からリーナがのぞき込むと、フーミナがポニーテールを左右に揺らしながら歩いてきているのが見えた。上機嫌に鼻歌を歌い、ネオンの密度が高くなる方角へ向かっている。


 姿が離れ、セレンは手招きをしながら歩きだした。リーナも足音を立てないようについていく。犯人を追う探偵になったようで、少し楽しい。


「どこかにいる護衛の水兵とかちあったらどうすんだ?」

「友達なのは知ってるだろうし、直接手出ししない限りは干渉してこないわ」


 一定の距離を保ちつつ、徐々に高まっていく人口密度の中で自らの気配を消す。


 メインの大通りまであと二、三ブロックいうところで、フーミナがピタリと立ち止まった。二人は慌てて道路脇に置かれた看板の陰に隠れる。


「バレたか?」


 リーナが小声で聞くも、セレンは黙ったまま口元に人差し指を立てた。だがフーミナが動きを止めたのはほんの数秒で、特に後ろを振り返ることもなく脇道へとそれていった。


「ふー、危なかったな」

「でも変ね、あの路地にお店なんてなかったはずだけど」


 看板から身を出しながらセレンが首をかしげる。それを聞いたリーナが冷や汗を流しながら肩をこわばらせた。


「情報通のセレンが知らないってことはまさか、相当ヤバい店があるんじゃ……」

「まさかそんなはずは……」


 セレンはそう思いながらも、最悪の可能性を頭から捨て去ることはできなかった。二人は先ほどよりも速足で、フーミナが入っていった人通りの少ない路地へと向かった。


「な~にこそこそしてるのかな~?」


 角を曲がった瞬間、目の前でフーミナが仁王立ちしていた。セレンがギョッとして足を止めると、すぐ後ろにいたリーナがその背中にぶつかった。


「いってて、急に止まるな……って……」


 改めて自分たちが追っていた対象を前にして言葉を失った。表面上は子供らしい笑顔を浮かべつつも、目が全く笑っていない。


「い、いつ気付いてたんだ……?」

「二人が待ちぶせしてるとこから~」

「最初からじゃねぇかよ……」


 勝手に尾行されていたのだから怒るのは無理もない。だが四つも年下の相手なのに、思わず息をのんでしまうくらいの気迫があった。


「悪かったわフーミナ。でも私たちはあなたが心配だったのよ」


 謝罪したセレンが、小さな彼女に目線を合わせて経緯を説明した。フーミナが再び危険な場所へ行っていないかどうか知りたかった――そう丁寧に伝える眼差しはまるで、お姉さんを飛び越えて母親のようであった。


(本当にあたしと同い年かよ……)


 リーナがそんなことを思いながら待っていると、やがてフーミナはいつもの無邪気さを取り戻してくれた。


「なぁんだ~。そういうことなら一緒に遊びに行く~?」


 怒りのオーラはすっかり消えていた。リーナはほっと息をつく。


「そうだな、お詫びと言っちゃなんだけど付き合ってやるよ」

「やった~! 行こうと思ってたのは大人が相手してくれるお店なんだけど~」

「ごめん、やっぱ無理だわ」


 以前に見かけた体格差を思い出したリーナは、食い気味に前言を撤回した。


「私も今はそういう気分じゃないからやめておくわ」


 セレンもそう言ってフーミナの誘いを断った。そのまま流しそうになったが、言い回しに若干の違和感を覚えるような……


だが路地奥から足音が近づいてきたために、リーナの注意はそちらへと流れた。


「やぁお嬢ちゃんたち、こんなところでどうしたんだい? 迷子かい?」


 歩いてきたのは薄くヒゲを生やした見知らぬ大人だった。両手をポケットに入れたまま優しい声で話しかけてくるが、どうみても怪しいオジサンだ。セレンがリーナろフーミナの手を引っ張り、距離を取らせる。


「ご心配ありがとう。迷ってるわけじゃないからお構いなく」


 丁重に断りを入れ、二人を連れて歩き出そうとする。だが歩幅の勝る男が更に距離を縮めてきた。


「そんなこといわずにさぁ。どこの家の子なのかな?」

「ね~おじさん、ポッケに入れてる右手なんだけど~」


 状況を理解しているのかいないのか、フーミナがいつもと変わらない調子で男の手元を指さした。


「ナイフ持ってるよね? なんで?」


 幅の狭い路地に、氷のような声が響き渡った。フーミナから笑顔が消えていた。


 リーナもはっとして男の右ポケットを見るも、その膨らみからは手を握っていることくらいしかわからなかった。


「へぇ……お嬢ちゃん、よくわかったねぇ」


 男が気色悪く口角を上げ、ポケットから右手を出した。


 瞬間、セレンの後ろにいたはずのフーミナが風の如く前に飛び出した。自分の頭より高く片足を蹴り上げると、鈍色に光る折り畳みナイフが宙を舞った。


「てめっ……」


 反応を見るより先にフーミナが動く。両手で壁際の雨どいをつかむと勢いをつけて飛び上がり、両足に遠心力と体重をかけて男の足を薙ぎ払った。


 幼女が出したとは思えない衝撃に、男がバランスを崩して前に倒れ込む。すかさずフーミナは体勢を立て直し、男が倒れる勢いを活かして顔面に膝蹴りを食らわせた。グシャッという嫌な音と共に一瞬男の頭部が跳ね上がると、潰れた鼻から血を流しながら白目をむいて地面に倒れ込んだ。


 誰も数秒の内に起きた出来事を理解できないまま、どこかに控えていたらしきセーラー服を着た水兵たちが次々と倒れた男に飛びかかった。


「お怪我はありませんか、お嬢様!」


 家にいるはずのフェリエス家のメイドがリーナの元へと駆け寄り、安否を気遣った。セレンの周りにもいつの間にかSPらしき黒服が集まっている。


 本当に自分たちを見守ってたんだとか、歓楽街で家の人と顔を合わせて気まずいとかいう感情はもちろんあった。だがフーミナがやったことを前にすると、全てが些事のように感じられた。


「ふ~、相手が素人でよかった~」


 いつもの調子に戻ったフーミナが、軽い運動を終えた後のように額の汗をぬぐう。その小さな身体に成人男性を倒す力が秘められているなど、想像すらできなかった。


 次からフーミナの機嫌を損ねるような行動はやめよう――リーナはそう心に刻んだのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る